1999年10月6日

キューバ、オルターナティブ・ノーベル賞を受賞

 キューバ農林業技術協会の有機農業グループは、有機農業運動のキューバ内の発展に働いたことで「ラブリー・フッド賞」の名誉を与えられたことを知り、ずっと喜んできました。

 グループは、直ちにそのニュースを伝え、その広さと国家的な重要性を反映させました。受賞に公正な認識を与えることを願って。グループの名誉が無意識とうかつさによって曖昧にされることがないよう確実化されることを願って。それが、私どもの国内での多くの同僚と信奉者たちにわかちあわれることによってです。

 こうした反響の上で、いつも存在していたのは、それ以外の私どもの農学の著名人、ホアン・トマス・ロイグ(Juan Tomás Roig)氏、ヘサス・カニサレス(Jesús Canizares)氏、ホセ・ルイス・アマルゴス(José Luis Amargos)氏、フリアン・アクナ(Julián Acuna)氏といったキューバの有機農業運動で卓越した仕事をなしとげた諸先輩、パイオニアーたちです。彼らは、今の有機運動の主唱ととても良く一致する概念や知識に基づく農業文化により、多くのキューバ世代を訓練してきました。


 キューバ革命の勝利によって、私どもの農業上の変革は始まりました。1970年代に、国は、私どもの現実により調和した、投入のほとんどない、より合理的な農業を目指し、変革をはじめました。輸入資材や生原料の代替とするため、強力な政策が導入され、全部門において資金や資材を節約することが強調されました。経済的な自覚と自給が強調されたのです。同じく、国の研究機関もネットワーク・プログラムに向け、その目標や戦略方向を変えました。

 1980年代には「投入」と関連した研究や普及開発がとても増えました。生物的な害虫管理プログラム、家畜の蛋白源となるマメ科作物の活用、その他の作物のためのバイオ肥料の使用、最小耕起、投入水準を保つために採用されていた様々な手法の組み合わせ等の代替技術が進展したのです。

 1990年代のはじめには、「スペシャル・ピリオド」として知られるのですが、輸入量が半分以上も減り、国はその食料生産を増やす必要性に直面しました。そして、同時に輸出作物の生産を維持することも必要でした。

 このスペシャル・ピリオドの間に、持続可能な農業を達成するという農政の基本目標は、作物の大きさを小さくすることなく、石油化学物質の投入を少なくすることです。それには、多くの資本やエネルギーを必要とする技術に重きをおくことではなく、キューバ内での農業研究や普及、情報の流れの構造を組織化することが必要です。

 そして、革命の歳月を通じてなされたキューバ人民の文化的、政治的、そして技術的な準備が、1990年代のはじめに起きた荒っぽい変革、そして、農民ではないものにとっては、よよいこととしては受けとめられなかった変革の決定的なファクターであることを実証しました。新たなパラダイムに向けての探求は、革命の年月を通じ、国内の農民、技術者、科学者により集積された科学・技術の結果と経験によって助けられたのです。

 ですから、農業省は、私どもの農業危機の影響を弱めるため、あるいは満足がいく解決策のため、これまでの結果やまだ着手過程にある研究や技術的な転換の成果を、すみやかに適用できたのです。オルターナティブや解決策が直ちにアピールされ、多くの農民、技術者、研究者、大学教授、農業のリーダーたちの中で、新たな気づきが少しづつ形成されてゆきました。彼らは次第にもうひとつのアプローチによる農業の可能性を確信するようになりました。環境や自然と調和して、経済的に作物が生産できること。過剰なエネルギーを使わず、資源投資を減らし、土壌や水、大気を汚染せずに健康的な食べ物が生産できることをです。

 革命の40年もの間、キューバが米国政府による残酷な経済封鎖を強いられてきたことは忘れてはなりません。封鎖は経済部門で、あらゆる手段が障害となることを目的としたものなのです。そして、経済封鎖はこの10年の間に明らかに強化されましたし、食料輸入コストを増やすだけでなく、キューバが食料や医薬品を得ることも困難にしました。


 1990年代に入ると、都市農業運動が強化されました。それは経済的に水を用って土を肥沃にする農業に人民が参加することです。この生産的な運動は、年間を通じて化学物質に汚染されない生鮮農産物を手に入れること確実にし、人民に栄養を与える上で重要な影響力をもっています。

 都市農業は開始されて以来、1994年に4千トンを生産し、1998年には8万トンと確実な伸びを記録し、1999年には9万トンに近づくことが期待されております。

 これまで申し述べてきたことすべてからご判断できるように、国に集積された知性とノウハウを速やかに、かつ、すべてを動員したこと、そして、これと同じく危機的状況に国民ががしっりと対応したこと。これが、こうした困難な歳月の間にも、農業の危機を深刻化させ、飢餓を蔓延させたであろう事態を回避させたのです。

 約4年間で、有機農業運動はどの期待もうわまわるほどになりました。そして、個人の生産者、農場管理者、普及員、研究者、大学教授、宗教組織、そして、農業と関係した国の機関を含め、ありとあらゆる農業部門に広まっております。

 1993年5月に第一回目の国内での有機農業会議を開催することを目的に、慣行農業の変革というオルターナティブに向け、それまで働いてきた様々な組織や機関が参集し、1992年11月に、ひとつの委員会が創設されました。有機農業グループがその仕事を主催したのは、まさにこの会議においてでした。

 私どもの国においては、有機農業運動の基本目的は、このグループが体系的に取り組んではおりますが、高投入技術が達成するのと同じか、さらに多くの収量を得られるということを、生産者に教育することなのです。それを、持続可能なあらゆる要素を調整することで、総合的に配慮された有機農業システムをデモンストレートすることにやっております。

 ここ数年では、ワークショップや、農場見学、大学や研究所での講義、会議、科学イベント、生産者も交えた参加型のミーティングにより、意識啓発キャンペーンが実施されています。同じく、様々な研究教育センター、農業協同組合やその他の関心を持った組織を通じて、移動式の農業エコロジー・ライブラリーも行われています。グループは、定期的に専門誌を発刊し、格式ある農業エコロジー講座を支えています。講座には ハバナ農科大学の500名を越す学生が登録しています。

 グループの本部はハバナにありますが、国内で広範囲に運営されている部局を持ち、メンバーも各自の働く場所で活動しています。グループの構成員はいつも有機農業の生産手法と関連した教育活動を実施していますし、有機農法を用いることが、キューバ農業の永久的な転換になるのだという思想をいつも広めています。


 仕事を発展させる上で、有機農業グループは、UNDP(国連開発プロジェクト)やその他のNGOの支援も受けています。「農業エコロジー灯台プロジェクト」(Agro-ecological Lighthouses project)がそれです。モデル農場では、エコロジー農業の農法や技術の実行性や効率性が実証され、有機農業の概念で作物が総合的に管理されているのですが、その実施を支援しているのです。農業エコロジー灯台プロジェクトは、その資金をUNDP、ドイツのNGO「世界にパンを」、オクスファム・アメリカ、そして、キューバの機関から受けています。グループは、米国のフード・ファーストとの密接な関係を維持していますし、二国間の農業者の相互交流が組織化されています。同じく、農業省、砂糖省、教育省、科学技術環境省といった国内の政府諸機関とも手をとりあってやっております。また、国の開発政策にこの仕事が目的とすることが確実に反映されることを目的として、全国小農協会(ANAP)とも強力な連携が結ばれています。

 有機農業グループの献身的な仕事ぶりについては、とくに述べておかなければなりません。それは、キューバがとても困難な歳月の間も、農業の持続可能性を開発させることに益するよう体系的になされ、骨の折れる仕事でした。なぜ、それが困難であったかと申しますと、長い歳月をかけて確立、築かれた貿易関係が失われたからであり、また、現在、世界最強の権力によっていかに残酷な経済封鎖がなされていることからも、困難であることがわかりましょう。

 有機農業グループは、ACFTA(農林業技術協会)の中で、その活動を行ってきました。それは1987年に設立されたNGOで、1999年10月に開催された会議で組織強化が図られました。会員は1万2000名を越し、国内全州に出先機関を持っています。その使命には、より持続可能でエコロジカルな農業のために集中的に働くことが含まれております。


 有機農業の世界は常に大きな難題と向きあっています。ですが、それはまた「世界中の農業をよりもっと有機に」という励ましや歓迎の知らせも受け取っているのです。

 リオ・デ・ジャネィロでの環境開発国連会議での私どもの元首フィデル・カストロの演説から7年が経ちますが、カストロの言葉は全体として合法性を保ち続けています。その演説でカストロはこう呼びかけました。

「第三世界のライフ・スタイルに環境を破滅させるような消費習慣を持ち込むな。人民の生活をより合理的にしよう。より公正な国際経済秩序を適用しよう。汚染なき持続可能な開発のためにすべての科学的な必需品を用いよう。外国の借金にではなく、エコロジカルな借金に金を支払おう。人類ではなく、飢餓こそを消滅させよう」と。

 私どもに授けられた賞は、高い名誉ではありますが、私ども人民が大変な苦難の年月の中、政府の支援と共にそれを可能としたすべての男と女の努力の証への賜物であり、また、今日ここにおられる著名な方々、そして世界全体の前に、私どもの有機農業のリアリティを現すものとして、満足しております。 私どもは、尽きることがなき政府からの支援を感謝しています。それなくしては、私どもの仕事は成し遂げられなかったことでありましょう。また、私どもは、この賞を授与してくださいましたラブリーフッド・ノーベル賞財団、そしてスウェーデン議会からの支援にも感謝いたします。私どもの感謝に神の教えがありますように。

どうも、ありがとうございました。


  Speech by Maria del Carmen Perez - GAO,1999.

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