2000年5月

キューバ紀行

 ローラと私は、2000年の5月に二週間、キューバを訪れました。それは、雨を待っていたかように、とてもむし暑く、乾燥していました。12月現在、この文章を書き綴りながらも、雨季の秋は、想像するだにどんなに大変かがわかるんです。

 私たちは、とても幸運なことに王立園芸協会とマーリントラストからなんとか旅行資金の提供を確保できました。プロジェクトは、都市内で新鮮な食料を生産しているハバナの生産的な都市菜園の発展を目にすることになっていました。菜園が、それを持つ人々やコミュニティどんな効果があるのか、そして、英国の都市がキューバの事例からいかに学べるかを観察するためにです。

 それは私たちのキューバへの初めての旅でした。主にアジアですが、私たちは以前から各地を旅していましたから、見知らぬ国にたどり着いても、その違いや生じる問題に対応することには慣れていました。ですが、私たちに一番ショックだったのは、あまりに簡単に人々の本物の暖かさや親しみやすさと出会うことができたことでした。二人ずれの女性でも、安全で苦労がないと感じられたのです。

 私たちのプロジェクト作業はすべて、ハバナでなされることになっていました。私たちは、都市菜園視察に同行してくれるロベルト(Roberto)氏とフスト・トレス(Justo Torres)氏と会う約束をなんとかできました。私たちは、持てる時間内に、なるたけ多くのものを目にしたかったので、どこに行くのかもはっきり決めず、車とドライバーを雇うことにしまさいた。フアン(Juan)氏が親しみやすいツアーガイドとなってくれたので、これは良い判断だったとわかりました。そして、フアン氏も私たちの訪問から多くを学んだのです。ですが、ファン氏はハバナや旅行者からもらうドルにひきつけられているので、家族とは月に一度会うだけなのです。

 最も胸が踊ったことは、驚くほど実りの多い美しい菜園を見たからではなく、プロジェクトの背後にある人々や彼らの顔に誇りや力強さが現れていることを見れたからでした。私たちが訪れた菜園は、シエラ(Sierra)さんと他の5人の隣人たちが所有しているものでした。彼らは、居住ブロックの道を横切ったところにある0.4ヘクタールほどの土地を耕すため求めたのでした。ちなみに、シエラさんは、5年にわたって休暇を利用しては、平坦な区画を作るのにどんなに皆が手伝ってくれたかを話してくれました。彼らは激しい労働にすっかり慣れていました。土地から石を取り除き、畑を囲むように1メートル高に積んだ石垣を目にできます。彼らは、今では、それで自分や家族の食料を生産し、最近では地元コミュニティに売るためのニンニク・エゾネギも育て始めています。

 もちろん、私たちはフェルナンディーニ(Fernandini)氏も訪ねなければなりません。「米とラム以外は全部自給」。私たちは、氏が成し遂げたことに驚かされましたが、私は今は氏が米とラムの自給にも取り組んでいると思っているんです。この二つが、私たちが訪ねた大きな菜園でした。

 私たちは、多くの中庭プロジェクト、オルガノポニコ、ハバナ周辺の小さな自作農地、シード・ハウスも訪れました。出会った誰もが、有機栽培の技術やそれを環境にどう適応させるかの知識をたくさん持っていました。シード・ハウスには使える情報が数多くあり、財団や地域の菜園グループからの支援もありました。私たちは、最も役立つと思って選んだ種子や農具を持参してきたし、ペンと鉛筆と計算機とギターも同じく持参していたので、それを適切に配分しました。とりわけ、ロベルト氏とフスト氏には時間を取ってしまい、私たちにもお金を使ったので、私たちは彼らにお金を支払いたかったのです。ですが、それが受け入れられたのは、私たちが「将来のプロジェクトのためにそれを使うように」と言った時だけでした。

 数日間をすごし、私たちはキューバ全体を感じたくなりました。私たちは、ハバナ西部のソロア(Soroa)へと短い夜行旅行をし、Orquidereaを訪れ、とても面白いガイド・ツアーをしました。私たちは、菜園者の一人と雑談し始めたのですが、彼はその土地で暮らし働くコミュニティを訪れるために私たちを丘陵へと連れていくと申し出たのです。たとえそれが暑い最中の8kmの歩きであっても、私たちは拒否できませんでした。

 ここでは、コミュニティは自分たちが食べる食料のほとんどを栽培していました。野菜と果物のいくらかは地方市場へ持ち込まれ、タバコとサトウキビは国に販売されていました。私たちは感動的な景観を目にするため、ここから、さらに西部のビニャーレス(Vinales)にでかけ、タバコ農家を訪ねました。その農家のタバコは全部国に出荷されるのです。

 私たちはキューバ訪問中に、いろんな宿泊設備に泊まりました。ハバナでは、それが好きになりましたが、スクランブルエッグに「revoltillio」といううまいネーミングをつけたり、キャラクタでいっぱいのホテルに泊まりました。

 キューバの食べ物は楽しめたと言えます。繰り返しになるかもしれませんが、ストリートのキオスクのピザ、そして、もちろん果物もおいしかったのです。私たちは、知りもしない果物があることも味わいました。そして、マンゴーが旬に時期にキューバにでかけたことはどうみてもお得でした。

 キューバへの旅は、胸踊るものでしたし、私たちの最近の『燃料危機』の間は、ある面で十分に評価されました。スーパーマーケットに食料がなくなれば、イギリスはほとんど数日間で停止してしまいます。私たちの危機はすぐに終わりましたが、キューバではそうではありません。そして、彼らは、危機を持続可能性の機会へと転換させているのです。

(イギリスのキューバ有機農業サポート・グループのHPからの記事)
  Nicola Duffield, Reports from Cuba,2000.

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