2003年9月12日

キューバの生鮮食料確保

ハバナのミラマル地区にある受賞したオルガノポニコ。菜園は地区や二ブロック離れた学校に、コリアンダー、レタス、薬草とパクチョイを提供している

 マイアミからフロリダ海峡を横切って、国の首都は、国連開発計画(UNDP)によってGDPで第90位にランクされている。ハバナの学生たちは、学校菜園や近くの都市有機菜園で栽培された様々の新鮮な果物や野菜を自分たちの手で選んで食べている。

 1990年代のはじめには、平均的なキューバの食卓は、今、豊かに享受されているものとははるかにほど遠いものだった。この時期には、ソ連の崩壊で海外からの経済援助がなくなり、平均カロリーやたんぱく質の摂取量が1980年代の水準と比べて、ほぼ30%も落ち込んだのだ。

 飢餓が広まる可能性に直面する中、キューバ政府は、餓えた人民の要求を満たすべく、生産を増加させるには、人間であれ自然であれ、国内資源を全面動員しなければならないと予感していた。そして、米国の経済封鎖が強化されことにより、食料輸入の選択肢がほとんどなくなり、キューバは180度転換。10年を経ずして、その生産体制をほぼ全面的に有機農業に転換したのだった。キューバの化学や機械技術に頼らない食料自給に向けた国をあげてのコミットメントは、食料消費、食事のパターンやコミュニティーと深く織りあげられ、食料生産だけでなく、個人の食文化を発展させるうえでも驚くほどの成功をもたらした。持続可能な農業の専門家たちの多くは、こうしたトレンドを絶賛する。だが、米国のキューバへの農産物輸出政策がごくわずかではあるが変わり始めた今、キューバは2001年まで事実上免れていたグローバル市場からの強力な力と対決する瀬戸際にあるように見える。米国はキューバに最も近い潜在的な貿易相手国である。そして、両国間の貿易を広めることに向けた譲歩はささやかなものだが、今後さらになされるとともに、キューバの食料確保の強化は、その官僚制度の高まりや市場からの支援もあって、必然的に試されることになるだろう。

■崩壊と回復

 1989年にソ連が崩壊し、石油、農場設備、食料援助、さらにキューバに対するソ連からの援助に付随した有利な貿易関係が縮小した結果、キューバは「スペシャル・ピリオド」あるいは「periodo especial」として知られる、恐ろしいほどの食料やエネルギー、モラル不足の状況に陥った。

 キューバは16世紀以来、ずっと、スペインや米国の植民地帝国支配下にあった。ソ連は、キューバを支援する中で、主食を生産する農地をほとんど認めず、外国市場向けに砂糖やタバコ生産を奨励するシステムを継続させた。だが、1989年には、キューバを救い、かつ、多くの補助金をもたらしてくれる者は誰もいなくなり、キューバ人たちは、グローバル市場から排除されているという新たな感覚を覚えたのだった。

 この時期にはキューバ人たちは、暮らしのありとあらゆる面で苦められた。外交的には平和だったが、モノ不足は戦時を想起させた。そして、1992年と1996年に米国が二つの法律で経済封鎖をさらに強化したことにより、ベネズエラやニカラグアといったごく限られた親キューバ政権を除き、キューバは域外から援助されるどんな可能性もなくなり、危機はより悪化した。状況にとってとりわけ不利となったのは、1980年代の農業モデルだった。スペシャル・ピリオド以前のキューバ農業は、高集約的なモノカルチャーで、大量の化学投入資材を用いてきた。例えば、以前はキューバの農場はヘクタール当たり約200㎏の硝酸カリを使っていた。だが、こうした高額の投入資材へのソ連からの補助を失い、キューバの農民や一般の餓えた市民たちは、オルターナティブ・モデルで新たな農業システムを開発する以外に選択肢はなかった。

 深刻な食料不足と10年間の困難な仕事の後、集約的に耕作された都市菜園やオルガノポニコ、そして国営農場や都市郊外の農業協同組合のネットワークにより、ほとんどのキューバ人は新鮮で栄養価のある食料を確実に得られている。そのうえ、キューバ人たちが口にする食材のほとんどすべてが、値段が高い農薬や化学肥料や殺虫剤、農業機械類にほとんど依存しない自給自足農業からもたらされているのだ。

 キューバは、米国による経済封鎖で閉鎖状況に追い込まれ、キューバ人たちは食料を獲得するか栽培する上で、事実上、沈むか泳ぐことを強いられた。経済制裁のために、国際援助機関から食料援助を受ける資格もなかったからである。

 ピーター・ロゼット(Peter Rosset)氏は、オークランド(カリフォルニア)に本拠がある食料と開発政策のための研究所、フード・ファーストの共同管理者だが、1990年代の初頭からキューバの食料問題を研究している。ロゼット氏はこう語る。

「キューバは三つのものに抵抗しました。米国の経済封鎖、ソ連の崩壊、そして世界のどの他の場所にも打撃を与えた、工業的な緑の革命と経済のグローバリゼーションです」。

 だが、幸いなことに、キューバには制度的な意志があり、それを強固な科学的専門知識と組合せることで、キューバは慣行農業をより実践的で手頃なオルターナティブに転換することができた。研究、土地管理、そして市場供給によって新たな道筋を描くことで、政府官僚や科学者たちは、食料需要を満たすため、農民や都市住民を活性化でき、飢餓の危機を防げたのだ。

 新たな農業モデルの中で、鍵となる要素は都市農業運動である。堆肥と間作(特定害虫から作物を保護するよう、互いに利益のある二つの作物を栽培すること)といった伝統的な農業技術、新たな無毒なバイオ農薬やバイオ肥料、労働者によって管理される協同組合、全国民のために適切な食料供給を保証する農民への割当契約栽培、そして契約を超過した余剰作物を農民が売り、利益をあげることができる農民の市場の開設。政府は、ソ連からの石油や石油製品と交換するための砂糖産業用のサトウキビ・プランテーションとして以前運営されていた土地を再分配することで、国内の食料生産用に土地を利用できるようにも取り組んだ。こうしたイニシアチブの各々が、有機農業での技術革新と、より多くの人民が農業を行うよう奨励する経済的インセンティブのための豊かな環境を築いたのだ。ピーター・ロゼット氏はこう語る。

「キューバは生き残るために農業技術を転換することができました。ですが、それは農業のオルターナティブを制度化する進行中の過程だったのです」。

 過去十年間、農業省、保健省、教育省、そしてコミュニケーション省といった政府の諸機関は、キューバ人民に農業教育や栄養教育を普及したり、福祉活動と統合化するためのコーディネートにますます努力を払うようになっていった。政府は、全市民が手にできるよう生鮮果実や野菜を作ることに献身したが、これまでのところ、それらはなんとか管理できたという以上のもになったのだ。キューバの政府当局は、この点では多くの問題はないと言う。それどころか、彼らは、最も貧しい消費者さえも享受できるよう、食料価格をどう下げるかで、いま働いている。

■都市農業の隆盛

 キューバの持続可能な農業の実践に対するコミットメントは、ストレスに満ちた経済と環境条件下であってさえも、食料生産においていかに大きな改良を成し遂げられるかを実証している。都市農業は食料確保を達成する際に不可欠な役割を果たし、キューバは世界の都市農業運動を先駆けている。2002年には、キューバは都市農場と菜園で320万トンの食料を生産した。2002年では、都市内の35,000ヘクタール以上の土地で、生鮮野菜、果物、香辛料が集約生産されている。熱帯農業基礎研究所(INIFAT)の副所長、ネルソ・コンパニオーニ博士はこう語る。

「都市農業の目標は、利用可能な空間のすべてからの最も多くの食料を得ることです。キューバで都市農業が成功した秘訣は、新技術や品種導入と耕作地の増加でした」。

 都市農業が賛同されるまた別のファクターは、キューバが大量の食料を農村から都市部に定期的に流通させるための輸送インフラを持っていないということだ。とりわけ、ソ連が燃料供給を停止してからはそうである。これは、都市住民のメリットが、自給できるだけでなく、日々、暮らしを維持するための鮮度を保証されることも意味する。過剰食料はコミュニティ内でわかちあわれている。老人ホームや病院の食堂は、どこであれ、地区の菜園から安定的であったり、季節的によって変動したりはするが、寄付を受けている。こうした菜園は、農村や郊外の農場と結び付いて、キューバ人たちが今享受している食料確保の感覚を達成するうえで重大な役割を果たしているのだ。

■栄養価があって味もよい

 フィルベルト・サモラ(Filberto Samora)氏は、フィデル・カストロも認知しているハバナでも最も古いオルガノポニコのひとつの農場長だが、こう語る。

「このオルガノポニコはまさに地区の一部となっています。私たちは2ブロック離れた学校に食料を提供していますし、近所の誰もがやってきてスタンドで食料を買っていくんです」 。

 サモラ氏のオルガノポニコは、パクチョイ、レタス、コリアンダーを栽培しているが、ハバナ地区外の農民も氏のスタンドで農産物を売ることが認められている。このオルガノポニコは、ハバナの他の農場に分配するための種子や堆肥も生産し始めている。 地区内の菜園や農家直売所は、新鮮で手頃な食料をコンスタンとに提供した。そして、生鮮農産物が簡単に手に入ることが、キューバの食生活を健全な方角へと導くというさらに重大な役割を果たしたのだ。

ハバナ郊外のベジタリアン用レストランEl Bambに属する菜園

「スペシャル・ピリオドの後で、再び食料が豊富になると、人民は奪われていた肉や砂糖といった食料をお腹にたらふく詰め込みはじめました。ですが、私たちは、いま、砂糖や脂肪が多い食事が多くの病気と関連していることがわかっています」。

 ハバナ郊外のベジタリアン・レストラン、エル・バンブ(El Bambú)のオーナーで、持続可能性のための食教育に焦点をおく雑誌Germinalの編集者、マデライネ・バスケス・ガルベス(Madelaine Vásques Gálvez)さんは言う。

 バスケスさんは、11年間、エコロジカルな料理法でキューバと関わっている。彼女の料理スタイルは、レストランの所有するパーマカルチャー菜園で栽培された在来果樹や野菜を利用するものである。パーマカルチャーは、食料システムがバイオロジカルな生産的なエコシステムを反映するようにホーリスティックなデザインと維持を強調するアプローチである。レストランのそれ以外の部分と同じく、バスケスさんはエコローの原理を組み込んでいる。例えば、彼女のストーブはソーラーパネルで動力を供給されているのだ。

 キューバの食事は、十分な量の野菜、とりわけ葉が多い緑黄野菜を含むとは必ずしも限らなかった。幾人かのキューバ人、とりわけ、その食事が主にソ連からの補助に依存していた高齢世代にとっては、野菜に人気があるのは奇妙に見える。現在、ハバナにはベジタリアンレストランが9つあり、生命のすべての歩みから、都市菜園者たちは生鮮食料の重要性を解釈している。

 政府と市場は、人民に食事を与え、土壌を豊かにするため、ともに働いた。そして、食の多様性は畑での作物の多様性を反映して発展した。この数年間で、都市菜園やキューバの食事の多様化を、保健省も強く支持し、関与するようになってきている。ソモラ氏は言う。

「子どもたちのための、野菜の健康面での新教育プログラムが、どんな味が良いのかという子どもたちの概念に実際に影響を及ぼすかどうかを決めることは、まだあまりに早急です。ですが、子どもたちが野菜直売所にやって来るので、私たちは、子どもたちが親と同じほど野菜を望んでいることがわかります」。

■食の安全か、将来の安全か?

 キューバが成功している、というニュースは、1990年代の初めから、ゆっくりとだがリークされはじめた。そして、キューバは環境のアドボケーター、農業者や開発専門家の目からしても、持続可能な農業とローカルな食料生産のモデルとしての伝説的なステータスを取りつつある。有機農業や食料の地場生産の成功を視察するため、世界各地からの持続可能な農業の「グル」たちが安定して巡礼を行なってきたことで、キューバの持続可能な農業の実験は、既に何年間も賛美されて、その試行期間を越え成功を収めている。

 米国の農民たちは、したたかなNGОの「実情調査団」や「リアリティ・ツアー」によって、キューバを往復することができている。NGОは教育目的としてキューバへのツアーの主催者となることを認めるライセンスを、OFAC(Office of Foreign Assets Control)の米国部局から得てきたのだ。だが、こうした旅行が継続を認められるかどうかは不明瞭である。2003年3月に、OFACは、人々と人々との交流を終える旨を発表した。適切なライセンスを持っていたほとんどのグループは2003年12月にはそれらを失ってしまうこととなる。

 だが、将来への経済機会の転換への急速なアプローチは、その主張者の多くから貴重なものとして尊重されている、このキューバ・モデルに深刻な問題や潜在的なリスクをもたらす。

 経済封鎖があるにもかかわらず、2000年にはクリントン大統領は、経済制裁改革・輸出促進法(TSRA)に署名した。それは、キューバから米国にではなく、米国からキューバに対する現金取引での食料や農産物の直接的な商用輸出を再認可するものである。2002年9月に、ハバナで米国の食料・アグリビジネスの展示会が開かれた後、キューバ政府は、ラテンアメリカとカナダに本拠がある米国企業の子会社から、そして、直接的に米国企業から9190万ドル以上の食料と農産物を購入した。世界最大の穀物・油脂輸出業者のひとつ、アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM=Archer Daniels Midland)は、大豆油、ダイズ、大豆蛋白質、トウモロコシ、マーガリンとコメで1900万ドルの契約に署名した。2001年には、ハリケーン・ミッシェル後にキューバが受けたダメージと結びつけ、ADMはロビー活動を行って、1962年以来初めて、米国がキューバに物品販売することを許可するようにブッシュ政権に直接説得した。米国のトウモロコシ生産者協会(ACGA)は、今のところはキューバと貿易交渉を行なってはいないが、最高責任者(CEO)のラリー・ミッチェル氏は、将来的には貿易に関心を持っており、「食料を必要とする国があれば、どこにでも輸出するべきだ」と語る。

 キューバには自給力がある。にもかかわらず、なぜキューバ政府は、食料食料に9190万ドルをも投じているのだろうか。ニューヨークに本拠がある米国の貿易経済会のジョン・カブリッチ(John S. Kavulich II)会長はこう語る。

「我々から食料を購入するというキューバの意志決定には、強い政治的な要素があります。2001年以来購入された産物のほぼすべては、もっと廉価で他の所からも手に入るのです」。

 カブリッチ氏は例としてコメをあげる。キューバは低価格でベトナムから米を購入できたが、その代わりにADMのような米国のアグリビジネスから購入することにしたのだ。

 フード・ファーストのピーター・ロゼット氏もこの点に同意し、こう述べている。

「私は、キューバ人たちが政治的なゼスチャーとして米国から買っているのだと思っています。彼らは、経済封鎖を撤廃するために、キューバ人の代わりにアグリビジネスが米国政府に対してロビー活動することを望んでいるのです」。

 自給自足での混乱に加え、最終的に経済封鎖が撤廃されるとすれば、キューバが高価格の農薬や化学肥料を好んで使い、有機農業を止めるように、グローバルなアグリビジネスが農民たちに説得にかかるとの懸念も高まっている。だが、熱帯農業基礎研究所(INIFAT=Instituto de Investigaciones Fundamentales en Agricultura Tropical)のネルソ・コンパニオーニ(Nelso Companioni)博士はこう答えた。

「我々は後戻りはしていません。我々は生産を高めはしますが、それを行う環境を劣化させはしないでしょう」。

 遺伝子組換え種子や殺虫剤、化学肥料を販売するグローバル市場への制度的な反応策に思いをよせながら、ピーター・ロゼット氏はこう語った。

「キューバ・モデルにとってネガティブな影響がある可能性はあります。短期的には殺虫剤の使用量が増えたり、バイオテクノロジーへの関心がより強まるかもしれません。ですが、それは続かないかもしれません。キューバ農業のニーズを満たさないかもしれないからです」。

 米国の貿易・経済委員会のメンバーたちは、じりじりしているようにも見える。ジョン・カブリッチ会長はこう述べる。

「食料やホスピタリティ・サービスといった製品やバイテク製品でキューバ人と議論を始めた多くのメンバーが我々にはいる」。

 今現在、キューバには、マクドナルドはただ一軒あるだけだが、それは1934年以来米国が所有しているグアンタナモの海軍基地の中にある。キューバにもファースト・フード・チェーンはあるし、それは一般的なものだが、そのほどんどには広告がないため、景観を損なうこともなければ、食に対する国家概念を批判することにもならない。もし、最終的に、マクドナルドや米国製のトウモロコシ、エンドウ、ニンジンの缶詰のキューバ輸出が許可されたとしたら、キューバ人たちが自分の裏庭で育てたパパイア、キャッサバ、レタスを好むか、それより外国産の食料を好むかどうかは、キューバ人の自己責任といえるだろう。

イライザ・バルクラーイは、ワシントンD.C.のフリーランス・ライターである。

(米国のメトロポリス・マガジン3月号からの記事)
  Eliza Barclay, Cuba's security in fresh produce,2003.

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