2003年12月1日


 キューバには、素晴らしい葉巻、1950年代のオールドカー、安いラム、そして、ノルウェー人の独身農家でさえ立ち上がって踊りだすほどの感染力のある音楽がある。さらに、工業化された農業から、グリーンで持続可能な農業への政策転換のショーケースにもなっている。キューバは、生産性が低く、多くの補助金を支給された、高投入型のシステムから、補助金を取り除きつつ、より生産的でよりグリーンな農業へと転換しているのだ。都市農業、土地改革、市場改革、そして、大学体制の完全な方向転換。すべての特徴は政策改革による。そして、こうしたグリーンな転換は、新自由主義とは隔たったものだ。あるキューバの役人が私にこう言った。「私たちは結局は赤なんです」

■過去を振り返る

 こうした改革がいかにして生じたのかを理解するには、キューバの歴史を知らなければならない。1492年から1898年までは、キューバはスペインの植民地で、その統制はスペインの基準からしても残忍なものだった。大規模な牧場やサトウキビ農場に明けわたすため、原住民タイノ(Taino)族と森林がともに全滅させられ、ごく少数の裕福な所有者の手のもとに奴隷によって運営されていた。

 祖国の父としてキューバ人から敬愛される詩人、ジャーナリスト、ホセ・マルティ(Jose Marti)が、1895年にスペインに対する闘争を率い、マルティは同年に殺されたが、暴動は続いた。そして、1898年にメイン号(USS Maine)がハバナ湾でミステリアスな爆発を起こすと、米国は米西戦争に突入する。スペインはたちどころに破られ、キューバは1898年から1902年まで米国の軍事政権下におかれた。その後、数十年にわたり、米国企業や個人が最良の土地を取得し、米国の利益が脅かされたときはいつも米国の海兵隊が介入し、米国の利益を保護するためにキューバに配備されることをプラット条項が認めていた。食料生産を犠牲にしつつ、砂糖生産がその重要度を増し続け、それが、輸入食料への大きな依存を引き起こした。富はごくわずかの人々の手に集中し、圧倒的多数のキューバ人たちは、自分たちの家族に食べさせるために十分な収入にも土地にもアクセスできず、貧しいまま暮らし続けた。

 1958年12月31日、バチスタ政権が打倒され、社会主義政権が権力を掌握する。キューバ内の米国所有地の収用が米国のキューバ孤立化政策をもたらし、1960年にはこの孤立化政策によって、フィデル・カストロは「偶然の共産主義者」にならざるをえず、ソ連圏に加わることとなる。1962年には、キューバは事実上、ソ連の衛星国となっていた。

 キューバ農政は、ソ連モデルに従うことになり、大規模モノカルチャー国営農場では機械化が進み、大量の化学肥料や農薬に依存していた。面積あたりではキューバ農業は米国よりも多くの化学肥料を投入し、ほぼ同じ数のトラクターを用いていた。ソ連は、キューバの砂糖を特別のレートで買い入れ、石油、化学資材、機械を提供することで、この工業モデルに補助金を支給し続けた。

 だが、1989年に、ベルリンの壁が倒壊する。ほぼ一夜にして、キューバへのソ連の補助金、60億USドルが失われる。時を同じくして、米国の経済封鎖は強化され、キューバは経済危機へと突入していく。国民総生産(GDP)は1989年と1991年の間に25%も縮小した。キューバは婉曲に「スペシャル・ピリオド」と称される状況に陥った。まことに特別であった。石油輸入量は50%低下し、燃料の落ち込みで、化学肥料と農薬の利用率は70%も低下した。食料やその他の輸入も50%落ち込み、最も厳しいことにカロリー摂取量は30%も低下した。さらに経済危機を悪化させたのが、1992年に米国が通過させた「キューバの民主化法」である。同法は、食料、薬品と医療品のキューバへの支援を禁じた。

■最近の改革

 この危機に直面し、キューバは1993年に国営セクターを劇的に改革する。農地の約80%は国により保持されていたが、その半分以上がUBPCという協同組合の形で労働者たちに引き渡された。協議した生産割当て量と引き換えに、農民たちは国有地を無料で永代借り受けている。耕作をされ続ける限り、土地を遺言で後継者に継承することすらできるであろう。さらに1994年の改革で、農民たちは農民市場で過剰生産物を販売することも許可された。

 改革は次の5つの基本原則を強調した。うち、最も重要なことは、国と大学の研究、教育と普及システムによって支援されたアグロエコロジー技術の重点化だった。危機以前からアグロエコロジーに専念してきた研究者、普及活動の専門家や教授陣がおり、危機は彼らを最前線にしたのみならず、大学や研究センターと農政は、アグロエコロジーを優先するパラダイムにするとの新たな方向性を与えられたのである。こうした新たな方向付けの大きさを理解するには、まさにあなたの地元の農業大学がその全カリキュラム、研究と普及プログラムを新たな方向に向けたとイメージしてもらえばいい。床から離れてイメージしてほしい。すべての大学や国の農業政策がアグロエコロジーに新たに方向づけされたことを。

 第二番目の改革原則は農地改革だった。国営農場は協同組合に転換するか、より小規模な個人ユニットに解体され、農業を希望する者は誰でも無料で土地を借りることができた。事実、権利から農業政策は実施された。

 第三番目の改革原則は農民のための適正価格だった。農民たちは農民市場で過剰生産物を販売でき、農民たちの平均所得はキューバのそれ以外の労働者の3倍となっている。

 第四番目の改革原則は、輸送コスト、すなわちエネルギー消費量を引き下げる地元生産の重視である。この改革の鍵となるのが、都市農業であり、推奨される日一人あたり300gグラムの野菜を生産している。

 第五番目の改革原則は、農業普及システムをバックボーンとした農民から農民へのトレーニングである。

■改革の影響

 こうした改革の結果はどうであったのだろうか。豆生産は60%、柑橘類では110%の増加だったが、根塊類と食用バナナの生産量は3倍になり、野菜生産は1994年から1999年で4倍に増えた。ジャガイモの生産は75%増え、穀類は1994年から1998年で83%増加した。アメリカ大陸ではキューバは2番目に貧しい国であるにもかかわらず、一人当たりのカロリー摂取量は2,580キロカロリーまであがった。それは、WHOが推奨値より少し下であるだけである。

 より持続可能な農法へのキューバ農業の転換で、都市農業と国内作物生産に重点がおかれた。こうした取組みは、伝統的な輸出用作物、サトウキビ用に不足する化学資材を自由にしておくためのように思える。そして、その砂糖もモノカルチャーで生産され続けているが、主に輸出向けの有機砂糖の生産が増えている。

 都市農業の生産は1994年時の取るに足らない量から2000年には60万トン以上に高まった。規模で数メーター四方から1ヘクタールまで及ぶ20万以上の都市農地がある。その生産は、有機物、ミミズ農法、オルガノポニコ、輪作、混作と生物農薬に依存している。平方メートルあたりの収量は6~30㎏で、主には根菜類と、根塊類、野菜が生産されている。「Calle Parque(通りの公園)」と呼ばれるプロジェクトも都市農業を代表するもので、ハバナ中心部の通りを公園や菜園に変換することで、都市を涼しくすることに役立つだろう。

 改革は砂糖、肉、乳製品、そして伝統的な輸入作物(米と豆)には、まだ改革は劇的な収量増をもたらしてはいない。キューバは植民地化されて以来、輸入食料に依存し続けている。2000年には、キューバは米で1億4100万USドル、豆で6500万USドル、乳製品で6000万USドルを輸入した。キューバは約100万トンの飼料穀類を輸入している。うち約50万トンが大豆、10万トンの鶏肉と豚肉とかなりの量の料理用油、大豆粉、モルトも輸入している。米国の経済封鎖のために、キューバはこうした製品を遠国から買わなければならず、例えば、キューバはインドと中国から米を、EUから乳製品、南米と東欧から穀物、そして、カナダとブラジルからの肉を購入しているが、米国製品に支払う輸入コストに比べ、平均30%高く付いている。

 助成を支給されたソ連からの飼料や石油の損失でとりわけ打撃を受けたのが、肉生産と乳生産だった。石油の損失で、農業機械への依存を減らすため、家畜牽引が戦略となった。この家畜牽引は土地再配分後の小規模な農場で土壌管理にとっては、とりわけ良いものとなっている。とはいえ、家畜牽引への転換には、雄牛や専門技術の不足という障害があった。牛群を確立するための解決策は、政府の許可を受けない牛の屠殺を禁止し、牛と農民を訓練するための「学校」を創設することだった。15万頭以上の牛がこうした学校で訓練を受け、キューバ全体で一対の牛が働いている。この劇的な転換は、出費なしにはもたらされなかった。牛肉は急激に利用できなくなり、不法に牛を虐殺した者は、逮捕されると最高懲役20年という刑を科せられた。

■政策テーマ

 この種の政策的解決策、社会的な目標のために個人的な自由をトレードすることは、キューバで一般的である。国家資源として管理されているのは牛だけではない。キューバの農業大学の学部長は「土壌は国家の戦略資源である」と主張しているが、知的所有権も公的資源として管理されている。キューバの研究者たちは、農業や医療のためバイオテク薬品を開発しているが、キューバ政府は、政府の研究で資金を供給された発見に対して、特許を取ることを禁じている。公的資金で開発された知的所有権は、公共資源として取り扱われているのである。

 明らかにキューバ政府にとっては、社会的公正が個人の自由よりも優先されている。まことに、キューバ人たちは貧困さえわかちあっており、生活水準は一様に低い。アメリカ大陸で2番目に貧しい国とはいえ、飢餓はない。住宅も荒廃して混雑してはいるが、一般には無料である。

 キューバ人は世界でも最も教育を受けた国民であり、無料のヘルスケアも普及している。キューバ人たち全員が配給カードを通して、最小量とはいえ、基本的な食料を手にできる。キューバ人たちは自分たちが生産した食料と物物交換、農場スタンドと農民市場、あるいはドルショップでの購入でこれを補っている。キューバ人たちは収入の約3分の2を食費に費やしているが誰もが同じ購買力を持っているわけではない。2000年のレキシントン研究所(Lexington Institute)の調査により、平均的なキューバ人が豚肉、米、豆各1ポンドとトマト2ポンド、3個のライムとニンニクひとつのバスケットを買う金銭を得るのに、政府の給料で4日かかることがわかった。ペンションにいる退職者では7.2日間を要するであろう。だが、ハバナの個人タクシードライバーは3.5時間かかるだけなのである。

■国民たちの対応

 こうした状況へのキューバ人たちの対応は様々だ。社会的公正に身を捧げ、誰しもに食料があるためには、個々の犠牲が必要であるとの実用主義に立つキューバ人がいれば、自分たちの受けた無料の教育の水準を考えれば、それは不完全雇用であり、資本主義システム下では、ずっと高い生活水準を持てるかもしれないと感じ、不満を抱き、怒るものさえいる。状況が簡単であるとは誰も言えず、経済封鎖が状況を改善するためのなによりもの障壁であると誰からも見なされている。

 ファーム・ビューロ(Farm Bureau)は、米国輸出をいくらか許容するため、国務省といくらかの前進をした。私たちはハバナのドルショップにワシントン州のレッド・デリシャスを持ち込んだが、リンゴ一個が50セントだった(月収はドル換算で約12ドルとすると月給の24分の1である)。

 米、乳製品、資料穀物、大豆、肉、家禽類と、キューバは米国の農産物を買いたがっている。しかしながら、彼らの輸出生産物は、砂糖、柑橘類、タバコ、トロピカル・フルーツ、野菜とシーフードであり、そうした輸出製品はいくつかの米国の生産者と競争する。ドルを得る何らかの手段なくして、それはやれないようにも見える。

■将来

 将来は何がもたらされるのであろうか。カストロが死去したときの政変を誰もが期待しているが、キューバ社会に浸透している共産主義体制には莫大なものがあることを念頭においておかなければならない。多くの人民がこのシステムから利益を享受しており、キューバ人たちは、ソ連崩壊に引き続くロシアの経済的、社会的な危機についての事例をよく意識している。政治上のレベルで何が起こるにせよ、キューバがアグロエコロジーの取組みを促進し、高収量をもたらしている都市農業を拡大し続けることはありそうに思える。

 共産主義の前にも後にもあった大規模な農業運営での悪経験から、国策として大規模で高投入型の運営に戻ることを担保することはありえそうもない。キューバの農業の転換から、農民、大学研究者、普及員たちが得ている肯定的な結果から、次に何が起きようとも、おそらく持続可能な農法を追求し、奨励し続けることであろう。事態はまだ完全ではないものの、キューバの人々は以前よりも格段に良く、健康的なものを食している。他のラテンアメリカ諸国との関連比較もある。キューバは、一人当たりのGDPがはるかに高い諸国ですら広範に見られる飢餓、貧困と苦しみがないのである。

 持続的農業の今後の成功の範囲は、もちろんキューバの農業者がどんな市場にアクセスする手段を持つか、そして、彼らがどんなタイプの輸入競争に直面するかにかかっている。かなりの進展を遂げたとはいえ、キューバはおそらく食料を輸入し続けることであろう。そして、その輸入された肉、米、豆、油、醤油と乳製品をできるだけ安く買うことから、キューバには確実に利益があることだろう。もし、米国がこうした輸入品を供給したいと思うならば、キューバがそれらを購入するための資金を得る手段を交渉する必要があるだろう。

 旅行禁止令を取り除き、米国からの旅行を許可すれば、米国の農業利益者たちの考えを統一し、キューバの砂糖、柑橘類、タバコの輸入を許すよりも、確実に利益になるだろう。

 ただ、未来がどうであれ、確実なことはひとつある。キューバが、世界で最もすばらしい葉巻と音楽を作り続けるだろうということだ。

リディア・ゼペダ(Lydia Zepeda)は、ウィスコンシン大学の世界外交とグローバル経済センターの消費者科学部の教授でフェローである。

(米国のCHOIS12月号からの記事)
  Lydia Zepeda,Cuban Agriculture A green & red revolution,CHOICES,2003.

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