2004年1月

キューバの食料確保

 1996年、最近形成された国際的な草の根農民グループ組織、ビア・カンペシーナ(Via Campesina)は、「食料主権」というタームを導入した。それは、環境を保護しながらも、人々の文化的価値観を強化するやり方で、自分たちの領土で、必要とされる食料を生産するため、人民と国家が民主的に自分たちの食料と農業政策を決定する権利である。

 関連するが、これとは別概念である「食料確保」(food security)は、(1) 適切な食料供給の生産、(2)これらの供給フローの安定、(3)それを必要とするもののための利用可能な供給への物理的、経済的なアクセスを保証すること等を含め、FAOにより定義されたものである。

 世界の他のほとんどの諸国と異なり、キューバは近年、ほとんどの人々の魂を試す厳しい状況下で、こうした問題と取り組まなければならなくなった。カリブ海諸国には、奴隷制度と輸出作物を基盤としたモノカルチャー農業という植民地支配の歴史がある。また、熱帯気候は飼料穀物生産には不適当である。地元の生産で食料需要を満たすことは容易ではなかった。さらに、ソ連崩壊の1990年以降は、それが一層困難となり、キューバの輸出入は崩壊し、キューバの砂糖とソ連の石油との有利な貿易条件も失われてしまうのである。さらに加えて、この間には米国の封鎖のさらなる強化と米国の敵意の高まりもあった。こうして、1990年にフィデル・カストロはスペシャル・ピリオド(periodo especial)を発表する。

 国内生産や輸入が急落し、1993年にはキューバ人民の日摂取量は、平均蛋白質46g、脂肪26g、1863キロカロリーにまで減少し、いずれの数値もFAOが推奨する健全な最低水準以下となってしまった。何かがなされなければならないことは明白だったが、食料や食料生産への輸入投入資材を迅速に増やすことは問題外だった。食料確保の必要性により、独立、そして可能な限り自給自足しなければならなかった。どのカリブ海経済にとっても無理な要求だったが、強力な米国の敵意ある封鎖経済のために、食料倍増が必要だった。

 キューバは、農業に関連する利用可能な全資源を効率的に利用し、十分な生産をあげなければならなかった。(1)国産投入資材を直接使用し食料を生産すること、(2)食料と同時にタバコ、砂糖、コーヒーといった他の換金作物の輸出により外貨を稼ぐこと、かつ、(3)食料の安定供給を保証し、粉乳のような必需品の輸入を可能とするため、石油のように以前は食料生産用に輸入していた投入資材を生産することである。

 こうした戦略を全面的に実行するため、ここ十年というもの多くのアプローチが用いられた。第一は、独創的な手段で未利用地を識別し活用することだった。第二は、労働組織、価格形成機構、そして質・量ともの奨励インセンティブ、農業労働力の供給(そして効率的な使用)の新たな枠組みを開発することだった。第三のアプローチは、石油や蛋白質を多く含む家畜飼料など、外貨支出の必要性を最小限度にする方策を見出すことを含め、仕事や技術の新たな方式を研究・導入・普及することだった。

 全体としてはドル消費をなくすことができないため、彼らは、ドル市場に農産物 (食料と非食料品)を浸透させる努力を高めた。結果として、こうしたドル、少なくとも政府の手中にあるドルが、食料生産の助けとなり、国民の直接的なニーズからまだ必要とされている物品を輸入するため、その一部が使われている。

■「新たな土地」の創出

 キューバは人口の80%が都市住民である。キューバ政府は1994年に農業省都市農業局を創設し、その後も直ちに「全国都市農業グループ」を設立し、その活動を通じ、ハバナやそれ以外の土地でも、食料問題をローカルに解決する方策を見出すため、「新たな耕作地」を創出するアプローチを促進していく。

 この目的を達成するため、三種類の「新たな土地」が創出された。第一は、オルガノポニコと名付けられた菜園である。それは、舗装されていたり、締め固められていたり、痩せた土地の上に、堆肥や厩肥を大量に混ぜた土壌(たいがい他の場所から持ち込み)を満たした高床式のコンテナからなる菜園である。

 土地創出の第二のやり方は、食料生産用に、空き地や公園、あるいは企業・協働組合に属する肥沃な休閑地を活用することだった。また、そうした土地が国有地である場合は、市場用や配給用の生産を行うため、農場(granjas)や国営事業(empresas estatales)により活用されるようにした。あるいは、アウトコンスモ(autoconsumo)菜園として、工場、農場、サトウキビコンプレックス、学校、病院といった様々な国営企業と関連した労働者の必要を満たすようにした。

 第三の新たな土地の形式は、人々の住宅に隣接するパティオや裏庭の耕作である。またこれとは別のイノベーションに、集約菜園(huerto intensivo)があり、それは小面積での産出量を最大限にするため、集約的なガーデニングの方法を活用している。野菜は適切な栄養分を提供するため有機物で肥沃にした高床式のベッドで密植栽培されている。

 こうしたイニシアチブは、典型的には国営や共同(collectives)あるいは協同組合により実施されているが、地方政府も、土地での生産が維持される間は、パルセロス(parcelas)、いわゆる人民菜園の形式で、民間の個人に土地利用権を与えている。もし耕作者が6カ月以内に土地を生産的な状態にしなければ、私有地であっても、別の菜園者や農民に土地を割りふることができるのである。

 最後に、第二次世界大戦中のビクトリー菜園運動を想起させるバックヤード・ガーデニングの増加があった。いわゆるパティオであり、それは大衆に根付く地区の市民団体、革命防衛委員会(CDR)が指揮するキャンペーンにより推進された。主に果樹生産の増加を目標として、2003年の夏には、パティオの数は30万を超えていた。将来的には50万以上とする目標が掲げられている。

 2002年末には、オルガノポニコ、グループ菜園、あるいは個々の土地と、15世帯以上の全居住地に食料の自給生産力を提供する目標は、本質的に満たされ、都市農業や都市郊外では18,000ha以上が耕作されている。都市郊外に遊休地として残されていた土地や十分に活用されていない土地を、人々が働く意志を持つよう貸し与えるという利用目標も追求された。コーヒー、カカオ、タバコといった輸出作物、米等の食用作物が、何十万haものこうした計画のもとに栽培されている。

 これらの中に、さらに通常ではないもうひとつの方法もあった。2002年に約半分の製糖工場を閉鎖し、かつ土地(約100万ha)を食料生産や再植林に転換するという政府の決定により、「新たな土地」が食用作物に利用可能になったのである。約246,000ha(2003年の約10万haを含む)が、こうした作物面積を73%増加させ、米に加えて、毎年作物を栽培することになろう。

■より効率的な労力の活用

 労働効率を高める主要な手段は、作業工程の再編成と労働者への適切なインセンティブの準備だった。1998年、他の企業と同様に、農業も新マネジメントプロセス(Sistema de Perfeccionamiento Empresarial=高度マネジメントシステム)に加わり始める。このシステムのもとでは、企業は改善記録を取ることからスタートする。その後は、現在の欠乏の解決の見込みを特定する診断プロセスを受ける。最後に彼らは、労働と賃金政策、マネジメント組織、そして自分たちの進歩の評価に使う経済と効率指標の計画を提案する。農業協同組合や集団生産部門では、100万人以上のキューバ人が働いているが、そこでは公平な分配の社会主義の規準を確立するための協定の努力がされている。そこにある原則は、「pago por los resultades finales」(最終的な結果に応じて支払う)である。もっと生産すれば、もっと支払われる、というわけだ。農業部門の主な推進力は、このアプローチを可能とする組織的な形式の創設にあった。これが、1993年の国営農場を小規模な協同組合に分割し、「人々を土地と結びつけるプログラム」の主な理由であった。

 国営農場の解体では、個人や小規模な労働チームが、与えられた一片の土地の生産責任を完全に負うようになっており、それにより、その場所で実際に生産された量と収入とを結び付けることを可能にしている。小グループの労働者(ほとんどが家族に基づく)により運営される小規模農場が、国がまだ運営している農業公社内に設立された。こうした農場は、大型企業の下に直接おかれ、労働者たちは、達成した結果によって賃金を支払われている。個人や小人数のグループに責務をもたせ仕事を組織していく。もちろん、適切な物質的なインセンティブを提供する問題は、まだ残されている。結果に応じて代価を支払うとしても、正確には、それはいくらなのだろうか?。農産物への支払い価格も、いまだに主な物的なインセンティブとなっている。1994年の初期には、配給手帳による流通以外で販売される食品価格は、市場の設立により自由化された。そこでは、全供給者、すなわち、個人農場、協同組合農場、国営農場は、需要供給による市場価格で生産物を販売できる。ミルク、豆、コーヒー、タバコといった選択品目では国は流通への補助価格を増やした。小規模農家への税免除や地方の農民市場の15%に対しハバナでの5%販売課税という優遇税制措置を含め、食料生産や都市市場を奨励するため課税政策も使われた。

 ドルとペソという二重の経済により、何人かの労働者は、給料の一部をドルで支払われている。あるいは、自転車、仕事服、靴とドル店舗でしか得られない他の様々な物品へのアクセスを与えられている。より快適な住宅、休暇やレクリエーション施設の利用といった現物のインセンティブも生産を奨励するために用いられている。

■輸入品にかわる新技術

 キューバの危機の思わぬ結果のひとつは、慣行農業から有機農業への変換を強いたことであろう。10年前、ソ連やその同盟国との有利な貿易協定から遮断され、国際市場でも購入できなくなり、キューバは石油と石油派生品なしに農業を行う巨大な研究所となった。害虫管理から肥料、地力向上まで、化学ははずされバイオロジーがその中心となっている。植物防疫研究所は、害虫を防除する益虫や微生物を廉価で豊富に提供する220以上のセンターを運営している。何百ものミミズ堆肥センターでは、ミミズが穴を掘り、有機排泄物を産み出している。2003年の天然堆肥の生産は100万トンである。これは、農民が都市や農村の低質な土壌を改善する新たな方法のひとつである。様々な有機堆肥の生産は急増しており、その量は、2001年から2002年まで7倍に高まり、2003年には1500万トンに達している。

 農業省は、普及員や供給店のネットワークで、これを支援している。1997年には、ハバナだけで、67名の普及員と12のいわゆるシード・ハウスがあった。現在、ハバナでは、この取り組みは、農業コンサルティング・ショップ(TCA=tiendas consultario agricola)に向けられている。ショップの数は現在50まで増え、500人の専門普及員と技術者を雇用するプロジェクトになっている。ショップは、種子、土壌改良資材、バイオ製品や技術文献とあわせ技術的なアドバイスを提供しているが、普及員は、ショップから提供されるサービス情報を普及するうえで重要な役割を果たしており、科学技術的なアドバイスや情報で農学者とも連絡を取りあっている。キューバ全体では、都市農業は1万人近くの専門家や4万人以上の技術者を雇用している。

 地方の主要な農業産地においても進展はなされている。とりわけ、著しい生産増が達成されているのは、ジャガイモとコメである。中でもとりわけ有望なのは、新稲作技術の導入である。米強化システム(SRI=System of Rice Intensification)と称されるもので、世界的にも、コーネル国際食料農業開発研究所により推進されているものである。その適用はいまだ初期の試行段階にあるものの、それでもこのシステムによって、それ以外の第三世界と同じく、キューバの米収量は2~3倍になることが見込め、かつ、種子や水、石油の必要性を減らしている。楽観的な米の専門家は「キューバは、SRIで米を自給できるポテンシャルがあるだろうし、将来的には、家畜飼料に超過米を利用できるだろう」と主張している。

 ジャガイモも有機農業ではないが、別の成功事例である。キューバは、ジャガイモ栽培に必要な化学肥料供給をまだ維持しようとしている。

 こうして達成された収量は、熱帯の島にあっては印象的なものだった。1999年には23t/haであり、それは、アルゼンチンの25~27t/haに次いでラテンアメリカで二番目であり、ロシアを含めるとヨーロッパの平均量を超えている。比較すればカナダの収量は27~28t/haである。新潅漑技術(ジャガイモの89%は潅漑されている)のような新技術や新品種の導入もキューバのジャガイモ生産を大きく改善する一助となった。

 有機農業への全面転換や家畜の牽引力(雄牛の2,400チームがハバナ市内で働いている)の利用は、輸入石油エネルギーやその他の石油由来製品のすさまじいまでの節約を産み出した。2003年に農業省が使用している量は1989年の使用量と比較し、ディーゼル燃料では50%以下、化学肥料10%以下、化学合成殺虫剤7%以下となっている。実際、食料生産のあらゆる場面が、エネルギー保全の戦いで日々戦場となっている。

■米ドル市場に食い込むこと

 キューバで食料確保を達成するうえで必要なドル獲得に寄与しているものは、砂糖以外の農業生産では少なくとも3つある。そして、人民の食料の必要性を満たすため、こうしたドルが必要であると、キューバ人たちは議論する中で常に強調する。

 第一に、キューバ人と同じく観光客にドルで販売する店舗がある。1993年以来、キューバ人は法律上もドルを保持し流通させることが可能となっている。そして、外国(主に米国)で暮らしている親戚からの送金やキューバでドルを稼ぐ(その選択枝の中では観光業が先端)ことで、ドルを得られるのである。こうした店舗は、TRD(tiendas de recaudacion de divisa)と呼ばれているが、外貨獲得店と訳すことができるだろう。

 TRD内での食料や他の農産物の販売額は年間2億ドルを越えている。2000年の最初の10か月では、シエゴ・デ・アビラの養蜂家の努力により、化粧品を含む蜂蜜やその派生品をドルショップと観光ホテルの店で販売することで22,000ドルが入った。

 次に、観光部門への投資準備がある。観光業(2002年に約170万人の観光客)を芽生えさせるキューバの問題のひとつは、観光客とともにやってくるドルの保持である。観光業が推進された1990年代初期においては、食料を含め、観光業への投入資材のほとんどは輸入されていた。だが、キューバのホテルに提供される装飾花、レタス、マンゴーが、キューバで生産できない理由はない。農業省は観光ホテルに提供される食料の質や信頼度を高めようと努力し、それはある程度成功した。とはいえ、結果はいまだポテンシャル以下にとどまっている。2001年では、観光業への全投入資材のうちキューバ産は約61%にすぎなかった。

 農産物の販売を通じて国がドルを獲得する最後の手段は、輸出である。今では、タバコ、コーヒー、柑橘類といった伝統的な輸出部門に加え、養蜂や甲殻類といった他の産業も貢献しはじめている。食料確保を求め、栄養上のストレスを抱えた国が食料輸出をすることは少し奇妙に見える。だが、他の食料の利用度を高めるため、蜂蜜や甲殻類といった高価格食料を輸出するという良識は作られている。実際、2001年には、キューバの食料輸入と輸出は、価値タームでほぼバランスが保たれている。

食料へのアクセス

 前節まで、その人民を扶養するために、食料の安定供給を保証するキューバの生産や輸入の努力を見てきた。そこで、キューバがいかに平等性を達成しようと試みているのか、さもなければ、食品へのアクセスをどう確保しようとしているのかという重要な目標について議論を変えよう。もちろん、平均して1人当たりに十分な食料を生産するだけでは十分ではない。各人が個々に十分な食料を手にしなければならない。適切で公平な食料分配に失敗すれば、一人当たりでは十分な量の食料を生産している社会であっても、栄養失調や飢饉が起こる多くの事例があるからである。

 キューバは、様々な多くの方法を通じて、その国民に物的かつ経済的範囲内で食料を提供しようと試みている。最も重要なもののひとつは、食料に対する様々な権利の存在であろう。キューバ革命は、その初期から社会的公正な食料分配システムの手段として配給を用いてきた。1998年には、配給は月1人当たり米5ポンド、豆1ポンド、砂糖3ポンドを保証していた。ジャガイモ、トマト、野菜と同様に、鶏、卵、魚、ハムとダイズ料理も、不定期ではあったものの、廉価で少量は入手可能だった。さらに、毎月、その農業生産から国は病院の1台のベッド当たり28ポンドの食料、育児センターの1人の子ども当たり13ポンド、そして学校の1人の生徒当たり10ポンドを配布してきたことも、注目されるべきである。

 食料、とりわけ、人民菜園やパルセロスでの生産物がボランタリーで再分配されていることもある。生産的な都市農民たちが、社会的な連帯から貧しい隣人たち(とりわけ老人たち)と博愛精神をわかちあっているため、このいくらかは自発的に生じているのである。地方政府は多かれ少なかれ、地元の学校や病院への「ボランタリー」な寄付を求め続けている。土地利用権が無償で供与されているため、一種の社会的な賃貸料として、彼らは課されたことを正当と感じている。

 食品価格を維持安定する支援として、政府は念入りに計画された処置を講じた。農民市場の開設と拡大は、1994年以降のことであるが、生産者たちにインセンティブを与え、同時に販売される生産物の種類を増加させた。だが、こうした市場価格は、全部のキューバ人にとってはそうではないにしても、多数のキューバ人たちが参加するには高すぎる。

 農民市場の高価格という問題の部分的な解決策は、国による競争者の設立だった。1998年、農業省は、国営企業からの生産供給によって市場のネットワーク化を始めた。これらの制限価格(placitas topadas)市場での価格は、製品の種類はかなり制限されているものの農民市場のそれ以下に維持されている。

 政府は、以前は海外からの送金を受け取る家族や観光業でドルでチップを受け取る労働者たちに制限されていたドルを、多くのキューバ人が利用できるようにする政策を展開した。ドルを直接稼げない部門の労働者たちに対するインセンティブとして、政府は彼らの給料の一部をドルで直接支払っている。ペソがドルに、ドルがペソに換金できるようにハバナ全域にオフィスが設立され、現在1ドル=26ペソとかなり安定した「市場レート」となっている。結果として、ドルを使えペソ市場では使えない消費財(食物を含む)を買える人々の人口割合は、1996年の44%から1999年の62%まで高まった。

 最後に、食料入手は、食料生産への主な手段、すなわち土地を無料で利用する機会によって促進された。この原則は、国営農場と産業企業から学校と病院まで、近くの未使用地で職場のカフェテリアで労働者が消費するための作物を協働で栽培したり、家畜を飼育することを可能にした。それは、国営農場の農業労働力には公式に統合されない退職者のような個人が、自給用に小面積の土地を求めることも可能とした。

■結果はどうか?

 こうしたすべての努力や政策により、いかなる果実が、キューバでは生まれたのだろうか。恐らく、ひとつの疑問なき成功は、野菜とでんぷん質塊茎類と食用バナナの生産で、2000年には1989年の危機以前の水準を越えたことである。

 そして、この分野での最も光輝く業績は、疑問なく、危機により創出された都市農業での本質的な努力である。それは、危機の初期にハバナでスタートし、近年では、全国的にダイナミックに展開されており、都市住民の雇用や所得源という価値をもたらしていることとあわせ、食料生産にも大きく寄与していることがわかっている。2003年では、20万人以上の労働者がこのセクターで雇われ、2002年に比べ、35,000もの新たな仕事が創出され、これはキューバ経済におけるすべての新しく生まれた仕事の22%にまで及んでいる。

 一般的に言って、生産や効率性の高まりには極めて有望な兆候がある。1999年には、野菜、塊茎類、料理バナナのみならず、トウモロコシ、豆、米、果物とコーヒーを含め、18の主要作物のうち16で収量が増加した。ジャガイモ、キャベツ、マランガ、豆、ピーマンの収量は、中米のものより格段に高く、世界平均収量も上回っている。キューバ全州で、野菜、塊茎類、料理バナナの生産が増加し、13は生産史上記録を打ち破った。野菜の生産数値がそれらを語っている。1997年が0.1、1999年が0.9、2000年が1.7、2002年が3百万トン以上である。2003年の結果は、最初の6か月に170万トンが収穫され、この達成を超過すると予想されている。

 結果として、2000年中頃には、全国での生鮮野菜やハーブの販売は、FAOが奨励する日当たり300gを遙かに上回り、日一人当たり469gの水準に達した。2000年11月には、ハバナは日当たり622gに達したが、シエンフエゴス州とシエゴ・デ・アビラ州は、それぞれ日当たり867gと756gにも及び国をリードしている。そして、サンクティ・スピルトゥス州、グランマ州、ピナル・デル・リオ州、ラス・トゥナス州、そして、グアンタナモ州はいずれも日当たり500g以上となった。2003年3月には、ハバナ州は日当たり一人943gを生産した。

 もちろん、問題はまだ残されている。とりわけ、キューバには輸入するゆとりがない家畜飼料を必要とするミルク、肉と卵が課題となっている。大規模な国営農場で慣行栽培されているコメも、一貫して生産計画水準を満たしてはいない。だが、こうした部門でも、回復や将来への望みはある。例えば米の場合には、上述したSRI技術への期待に加え、都市農業の成功に誘起され、かつ、稲作にもその結果を導入しようと「人民稲作運動」が試みられており、それは有望なのである。国産米は1999年の172,000トンから2003年には300,000トンが生産されるようになり、コメ輸入量を50%以上減らすことになるだろう。

 こうしたすべての転換の真中で、現在の新自由主義の中で、多くの第三世界諸国において国家の役割が縮小しているのとは対照的に、キューバでは、国家と経済組織の他の集合的な形式が、生産の促進や支援で主要な役割を果たし続けていることに注意することが重要である。

 最も重要な成果は、2000年末までに、キューバの食料が一人当たり日量2,600カロリーと蛋白質68g以上に達したことである。FAOは、日当たり2,400カロリーと72gの蛋白質を適切な食と考えている。問題が残された領域があるにもかかわらず、厳しい食料不足の危機は本質的に終わった。かなり脅迫されているにも関わらず、キューバ社会は、その人民のための食料確保のために自分自身のバージョンを構築するという英雄的な努力を成功裡に産み出した。それは恐らく他の社会にも方法を指し示している。2003年3月31日、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領は、キューバ大使とベネズエラのFA0代表的の面前で、カラカスの中心部で最初のベネズエラのオルガノポニコを開始した。他の第三世界諸国はキューバの経験から学ぶことでうまくやれることであろう。ほとんどの国々は十分な食料を生産し、その人民に適切な食を保証することができるのである。

シナン・コント(Sinan Koont)はペンシルバニアのカーライル・ディキンソン大学の経済学の教授で、ラテンアメリカ研究のコーディネーターである。教授は、米国とキューバの多くの友人や同僚からのコメントに感謝している。

(Monthly Reviewの記事)
  Sinan Koont,Food Security in Cuba ,2004.

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