2005年4月1日

革命が起こりせば、何を食べるか

 カストロは、この30年間というものロシアと東ドイツ向けに砂糖を栽培し、出荷してきた。両国とも世界水準よりも高価格を支払い、両国が、小麦、米、多くのトラクターを満載した船舶をハバナに送り返してきた。そのすべてが、文字通りほぼ一夜にして消えうせたとき、キューバには立ち戻る場所がなかった。キューバの最も近い隣人である米国は、厳しい貿易封鎖を1992年に強化し、さらに1996年にも強化した。そして、キューバには、もはやどんな外為もなかったのだ…。言い換えれば、キューバは島になったのだ。水に囲まれた本当の島であるだけでなく、国際経済システムの外にある希な島となり、突然にして船舶がやってこなくなったのだ…。

 それは予想されなかったことだったが、起きたことはシンプルそのものだった。キューバは、砂糖輸出を止めることを学び、その代わりに、再び食料の自給生産を始めたのだ。小規模な個人農場や数千もの市場向けのポケット規模の都市菜園での栽培をはじめ、化学物質や化学肥料を欠く中で、その食料の多くが事実上の有機になったのだ。

 その組み合わせはなんとか機能した。キューバ人たちは、ソ連崩壊以前とほぼ同量の食料を手にしている。もちろん、肉はいまだに不足しているし、ミルク供給でも問題は残されているとはいえ、カロリー摂取量は正常に戻った。キューバ人たちは食を取り戻したのだ。

 だが、そうすることで、キューバは世界最大の準持続可能な農業のワーキング・モデルも産み出したのだ。キューバ以外の世界は、そのほとんどが石油や化学物質に依存し、莫大な量の食料を出入荷している。だが、そうしたものには依存しないでだ。もちろん、キューバ人たちもいくらかは海外から食料を輸入している。ベトナムから一定量の米、そして、りんごや牛肉、米国からもいくらかはそうしたものを輸入している。だが、ほとんどは自給しており、それ以外の国よりもエコロジー的な破壊度は少ないのだ。近年では、キューバを訪問する有機農家の数も増え、その達成を祝福している。

 世界のキューバよりも大きな部門が「スペシャル・ピリオド」を受けてしまうことは、ほぼありえないであろう。とはいえ、少なくともその可能性はいつもある。気候変動、廉価な石油の終焉、潅漑用水の減少、広範囲なテロというカオス、あるいは、それ以外の不吉な力から、私たちは、夕食をどうやって手に入れられるか、絶対的な最低ラインについての課題に関心を向けさせる。その課題は、ごく短い期間だけ、それもほんのわずかな人々だけが今までに無視することができた課題なのだ。

 キューバが耐えたような崩壊を誰も予想していない。おそらく、どんな近代経済も今までに、そうした衝撃を受けたことはない。だが、もし、事態が徐々に困難になったならばどうなるのだ?。そう、つまるところ、私たちの惑星も島なのだ。となれば、誰かが既にやりおえた実験について知ることは、役に立つことだろう。

 フィデル・カストロは、権力を掌握したその日から彼と最も激しく対立する相手からさえ認めらえるほど、ほとんど惜しみなく国の教育制度に力を注いだ。キューバの教師と学生の比率は、スウェーデンのものと同じだ。大学へ行きたい者は、大学に進学する。これを転換するのは重要なことであろう。農業をやることに慣れていないとき、農業、とりわけ有機農法は簡単な仕事でないからだ。初めは、土は良くなく、害虫は攻撃するのを待ってくれない。うまくやるためには情報が必要だ。そして、キューバでの準有機農業の隆盛は、かなりの程度、キューバが取りかえた高投入型のトラクター農業とほとんど同じほど、その多くが科学技術での発明品なのだ。

 キューバの牧草飼料研究所のフネス(Funes) 所長はこう語る。

 「以前のシステムでは、1の食料エネルギーを産み出すのに、10、15、20ものエネルギーを必要としていました。第一に、私たちは経済性をあまり気をとめませんでした。たとえどうであっても、私たちは生産しなければならなかったのです。ですが、ソビエトから支援を受けていた農業の最盛期でさえ、何人かの地元の農学者は、全システムが狂っていたと思い始めていました。私たちは、それがどれほど効率が悪いのかをわかっていました。ですから、ごく少人数ではありましたが、私たちの何人かは別の道を模索していたのです。牛では、肥料を減らすことができるよう、窒素を固定をするマメ科植物を牧草で見はじめました」

 農学者、ホルヘ・パドロン(Jorge Padron)氏はこう述べる。

 「化学物質を使うことは、ずっと簡単です。トマトに何か問題を目にすれば、化学物質はすぐその面倒を見ます。ですが、長期的には、全システムについて考えことが、本当の利益をもたらします。私たちの仕事は、作物がもっと強くなるように畑を準備することなのです。それは、機能しています」

 これは、1960年代に地球全体に広まった緑の革命、すなわち、潅漑と石油 (出荷と施肥)、そしてあらゆる問題に対処するための化学物質の大量散布に依存する食料システムの工業化とは逆のものだ。キューバで実施されている地元での研究の適用は、企業的な農業が支配する国の傍らでなされている。

 だが、キューバは、テキサスA&Mやネブラスカ大学に匹敵する学生で満たされているのだ。学生たちは、病害虫防除に役立つ菌類やアリモドキゾウムシ(sweet potato weevil)を防除するためのライオンアリ(lion-ant)の生産、タバココナジラミ(tobacco whitefly)を制御するためにトマトと胡麻の間作をどうするか、緑豆とキャッサバとを同じ列に混作する (60%)と、どれだけ収量があがるか、肥料を減らし、「chroococcum」と呼ばれる天然のバクテリアで代替すると食用バナナの生産がどうなるかを目にしている。

 私がインタビューした農民や農学者のほとんどは、農業改革は、もはや浸されないほど深く進んでいると信念を持って公言した。もちろん、彼らも牛耕をしていても、大型トラクターのコックピットに戻ることを願う多くの若者がいることは認めるし、新たな報道によれば、何人かの遺伝子工学者は、残組織からウブレ・ブランカ (Ubre Blanca=White Udder、キューバのセブ種とカナダのホルスタイン種を交配した牛)のクローンを試みている。

 もし、キューバが、ただ世界に経済に開いただけならば、そして、カストロの公然の願望である米国の経済封鎖がただなくなるだけならば、キューバは自由貿易政権におきかえられ、持続可能な農業が長く生き残れるかどうかは困難であるに違いない。

 私たちは、農薬や化学肥料が信じられないほど廉価で食料を作り出すから使っている。アブラムシを探してトマトの列を這いずり回ったり、牛で耕したり、細菌の解決手段を求めて苗の根を掘ったりするものはいやしない。少なくとも、私たちの工業的農業は、キューバ農業が以前にモスクワから助成金を支給されていたように、米国政府から大量の補助金を受けており、キューバを圧倒している。

 キューバの実験は、それ以外の国々に何を意味するのだろうか?。農学者は、キューバ農業を潅漑や石油や化学資材に依存する緑の革命モデルとはまさに逆の「低投入」と呼ぶことだろう。

 報道によれば、中国やインドで穀物を栽培している平原の地下水面は毎年何メートルも低下しているという。もし、私たちが多くの場所で水を使い果たし、また、肥料製造や巨大農場を運営するのに使われている石油や天然ガスが気候を変動させているのであれば、そして、農薬が農民たちを毒し、その他の有機体を殺しているなら、そして、もしファストフードがたどり着くまで大陸を旅し、ろくな味がしないとしたら、私たちにとっても低投入型農業のための本当の未来があるかもしれないではないか?。

 それとも、ただ収量が低すぎるのだろうか?。私たちは皆、スーパーマーケットや企業的農場がないと飢えてしまうのだろうか?。これらは、学会で大きな関心を呼ぶ問いかけではない。そんな研究の後援金を誰が支払うだろうか?。だが、例えば、工業的な農業の中心地である米国の平原はどうなのだろうか?。

 「それは、効率性をどう測定するかによります」。と、ジュールス・プレティ教授は言う。廉価な肥料と殺虫剤が、より多くの労力や知識にとってかわった。それが、ここ50年間で一日あたり219も米国の農場がつぶれた理由だ。私たちは、より多くの穀物が生産され、パンは無料であるほうがよい。だが、その一方で、死別した中西部がある。農薬の毒は地下水を通じて広まり、メキシコ湾のデッドゾーンには、植え付け季節に窒素の潮が押し寄せる。そして、化学肥料工場の先端からは、二酸化炭素の雲が膨らんでいる。もし、これらを真剣に受け止めるなら、人口のたった1%の農民を持つことが、つまるところは、素晴らしい功績でなかったと決めることができるだろう。

 緑の革命について話すとき、ほとんどの人々が意図するのは米国農業モデルだ。その大規模モノカルチャー栽培は、高収量品種を使い、石油化学製品を浴びるほど投入し、10億人をも養えるほどの低価格の食料を提供するよう設計されてはいるが、国庫補助によって支えられている。そして、その好意的な呼び名にもかかわらず、この惑星の多くの自然保護派や開発活動家は、緑の革命の結果すべてに絶望しつつある。そして、ジュールス・プレティ教授のように、もっとグリーンな反革命を提案している。それは際限なく多様で、化学の馬鹿力の代わりにエコロジーの洞察力を使い、人々をその土地で養い、かつ維持するよう設計されたものなのだ。その同盟国は豊かな国にもある。北米全域では農民市場が花開き、店はいっぱいになっている。より小さく、より孤立しているとき、少なくとも食物のためには市場が、よく機能することは可能だろうか?。今後の数十年がその問いかけへの答えとなるだろう。

 既にヨーロッパでは人々は、それに携わり、小規模農家にとって本当に役立つ補助金について議論しているし、緑の革命の次の段階としての遺伝子を組換え農産物が本当に欲しいのかどうか、そして、スロー・フードに支払うほどの価値があるのかを論じている。第三世界の一部でも、インドでは、農民たちは国の最も攻撃的であった自由市場主義者を、彼らのライフスタイルが暴力的であったと感じ、最後の選挙で放り出した。誰もが多国籍企業が提供するであろう可能性のセットに満足しているわけではないのだ。人々は他の選択枝を手探りで捜し始めている。

 世界はキューバには似ていないことだろう。キューバ人にその件に関して言わせると、キューバもかってのキューバに似ていない。だが、それはネブラスカのようである必要もない。

 「その選択は価値観に関するものです」とプレティ教授は言う。それは、少なくとも私たちにとって、少なくともさしあたりは本当のことだ。そして、選択では一般に、最も簡単で最も安い道を選んでしまう。惰性はすべての他のものを超えた私たちの価値観だ。

 だが、慣性はキューバ人が持っていなかったひとつの選択枝だった。キューバ人たちは、かつての食事を必要とし、カストロがたづなを放つことに不本意であったため、彼らには、どう食を得るのかについては限られた数の選択枝しかなかった。

 「ある意味では、スペシャル・ピリオドは私たちへの贈り物でした」。飼料の専門家、フネス博士は言う。博士はウブレ・ブランカについて考えることから牛耕を考えることまで行った人物で、体重も9㎏も痩せたのだ。

 「私たちに選択の余地がなかったことが、それをより簡単にしました。あるいは、私たちはそうはしましたが、私たちが泣き叫ぶか働くかは私たちの意志だったのです。横たわり、泣き叫ぶことへの願望も強くありましたが、私たちは、そのかわりにやることを決めたんです」。

ビル・マッキーベン(Bill McKibben)は、ミドルバリー大学(Middlebury College)の学者で、自然の終わり(The End of Nature, Random House, 1989)、故郷をさまよう(Wandering Home: A Long Walk Across America's Most Hopeful Landscape, Vermont's Champlain Valley and New York's Adirondacks, Crown, 2005) 他、多くの著作がある。

(Harper's Magazineの記事の一部抜粋)
  Bill McKibben, The Cuba Diet: What will you be eating when the revolution comes?,2005.

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