1997年3月11日

キューバの再生可能エネルギー

ハバナの日没

 厳しい時代だ。通貨は価値を失い、人々は配給を受けている。石油が不足し、車はほとんど使われていない。米国の経済封鎖は引き続き、ソ連は死に体だ。こうした状況をキューバ人たちは「スペシャル・ピリオド」と呼んでいる。

 1989年のソ連崩壊に引き続き、キューバへの石油供給は50%も減ってしまった。エネルギー計画を改革することが国の重点課題となった。

「キューバは、ソーラーや再生エネルギーを重視することで、石油時代を跳び越えるために働いています。エネルギー問題に対してこれほど早く、かつ効果的に対処している国は他にはありません」。
自転車で旅するTooker氏

 1997年2月にキューバを自転車で旅したEdmontonians Tooker GombergとAngela Bischoffさんは言う。この2人の環境活動家は、胸踊る環境物語「グリーン・インスピレーション・オデッセイ」を捜し求め、世界中を旅している。

 サトウキビは、キューバの主な輸出品だが、国に再生可能エネルギーの3分の1を供給している。ひとたびサトウキビが収穫されると、藁のような残渣(バガス)が発電用に燃やされる。葉と茎もプレスされて、固形燃料として使われる。「キューバ全体には156の製糖工場があります」。コロラドのソーラー・エネルギー会社と関係のあるローリエ・ストーン(Laurie Stone)氏は言う。ストーン氏もまた自転車に乗っている。米国人も、カナダやメキシコ経由であれば、あるいはキューバの組織から後援されれば、キューバを旅することができる。そうストーン氏は言う。だが、後者のやり方では、米国人が金銭を自由に使えない。
ソーラーパネル住宅

もう一つの再生エネルギーの知恵ある方法は、ストーン氏がキューバの「ソル」と呼ぶ実践だ。マグダレナ(Magdelana)という町は、太陽電池によって完全に電化されている。ソーラー・パネルのシステムは、電卓と同じだが、太陽光で発電を行う。マグダレナは人口が574人だが、各戸それぞれに発電システムがあり、それが小型の蛍光灯、ラジオ、テレビを動かしている。各住宅は日あたり18時間の照明を受けられる。そうストーン氏は語る。

「キューバはユートピアではありません。ですが、グローバル・スタンダードから見て、その社会的、経済状況は感動的です」。

 そうゴムバーグ氏は語る。キューバ人は、北米人のたった30分の1のエネルギーを消費しているだけだ。私たちが一人あたり年間に59バレルの石油を燃やすのに、キューバ人は2バレルを燃やすのだ。エネルギー危機の以前でさえ、一人あたりの総量は4バレルだった。

「科学に対して長年キューバが力を傾けてきたことが、彼らに環境にやさしい方法でエネルギー危機に対処する準備をさせたのです」。サンフランシスコのキューバツアーのコーディネーター、パム・モンタネロ(Pam Montanero)さんは語る。

 何千台もの風車が地下から水を汲み上げ、電気を起こす。そして、多くの小河川は220もの小規模発電システムの本場だ。それらが、3万人以上のキューバ人にエネルギーを提供している。
ハバナ市街を行く自転車

「キューバ人たちは、いまバスと自転車に依存しています」

 ゴムバーグ氏は語る。1990年代のはじめに、キューバは100万台の自転車を中国から輸入した。今では自分たちのモデルを造るため、6つの自転車工場を設立した。自転車は、キューバ文化の中に広まっている。

 燃料不足とあわせ、化学肥料や農薬(石油製品でもある)も減少した。

「この危機のために、キューバは有機農業への転換で世界をリードしているのです」
有機農業で栽培されるタバコ

 そう、ゴムバーグ氏は語る。化学製品を使わないことが、水質汚染を減らしている。もし再び機会が与えられるならば、キューバ人たちは、汚染型のやり方に戻ってしまうかもしれないと思われるかもしれない。だが、成功を体験したコミュニティは、環境に優しくないやり方には戻らないだろうとモンタネロさんは考える。

「たとえ、キューバの人々がエネルギー再生を強制されたのだとしても、彼らがそれをなしとげ、それが働いているという事実は却下するものではありません」そう、彼女は語る。

「国が本当に持続可能な方法で発展したいのならば、GNPがどうであれ、人々の暮らしの質を高めることはできるのです。そして、再生可能エネルギーの分野でキューバの達成した成果が、それを証明しています」。ストーン氏はこう語った。

(ディスカバリー・チャンネルの記事)
  Maryam Henein,Cuba-On the cutting edge of renewing energy,1997.

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