2001年12月

革命的な教育

 ラテンアメリカの農村部を旅してみれば、基本的な教材はおろか、電気すらない学校を確実に目にすることだろう。だが、キューバは違う。この小さなカリブ海の島では、農村地域で3万4000人以上の子どもたちが、ソーラー・エネルギーを活用することで、読み書きをし、教育ビデオを見ているのだ。

 キューバの教育に対するコミットメントには驚くべきものがある。義務教育は多くの国にもあるが、キューバ人たちは、義務教育を子どもたちに最高の教育を受けられる機会を提供しなければならないとの意味で受けとめている。キューバ人たちは家族も重要なことと受け止めている。どれほど僻地にあり、どれほど小さな集落であっても、小さい子どもが家の近くにいられるように、どの村落にも小学校がある。そして、こうした僻地の小学校も今ではすべてが太陽光発電で電化されているのだ。1959年以前のキューバの発電力は800MWで、そのほとんどは大都会のものだった。だが、1959年のキューバ革命以降は、政府は農村の電化を優先する。以降、30年で、国土の95%は3,000MW以上の電力で電化された。

■ソ連の石油依存からの回復

 キューバはソ連から石油を安く買い続けてきたから、1989年のソ連崩壊は、米国の経済封鎖の強化とあいまって、キューバ経済を奈落の底に落とし込む。1989年から1993年にかけ、キューバのGDPは193億USから100億USドルへと半減する。キューバはモスクワと石油や砂糖貿易をできなくなり、キューバはほとんど一夜にして石油供給の大半を失った。その多くは、食料、スペア部品、農業化学資材、産業設備だったが、輸入も75%と落ち込んだ。石油がない中、工業生産は低下し、工場は閉鎖し、公共交通は崩壊し、停電が一般となり、農業も食料生産も無力化した。

 危機が最高に達した1993 年には、キューバは輸入資金の60%を食料と石油に費やしていた。1989年以降の歳月は「スペシャル・ピリオド」として知られている。それは、キューバ人たちが、ゆゆしき経済問題への対処方策を理解しなければならなかった時だった。国は、経済再建に向け劇的に動く。可能なかぎり食料をなるたけ公正に分配しようとする国の努力に対しては、ほとんどのキューバ人たちが共感している。スペシャル・ピリオドは、緊縮の時代だった。だが、コンセンサスとなっていたのは、それは国家の問題であり、全キューバ人がその課題解決のために、ともに働く必要があるということだ。

 キューバは、国際市場から石油を買い求めはじめなければならなかった。だが、それは落ち込んだ経済では調達できるものではなかった。それが、化石燃料への依存度を減らし、より多くの再生可能なエネルギーを使おうという望みへとつながった。

 現在、キューバはバイオガス、バイオマス、ソーラー・エネルギー、風力、水力エネルギーを活用している。サトウキビの搾りかすは、国内の156の砂糖精錬工場を稼動させるのに使われているし、余剰電力は送電されている。220基以上ものミニ水力発電システムが8~500KWまでの電気を3万人のキューバ人に提供している。さらに、9,000台の機械風車のほかに、現在、電力を国の配電網に供給するため0.45MWの風力発電もあるのだ。

■2,000校のソーラー発電システム

 スペシャル・ピリオドの間でさえ、教育や福祉医療といった社会プログラムは削減されることがなく、キューバ革命で優先されたそのままに維持された。2000年にはキューバ政府は、子どもたちに良質の教育を提供するため、電気が全くない国内の全小学校のすべてを電化するプログラムに予算を投じる。

 プログラムはソーラー発電を提供するエコソル・ソラール(Ecosol Solar)により実施された。エコソル・ソラールとは、コンピュータ、エレクトロニクス、テレコミュニケーション、その他のハイテクを専門とするキューバの民間技術公社であり、ソーラー発電パネル、太陽熱、風力、バイオマス、ハイブリッドシステムの販売サービスを行い、それらを導入している。

グアンタナモ州のイミアス(Imias)のJuan Abrahantes学校

 最初のソーラー発電パネルが小学校に導入された時から1年を経ずして、1,994校がソーラー発電システムが手にすることとなった。各システム165Wのモジュールと、20Aのコントローラー、250Wのインバーター、そして220A時のバッテリーからなる。システムのうち、三つは小規模な風力発電も備えている。 各学校には2つの15ワットのDC照明とACテレビ、そして教育プログラム用のビデオがある。システムは、もし生徒がビデオをみれば一日に5時間動かされるようデザインされている。そして、ビデオがなければ、システムは8時間は動く。

ピナル・デル・リオ州の田舎の小学校
ソーラーで電化された学校
生徒数 学校数 部品 ドル
21 ソーラーパネル・モデュール165W 970
2~5人 357
6~10人 483 充電コントローラー20 A 200
11~20人 518 バッテリー26 V、220A時 160
21~40人 385 インバーター250W 80
41人以上 180 2 DC ライト, 15 W 70 70
合計 1944 1,480

■ソーラーパネルのブリガーダ

 そうした大がかりなプロジェクトを実行するため、NGOクーバ・ソラールとエコソルは、ソーラーシステムの導入に向け、各州でブリガーダを訓練した。ブリガーダは、各州からエコソルの代表、大学教授、学生、教師、とその他のボランティアで構成されている。クーバ・ソラールは1994年に設立された団体で、再生可能エネルギー、エネルギー利用の効率化、環境教育の促進をミッションとしている。2年毎に、クーバ・ソラールはキューバで再生可能エネルギーの国際会議も開催し、教育システムに再生可能エネルギーを取り入れ、再生可能な物資の使用を促進するため、本や雑誌も発行している。

 25のブリガーダが、農村にでかけ、システムを導入し、システムの維持の現地住民を訓練した。各学校の教師には維持管理のためのビデオが示された。教師がバッテリーをモニターして、パネルをときどき掃除する担当をしているからである。

 90日間毎に、各校には技術者が訪ねて維持管理を行い、各州には修理店もあり、各テリトリー (州は多数のテリトリーから作られる)ごとに小規模な修理店もエコソル・ソラールによって立ち上げられた。エコソル・ソラールの技術者も全システムの定期点検を行っている。今までのところのどの学校でも問題は全く報告されていない。

教育ビデオを見るラス・トゥナス州のホバボ(Jobabo)ムニシピオのギラルダ・バルドキン(Giralda Baldoquin)校の生徒たち

 1987年に始まったソーラー発電による診療所のプログラムも、ごくわずかのシステム障害があっただけである。こうしたシステムの多くは、ダメージを受けることなく実際に3回のハリケーンを乗り切っている。

 学校のソーラーで電化によって、キューバのソーラー・システムの総数は2,400以上となった。これには320の診療所、100の社会センター、4つの農村病院と多くの家が含まれている。

 キューバは太陽光発電のハードウェアの一部を輸入はしているものの、現在は自分たちで充電コントローラは製造しているし、ピナル・デル・リオ州にソーラー・電化システムの製造プラントを持ち、そこでは、14%の効率の太陽光発電モジュールを生産している。
経済状況もあって工場は一般用のパネルはまだ生産してはいないが、それは、太陽光発電モジュールを大量生産するための資金がないだけである。今、それらは実験室で生産されているだけだ。融資があれば、工場は年間に1メガワットのパネルを生産できる。将来的には完全にキューバ製の部品でシステムを作れるようになるのが彼らの望みである。

■農村へのコンピュータ

マタンサス州のムニシピオ、ウニオン・デ・レジェス(Union de Reyes)のアントニオ・ギテラス(Antonio Guiteras)校

 2001年6月、クーバ・ソラールは、顕著なソーラー発電プログラムによって国連環境プログラムの「グローバル500賞」を受賞した。だが、学校電化プログラムはまだ完了していない。キューバ政府は子どもたち全員にコンピュータを利用できる手段を持たせようとし、2002年3月までに全小学校にコンピュータを設置する計画を立てている。今後数カ月で、クーバ・ソラールとエコソル・ソラールは、各システムがコンピュータも稼動できるように、各小学校あたりのもう一枚のパネルを加えるよう心がけることだろう。

■環境教育

 キューバの子どもたちはソーラー発電技術を使って学ぶだけでなく、ソーラー発電技術についても学んでいる。ハバナの中心部では、幼い子どもがCiudad Libertadの環境教室で再生可能エネルギーについて学んでいる。Ciudad Libertad(自由なる市)とは革命以前には兵舎だった。1959年以降は、それは学校複合施設に転換されたのだ。今では、保育園から大学の教室まである。ハバナ全域の学校からの子どもたちが、Ciudad Libertadの環境教育教室を使う。彼らは省エネ、リサイクル、そして、再生可能エネルギーを含めた環境問題について学んでいる。6月5日の世界環境デーだけで、1,340人もの生徒が教室を訪れている。最近の訪ねてみると、幼い子こどもがソーラー発電で電化された病院と学校の絵を描いていた。

Ciudad Libertadの環境教育教室で再生可能エネルギーの絵を見せる生徒たち

 再生可能エネルギー教育は、それ以外の学校にも組み込まれている。基礎産業省は、教師のための環境教育の本を融資している。クーバ・ソラールは、全キューバ人の98%が、ソーラー発電パネルが電力を生み出すことを知っていると評価する。

 キューバは教育へのコミットメントを重要なことと受け止めている。経済的な苦難や化石燃料不足は、質の高い教育をキューバのすべての子どもたちに提供する妨げにはならない。キューバ独立のためにスペインと戦ったキューバの英雄、ホセ・マルティ(Jose Martí)は、こう語った。「人民は太陽よりも完全であるはずがない。太陽は、それが熱するのと同じ光でも多様を燃やす。太陽には、黒点があるが、不幸は黒点についてだけ話す。幸いは光について話す」。

 キューバ人たちは、彼らの石油不足と戦い、彼らの子どもたちのために優れた教育を確実にするのに太陽の光を使っている。今では、キューバの農村のどの小学校にも誇らしげにキューバの旗が掲げられ、ホセ・マルティの胸像と、ソーラー発電システムがあるのだ。

クーバ・ソーラルの会議:キューバでの太陽と再生可能エネルギー

 バス、トラック、そして、徒歩で3時間かけて、キューバ東部のシエラ・マエストラ山脈のソーラーパネルが導入された僻地にたどり着いた。これは通常のソーラーの会議ではなく、キューバで再生可能エネルギーを促進するNGO、クーバ・ソラールによって主催された会議だった。クーバ・ソラールは、1994年から、再生可能エネルギーの国際会議を組織しており、2年毎に、全世界から、科学者、技術者と、ソーラーに熱をあげているものが、この小さな島が再生可能エネルギーで行っていることを学ぶため、キューバを旅している。私が参加したそれ以外のソーラーの会議とは異なり、会議のほとんどは、講演ルームではなされず、ソーラー発電、マイクロ水力発電、バイオマスの施設を見ることに費やされた。1996年の会議では、私たちは、完全にソーラーパネルで電化された遠隔地のコミュニティを訪ね、ソーラーパネルで電化された遠隔地のヘルス・センターの壮大な始まりを目撃し、ミニ水力発電で電化された二つのコミュニティで時を過ごし、サトウキビの茎のバイオマスで運営されているサトウキビ工場を訪ねた。

 こうした僻地へのアドベンチャー的な旅の間、私たちは、ヨーロッパ、ラテンアメリカ中と私たちのキューバ人とソーラーの支持者と話をした。米国市民が観光のためにキューバを旅することは違法だが、キューバにいくにはある認可された旅行プロバイダーがあった。私はグローバル・エクスチェンジと共にキューバを旅した。キューバのプログラムに関して持続可能な開発、音楽、芸術、文化を学ぶ旅行を提供する認可されたプロバイダーである。グローバル・エクスチェンジは、クーバー・ソラールの会議への旅するため米国から教育旅行ライセンスも取得している。クーバ・ソラールの2002の会議は、3月27日から4月7日に、キューバ西部のピナル・デル・リオ州で開催されるだろう。

 

(米国のHome Power86号に掲載、ソーラーエネルギー・インターナショナルのHPの記事)
  Laurie Stone,Revolutionary Education: PV Powered,2001.

Cuba organic agriculture HomePage 2006 (C) All right reserved Taro Yoshida