アリック・マックベィ(Aric McBay) 今後20年で、ピーク・オイルは、世界でどう働くと思いますか。それについての可能なシナリオを描けますか。何が起こることを望みますか。また、何が起こることを懸念していますか。
メガン・クイン 今後数十年は、人類文明や人間の発展は、不断続的になることでしょう。産業革命が始まって以来、人間は地下から莫大な化石燃料を抽出してきました。そして、それを燃焼させることで、大気中に大量に化石燃料を放出してきました。ですが、今後数十年のうちに、ほとんどの化石燃料がすでに掘り尽されてしまうポイントに到達することでしょう。化石燃料を掘り出す方が、燃料から提供されるよりもエネルギーがかかるようになるまで、ますます乏しくなる化石燃料を掘り続けるでしょう。あるいは、もうそれらを掘り出さないと決めるかもしれません。
これは、人間社会の分岐点を表わします。その選択枝はこうです。残りの世界からの化石燃料資源を徴用することで、短い間だが、エネルギーを消費し続ける。あるいは、「エネルギーの降下」にコミットし、ずっと少ないエネルギーを消費するライフスタイルに転換できる。最初のシナリオは、資源戦争、グローバルな大量飢餓や死、引き続く生態系の荒廃、気候変動の脅威、そして、私たちの「生活水準」の一時的な維持か増強に結びつくことでしょう。事実、この選択は、現世代に気楽さを維持し、変革を避けますが、同時に将来世代を不幸に運命づけ、人類を脅かし、地球全体を危険にさらします。第二のシナリオは、協力やハードな仕事、そして、私たちの物質的な豊かさのいくつかを犠牲にすることを求めるでしょうが、工業的な文明より、ずっと平和で調和したやり方で人類が発展していくことを可能にするでしょう。化石燃料、水、耕作に適した土地など、すべての天然資源には限りがあることを認めることで、私たちは、こうした資源消費を抑制するよう努力していくことでしょう。化石燃料が減りはじめたならば、私たちは、エネルギー消費量を減らすため、再び暮らしやコミュニティをデザインしなおすことでしょう。
まず、最も重要な化石燃料である石油が最初に減りはじめます。ピーク・オイル研究協会(the Association for the Study
of Peak Oil)によれば、石油生産量は2008年前後にピークとなり、減りはじめると予想されています。天然ガスのピークは2020年前後になることでしょう。石炭はもっと長く、数十年はもつかもしれませんが、石油や天然ガスが不足するにつれ、採掘コストが高くつくようになるでしょう。しかも、石油や天然ガスの代わりに石炭を使うとしても、石炭のエネルギー密度はずっと低いので、二倍ほどは使われなければなりません。それに引き続いて起きる汚染問題にはふれないとしてもです。
全世界的に石油生産量がピークに達すれば、その後は供給量が減りはじめることを意味します。同時に、需要は急上昇しています。これは石油不足に帰着することでしょう。1970年代に米国で起きた石油ショックに似て、価格は急騰するでしょう。ですが、このショックは全世界的に生じるものですし、けっして回復はしないでしょう。価格はあがりつづけ、以前のピーク・レベルには二度と達しません。石油証券引受業者でチェイニー・エネルギー特別対策本部のアドバイザー、マット・シモンズ(Matt
Simmons)によれば、原油価格がここ十年間内に1バレル当たり182ドルに達すると予想されています。さて、世界も初めのうちは、グローバルな原油価格高騰の原因がわからないかもしれません。政治的な動機のために問題が不明瞭化したり、石油企業や中東諸国が槍玉にあげられ、非難の的とされるかもしれません。ですが、世界が深刻な不況に突入するにつれ、人々の意識が高まりはじめ、自覚した市民たちが、全面的な社会変革のための組織を作るかもしれません。
まず、第一に、個人、家庭、そして小規模なコミュニティは、もっと自分たちで食料や生きのびるために欠かせないその他の物品を生産しはじめなければなりません。原油価格が高騰するこのカオスな時期には、経済全般にわたり価格が、とりわけ、食料価格が値上がりすることでしょう。工業的な農業は、農薬や殺虫剤の供給資材として、また、トラクター、コンバインと潅漑システムの燃料源として石油に依存しています。そのうえ、天然ガスがすべての化学肥料の供給材料です。北米では平均1カロリーの食料を生産するのに、10カロリーの化石燃料を消費しています。これは平均2000㎞を輸送したり、梱包するのに付随する化石エネルギーを含んでいません。燃料価格のどんな値上がりも、食品価格の値上がりを意味し、局所的な食料不足にゆきつくかもしれません。ローカルな相互依存の経済ネットワーク、とりわけ、ローカルな食料のネットワークがグローバル化された食料システムによって破壊されていますから、この緊急事態には、各地でそうしたネットワークを再建しなければならないかもしれません。
私の希望は、ピーク・オイルが生じた場合に何が起きるのかを世界の人々が理解し、燃料取得が減少するこの新たな現実に適応するため、経済や社会を再び局地化することを決めることです。この小規模で持続可能で、自給したコミュニティの新世界を創出するための協力が求められます。減少する資源への競争は私たちを絶滅の縁に連れていくかもしれません。アリック・マックベィ あなたは最近キューバで過ごされましたが、キューバはソ連が崩壊したとき、急激に石油へのアクセスのほとんどを失いましたね。その影響はどうだったのでしょうか。キューバ人たちは、それに適合するために何をしたのですか。今の状況はどうであり、どんな解決策が農業、交通、その他にあるのでしょうか。
メガン・クインの2004年12月3日のキューバ・リポートからの抜粋
キューバはソ連からの輸入石油に依存するようになっていたが、1991年のソ連崩壊に引き続き、キューバ社会は劇的に変わった。ラテンアメリカでも最も急速に産業化した国家のひとつであるキューバは、ほとんど、一夜にして、その石油の50%を失い、国は飢餓に直面したのだ。その後、キューバのGDPは3分の1も低下した。危機をうまく切り抜けるため、イデオロギー的、そして、経済的なコミットメントは、生きのびるために従属するようになった。「社会主義か死か」は「よりよき世界は可能だ」となり、キューバは全世界の持続可能性の主張者のモデル、そして、インスピレーションになった。
キューバは、その国内の食料生産を外部エネルギー投入に依存していたため、その石油システムを失ったときに崩壊し、多くのキューバ人が飢えた。生きのびるために、彼らは大規模な石油集約型の化学工業的な生産から、小規模でローカルな有機農業にまでゆきついた。石油に基づく地方から都市への食料輸送は、都市菜園でますます補完されるようになっていった。自然と人間の財団のロベルト・ペレス(Roberto
Perez)氏は、いまハバナの食料の50~80%が市街地内からもたらされていると評価する。
ほとんどの場合は、キューバ人たちは、自分たち自身でイニシアチブをとり、新鮮で健康的な地場食料を供給するため、自分たちの地区内にコミュニティ菜園を設置した。ハバナ市の地区コミュニティ農業プロジェクト、オルガノポニコ、アラマル農場は、労働者たちが協働で農場、市場、レストランを運営している。手づくりの道具や人の労働が石油を節約し、バーミカルチャーが生産的な土を生み出し、ドリップ潅漑が水を節約し、種々の農産物が地区に提供する食料を生み出している。
そうした大規模プロジェクト用の土地が十分ない場合は、地区では屋上菜園に植え、裏庭農場をもち、駐車場にすらオルガノポニコを設置している。自然と人間の財団は、持続可能な都市開発プログラムに着手し、自分たち自身で食料を生産するためのツールを人々に提供し、トレーニングも行っている。自然のパターンを模倣し、生産力を最大限にするデザイン・システム、パーマカルチャーが、ハバナ中で教えられている。ハバナのセロ(Cerro)区にある自然と人間の財団は、生きたパーマカルチャーの研究所であり、教育センターである。苗床としてゴムタイヤ、肉と肥料用の天竺ネズミ、果物や涼しい日陰を提供するブドウがシステムに統合されている。
だが、キューバの石油危機によって影響を受けた分野は農業だけではない。キューバの電力の大半は石油による火力発電だったことから、危機は国土全域に大規模な停電を引き起こした。実際、料理用や照明用の電気が日に数時間しかないときもあった。その後数年は、キューバ人たちは、なるべくエネルギーを意識するよう依頼され、今も倹約は続いている。
キューバは国産石油を見つけ、より多く生産をはじめたが、政府は太陽や風力を利用した再生可能エネルギー・プログラムも推進しはじめた。クーバ・エネルヒーア(Cuba
Energia)の一部門、クーバ・ソラール(Cuba Solar)が、ソーラー・エネルギー・プログラムを研究、開発、実施するために設立された。様々な再生可能エネルギー源市場を生み出すため、別組織エコソル(Ecosol)も1997年に設立された。エコソル・ソラール(Ecosol
Solar)は、そのソーラー部門であり、小規模な世帯システム(200W容量)と大規模システム(15~50KW容量)の双方で、1.2メガワットのソーラー太陽光発電を導入した。すべてでは、わずか4年で5,500のソーラー・システムになる。さらに、この組織はソーラー温水器と同じく、風力タービンとソーラーパネルの双方を利用するハイブリッド発電の概念も発展させている。装置の60%は社会プログラム用であることから、エコソル・ソラールの事業は、キューバ人たちを直接エンパワーするプログラムを含んでいる。その突出した一例は、キューバの全農村域での2,364小学校へのソーラー・発電パネルの導入である。さらに、彼らは、現場で組み立てられるソーラー温水器、ソーラーパネルを利用した送水ポンプ、ソーラー乾燥機のコンパクトなモデルも開発している。
ピナル・デル・リオ州の山地内にあるソーラーで電化された集落「ロス・ツンボス(Los Tumbos)」を訪れれば、こうした戦略で行える肯定的なインパクトがわかる。コミュニティの学校やテレビ・ルームと同じく、各家の屋根にもソーラー・パネルが設置されている。この電気で、コミュニティ住民がキューバのテレビで放映される「円卓議論」を見るため夜間に集まれるようになった。それは国や世界の最需要課題について論じる政府の運営する番組である。このように住民に情報を提供することに加えて、テレビ・ルームは、コミュニティの統一を高めるというメリットもある。
食料やエネルギーを生産するため、ローカルで再生可能な戦略を追求することが、キューバが1990年代初期の石油危機にうまく対処し、エコロジカルな持続可能性な道へと進みはじめる一助となった。キューバ人たちがそうした大きな挑戦にどうやって対処できたのかは、切迫した危機の寸前にある私たち自身にとってもおそらくとても重要である。
そうした疑問は必然的に、このユニークな場所のより深い歴史や文化につながっていく。ラテンアメリカではもっとも最後に独立した国であるキューバは、スペイン植民地としての圧政に長く困難な闘争を行ってきた。独立のヒーロー、ホセ・マルティは、全国の至る所にある彫刻で顔なじみなだけでなく、キューバ人民の心の不朽的な存在である。だが、1898年に独立したにもかかわらず、キューバは北の隣人の目から離されることはなかった。米国は、20世紀の変わり目頃から1950年代まで強大な経済的・政治的な影響力をもった。
海外からの長きにわたる支配や統制の歴史から、キューバ人民は、自ら運命を作り出す堅い決意を維持している。当時の苦難を抱えた政治情勢下では、それは抵抗する意志を意味した。「Resistir」は、キューバ社会では価値ある理想である。それは、直面するであろういかなる障害をも克服していくキューバ人たちの気質や決定力の強さの証でもある。40年も米国の経済封鎖下で生きてきたことは、キューバ人民の「resistir」する能力の試金石となっている。
キューバ人民に浸透しているこの心理的要素が、危機に対処する能力ですさまじく威力を発揮した。以前にやったように、キューバの人民たちは、必要な犠牲を払い、さらに熱心に働き、その創造的で優れた才能を活用する努力で克服したのだった。人民たちは、日18時間に及ぶ停電や3時間もかかる仕事への通勤、そして不足し肉がない食事を受け入れた。彼らは、なんとか食べていくため、やれることをすべて行い始め、もっとも成功したのは観光客のチップを求めることだった。また、自転車、自動車、トラック、トレーラと様々な廃品から新たな大量輸送機関の代案を生み出した。
これとも関連するが、キューバ人は圧倒的なまでに楽観的な民族である。ハバナ地区の革命防衛委員会(CDR)の会合に参加すると、「Si se puede」というフレーズがよく話されていた。意味を翻訳すれば「はい、それはやれる」を意味する。彼らの希望に満ちた将来は、誇れる過去
、チェの有名な発言「Hasta la victoria siempre」と同じほど誇れるものだ。
そして、キューバの危機管理において確実に役割を果たした最後の要素は、キューバの人民間の連帯感である。すべての努力を通じて、キューバ人たちは互いに自立し、互いに頼りあった。共通の敵に対して抵抗するように、平等主義社会建設が国の結束を強化した。
「スペシャル・ピリオド」の間に、ハバナの小地区の革命防衛委員会の会合で、抵抗、楽観、そして結束の決定的な要素が、強力なキューバのコミュニティの価値が彼ら自身によって明示された。こうした地区組織は、キューバ社会の本質を表わすもので、コミュニティに基本機能を提供している。地元の一人の防衛委員会のメンバーは「革命防衛委員会なくしては、私たちは危機を通じて、それを作っていなかっただろう」「それらは、地区のタスク遂行を支援し、地区住民を集め、統一感をもたらしました」と語り、こう続けた。
「それが食料、水、ビタミンを分配した。本質的に、それが人民が基礎的な物資を得ようとする際、大きな助けとなった」 ムニシピオの革命防衛委員会の組織者は、熱烈にこの組織の役割を明確に主張する。
「私たちの組織の成功は、それが近隣組織であることと地区の団結によるものです。革命防衛委員会は、ただ単に革命的な組織であるべきではなく、ひとり暮らしの老女や支援がない母子家庭のことも考えるのです。もし、人々の間に不和があれば、革命防衛委員会は人々を統一することを模索します」
そして、彼女の最後の主張はとても力強いものだった。
「私たちは革命を防衛するために創設されました。ですから、私たちは革命を防衛するために死ぬのです」
キューバの危機に対し、キューバ人民は、数え切れないほど有効で印象的で美しいやり方をともにやり遂げた。コミュニティ精神はキューバ人民全体にゆきわたっているが、それが危機をうまく乗り切ることを可能にした。食料やエネルギーから始め、キューバは社会に多くの有益な改革を加えた。今では、彼らは全世界のどの「開発途上国」よりも持続可能な道を歩んでいる。我々米国も、キューバの成功を遂げた転換から学べることが多くある。キューバの対応を評価することで、どこから着手しなければならないかがわかる。そのうえ、彼らのコミュニティ意識や地区組織の役割を学ぶことで、我々の地域コミュニティで働くことも力づけられる。キューバ人たちのように、我々も抵抗できるし、希望をもって将来を見つめることができる。そして、新たな持続可能な世界を創出するための絵を連帯して描けるのだ。
アリック・マックベィ 石油の減少に対処するため、大規模な風力発電やソーラー光発電所のように、「ハイテク」療法が示唆されていますが、このうち何をキューバ人たちは取り入れたのでしょうか。
メガン・クイン オルターナティブ・エネルギーについての説明は、上記を参照してください。50kwまでのシステムはいくつか構築されましたが、キューバの大多数の再生可能エネルギーシステムは小さいのです。上述したように、エコソル・ソラールの装置の60%は学校や小さな町のための小規模な屋上システムです。キューバにはそうしたコストのかかるシステムに投資する資金がなかったので、そのかわりに、彼らはもっとローカルで、廉価で、独創的な解決策に頼りました。例えば、交通問題に対処する方法として、古いトラックがタクシーとなり、自転車タクシーやヒッチハイクが増えていることを目にできます。
アリック・マックベィ キューバの革命防衛委員会は魅力的ですね。私たちの生活空間で解決策を実施するうえで、彼らの例から何を学べると思いますか。
メガン・クイン 革命防御委員会はキューバ全域にある隣組組織です。大きさは都市の1ブロックとほぼ同じで、地区住民は、頻繁に会合を開き、毎月一度はパーティーがあります。それは、地区住民間の協力や助け合い、地区内でのサービスを促進する強力な社会ネットワークです。スペシャル・ピリオドの初めの数年間は、革命防御委員会は、食料、水、医薬品といった物品を人民に分配することに批判的でした。社会的危機の中、革命防御委員会は、効果的な地元型解決策を実施する機会を提供したのです。革命防御委員会は、住民福祉やその将来に責任を持ち管理する、地域コミュニティの好事例です。市、州、政府といった大きくより中央集権的な組織に依存するよりも、革命防御委員会は直接そのメンバーが必要な世話をやくために働きます。こうして、革命防御委員会は、地区の課題に対処するため、地区住民を力づけ、とても民主的で有効なシステムとなっているのです。
私たちは、地元で行動するため、私たちのコミュニティを組織するやり方として、革命防御委員会をモデルとして見ることができます。例えば、私たちは食料の地元生産や保管について隣に住む人々と話し始められます。資源不足や他の社会ききが突然に生じることに対しても準備し始めることができます。コミュニティ・レベルで再生可能な電力を購入する草の根キャンペーンを始めることができます。重要なことは、グローバルなオイル・ピーク後に、廉価な石油やそれによる廉価な輸送が終わるときには、ローカルな解決策が最も有効なことなのです。
アリック・マックベィ 普通の人々は、ピーク・オイルや産業が崩壊する可能性のことを口にすることを好まないように見えます。人々がそれをおそろしいと考えるためであることもわかりますが、今の暮らしに大きな変化を加えることになることに向き合いたくもないのです。自己満足し、「専門家」や政府に対処させたほうが簡単だからです。このことについて、近くの人や家族や友人にどう話したらよいか何か提案はありますか。ピーク・オイルやそれと関連した課題に適切で短い入門書はありますか。
メガン・クイン とても大きな質問ですね。人々がピーク・オイルや産業崩壊、エコロジーの崩壊について話したがらない主なわけは、これらをすべて「運命的で暗いシナリオ」として分類しているからです。私たちは悲観論者としてのレッテルを貼られ、話も割引いて聞かれます。この理由は、人々が、自分たちのライフスタイルが攻撃されているように感じて、すぐさま守りに入ってしまうからです。もっとも良い戦略は、ポスト石油、ポスト工業的な世界が、なぜ、ずっと平和で、ずっと健康的で、はるかに幸福なのかを説明することです。私たちの今のライフスタイルは成功しているように見えるかもしれませんが、実のところは、世界の残りの多くの人々や将来世代を犠牲にして、一時的に物質的に豊かさの中で暮らしているだけです。協力的に生きることは、より社会的でスピリチュアルなやり方で生きることなのです。
まず人々がやる必要があるのは、日常生活を支えるエネルギーや原料投入、それらが生み出す廃棄物を含め、自分のライフスタイルに対して完全に責任をとることです。テレビを一時間見る行為ですら、そのプロセスで9㎏の石炭を燃やします。近代的な暮らしに関連したコストを理解した後、私たちは、すべての食品や衣類その他の製品への化石燃料の投入を減らし、私たちに残される汚染物質の量も減らし始めることでしょう。言いかえれば、私たちは、流れ込んだり、流れ出るものすべてに対する責任をとるわけです。
私が友達や家族に話しかけるやり方は、どんな解決も提案せず、ピーク・オイルの概念をゆっくりと入れていくことです。それが突然現われることは裏目に出るかもしれませんし、そこで切れてしまうかもしれません。ドキュメンタリー「郊外の終了(The
End of Suburbia)」は、信頼をもたせ、石油の消耗や、なぜ米国式のライフスタイルが持続性がないのかを簡単に理解できるフォーマットなので、そこから始めるのも良いです。
それ以外のピーク・オイルについての短い入門書は、ウェブで利用可能です。人々に対して、それらを自分で探させてみるのもよいです。示唆するものとしては、私はwww.wolfatthedoor.org.ukとwww.lifeaftertheoilcrash.orgを気に入っています。望ましい入門としては、ASPOのウェブサイト(www.peakoil.net)やwww.oilcrisis.comが利用できます。もっと長い議論では、コリン・キャンベル(Colin
Campbell)の「来るべき石油危機」(The Coming Oil Crisis)と同じく、リチャード・へいんべるぐ(Richard Heinberg)の「パーティーを超えて」(The
Party's Over)が優れています。
ひとたび、問題が本当のことであることが理解されれば、恐らく人々は状況に対応する技術や政府を頼りにしようとすることでしょう。私たちのライフスタイルを転換すること。より持続可能に、シンプルに、そして地域コミュニティと強い絆をもって生きていることのメリットについて説明する必要があるのはこの点です。ただし、この解決策について説明する際には、あなたの情熱がちゃんと届くことが重要です。そうすれば、もうエネルギーや技術の技術論ではなくなります。議論は、地球や私たち人間の仲間、そして将来の世代を尊重するやり方で暮らそうという慈愛的なものになります。マインドを通じて人々がピーク・オイルを理解しても、この解決策にコミットするのは、ハートを通じてなのです。例をあげましょう。あなたがはじめた新たなライフスタイルの喜びをわかちあってください。そして、忍耐強く。この産業社会からは簡単に一夜では抜け出すことができません。それには多くの努力や不便が必要です。ですが、行動することはとても癒しになりますし、精神面での滋養になります。
アリック・マックベィ エネルギー事情の基本を理解したうえで、それについて最も重要なやれることはなんでしょうか。
メガン・クイン 世界のエネルギー事情の基本を理解すれば、まず初めに自分のエネルギー収支を分析しなければなりません。普段の日にどれほどエネルギーを使っているのだろうか。そのエネルギーの出所はどこかだろうか。主にエネルギーを使っている場面はどこだろうか。購入したり、使用している機械や製品に最もエネルギーが埋め込まれていないか。こうした問いかけにはデータの不足で答えるのが難しいものもあるかもしれませんが、いくらか推測はできます。そのポイントから、エネルギーの消費量を減らす部分を識別しはじめることができます。例えば、地元で新鮮な旬の食べ物を買うことは、冷凍したり、パッケージにしたり、長距離輸送される食料を消費する際に埋め込まれているエネルギーを徹底的に減らします。別の例は自動車の共有です。このことは、自動車を製造したり維持管理することに埋め込まれたエネルギーや以前は頻繁に旅行をさせた石油エネルギーを減らします。自動車をみなで使ったり、共有するプランが、旅行をずっと賢明で効率的することが経験からわかっています。まず、最初の年に、エネルギー消費量を25%減らし、そして、同じ目標を設定し続ける計画を持ってください。
こうしてエネルギー使用量をゆるやかに減らすことに加え、化石燃料エネルギーが一夜でほぼゼロ近くにまで落ち込まなければならない事態へのサバイバル・スキルも学び始めてください。いったいどうして、食料、水、熱等を得るのでしょうか。基本な必需品のことを考えることで、あなたは暮らしをシンプルにしはじめられます。
最終的に、経験をなるたけ多くの友人や家族とわかちあってください。彼らにこの過程にかかわらせ、何を意味するのかを示してください。あなたが新しい関係を築きあげ、経験が社会的に報酬をもたらすことができることを示してください。物理的には強さと精力を発達させ、知的には新たなスキルと信頼を学び、霊的には自然の世界と再びつながってください。
アリック・マックベィ エネルギーの依存度を減らしたり、急速な崩壊に対するサバイバルのスキルを育むためのお薦めの情報源はありますか。
メガン・クイン エネルギーの依存度を減らすには、もっとシンプルで、消費が少ないライフスタイルで暮らさなければなりません。この点で、「ボランタリー・シンプリシー(Voluntary
Simplicity)運動」には、多くの情報源があります。「シンプリー・リビング・ネットワーク」の情報と同じく、使える本も多くあります。私は、パーマカルチャー・デザイン・コースを受けたり、書物や雑誌を通じて、パーマカルチャーのトレーニングをお薦めします。パーマカルチャーとは、食料、エネルギー、ゴミを含め、私たちのライフスタイルの要素のすべてにわたる持続性の原則に基づくデザイン・システムです。この原則がわかれば、資源を保存しながらも、それを最大に利用し、小規模でも生産的で持続可能で食べられる景観を生み出すことができます。
急速な崩壊へのサバイバルのスキルを高めるには、あなたのエコロジー・コミュニティについてもっと学び始めるべきです。植物図鑑を購入し、あなたの地区ではどんな野生植物が育つのか、そして、その様々な用途は何なのかを学び始めてください。とりわけ、どの植物が食べられ、野生でそれらを特定・収穫し、それを自然に準備する方法を学び始めてください。また、様々な薬効植物の役立つ本も見つけることができます。私は、どうやって動物の罠を作り、どう肉を準備し、動物の他の部分を使うのかも学ぶつもりです。多くのサバイバル・ガイドやこれに使えるマニュアルがあります。鍵となるのは、学び始め、ご自分のサバイバル・スキルを洗練し、それらをテストすることです。
アリック・マックベィ あなたが所属するグループ、「The Community Solution」について少しお話しいただけますか。
メガン・クイン コミュニティ・ソリューションは、ピーク・オイルや来たるべき変化について研究を行っているCommunity Service Inc.のプログラムです。私たちは資源の減少や環境と社会の劣化に対して、小規模で持続可能なコミュニティへの転換を提唱しています。ウェブサイトや四半期毎のニュースレター、「ニュー・ソリューション(New Solutions)」、そして毎年の大会を通じて、ピーク・オイルの大衆啓発に重点をおいています。現在、ピーク・オイルのスピーカー・トレーニング・プログラムを開発しています。また、人々がなるたけ効率的で速やかにエネルギー使用量を削減できるよう、「Agraria」と呼ぶポスト石油コミュニティのモデル、ピーク・オイルとキューバとコミュニティに関するドキュメンタリーやエネルギー情報システムも開発しています。会員になるには年間25ドルです。
アリック・マックベィ さらに付け加えることがありますか。
メガン・クイン 将来に莫大な難題を抱える中、私たちはそれらに直面する準備をしなければなりません。私たち誰もが、地球と人類史の新たな世界への転換と新たな暮らしへの転換を容易にするという重要な時にいます。そして、最大の挑戦は、最大の機会でもあります。私たちは、こうしたエキサイティングな時代に生きていることに感謝すべきです。
いつもあなた自身の影響力や目的を意識していてください。産業時代の過去の教訓は覚えていてほしいのですが、それを羨まないことです。まだ到来はしていないものの、それはもう去ったことなのです。未来や来るべき世代のことを心にとどめましょう。あなたを通して流れている今の時間と人生のプレゼントを楽しんでほしいのです。生き残ることは生命の本質なのです。
メガン・クイン(Megan Quinn)は、コミュニティ・サービス社のアウトリーチ取締役である。コミュニティ・サービスは、1940年に設立されたNPOで、最も満たされて健康的に暮らす方法として、小規模な地域コミュニティを主張している。その最新プログラム、「コミュニティー・ソリューション」は、「ピーク・オイル」の解決策として、小規模なコミュニティや、より農的でエネルギー消費量が少ないライフスタイルを再現させるよう努力している。
メガンは、オクスフォードのマイアミ大でピーク・オイルやそれに対する米国の外交政策の関与について学び、最近同学を卒業した。アウトリーチ・ディレクターとして、ピーク・オイルの一般へのプレゼンテーションを組織化し、2004年11月に開催され、200人以上の参加者を集めた「第1回ピーク・オイルとコミュニティ・ソリューションに関する米国会議」の司会者も務めた。メガン嬢はポスト・石油時代のコミュニティ・モデルを開発する「Agraria」プロジェクトのコーディネーターでもあり、組織のドキュメンタリーづくりでキューバへも旅した。
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