2006年2月24日

コミュニティの力で石油危機を克服

 ハバナ(キューバ)— 地区の農業プロジェクト、アラマル・オルガノポニコ(Organiponico de Alamar)で、労働者たちが大規模な都市農場、農産物販売所とレストランを運営している。手道具と人の労働力が石油で動く機械にとってかわっている。ミミズ堆肥と堆肥が肥沃な土を作り出している。ドリップ灌漑が水を節約し、多彩な生産物が、コミュニティに身体に良い食べ物を提供している。

 それ以外のオールド・ハバナの地区には、そうした大規模プロジェクト用の土地が十分ないが、住民たちは駐車場や中庭や屋上に高くしている菜園を取り入れている。1990年代前半以来、都市農業運動が、220万人のこの首都を持続性に向けた道へと進め、それはキューバ全体も貫いている。

草取りをしているハバナのダウンタウン、アラマル・オルガノポニコの農民たち

 1993年にオーストラリア人たちの小グループが、パーマカルチャーを教えにこのカリブの島にやって来て、この草の根運動の取り組みを支援した。パーマカルチャーとは、より少ないエネルギーを使う持続的な農業に基づくシステムである。

 農業を都市内に持ち込むことが必要になったのは、ソ連崩壊によって、キューバが石油輸入量の50%以上と輸入食料のほとんど、そして、貿易経済量の85%を失ったことに端を発した。交通は停止し、人々は飢え、キューバ人たちは平均13.5㎏も体重が減った。

「これが起きたときに、都市農業が本当に必要になったのです。やれる場所であれば、どこであれ人民は、野菜栽培を始めなければなりませんでした」

 ツアー・ガイドが、ドキュメンタリー番組のクルーに対してこう言った。クルーたちは、キューバがいかに少ない石油の中で生き残れたのかを記録するため、2004年にキューバで撮影を行っている。それには、オハイオ州、Yellow SpringsのNGO、コミュニティ・ソリューション(The Community Solution)のスタッフも参加している。コミュニティ・ソリューションは、世界中の産油量が最高値に達し、その後は逆転できない衰退へと達する「ピーク・オイル」について啓発している団体である。石油のアナリストの中には、キューバをモデルとし、その後に続かなければならなくなるような事態が、この10年内に起こるかもしれないと信じている人もいる。

「もし、このとても困難な時期をくぐりぬけたキューバの人々やキューバの文化から何か捉えられることがあるのならば、それを目にしたかったんです。いかにしてエネルギーの逆境に対処したかという点で、キューバには世界に紹介すべきいろいろな事があるのです」コミュニティ・ソリューションのパット・マーフィー(Pat Murphy) 専務理事は言う。

 石油供給不足は、農業を変えているだけではない。キューバ政府は、予防医療と地域に基づく医療アプローチによって、希少資源を保全し、そのヘルス・ケア・システムを維持しつつも、小規模な再生可能エネルギーに向けて舵を切り、省エネの大量交通システムも開発している。

 ソ連崩壊に続く時代は、キューバではスペシャル・ピリオドとして知られている。キューバはその輸出市場の80%を失い、その輸入は80%低下し、GDPは3分の1以上落ち込んだ。

「突然にエンジンをなくした飛行機をイメージしてみてください。それは本当にクラッシュでした」

 キューバのエコノミスト、ホルヘ・マリオ(Jorge Mario)氏はドキュメンタリーのクルーにこう語る。キューバをショック状態へと陥れたクラッシュ。電気は火力発電によっていたから、停電が日常茶飯事となり、1日最大16時間まで及んだ。平均カロリー摂取量は3分の1に落ち込んだ。

 国際的な開発・救援機関、オクスファムは「危機の最中で、バスは運行を止め、発電所は発電を停止し、工場はまるで墓地のように静かになった。すべてのキューバ人にとってではないにせよ、多くのキューバ人にとっては、1日の十分な食を手に入れることが最優先の活動となった」とレポートしている。

 その一部は米国の経済封鎖の継続によるものだが、海外市場を失ったことから、キューバは十分な輸入食料を入手できなくなり、かつ、大規模農業の基礎となる石油燃料の代用品がなく、農業生産は劇的に落ち込んだ。必要に迫られてキューバ人たちは、地元で有機農産物を育て始める。石油化学製品の代用品としてバイオ農薬とバイオ肥料を開発し、食事にも多くの果実と野菜を取り入れた。老朽化している車にも燃料提供ができず、歩たり、バイクやバスに乗り、かつ、相乗りするようになった。

「小さな解決策は無限にあります。危機や変化または問題は、多くの引き金となることができます。それは基本的に対応できるものだし、私たちは対応しています」

自然と人間の財団のロベルト・サンチェス(Roberto Sanchez)氏はこう語る。

■新たな農業革命

 キューバ人たちは、石油で動く機械を牛に取りかえ、都市農業が食料の輸送距離を減らすことになった。現在、ハバナの野菜の約50%は都市内で作られ、それ以外の町や都市では必要量の80%以上~100%が都市菜園で生産されている。菜園への転換では、各個人や地区組織が、都市内の遊休地を決め、それを整え、作付けすることでイニシアチブをとった。

ハバナ下町の農民市場で農産物と一緒にポーズをとる農民。キューバ政府は、現在、こうした個人取引を認めており、年間を通じて新鮮な地場農産物がコミュニティに提供されている

 オーストラリアでパーマカルチャーに取り組む人々がキューバにやって来たとき、キューバ政府は2万6000ドルの交付金を支給し、最初のパーマカルチャーのデモンストレーション・プロジェクトを立ち上げた。ここから、在ハバナの自然と人間の財団による「都市パーマカルチャー・デモンストレーション・プロジェクト」が発展していった。以来、運動はハバナの地区を越えて急速に広まっている。

 タイヤの容器内で作った堆肥や鉢植えの植物、ブドウの蔓でいっぱいのセンターの屋根の上に立ち、都市パーマカルチャー・センターのディレクター、カルメン・ロペス(Carmen López) さんは言う。

 「このデモンストレーションで、地区住民は屋根や中庭でやれる可能性を見始めました。このパーマカルチャー・センターは、地区で400人以上の人をトレーニングしていて、月刊誌、「El Permacultor」も配布しています。そして、コミュニティがパーマカルチャーについて学んだだけでなく、私たちはコミュニティについても学びました。必要があるところで人々を助けることができるんです」

 1人のパーマカルチャーの学生、ネルソン・アギラ(Nelson Aguila)は技術者から農民に転職したのだが、統合的な屋上菜園で地区住民用の食べ物を育てている。たった100数平方メートルしかない中で、ネルソンはウサギや鶏を飼育し、多くのポットで植物を育てている。床を自由に走りまわるのは、ウサギの残りものを食べ、重要なタンパク源になる、アレチネズミ(gerbils)だ。サンチェス氏は言う。

「物事は変化します。これはローカル経済なんです。他の場所では、人民は隣近所の人のことを知りません。名前を知りません。人民たちは、お互いに『こんにちは』とは言いません。ですが、ここはそうではないのです」

 石油化学製品を使う集約的な農業生産から有機農業や有機園芸へと転換したことで、今現在キューバは、スペシャル・ピリオド以前よりも21分の1も少ない農薬を使っている。生物農薬やバイオ肥料を大量生産することでこれを成し遂げ、そのいくつかは他のラテンアメリカ諸国にも輸出している。

 有機農業や牛耕への転換は必要なことだったが、いまキューバ人たちは、それを良いことだと見ている。

「危機の良い部分は牛に戻ったことです。燃料節約になるだけでなく、トラクタがするように牛は土を締め固めず、その脚が大地をかきまぜます」

 コミュニティ開発の専門家、ミゲル・チョユラ(Miguel Coyula)氏は言う。

「従来の緑の革命システムは、人民を食べさせることが決してできませんでした。それは、高収量ではありましたが、プランテーション農業志向でした。私たちは柑橘類、タバコ、砂糖を輸出し、主食を輸入していました。ですから、システムは良い時代でさえ、人民の基本ニーズを決して満たしていなかったのです」

 サンチェス氏はこう語る。パーマカルチャーの知識を引用しつつ、氏はこう続ける。

「私たちは、自然なサイクルに従う必要があります。そうすれば、自然に逆らって働くのではなく、あなたのために働くよう自然を雇うことになります。ですが、自然に逆らって働けば、多量のエネルギーを浪費しなければなりません」

■エネルギー問題の解決策

 キューバでは電力のほとんどが輸入石油で発電されていたため、不足はほぼ全員に影響を及ぼした。週あたりに何日にも及ぶ計画的な停電が何年間も続いた。冷蔵庫がなければ、食料は傷んでしまうし、扇風機がなければ、この暑い国ではほとんど耐え難い。

 キューバのエネルギー問題の解決は容易なことではなかった。資金がなければ、原子力にも新たな従来型の火力発電にも投資できないし、大規模な風力やソーラー・エネルギーシステムにも投資できない。そこで、その代わりに、国はエネルギー消費量を減らし、小規模な再生可能エネルギープロジェクトを実施することに重点を置いた。

 エコソル・ソラール(Ecosol Solar)とクーバ・ソラール(Cuba Solar)が、再生可能エネルギーで先頭に立つ2機関である。機関は、再生可能エネルギー市場を発展させ、システムを販売・導入し、研究を実施し、ニュースレターを発行し、大量にエネルギーを使うユーザに対してはエネルギー利用を効率化する研究を支援している。エコソル・ソラールは小さな家庭用システム(200W容量)と大規模システム(15~50KW容量)の両方で、1.2MWの太陽光発電を導入している。米国では、1.2MWといっても約1000世帯に電力を供給するだけだが、家がずっと小さく、電気を使う器具がわずかしかなく、節約が習慣となっているキューバでは、相当多くの家に電力を供給できている。

 エコソル・ソラールが導入したシステムの約60%は、キューバの農村社会プログラムに基づき、農家、学校、診療所、コミュニティーセンターへのものである。最近では、電力供給に費用効率が悪かった農村全域の2,364もの小学校を電化するため、太陽光発電パネルが導入されている。さらに、ほ場で組み立てることができるコンパクトな太陽熱温水器のモデルやソーラーパネルで動く揚水ポンプと、太陽熱の乾燥機も開発している。

 ハバナ南西部にある丘陵地、「ロス・タムボス(Los Tumbos)」を訪ねてみれば、この戦略が果たすポジティブな影響力がよくわかる。かつては電気がなかった村が、今では、各家庭に小さなソーラーパネルが設置され、ラジオが付き、明かりがともっている。学校、病院、コミュニティ・ルームには大型なシステムで電力が供給されている。ルームには「円卓」と呼ばれる晩のニュース番組を見るために住民たちが集まるが、このテレビの部屋は住民に情報を知らせること以外に、コミュニティ住民を集めるというメリットもある。

 ブルノ・べレス(Bruno Beres)、クーバ・ソラール(Cuba Solar)社長はこう語る。

「太陽は何百万年間にもわたって地球上の生命を支えることができました。私たち人間がやってきて、エネルギーを使うやり方を変えたときにだけ、太陽は十分ではなくなったのです。ですから、問題はエネルギーの世界にあるのではなく、私たちの社会の中にあるのです」

■交通--相乗りシステム

 キューバ人たちは、減少したエネルギー消費量で交通も準備するという課題に直面していた。そして、その解決策は、キューバ人たちが巧妙に見つけ出した。

「必要性は発明の母である」

「ラクダ」と呼ばれるこのユニークなキューバの交通機関は300人もの乗客を乗せることができる

 キューバ人たちは、この句をしばしば引用する。いまキューバでは少ない資金と燃料で、ハバナのラッシュアワーに大量の人々を移動させている。ありとあらゆる形式の大小の乗り物が、発明され、この大量交通システムを組立てるために使われた。通勤者たちは手作りの手押し車やバス、その他の動力輸送、そして動物の動力を使った車に乗っている。

 とりわけ、ハバナにある「ラクダ」という愛称で呼ばれる乗り物は、大型のトレーラで、トラック・トラクタが引くこと出300人もの乗客を乗せられる。ハバナでは自転車に動力を付けた2人乗の人力車も一般的だが、もっと小さな町では馬がひく馬車や大型トラックも使われている。

 黄色い服を着た役人が、ハバナの通りでトラックに人を引っ張り上げ、乗りたい人々をいっぱいにしている。1950年代のChevysは4人を前に、もう4人は後ろに乗せて巡航している。タクシーというライセンスがフレームに打ち付けられている補助カートがキューバのストリートを走りぬける。乗客が簡単に乗り降りできるよう、後部にステップを溶接し乗客輸送車に多くのトラックが変換された。

■ヘルスケアと教育--国家のプライオリティ

 キューバは貧しい国であり、一人当たりのGDPはたった3,000ドルにすぎず、あらゆる国の中でも下から3番目である。だが、平均寿命は米国と同じであり、乳幼児死亡率は米国よりも低い。キューバの識字率は97%であり、米国と同じだ。そして、教育も医療と同じで無料である。

 キューバ人たちは、石油危機で苦しめられはしたものの、自分たちの無料の医療システムを堅持した。それが、彼らが生き残るのを助けた重要な要因のひとつである。キューバ人たちは、このシステムを誇りにしており、繰り返しそれを強調した。

 例えば、1959年のキューバ革命以前には、医師の数は2000人あたりに一人だった。今は、167人毎に一人の医師がいる。キューバには国際的な医学校もあり、他の貧しい国で働く医師を訓練している。毎年、2万人ものキューバ人の医師が海外でこの種類の仕事をやっている。

 1995年以来、肉が不足して、新鮮な地元の野菜の消費が増えたことで、いまキューバ人たちは、健康的で低脂肪のほぼベジタリアンといえる食事をしている。そして、健康的なアウトドアのライフスタイルもあり、歩いたり自転車に乗ることがずっと一般的になっている。

 「以前は、キューバ人たちは、それほど多くの野菜を食べませんでした。米、豆と豚肉が基本食でした。ですが、いま必要性を教えられ、彼らは野菜を求めています」

 そう自然と人間の財団のサンチェス氏は言う。

 通常、医師と看護婦は、診療所で働き、コミュニティ住民とともに暮らしている。遠隔地の農村地域には、3階建てのビルが建築されており、一階が医院、2階と3階が医師と看護婦用のアパートになっている。都市でも医師と看護婦がサービスを行う地区内に住んでおり、彼らは、患者の家族を熟知し、自宅で人々を治療することを心がけている。

「医療は仕事ではなく職業です」

 そう、ハバナのある女医は自分の仕事への動機を主張する。キューバでは医師の60%が女性だ。

 教育もキューバでは最重要の社会活動と考えられている。革命前には、3,000人あたりに1人の教師がいるだけだったが、今では、教師と生徒の比率は1対16で、42人あたりに一人の教師がいる。キューバは、どの開発途上国よりも割合としては多くの専門家がおり、人口ではラテンアメリカの2%にすぎないが、全科学者の11%を持っている。

 スペシャル・ピリオドの間にも、農村から都市への流出をくい止めるための努力として、就学の機会を広げ、農村コミュニティを強化するため、高等教育が各州へと広げられた。以前には、キューバには高等教育機関が3機関あるにすぎなかったが、今は、ハバナには7の大学が、全国各地に50の大学がある。

■コミュニティの力

 旅の間に、ドキュメンタリーのクルーたちは、キューバ人たちが、どんなに創意工夫や決断力に富み、そして楽天主義であるかを目にし、経験した。「Sí, se puede(それはやれる)」というフレーズもよく耳にした。障害を克服するための決意として、人々は「resistir(抵抗)」の価値についても口にした。抵抗するキューバの能力の究極のテストとして見なされた米国の経済封鎖下で、彼らは1960年代の前半以来ずっと生き延びているのだ。

 廉価で豊富な石油を失ったキューバの対応からは学ぶべきことが多くある。コミュニティ・ソリューションのスタッフは、こうした学びが、人々にとって、とりわけ、世界人口の82%をなし、人生の縁で生きている開発途上国の人々に重要だと考える。だが、エネルギー不足には先進国も脆弱なのだ。そして、石油のピークがやってきていることからして、どの国もエネルギーが減る世界というリアリティに受け入れならなければならなくなるだろう。この新たな現実を前に、キューバ政府はその30年に及ぶ「社会主義か死か」というモットーを「よりよき世界は可能だ」へと変えた。政府は、民間の農民や近隣組織が生産物を育てて、販売するため公有地を利用させた。そして、意志決定を草の根レベルまで引き下げ、自分たちの地区でのイニシアチブを奨励した。彼らは、多くの州を創出し、農場や農村地域に人々が移住することを奨励し、必要な農業のための導線となるよう自分たちの州を再編成したのだ。

 コミュニティ・ソリューションの観点からすれば、キューバは、その中央集権化された経済イデオロギーにもかかわらず、生き残るために必要なことがやれた。だが、ピーク・オイルや石油生産の低下に直面する中、米国は個人主義と消費主義というイデオロギーにもかかわらず、生き残るためのことがやれるだろうか?。米国人たちは、キューバ人たちがやったような犠牲の精神や相互扶助の精神をもってコミュニティに集うだろうか?。

 クーバ・ソラールのべレス氏は、人類が直面している難局をあげ、こう語った。

「気候変動、原油価格、エネルギー危機があります。私たちが知らなければならないことは世界が変化していて、私たちが世界を見る方法を変えなければならないということなんです」

 

(Permaculture Activistの記事)
  Megan Quinn, The power of community: How Cuba survived peak oil,2006.

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