2006年4月28日


 私は皆さんが、映像をお楽しみいただけることを願っている。制作過程そのものが素晴らしいものだった。ピーク・オイルについて語りながらも、キューバで起きたことの知識があるおかげで、前向きの視点を持てるのだ。僕らは未来を目にしたし、それは全く悪いものではなかったのだ。

 キューバについて話すとき、たいがい二つの対応がある。私が気に入っているひとつは、「キューバは社会主義国家であり、それは米国内では機能せず、私たちは最初に死ぬつもりだ」というものだ。だが、人間は死ぬよりは、協働することを選ぶと私は思っているから、こうしたことが起きるとは思わない。別の主張は「カストロが独裁体制でキューバを仕切っているから、強制によってのみ、カストロは改革をできた」というものだ。だが、そうではないことは映像を見ていただければわかるだろう。コミュニティの住民たちが解決策を探し求め、それを見つけたのだ。人々は政府がやってくれるのを待っていられなかった。時間的余裕は全くなかったのだ。

 スペシャル・ピリオドが始まったとき、カストロは、人民に対し「それはきわめて困難なものである」と語った。政府にはごくわずかの資源しかなかった。キューバ人たちは愚かではない。「外から輸入される食料がもうこれ以上はない」と言われたなら、10人中9人は、しばらく考えてから自分たちの芝生を耕し始めるだろう。ロベルト(Roberto)氏がフィルムの中で語っているように、私たちは適応できるし、それが人間の特性のひとつなのだ。人々は、キューバは気候が暖かく、それが違いになっていると指摘する。だが、キューバは一人当たりで米国の8分の1しか化石燃料エネルギーを使っていない。この比率はフロリダでも適用されるが、マイアミとハバナはたった300キロしか離れておらず、その気候は同じだ。だから、マイアミの住民は一人当たりで、ハバナの住民の8倍のエネルギーを使っている。

 米国政府がキューバ政府よりも少し遅れている、あるいは、本当に物事が動き始めるには大きな危機が必要だ、と言うものもいる。だが、ここにいる人々は政府を待ってはいやしない。こうした会議は、ますます頻繁に開かれている。政府や石油企業は「気に病むことはない。我々には十分な石油があり、そうでなくとも十分なタールサンドもある。汚い石炭をクリーンな石炭になんとか転換するつもりだし、何年か先だが、燃料電池車があることになるだろう」と言う。だが、人々は、もう十分な化石燃料エネルギーがないという事実に真正面から向かい、そのライフスタイルを変え始めている。

 多くの人は1970年代の石油危機を覚えていない。だが、私は、それに対応し人々が変わったことを覚えている。彼らは政府を待たなかった(略)。危機により、公益事業会社は、すばやくその料金を変えた。新しい請求書が出ると「もっと省エネのために家を改築することが必要だ」と私は頼まれたものだ。二重ガラスの取り付け、厚い建築の覆い、良質の断熱材、その他の改良。それはエネルギー価格が再び下がるまでの運動の始まりだった。人々は責任を取った。とりわけ、電力会社が大口ユーザーに割り引きする方針をひっくり返したときにだ。当時は、小口ユーザーよりも大口ユーザーがたくさん支払わなければならなかったのだ。人々はきっと対応することだろう。カリフォルニア州の住民は、エンロンに食いものにされていた1年間でガス使用量を12%も削減したのだ。

 キューバは大量のエネルギー・ユーザーで、大きく工業化されていた。これは数値で見ることができる。だが、キューバ人たちは我々誰もがやるであろうことをやったのだ。彼らは、そうすることを強いられたため、乏しいエネルギーでなんとかやりくりする方法を理解し、速やかにチェンジした。最初の改革が設定された後、まだエネルギーをたくさん使っていたため、キューバ人たちはさらに削減した。それは容易なことではなかった。ロベルト(Roberto)氏が、通勤の往復で、ギヤなしで中国の鉄製の自転車で毎日約40キロを乗ったことを話しているのを思い出せるだろう。そして、映画の中で指摘したように、人々は平均9㎏も痩せたのだ。いまだにキューバでは事態は厳しい。だが、この数値はもうそうではない。そして、キューバはいま、世界のほとんどの国以下のエネルギーを使用している。

 なぜ、これほどキューバがうまく転換できたのか。そのわけを考えるには、キューバ史のことをほんの少しだけ話さなければならないだろう。キューバは、クリストファー・コロンブスが新世界に到着したその日から開発された。先住民は数十年の間に皆殺しにされ、アフリカ人が奴隷として連れてこられた。スペインは数世紀にわたって国を統治し、スペインから独立しようとキューバ人たちは試み、数十年も経た後に、やっと1898年に勝利した。だが、その時、米国が介入し、国をコントロールするようになったのだ。

 歴史を振り返って見れば、私たちの以前の大統領が、キューバを米国の管理下にする計画を立てていたことを示す声明を見つけられる。「適時には膝の上に落ちる水分の多いプラム」と言っていたのだ。確かに、テディ・ルーズベルト(Teddy Roosevelt)は、そうした見解を共有していた。1898年以降、米国はキューバを数年間牛耳っていたし、独立を獲得するため、キューバはプラット条項に同意しなければならなかった。それは、もし、キューバで起きたことに米国が気に食わなければ、米国が干渉できるというものだった。米国はときおり、そうしたことをやったし、米国が任命した大統領をキューバ人たちに受け入れさせた。この米国からの支援を受けた最後の大統領が、バチスタ(Batista)で、1959年の革命で引きずり下ろされ、キューバは完全な独立を得たのだった。

 1959年の革命後にカストロが初めて米国を訪問したとき、アイゼンハワーは、カストロと会うことを拒絶し、当時、副大統領であったリチャード・ニクソンにその役目を果たさせた。ニクソンは、その会見でカストロが理想主義者であることから、危険人物であるとの結論を下した。そして、後にアイゼンハワーは「プラン」をオーソライズし、それが後にケネディが失敗したピッグス湾の侵入に通じた。

 キューバ人たちの自分で運命を切り開こうとする気質は、こうした数世代にわたる結果なのだ。そして、これが鍵である。キューバ人たちは、連帯感、抵抗、共闘、忍耐、誇りをもつ民族で、逆境に対応する経験もとても豊富だ。彼らの血の中にそれがある。数え切れないほどの人々が自由と独立を得るための戦いで死んだのだ。そして、カストロはいまだに理想主義者なのだ。

 キューバについて重要なことは、その社会的な利益だ。国の福祉度を測定するには、典型的には平均寿命や乳児死亡率が使われる。私は以前にキューバが、世界の残りやROWと同じ量のエネルギー、7.4BOEを使っていると指摘した。だが、他の国々の平均寿命が66歳であるのに対し、キューバのそれは先進国の平均寿命(77年)や乳児死亡率と同じなのだ。この11年の違いはとても重要だ。キューバには、米国と同じ平均寿命と乳児死亡率がある。今月、私はキューバの最新統計を見たが、2005年には乳児死亡率は5.6%に落ちていた。キューバは、これを化石燃料を大量使用することなく達成できることを示している。それが私に大きな希望を与える。

 ちょうど今から1年前の2005年6月、フィデル・カストロ国家評議会議長は、カリブ海地域の首脳会議、第一回、カリブ・石油エネルギー・サミットの非公式セッショで、今後のエネルギー危機を首脳たちに警告した。カストロは、「いままさに危機の曲がり角で、今後10年におきるだろう」と語ったが、これは実感を持って聞こえるだろうか?。だが、カストロは、1バレルあたり100ドルになればどのカリブ海諸国も石油を購入できなくなると語った。

 カストロは、2005年11月には、エネルギーに関して重要なスピーチを行い、それは以下の4声明を含むものだった。

  1. 今日、この種は、絶滅という本当に現実の真の危機に直面している。そして、良くは聞こえないだろうが、だれ一人この危険を乗り切れることを確信してはいない。
  2. もう30年もたてば、石油資源は枯渇するだろう。現在、石油の80%は第三世界国の手にある。すでに、他国が彼らの蓄えを使い果たしてしまったからだ。
  3. それはとても単純なことだ。石油も世界の他の多くの鉱物と同じように枯渇するだろう。
  4. 我々が今、手にしているすべての情報に照らし合わせ、我々は節約することができる。短い時間で、電気、油、ディーゼル、重油等すべての要素を加味しても今消費されているエネルギーの3分の2をだ。

 カストロの目的、そして、「3分の2の削減」に耳を傾けてほしい。キューバは、既にエネルギー使用量を以前から少なくとも50%も削減しているのだ。だが、もし、ピーク・オイルのことを信じるならば、それは現実的だ。

 2005年12月、キューバ国会は、2006年を「エネルギー革命の年」と宣言した。現在、省エネ・キャンペーンが全国で繰り広げられている。キューバはピーク・オイルのことを意識するようになり、そこから後退してはいない。私が初めてキューバを訪れた折には、経済危機以前の消費に戻ることに対する希望が少しはあった。だが、今ではキューバ人たちはそのことが起きないことを知っている。

 キューバは米国と貿易することができない。そこで、中国を含む多くの他の国々と貿易を行っている。これはおそらくキューバにとって有利な点だろう。中国は、まだまだ第三世界の国であり、そのエネルギー消費はつつましい。私は、中国人たちがおそらくキューバから学んでいることが多いと思う。私は、キューバの取り組みがポスト・ピーク・オイルのモデルの手本になると胡 錦濤(フー・ジンタオ)首相が理解していると確信している。キューバは、鉄道システムを建築するため、12両の列車と8,000台の高速バスを注文している。キューバ人たちは島の端から端に旅するうえで、エネルギーがかさむ空の旅をおきかえるため、地上での大量輸送の鉄道システムを開発し続けている。

 エネルギー革命活動の一部として、何千人ものソーシャル・ワーカーがトレーニングを受け、全国で各家庭を訪問しては、人々にエネルギーのことを教え、優先リストを作り、白熱電球に交換する蛍光ランプを提供し、そうした器具をアップグレードさせる方法をつげ、器具や照明器具の目録づくりをやっている。エネルギーの大企業や車会社がそれに反対しない、草の根の努力だ。

 2006年1月、カストロは、キューバのエネルギー・システムを分散化する計画を発表した。それは、5ヶ所の大規模な火力発電を、ソーラーや風力で補完される小規模で地域的な発電所に置き換えるというものだ。カストロは、「キューバが4,000以上ディーゼルや石油発電機を注文しており、既に3,000以上は届けられている」と語った。分散化されたローカルな電力システムが導入されつつある。分散と地方化は、転換を望む誰にとっても鍵となることだろう。

 キューバの農業モデルは、急速に有機農業の運動を高めている。毎年、次々と多くのCSA(Community Supported Agriculture)が誕生しており、ますます多くの人々が、持続可能な農法で大地で働こうと感じている。そう私は思っている。

 だが、私たちも、土や自然の根からはさほど離れていない。園芸店や育苗施設を見てくほしい。キューバで起きたような結果は、都市菜園や農村での有機農場の増加をもたらすことだろう。私たちは、この映像で、すべての人々が地元の農家を大きく後押ししようとすることを願っている。

 社会的な優先事項は変化していない。無料の医療、無料の教育、退職者への社会保障、そして、芸術やスポーツへの強力な支援。後二者は文化の不可欠の部分だ。教師は「すべての学生たちのためにスポーツが教育プログラムに統合されている」と私に言った。その社会的な戦略は、手にしている物理資源を共有し、人的資源の開発に重点をおくことだ。それが人口ではラテンアメリカで2%しかいないのに、科学者では11%も占めている理由だ。そして、一人当たりでは米国の二倍の医師を持つ理由だ。

 私は、次の金曜日にワシントンで開かれる「プランA」や「プランB」のアプローチに挑戦する会議で話すことになっている。両プランとも今の消費水準を維持する方法があると想定しているからだ。

 フィデル・カストロは、ピーク・オイルと気候変動は本当のことであり深刻であるとの立場を取っている唯一の元首だ。キューバは毎年、凄まじいハリケーンの増加を経験している。そして、地球温暖化に対してエネルギー消費量を削減する活発なプログラムを持っている。初期行動は、すでに特定され実施されている。全国各地で蛍光ランプを目にすることができるだろう。手作りの大量輸送システムと同様に有機農場や都市菜園も目にする見ることができる。こうした行動結果は、オクスファム等のNGOのリポートや国連レポートで評価され、世界に発表されているのだ。

 キューバの戦略とはどのようなものだろうか。それはシンプルなものだ。保全、削減、縮小、そして、革新と改革だ。もちろん、キューバ人たちは、発電システムを近代化し、適切な場所では実用的にソーラーや風力エネルギーを付け加えている。太陽電池を製造し、風車を組立て、河川に小規模な発電機を入れている。だが、私がすでに言及したように、2005年11月のカストロの長い演説は、保護についてのものだった。カストロは、キューバ人が全使用器具をどうアップグレードできるかを論じた。水を沸かすエネルギーを80%も減らす何百万もの電気調理具が今あることを指摘した。カストロは、様々な冷蔵庫モデルの名前を参照し、その効率を指摘し、白色電球を蛍光ランプに交換したときの省エネについて計算している。

 それでは、米国はなぜキューバをかくも憎むのだろうか。キューバは社会主義の国だ。それは最も基本として、競争よりも協力を重視することを意味する。米国やその他の場所では、競争を放置した結果、貧富の格差が加速度的に増えている。私たち誰もが中産階級が消えうせていることがわかっている。実際に、それは、まさに貧困階級となっていく。キューバはほぼ半世紀も、その思想のために闘ってきた。そして、ピーク・オイルの到来とともに、それは決してもう経済とは関係しなくなるだろう。ピーク・オイル後に、経済が拡大せず、むしろ縮小しはじめれば、私たちは何をするつもりなのだろうか?。

 チャート図は、世界で不平等が広まっていることを示している。不平等は、過去数十年も広がり続け、グローバリゼーションで加速化している。カストロは、この点を指摘し、「より豊かな工業諸国がますます富のシェアを多く取るようになってきている」と主張している。そして、カストロはそのトップに米国を位置づけている。その意味で、カストロは私たちの生き方にとって明らかに脅威なのだ。カストロは、不平等や不公正が増えていると論じる。そして、他の国々もカストロの主張に耳を傾けている。キューバは小さく、資源がなく、その軍事力も丸裸だ。だから、それは、何かの宣伝の攻勢でもないし、軍事的な進出でもない。ただ、異なる哲学のモデルなのだ。他の人々は、キューバを訪れその実体を目にすることができる。だが、米国人は訪問することを禁じられている。それは、私たちの政府の賢明な政策だ。

 世界のどの他の国々もカストロやキューバに対する歴史的な反感を持っていない。ラテンアメリカやアフリカでは、カストロは英雄だ。毎年の国連投票で例示されるように、一般的にいえば、世界の大半は親キューバなのだ。キューバに向けた反感は、世界のものではなく、この米国特有のものなのだ。だが、それは米国人たちにとっては特有のものではない。米国人は、この問題で関係の正常化を望む大部分とそうではない者とに分けられる。ここ数年、議会での関係を正常化への票は、いつも大統領によって拒否されている。これが、私たちを他国のいじめっ子にさせている。だが、2億9100万人の米国人の大半は経済封鎖を止めたがっているのだ。

 フィルムでご覧になれるように、キューバ人一人当たりの年間エネルギー使用量は7バレルの石油と同等だ。それは私がBOEエネルギーと呼ぶのと同等だ。もし、世界を消費レベルに応じて三区分してみれば、最初のレベルは、人口3億人の米国で、年間消費量は約57BOEだ。次のレベルは、ヨーロッパや豊かなアジア諸国で、そのほとんどがOECDのメンバーだ。私は、私はメキシコやトルコ、そしてまた、米国も現在入れるつもりがないから、このグループをOECDリッターと定義する。OECDリッターの消費は、7億人で約30BOEだ。米国とOECDリッターをあわせると、約10億人、世界人口の約15%になる。これをあわせたグループは、毎年平均40BOEを消費している。一方、世界のそれ以外の国々は、54億人だが、1人あたりで平均7.2BOEの消費量だ。

 経済成長すれば、経済的な福祉は伸びる。だが、成長の結果としての経済的な福祉は、エネルギー消費の要因となっている。簡単に言えば、大量のエネルギーを燃やし、より物質的になってしまうのだ。だが、キューバは、これとは違うことがやれることを示している。映像の中で、リタ(Rita)さんは「使用量を削減するだけでなく、社会的な支援やサービスを維持しつつ、減らしているのだ」と説明している。文字どおり利益よりも人々の幸せを前においているのだ。

 キューバは経済を発展させようと努力する国々の成長モデルにカウンターを食らわしている。それは、エネルギー消費量を高め、多くの資金を借り、つねに不平等を高めるのだ。いま、私たちは、これが夢にすぎないことがわかっている。キューバは重要な社会サービスを発展・維持しつつ、そのエネルギー消費量を減らしている。

 オイル・ピークに到達しようとするとき、世界が抱えている大きな課題は、現在の不平等に対処することだ。米国は、それ以外の世界の人々がもう、自分たちの井戸からポンプで水をくみ上げられないときも、エネルギーの巨大なシェアを取り続けることができるだろうか。これが、キューバ・モデルにとっては脅威だ。カストロは日々そのことを指摘している。「世界の大部分が縁においやられている間、どうして我々は贅沢に暮らすことができようか?」。

 直ちに課題の核心に向かうことだ。資源戦争は地平線上にある。プランCは、しっかりと痛みをわかちあい、その指導原理でコミュニティを用いた保全を管理していく。キューバの道だ。

 だから、私たちがピーク・オイルが暗示するものと格闘しているとき、キューバは、化石燃料の消費を抜本的に抑えつつ、長寿、健康と最高品質教育を達成することを世界に初めて示し、提供している。化石燃料が消えうせつつあるとき、それは明白なモデルだ。エネルギー曲線が落ちていく側のための明白なモデルなのだ。もちろん、ことはそう簡単にはゆかないだろう。だが、最終的な結果は、おそらくリタさんが言うように、より良き世界であるに違いない。

 

(コミュニティ・ソリューションの記事)
  Pat Murphy, What Can We Learn from Cuba?  Local Solutions to the Energy Dilemma Conference, New York City, April 28, 2006.

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