ドキュメンタリー番組、「コミュニティのパワー、いかにしてキューバはピーク・オイルを生き残りしか(The Power of Community – How Cuba Survived Peak Oil)」は、2003年8月にグローバル・エクスチェンジのツアーで、フェイス・モーガン(Faith Morgan)さんとパット・マーフィー(Pat Murphy)氏がキューバを旅した時に啓発されたことに始まる。
2003年、パットは、全世界のピーク・オイルのことを学び、語り始め、5月には、パットとフェイスは、ヨーロッパの石油地質学者や科学者のグループ、石油と天然ガスのピーク研究協会(The Association for the Study of Peak Oil and Gas)の第2回会議に参加した。その会議では、人類が世界の石油資源の半分をほぼ使い切ったと予測した。
二人は、1990年のソ連崩壊後、キューバが石油輸入の半分以上の失いながらも、生き残びたことを学ぶと、キューバがいかにしてこれを成し遂げたのかを自分の目で確かめたくなった。
2003年夏、キューバへの最初の旅で、二人はハバナからトリニダードまで旅し、いくつかの町を訪れ、ハバナへと戻った。二人は、キューバ人たちが呼ぶ「スペシャル・ピリオド」がいかに驚くべきものであり、キューバ人たちの対応が実に感動的なものであることを知った。
フェイスさんは、キューバ人たちが成し遂げたことが失われないよう、その成功を映像として記録に残したいと思った。二人は、キューバが大規模農場やプランテーション、化石燃料に基づく農薬や化学肥料から、小規模な有機農場や都市菜園に転換したことについてもさらに深く学びたくなった。キューバは、高度に工業化された社会から持続可能な社会に転換中である。二人にとって、キューバは、限りある化石燃料資源の減少や喪失のために、遅かれ早かれ私たち誰もが対処しなければならない事態に対して、いかに国が首尾よく対応できるかの生きた手本になっていた。
2003年秋、パット氏とフェイスさんは、再びキューバを訪れ、その農業を学ぶ機会を得た。それは素晴らしい旅だった。二人はキューバの多くを目にし、多くの農民や都市農家、科学者、技術者たちと出会った。キューバの端から端まで2700キロ以上を旅した。それは、期待した以上のものだった。
2004年10月、キューバで撮影を行うため、Community Service Incが、資金工面し、三度目の旅を組織する。撮影技師でドキュメンタリー番組のディレクターであるグレッグ・グリーン(Greg
Green)が、カメラを回し、フェイス・モーガンが2番カメラをとり、ジョン・モーガンはスチール写真を撮影し、CSIのディレクター、メガン・クイン(Megan
Quinn)が音声を担当した。
この映像が目指すのは、希望を先進世界に与えることにある。石油に対する意識を目覚めさせ、キューバ人たちが行っていることを見せることで米国によるキューバに対する偏見をなくすことにある。映画の制作者たちは、人々に映像上で語らせることで、そのことを行っている。それは、独立への献身と逆境への勝利の物語であり、協力と希望の話でもある。「自然の国境を持つ島で暮らすことは、天然資源には限界がある認識を育てる」との信念を吐露しているキューバ人もいる。ドキュメンタリー制作に取組んだ全員が、この映像を見て、私たちが暮らす世間を、島よりもさらに大きなものとして誰もが見ることを望んでいる。
■作品の評価記事
Richard Heinberg氏
「ピーク・オイルのことを懸念しているものは、誰もがこのフィルムを見る必要がある。キューバは1990年代のエネルギー飢饉を乗り切った。そして、いかにして乗り切ったかのかは、ここ数十年で最も重要で、かつ、希望に満ちた物語のひとつをなしている。個々人の達成のみならず、数知れない難題に対応するため、社会全体が動員された物語だ。ポイントを逃がすとまずいので、私はここに下線を引きたい。この種の挑戦やエネルギー不足という課題は、私たちが誰もがいずれすぐに直面するものなのだ」
John N. Cooper氏
「コミュニティのパワー、いかにしてキューバはピーク・オイルを生き残りしか」(DVD 5分)は、驚くべき映画だ。それは、ピーク・オイル後の世界の毒々しい憂鬱な未来予測とは対照的だ。ピーク・オイル後の社会的な被災を予想する一連の書物に意気消沈させられていた誰もが、ソ連崩壊に引き続くキューバの経験から希望を得て、学ぶことができる。
キューバのピーク・オイルは世界のそれに10年も早く先行した。1990年代前半、キューバに対するソ連からの石油供給量が落ち込んだことが、大きな挑戦をもたらした。エネルギーを容易に手に入れられない中、いかにして国に食料を供給し、いかにして経済を維持するか。差し迫る飢餓や交通や産業システム麻痺。初めはキューバ政権は、全国民に必需品を保証するため配給を行った。それは、第二次大戦中に米国でなされたことを想起させる。だが、それは深刻な不足を管理しただけだった。
そして、キューバ人々は、化石石油燃料に基づく大規模農業システムを捨て、地元で管理・運営される農場や持続的に機能する都市農地を開発することで、食料危機に応じたのである。実際、どんな可耕地も使われた。長年、石油に基づく農薬と天然ガスに基づく肥料に大きく依存し、毒を入れられ、機械耕作によって劣化していた農地を、個人的な労働力はずっと必要とはなるものの化石燃料を少ししか必要としない土を豊かにする有機農法で、作り直し、補給したのである。食料供給の減少で党派闘争に陥ることなくキューバのピーク・オイルは、むしろ、社会変化を促し、よきローカル・コミュニティのため、地区内で、より多くより良い協力関係をもたらした。以前は重工業を必要としていた仕事が、今では、ずっと小規模なスケールで、機械化にかわって人間や家畜の動力を使うことで管理されている。
交通も根本から変わった。キューバ政府は、はじめは個人の自動車の代替として中国から何百万台もの自転車を手に入れた。今では、燃料不足は残っているものの、300人の乗客まで運べるバスを含め、強化された公共交通システムが活用されている。
亜熱帯のキューバに適切なイノベーションや技術は、ユーラシアや北米で採用するには細かく言えば適当ではないかもしれない。だが、個人や協働グループの豊かな創意工夫や後戻りする精神は、希望に満ちており、インスパイアーされる。このフィルムは長期に及び今も進行中のキューバへの米国の経済封鎖を批判してはいるが、その主なメッセージは、思いもかけぬ危機を克服したキューバの人々の巧みさや忍耐や究極の勝利なのだ。
地球上のそれ以外の世界でも、ピーク・オイルが現実化するのが、数十年も先ではないことがわかり始めるとき、キューバが、北の隣人の敵意の中を生き延び、必然的に海外産のエネルギー源に見当違いの依存をすることとなり、さらに持続可能に乗り切る方法を示したことは、おいしい皮肉である。その鍵は三つのC、すなわち、コミュニティ(community)、保全(conservation)、そして、協力(cooperation)
である。
一人のスピーカーとしてこう申したい。
「地球とともに、それに逆らわず働いてほしい!」
地球上の生命は何百万も化学、物理、生物学的な環境プロセスと協力して生きのび、進化してきた。液体化石燃料時代の到来は、人類に飛躍する力をもたらしたが、その過程で地球環境が生存することにおおきなツケをもたらした。石油時代が衰える日は、人類が過去何万年もの文明の教訓を学び直すべきときである。この惑星環境に逆らわずに働くことを再発見するときにのみ、地球上の生命や人間はその生存力と持続性を回復・維持できる。
米国や地球上の他の住民にとり、惑星を持続させる実施可能な方法を求めるうえで、キューバの成功経験からは、学び、採用し、導入すべき多くの教訓がある。我々がそうすることを願いたい。
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