2006年5月

思想の戦いと社会主義の改善

 「世界は急速にグローバル化している。持続不可能で堪え難い世界経済秩序が急速に確立されている。思想は意識が醸成される原料だ。それらはイデオロギーの並はずれた原料だ。「私は、それが厳格で堅苦しいイデオロギーの問題であるのではなく、むしろより高い意識への原料と呼びたい。言うならば、この惑星上の何億、何十億もの人民が必然的に到着し、疑うべくもなく構築され、全世界で思想の勝利を担保する最善の器具である」

 2004年の共産党青年同盟の総会の閉会式でカストロはこう述べた。

 1991年にソ連が崩壊したとき、キューバを支持する者たちは、はたして革命が生き残れるかどうかを疑った。だが、スペシャル・ピリオドとして知られるソビエト崩壊後の危機を生き残るため、いま革命は新たな段階に入りつつある。

 1990年代前半の崩壊を避けるため、キューバは市場原理を導入せざるをえなかった。米ドルの法的認可、農産物における自由市場、自営業の拡大、国営企業の独立採算制化、観光の導入。これらは、景気回復という所期の成果をあげたものの、成功した自営業の企業家たちの中に「ニューリッチ」が出現したとき、それは所得格差の急速な高まりをもたらした。国の資産を略奪したり、闇市で盗んだものを売ったりすることで莫大な利益をあげるものもいれば、米国に住む親類からかなりの送金を受け取るものもいた。外国からの観光客を乗せるだけで、タクシー運転手は、一晩で心臓外科医の月給以上を稼いでしまうのだ。米ドルを手にできるごく少数の人民とそうではない大多数の人民との格差が開き、革命の政治的、倫理的な基盤をゆるがしはじめたのだ。大規模観光は、若者たちの消費社会の価値観を刺激し、売春や犯罪を引き起こさせ、不満を高めた。

 ゲバラは1965年に「我々の仕事の基本となる粘土は若者だ。我々は、若者たちに希望を託し、我々の手からバナーをわたす準備をする」と書いた。社会主義の戦いは若い世代にかかっている。このジレンマに対するキューバの対応は、1999年にマイアミの親類から誘拐されたキューバの少年、エリアン・ゴンサレス(Elian Gonzalez)の帰国を求める大きな大衆運動から高まった。エリアンと母親を乗せたボートは米国に向かう途中に沈み、タイヤにしがみついているのを発見された。クリントン政権は当初はエリアンをキューバの父親のもとに返すことを拒否していた。

思想の戦い

 2000年6月、エリアンが帰国する7カ月前、社会のあらゆるセクターが憤りで目覚めたとき、キューバでは膨大な抗議行動が起きた。エリアンの帰国に向けた運動は、若者や学生たちの大組織から引き起こり、導かれた。その戦いの勢いに乗って、キューバは市場による腐食という影響に対し、若者たちによって率いられた社会的、イデオロギー的、そして、文化的な反撃、「考えの戦い」を始めたのだ。

 2004年11月、キューバのアベル・プリエト(Abel Prieto)文化大臣はこう述べている。

 「一人当たりのGDPでは米国の1/13にすぎず、経済封鎖された第三世界の国は、とても資本主義には競争できません。どのキューバ人にも2台の車、プール、別荘を提供するという消費社会とは競争できません。ですが、私たちは精神的文化的に人並みの暮らしと同時に豊かな人生を保証できます。それは成長の形態として、文化や暮らしの質に関連した概念です。この意味で、私たちは、モノを買うことだけが、この世で幸せを生み出すことができるという繰り返させ続けた消費主義に対して、文化だけが対抗できると確信しているのです」

 カストロの言葉では教育はフィーリングを撒いている。

 「教育は、人間の魂のすべて良きものを求める。その陶冶は利己主義に向かう本能的な傾向や打ち消さなければならないその他の態度と相反する力への闘争ある。そして、認識を通して打ち消すことができる」

 思想の戦いは、いま170以上の教育・文化的な社会的なプログラムを抱え、その中にはムニシピオの高等教育キャンパスや若者コンピュータクラブがある。教育にはより総合的なアプローチが取られ、小学校で20人、中学校で15人教室となっている。 15の新たな芸術大学からは何千人もの若いインストラクターが卒業し、音楽、ダンス、美術を学校やコミュニティで教えている。三つのレベルのコースを含め、今では教育番組に特化した二つのテレビ・チャンネルもある。年に一度の移動図書見本市は、35の都市や町で多くの群衆を引きつける。たった一人や数人の生徒しかいない僻地の学校にもソーラー・パネルでテレビ、ビデオ、コンピュータが導入された。

 そして、最も遠大なイニシアチブは、コミュニティの中に入って、不満をいだく若者たちを捜し出す約2万8000人の若い革命的ソーシャルワーカーの創設だ。ほとんどが恵まれない背景を持つ若い女性たちだ。彼らは、マルクス主義や革命のスローガンを繰り返すようなことはしない。むしろ、革命の暮らしのためのプロジェクトを彼らが見出すことを手助け、信用を得て、思想と議論で革命の一部となるよう納得させ、彼らを助けようとしている。

 ソーシャルワーカーたちは、それ以外の重要な使命も割り当てられている。全戸調査で個人的なケアを必要とする3万7000人の一人暮らしの老人を見つけ出したのだ。政府は、彼らを補助するために年金額を引き上げ、彼らを対象とするプログラムを実施した。

 10月には、1万人以上のソーシャルワーカーたちが、数週間をかけ2,000カ所以上のガソリンスタンドを訪れ、精製所からの燃料の輸送をモニターし、その運動を通じて、燃料販売収入の半分が不正に盗まれていたことを明らかにした。ソーシャルワーカーたちはスペシャル・ピリオドの間に高まった不正を壊すよう配備され、「ニューリッチ」の富を再分配し、国の経済復興や労働者階級や最も貧しく最も傷つきやすい人民に富を還元するという重要な貢献をしている。

 今、ソーシャルワーカーたちには、国内のあらゆる白色光球を省エネ型の蛍光灯や旧式のソ連製のファンや冷蔵庫を効率的な電化製品に置き換えるという別の任務がある。これは、キューバの2006年「エネルギー革命」の一部で、年あたり10億米ドルを節約することが期待されている。

ベネズエラの革命

 キューバの若者たちは、ベネズエラのこれとは別の「思想の戦い」にも大きく貢献している。何万人ものキューバの医師、教師、看護婦、スポーツ・インストラクタが、ベネズエラの貧しい地区(barrios)で働き、その中には多くの若者がいる。この「行為のプロパガンダ」は、ベネズエラ革命に活発に関わり、人々の健康を増進し、希望と威厳を多くの貧しい人々をエンパワーしている。

 2300万人の準工業国で、世界で五番目に大きな産油国であるベネズエラの社会主義革命の開始は、キューバの孤立を終わらし、必要とされている道徳的、物質的強化を一助となっている。米国帝国主義に公然と共に反抗し、人類の社会主義の未来へのこの2つの窓の運命は現在、不可分だ。ベネズエラのウゴ・チャベス大統領は支持者へのカラカスでの4月22日のスピーチでこう誓約した。

「もし、米帝国がキューバに侵攻するならば、ベネズエラの血が、キューバとその人民を守るために流れるであろう」

(オーストラリアのグリーン・レフト・ウィークリーからの記事)
  Marce Cameron, Cuba's battle of ideas, International News, Green Left Weekly issue 667 10 May 2006.

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