2005年12月10日 |
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■世界人類を米の新栽培技術が救う だが、はたして、そのようなことが可能なのだろうか?。実は、いま世界各地の発展途上国、それも僻地と言われる場所で驚くべき事態が起こっている。SRIと称される新農法によって米の収量が急増しているのである。 さっそく、現場に飛んでみよう。カトマンズ・バレー。ここでの米の平均反収は520キロである。だが、ビラトナガール東部30キロにあるモラング(Morang)村の農民たちは、反収1200キロを得ている。しかも、化学肥料や農薬もごく少ない。おまけに、普通の田んぼでは、反当たり五キロの籾がいるのだが、村では一キロ以下しか使わない。しかも、これは遺伝子組換えによる高収量種子ではない。ごくありきたりの地元品種なのだ。 ただ、農業のやり方だけが違う。ふつう苗は六週間ほど育ててから植えるが、二週間目で早くも田植えを行なう。田んぼには水も張らない。そして、通常は10cm間隔だが、20cm間隔で泥の中に十分な広さをとって粗植していく。それで収量が倍増するのである。
農民アナンタ・ラム(Ananta Ram) は以前は本気にしなかった。 「そんな素敵な方法があるならば、私らのご先祖さまが考え出さないはずがない。そう思っていたんです」。アナンタ・ラムの反収は以前は500キロだった。だが、今は1000キロ以上の収量をあげている。おまけに、この収量を以前の三分の一の籾で達成しているのだ。 「いったい、どうしてことができるのだろうか」。この情報をインターネットで手に入れ、圃場試験を行なった地元の農業普及員ラヘンドラ・ウプレティ(Rajendra Uprety)氏は驚きの色を隠せない。「2002年から、我々は試験圃で二倍、三倍の収穫を得ているのです。それはまさに驚きそのものです」。 水田湛水は雑草防除に役立つ。水を使わないSRI圃場では収穫までに何度も除草が必要だ。だが、収益はこの手間を上回るものがあるし、ラヘンドラ氏は、主なネックはトレーニングだと主張する。村では地元農家を技術普及のための普及員にしている。その一人が、若干28歳のキショレ・ルイテル(Kishore Luitel)君だ。二週目の苗は弱々しく見える。だが、ルイテル君の圃場では、ひとつの種子から80以上の分けつした稲穂が育っていた。 「以前のやり方では、ひとつの場所に三本か四本の苗を一緒に植えます。それでは一粒の籾からせいぜい一〇しか分けつしません」。 村のダン・ハバドル(Dan Bahadur Rajbansi)氏は、数年前にルイテル君がこの農法に取組み始めたとき、気が狂ったと思った。だが、百聞は一見にしかず。今ではルイテル君からどう田植えをすれば良いのかを聞いている。 モラング村の驚くべき収量のニュースは、口づてで急速に広まった。2005年には、Sunsari、Dhankuta、Chitwan、DangそしてJhapaの農民がこの新方法を試している。農民たちは、SRIが国家政策として促進されるならば、国内のどんな地域であれ、今後食料問題はないだろうと確信している。現在、ネパール全体では9万3000トンの籾が必要とされているが、SRIを使えばこれも8万トンが節約できる。そして、収量は倍増できるのだから当然と言えよう(3)。 ■マダガスカルで生まれた画期的な米増収技術 1983年、アンリは興味深いことに気づく。この年はひどい旱魃で、多くの農民が十分な水を水田にひくことができなかったのだが、そうした水不足の水田でも稲が良く育ち、とりわけ、その根が異常なほど発達していることに気づいたのである(2)。また、偶然に早く植付けられた稲が、その後、良く分けつし、稲穂の実りが良いことも観察した(7)。この発見をヒントにアンリは、後にSRIの主原則となる3つのポイントを見出した。
この三番目がSRIの重要ポイントである。アンリは、湛水すると通気が悪くなり、稲の根の成育が妨げると考えたのである(2)。そして、この農法普及や農村開発を進めるため、1990年にはNGО「Tefy Saina」を設立する(2)。その名はマダガスカル語で「心を育む」の意味を持つ。ヘンリは、あらゆる開発のコアには人間の発展があると信じていた。NGОの名称には、コメが豊かに実るだけでなく、心も豊かに育まれることを望んだヘンリの想いが込められている(1)。 そして、前述した基本原則にさらに有機農法が付け加えられることになる。ヘンリが最初にSRIを開発したときは化学肥料を用いていた。つまり、SRIは有機農業から発達した技術ではなかった。だが、化学肥料価格が1990年代前半に急騰したため、ヘンリは堆肥で実験を始めた(7)。マダガスカルでは金のある農民しか化学肥料を使えない。貧しい農民もSRIに取り組めるには有機農業が必要だと考えたのである(2)。まず、牛糞が使えたのでこれを使ったが、それ以外も稲わらを含め、手に入るありとあらゆるバイオマスを使ってみた。そして、豆科植物や低木のチップがとりわけ有益なことがわかり、こうした有機肥料を使うことで、化学肥料ではとうてい得られない生産水準を達成出来たのである。例えば、マダガスカル北部では、民間企業により化学肥料を用いた試験が行われていたが、「近代農法では平均反収620キロが達成できるのみ」との報告がされていた。だが、同時期に同じ地域でSRIを用いた27人の農民たちは平均1020キロをあげていたのである(7)。 ■ノーマン教授登場 アンリは成功した。だが、SRIは1999年まではマダガスカルの外部ではほとんど知られず、活用されることがなかった。新農法が発見されてからも、農業研究者たちはずっと疑ってきた(1,3)。世界各地に普及していくには、伝道師が必要だった。新農法がようやく真剣に受け止められるようになったのは、米国の研究所がこの農法普及をはじめてからにすぎない(3)。1993年この人物が登場する。ニューヨークにあるコーネル大学の国際食料農業開発研究所長のノーマン・アップホフ教授である。 マダガスカルでは、貧しい農民たちが生き延びるための焼き畑農業による熱帯林破壊が深刻な問題となっていた(2)。例えば、ラノマファナ国立公園の近隣では水田面積は限られ、その収量は反200キロにすぎなかった(1)。同地域はpHは4.2〜4.6。カルシウム、マグネシウム、カリウムの陽イオン交換容量も非常に低く、リン含有量も平均3〜4ppmで欠乏している(7)。だが、こうした痩せ地であっても、コメの飛躍的な増収がなしえなければ、マダガスカルの貴重な熱帯雨林が焼畑式の陸稲栽培によって破壊されてしまうであろう(1)。
1993年、焼き畑農業に代わる食料生産手段を見出し、熱帯林の破壊に歯止めをかけるべくマダガスカルに乗り込んだノーマン教授は、そこでSRIと出くわすことになる。 「私がせいぜいヘクタール4トンの収量が得られれば良いと思っていたわけです。ですから、彼らが15トンかそれ以上の収量が得られていると口にしたとき、率直に言って、私は信用できませんでした」。 だが、教授の疑問も農民たちがひとたびSRI農法を導入し始めるとたちどころに確信にかわった。教授は言う。「結果は、驚くべきほどで、まさに凄まじいとしかいいようがありませんでした。二作期目には、ヘクタール8トン以上の収量を得たのです」(2)。ラノマファナでは1994年からSRIが導入されたが、その後の五年間の平均反収は800キロ以上だった。また、同時期にフランスのプロジェクトによって別の場所でもSRIが導入されたが、そこでも平均反収800キロ以上が得られた(1)。 教授は1997年からはアジアでSRIの普及をはじめる。その努力の甲斐もあって実践は世界各地に急速に広がりはじめる(2)。マダガスカル以外で初めてこの農法を試みたのは、中国の南京農業大学、そして、インドネシアの農業研究開発庁である。その後、フィリピンからペルーまで少なくとも二〇カ国で導入されているが、うち肯定的な結果が17カ国から既に報告されている(1)。例えば、インドのタミル・ナドゥ州では潅漑水量を53パーセント減らし、収量を28パーセント増加させた。土が痩せたハイデラバードでも85パーセントも少ない種子で収量が倍増した。スリランカでも44パーセント、中国やラオスでも35〜50パーセントの収量増が得られた(3)。 ■アジアに広まるSRIと信じないお役人や学者たち SRIは農薬や化学肥料等、化学投入資材への依存度を減らす。そのことでアグリビジネスのグローバリゼーションと戦うための草の根運動の強力な武器になる(2)。化学肥料ではなく堆肥を使うから貧しい農民でも取組めるし、有機農業といいながらも、コストパフォーマンスが良い。慣行的な稲作と比べて水量が半分ですむから、水が十分に得られない地域でも実施できるし、湛水状態にないから、メタン放出も抑えられる。自給率向上と環境保護を両立させる。このため、NGОもSRIに着目している。例えば、国際開発NGОオクスファムは、2001年にラオスでの支援を開始した。ラオスの米の平均収量は反当たり327キロだが、SRIでは505キロが得られた。二年の試行は成功し、ラオス全域での試行がはじまっている(4)。ドイツの海外援助団体GTZもカンボジアでSRIを普及しているが、収量は41パーセント増加している(3)。カンボジアでは、2000年にはSRIはほとんど耳にされることがなかったが、2003年には、約一万の農場が転換し、2004年には5万に達するであろう(2)。
だが、SRIには熟練や田植えのテクニック、慎重な排水が必要で、いいかげんにやってもできるものではない。事実、フィリピンの国際稲研究所(IRRI)の圃場試験は成功していない(3)。この結果をもとに2004年に科学専門誌、ネーチャーの生物部門の専門記者、クリストファー・サリッジ(Christopher Surridge)氏の批判論文が掲載された。 2004年3月、フィリピンにある国際稲作研究所(IRRI)の農学者ジョン・シーヒー(John Sheehy)とシャオビング・ペング(Shaobing Peng)、ネブラスカ大学の土壌学者アシム・ドベルマン(Achim Dobermann)は、自分たちで実施したSRIの試験結果を公表した。比較試験は、中国の湖南、広東、江蘇省の三カ所で行われたのだが、全体的に慣行栽培との大きな差は見られず、江蘇省で多少は収量が多かったが、湖南省ではむしろ悪かったのである(1)。ネブラスカ大学のアシム・ドベルマンはSRIについてこう批判する。 「なぜ、SRIは爆発的な人気を呼んでいるのでしょうか。ひとつは、稲株があまりに元気であることに実践者が思い込みをしているのではないでしょうか」。慣行栽培のように狭い場所で苗を一緒に植えれば分けつ数も少なく、米粒が実る穂も少ない。SRIでは空間にゆとりをとるから、各株は多く分けつし多くの米粒を産み出す。だが、これは面積当たりの稲数が少ないからにすぎず、全収量には影響を与えない。そうドベルマンは批判する。 「米の水分の含有量も興味も呼びます。SRIでは、米が成熟するまで慣行栽培米よりも二週間ほど余計にかかります。その時間で米ははるかに多くの水分を吸収する。米粒を慎重に乾燥させないと、SRIが増収をもたらしたように思えてしまうのです」(注)。 ドベルマン氏は、SRIを構成する要素は以前から研究されつくされたものであり、ほとんど効果がないと言う。 SRIは特定地域の一定条件下だけで増収効果があるのではないかと考える学者もいる。オーストラリアの国立研究所の作物研究者ジョン・アンガス(John Angus)がその一人だ。アンガスは、マダガスカル高地の土壌は非常に酸素が乏しい還元状態にあり酸性であることから、非潅漑農法の有効性を認める。だが、こう続けるのである。「還元水田は、オーストラリアや日本にもあります。ですが、土中に酸素を多く供給するのには、生育期の中干しが有効であることがわかっているのです」。 国際稲作研究所のシーヒーは、米の収量は圃場に注ぐ日光量に規定されるとし、マダガスカルの気象データに基づいて、どれほどの米が生産できるかの理論計算もしてみた。その結果は、最大1000キロ強というものだった。1500キロという数値はこの理論計算と合わないことになる。ネブラスカ大学のアシム・ドベルマンは「入力以上のアウトプットはできない」と主張する。 これに対して、コーネル大学のアプホフf教授はこう反論する。「批判家は、あまりにも慣行農法に基づきすぎています。一回だけの圃場試験ではSRIのポテンシャルを十分に評価することはできません。還元状態が改善されることで、時間が経つにつれて根に好影響を与え、土壌を改良し土壌バクテリアの強化にもつながります。例えば、タイでも最初の導入では収量があがりませんでしたが、これを継続したことで本領が発揮されました。最大収量推定モデルもSRIには必ずしも適用できません。計算用の係数が、成長を妨げられた状態での根系に基づいているからです。SRIでは根系が大きく発達しているのです」。 クリストファーはこうした論点を描いた上でこう結論づける。 「SRIの批判者は、遺伝子組み換え技術のような有望なアプローチに比べれば、時間の浪費だと呼ぶ。ある意味で、討論は現在の有機農法を巡るものと類似している。食料問題を解決する農法が、マダガスカルの高地からやってくるのか、それとも近代的な農学の実験室から来るのかどうかは、未決着な問題のままだ」(1)。
■インドからの反撃 前出のネパールのラヘンドラ氏はこう言って笑う。 「この地を訪れる視察者は多いんです。ですが、実際のところ、農民よりも、農学者やお役人を納得させることの方がずっと難しいんです」(3)。 2003年の夏以来、インド、アンドラ・プラデシュ州(Andhra Pradesh)でSRIを推進する責任を負うインド、ハイデラバードにあるANGR農科大学のA.Satyanarayana氏もネーチャー直ちに反論を掲載しこう主張する。「農民たちの経験は、疑い深い科学者の報告とは全く異なっています」(6)。 アンドラ・プラデシュ州での平均反収は389キロだが、167農場で試験を行なった結果、SRIでは平均810キロの反収が得られた。さらに工夫をこらせば、さらなる高収量も可能かもしれない。最初にSRIのテクニック全てを実行できなかった段階でさえ、農民たちは高投入型の慣行農法と比べて反当たり200キロ以上の増収を得た(5)。 ティルネルベリ(Tirunelveli)近郊の小さな村、Thenpaththuに住むA.Manonmaniさん(43)は、農務省と農科大学と研究所の職員からのトレーニングを受け、二反ほどでSRIをやってみた。 「伝統的なやり方と違って苗の本数は少ないんです。でも、直線に植えるので、回転式の除草機で雑草管理は朝飯前の仕事です。おまけに、雑草は肥料にもなります」。 Manonmaniさんは、五日間に一回しか潅漑しない。乾いて田んぼはひび割れ、根圏に酸素が供給されることで膨大な数の分枝根(3次根tertiary roots)が発達する。「これが稲の成育が良い理由なんです」。Manonmaniさんは農薬も使わず、生物防除で病害虫を管理している。そして、村で自助グループを結成し、無料のSRI技術のトレーニングを村内や近隣の村の女性たちに行なっている。彼女は、州最大の収収1500キロをあげ、1998、1999年と州賞を受賞した(6)。 Satyanarayana氏によれば、SRIの結果は「奇跡」でもなんでもなく、それらは十分説明できるものである。広い間隔に稚苗を植えれば、分けつや根が成長できる時間や空間が得られる。圃場を湿らせ続け、湛水させない水管理は、健全な根の成育を支える。回転式の除草機で除草すれば、根圏が空気にさらされ、雑草がすき込まれるので、微生物が増殖し、地力を高める。これらはすべて農学者に良く知られたことだ。新しかったり、魔法であるものは何もない(4)。 インドにおけるSRI導入の第一人者でもあり、地元にSRIを普及するため五万米ドルの補助金をタミル・ナドゥ州政府に付けさせたKillikulam農科大学学長、研究所長のThiyagarajan博士もSRIの個別批判に対してこう反論する。 「これらのすべての要素の相乗効果が重要なのです。全体は部分の合計よりもすばらしいのです」。 Satyanarayana氏はこう主張する。 「SRIの生産コストは低く、ポテンシャルとしての生産性はすこぶる高い。緑の革命の技術が馬脚を現しつつある中、それはこれまで以上に重要だ。全世界が水不足に直面する中、この実践はあらゆる地域で奨励されるべきだろう。我々は、偏見なき心で既存の実践へのオルターナティブを模索する必要がある。SRIはまだ発展中のものだ。高収量の科学的理由を解き明かし、技術向上に向けて科学者たちが力を合せることを希望する。農民たちの経験で良い結果が得られているのに、限られたデータや先入観でSRIを捨て去るよりもその方がよほど建設的ではないか」(5)。 もっともな主張である。だが、SRIは世界各地で試みられているとはいえ、研究者たちや行政官の不信感もあって、残念なことに国全体をあげてSRIに取組むまでには至っていない。だが、農業省、研究所、農民団体、NGО、そして現場の生産農家がタッグチームを組み、総力をあげてSRIに取組んでいる唯一の例外的国家がある。しかも、優れたバイオテクノロジーとこれまで蓄積された有機農業技術を加味して、さらなる技術発展に向けて邁進している。その国の名は、キューバである。 (注)これについてもノーマン教授は次のように述べている。「常時とは言えないが、SRIでは実の成熟期間が短くなることが知られている。カンボジアではSRIで栽培した場合、同品種でも約七日は早く熟し、インドのアンドラ・プラデシュ州でも七〜一〇日は早い。SRIでは成熟時間がかかると言われているが、これは圃場で経験されたことではない。より早く収穫ができるおかげで、農民たちは、天候、病害虫、台風等のリスクも減らすことができる」。 |
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参考文献 |
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Cuba organic agriculture HomePage 2006(C)All right reserved Taro Yoshida |