2006年1月21日 |
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■農民たちが自ら行なう品種改良 「自然はとても複雑ですね」。熟したトウモロコシを調べながら、あるキューバ農民が口ざむ。「良い結果を見込んでも実際には悪いこともありますし、その逆のこともあります。でも、ある場所で良くなかったからといって、品種を捨ててはいけません。また別の機会を与えてやるべきなんです」。 ソ連崩壊後にキューバ農業が大打撃を受け、化学肥料や農薬に依存した工業的なモノカルチャーから有機農業への一大転換を図っていることについてはこれまでも何度もふれてきた。そして、品種改良や種子保存の面でもユニークな取り組みに着手する。いま、キューバでは、農民参加型の品種改良(PPB=participatory plant breeding)と呼ばれる新たな運動が始まっている。この運動では、試験研究の多くは管理された実験ステーションでは行われず、現場の畑でなされ、研究者は農民たちとともに働く。農民たちは研究の脇役ではなくまさにパートナーとなっている。実際、農民が研究をリードすることも多いし、育種家から資材を提供してもらって自分で種子を交配することもある。農家の手にある在来品種は地元の土地条件に適しているから、成功することが多いし、良い品種は農家が増やして普及していく(1)。 例えば、2004年7月には、小規模稲作農家の育成を進める政府の人民稲作プログラム(Arroz Popular)の一貫として、コロンビアに拠点を置く国際熱帯農業センター(CIAT=Centro Internacional de Agricultura Tropical)と連携し、農民参加型のイネ品種選別の国際ワークショップも開催されている。会場となった協働組合農場CPA11月27日(27 de Noviembre)には150種もが展示された。キューバではSRIによるコメ増産が図られているが、それはこうした品種改良プログラムによっても支えられている(2)。
■種子の多様性の確保に向けて そこで、2000年に農業科学研究所(INCА=Instituto Nacional de Ciencias Agricolas)は、カナダ国際開発センター(Internarional Development Research Center)の支援を受け、研究グループを組織。種子生産の面から国内農業再生への挑戦に着手する(1)。このプロジェクトには全国小規模農業協会(ANAP=Asociacion Nacional de Agricultores Pequenos)、キューバ有機農業実践グループ(ACAO=Grupo de Accion Cubana de Agricultura Organica)、農業省(MINAGRI=Ministerio de Agricultura)、さらに、中米参加型育種ネットワークも加わった(5)。地元の農民組織を強化することで作物品種の多様性を高め、良質で多様な品種を農民、農業研究所、ひいては消費者にもたらす。それが、プロジェクトの目的だった。この目的を達成するため、農業科学研究所のプロジェクトチームは二つの明確な目標を設定した。 第一は、トウモロコシやマメの管理・流通について地元農民の知識を高め、同時に農民自身がトウモロコシや豆品種を取捨選択できるしくみを創り出すことである。そうすれば、改良品種の選別から生産流通に至るまで農民自身の手によってなされるであろう。 第二は、農業科学研究所や大学、種子公社を含めて、現場の実践を通じて学ぶことで、関係機関の研究開発能力を高めることだった。そして、この取り組みの鍵を担うのは、新たに結成された農民たちの実験グループ(GIC's=Grupos de Investigacion Campesina como elemento basico del proceso)だった。プロジェクトのチーム・メンバーたちは、農民たちが組織を強化し、実験や改革に取り組み、政府の農業研究機関と連携する能力を高められると信じていた(1)。 プロジェクト研究は、ハバナ南部に位置する協働組合農場9月28日(28 de septiembre)、ヒルベルト・レオン(Gilberto Leon)、ホルヘ・ディミトロフ(Jorge Dimitrov)、そして、ピナル・デル・リオ州のムニシピオ(市町村)、ラ・パルマ(La Palma)のエル・テハル・ラ・ホクマ(E tejar la Jocuma)コミュニティで着手され、以下の4段階が想定された。
農民参加型の品種改良プロジェクトが行われたのは2000〜2004年だが、そのルーツは経済危機が始まった1990年代にまで遡る。プロジェクトを中心となって率いた農業科学研究所のウンベルト・リオス(Humberto Rios)博士は、ちょうど学位論文の研究中だった。だが、キューバ経済はどん底で、博士は困窮する中、一家を生計を立てるため、友人たちと音楽バンドを編成し、ハバナの通りで演じては旅行者からチップの外貨を稼いだりした。こうした苦学を強いられる中、博士はカボチャの品種改良のため政府の実験ステーションに配属される(6)。カボチャはキューバではごく一般的な野菜で、良く食されるだけでなく、ベータカロチンを多く含むことから医薬品にもなり、宗教儀式でも使われている。だが、1990年代には化学肥料や農薬不足に加え、潅漑給水も滞り、収量の落ち込みから市場から姿を消すほどだった。従来の種子での収量は低迷し続け、これまでとは異なる対応策が必要とされていた(7)。 「外部投入資材に敏感な品種では栽培が困難なことは明確でした。私は、科学的な育種が役立たないことがあることに気づきました。これまでの考え方を変えなければならなかったのです」。 例えば、リオス博士らが、二カ所でコメ品種の栽培を農民たちに頼んだことがある。一カ所は痩せた砂地土壌の丘陵地域で、もう一カ所は化学肥料を用いていた平地の工業的な農業地帯だった。砂地の農民は数種の品種を選んだが、工業的な農業に従事してきた農民たちは政府が正式に選んだ品種だけを好んだ。近代品種にだけなじみ深く、それ以外の品種を評価する知識を欠いていた。知識の前提となるのは品種の多様性なのだが、化学肥料や農薬が画一化した工業的農業を支えていた時代に、農民たちはほんの一握りの品種を栽培するだけになっていたのである。だが、生物多様性や種子についての知識がキューバから完全に失われてしまっていたわけではなかった。工業的な農業は80年代前半にピークに達するが、多様な遺伝資源は工業化されていない農民たちの手によって維持されていた。自給菜園も多様な品種の宝庫で、農民たちはそこで巨大農場では満たせない作物や薬草を育てていた。こうした伝統的な小規模農家は、工業的な農業が盛んな時代には省みられることはなかったが、作物や種子についての膨大な知識や智恵を持っていた(4)。この知識や能力が経済危機の中で役立つことになる。 それまでのキューバの品種改良は、化学肥料や農薬、石油等の輸入資材に依存していたと述べたが、リオス博士が実験ステーションに配属されてみると、そこには化学肥料もなければ、トラクター用のガソリンも全くなかったのである。中央集権化された実験ステーションは機能せず、博士はやむなく農民に助けを求め、このことが後に農民参加型の品種改良という果実を産み出すことになる。だが、博士も始めから参加型アプローチのアイデアを頭に描いていたわけではない(6)。 「はじめは意識することなく始めたのです。経済危機のために農民たちに助けを求め、値段が高い農薬や化学肥料を使わずに、干ばつ、高温、病害虫、病気等に対して収量をあげられる品種の模索をはじめたわけです」(4,6)。 博士らは、33の在来カボチャ品種と20ほどの近代品種を評価した。そして、研究は実験ステーションではなく農民の畑で行われた。それが農民参加型の品種改良がキューバで誕生した瞬間で(4)、後に低投入であっても化学肥料や農薬多投農法に匹敵するヘクタール6〜8トンの収量をあげる有望な2品種の開発につながるのである。これは二つの点で重要だった。たとえ投入資材が少なくても品種選択によって生産を増大させることが十分可能であることが判明したこと。そして、低投入条件にも見合った遺伝子は、在来品種の中にあったことである。有機農業で国内で育種をすることと比べれば、それまでの化学農法の弱点は明白だった。農場で使われる農薬や化学肥料、燃料を考えれば、低投入型農法に適した品種改良を農民参加のもとで行なう方が、エネルギー使用面でもはるかに効率的ではないか。そんな議論が巻き起こり、以来、キューバの研究者たちは農民と協働で参加型の品種改良に取り組んでいくことになる(7)。 また、リオス博士は、農民たちがどのように品種を選ぶのかを目のあたりにする中で、古典的な品種改良とは異なる現場の実践に多いに学んだ。例えば、農民たちは数種類のカボチャを植えていたが、博士から見れば病気のような葉を持ち、実の格好も良くない品種を好んでいた。理由を尋ねてみると農民たちは「病気には少し弱いが、実が多くなるものでね」と答えた。博士はこのカボチャが大量の花粉を作りだし、それで他のカボチャを受粉させていることに気づく(6)。種は交配受粉で増やされ、それにはミツバチが頻繁に使われていたのだ(7)。 とはいえ、すべての品種が役立つとはとても思えなかった。いったいなぜゆえに農民たちはこれほどまでに多くの品種を維持しようと努力するのだろうか。博士は疑問に思い、ある農民にその理由を問いかけてみた。すると、聞かれた農民はこう答えたのである。 「おまえさんの考え方は間違っている。私には家族がある。子どもの何人かは出来が良いが、出来が悪い子もいる。だが、みんな私の子どもなんだ。私は彼らを養わなければならない。それは、品種だって同じことだ」(6)。 ■種子交換フェアの開催 リオス博士らが、新品種やまだ未知の品種を農民たちに紹介するうえで独自に編み出した手段のひとつに種子フェアもある。フェアは、農業科学研究所の実験ステーションで開催されたが、初めは農民たちはこの新たな試みに慎重だった。だが、好奇心から参加した農民たちがそこで目にしたものは予想を超えるものだった。研究者たちは、商業用や地元の在来品種を含めて、トウモロコシ92品種とマメ63品種を集めたのである。そこには、有望な遺伝資源もあった。農民たちは感動した。 「フェアは、主要作物がいかに多様であるかを農民たちに示しました。私たちは、自分の畑で試してみるよう農家に種を選ばせます。つまり、多くの選択肢がある中から農民が自分で種を評価し、選び抜くことができるのです。種子選別の能力は育種家だけにある技能ではないことが示されたのです」。 フェアはすこぶる好評で、ごく自然に多くの農民たちが自分たちのコミュニティでも同様のフェアを開くようになっていく。フェアでは、農民、育種家、農業改良普及員が一同に集い(1)、品種を評価し、農民たちは参加型の品種改良で産みだされ各自の環境に最も適した品種を選択するよう勧められる(6)。そして、自分の農場でも試してみるように種子が配付される。各地域の「新品種」は育種家や農民が定める基準に基づき、以前の品種と比較評価される。そして、土壌、気象条件、地理条件、農法等の地元環境に応じて、最も能力を発揮する遺伝資源を利用することができるのだ。農民たちはこう喜びの声をあげる。 「新たなトウモロコシやマメの品種が手に入れられるだけでなく、その中には病気への抵抗性があるものもありますし、フェアでは種子の取り扱い方や保存方法についての新たな知識も得られるのです」。 実際、フェアは農民と研究者との関係を深め、農民たちの実験能力を高めることにつながったし、若者から老人まで農村住民が互いに連れだち、知識や経験をわかちあう社会的、文化的なイベントの場となったのである(1)。種子フェアは大成功した。その成果はリオス博士や他の研究チームの期待をはるかに超えるものだった。例えば、あるコミュニティには以前はたった4品種しかなかったが、いまでは100種以上のマメ、100種以上のコメ、そして90種以上のトウモロコシが栽培されている(6)。
■ハイブリッド品種よりも優れもの 参加型の品種改良によって、害虫fallarmyworm(Spodoptera frugiperda)に抵抗力があるトウモロコシや低投入の条件下でも高収量をあげるマメ等、次々と新品種が産み出されつつある(7)。とりわけ、リオス博士が誇りにしているのは、ヒルベルト・レオン協同組合農場の農民たちが作りだし、開発に貢献した農民のニックネームにちなんでフェロ(Felo)と命名されたトウモロコシの新品種である。 「この新品種は、トウモロコシ品種フェアで、協働組合農場の農民たちが選別し、農場に持ち帰った15系統から育種されたのです。すでに二回のすさまじい病害虫発生にも耐性を示し、以前に使われていたハイブリッド品種よりも平均30パーセントも収量が多いのです。それだけでなく、フェロは施肥量も30パーセント少なくてすみ、水も50パーセント以下しか要しません。加えて、味もハイブリッド品種よりも甘いのです」。 フェロはあたかも雨後の竹の子のように広まり、協同組合農場は販売用の種子生産もはじめた。このフェロの成功から、それ以外の農民や種苗家、政府職員たちの間でも、農民たちが品種改良を成し遂げられるとの認識が高まったし、育種や新品種の普及においても農民参加がいかに重要であるかも示された。博士はこう続ける。「農民たちは、いま農業の作物多様性の管理を自分たちでやりはじめました。農民参加によって、遺伝子の多様性もかなり高まっています。GICsのメンバーとしてプロジェクトに直接参加している農民たちは、他の農民と種子を交換しはじめているのです」(1)。 ■参加型の品種改良が持つ意味 博士は、研究者もプロジェクトから多くを学んでいるという。 「私どもが学んだのは、多様な遺伝資源を農民たちに利用できるようにし、意志決定のうえで農民参加を奨励することが、いかに農民たちの態度を変えるかでした。いま、農民たちは地元開発の様々な新しいアイデアやオルタナティブな手段を述べています。これは全く予想もされないものでした」。 キューバの研究者には、参加型のアプローチの経験がまだ少ないため、プロジェクトは、同様のアプローチに関心を持つ他の研究者にも役立っている。加えて、プロジェクト・チームは農業科学研究所のバイオテクノロジー研究者と共同で遺伝子分析にもかかわっている。 「いま私どもが挑んでいるのは、有機的な要素として国家種子システムに農民参加を統合させ、参加型の品種改良を経済的に実行可能で持続可能なオルターナティブにすることなのです」。 農家の態度も変わり、知識も深まっていることからして、博士らの挑戦が成功する見込みは高いと言えるだろう。 経済危機に直面し、キューバの農業システムは崩壊に瀕していた。参加型の品種改良は、キューバでは必要性からやむなくして産まれた(1)。博士が指摘するように、キューバはそれまではトップダウン型の開発を進めてきた。ボトムアップで科学者が農民と協力するというアプローチはこれまでにはない新しいものだった。 リオス博士は言う。「キューバでは、これまで従来型の育種家がトップとされてきました。ですが、私はこの意見には賛同できません。どの農民も賢明なのです。私は参加型の品種改良が、参加型の研究価値をそれ以外の科学者に示すことになり、それがトップダウン型の社会のシフトにもつながったと思っています」(6)。 いま、多くの国々の農業生産は、大量の化学投入資材やコストのかさむ技術、様々な政府補助金に大きく依存している。それは、長期的には持続可能ではない。なるほどキューバの状況は特殊とはいえ、将来的には工業型農業の崩壊は他国でも起こりうることだろう。そのとき、キューバの経験は他地域にとってもおそらく役立つに違いない。キューバの種子改良に向けた取り組みは、他の国々にとっても貴重な未来へのひとつの道を示している(1)。 また、博士は自分の研究を模索する中で、独自に参加型の手法を編み出していったが、5年以上も研究を続けた後で、さる国際会議に参加し、他国でも参加型の品種改良が行われていたことを知る(6)。実は、参加型の品種改良はキューバだけでなく、開発途上国の新たな開発アプローチとして着目されており、冒頭で紹介したコロンビアの国際熱帯農業センターが90年代にコロンビアで産み出した農民研究委員会CIАL(Comitte de investigacion agricola local)の手法と極めて似通ったものなのである。そして、コロンビアで誕生したCIАL運動は、グアテマラやニカラグアのカンペシーノ運動とも連動している。どうやら、いま世界では同時多発的に新たな胎動が産まれてきているらしい。 |
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参考文献 (1)Ronnie Vernooy, Farmers and Researchers Reshape Cuba's Agriculture, Necessity drives the search for alternatives, Internarional Development Research Center, 2003. (2)Norman Uphoff, Report on Field Research Visit to Cuba, July7-14, 2004. (3)Catherine Murphy, Cultivating Havana, Food First Development Report,1999. (4)Humberto Rios, Participatory plant breeding, Information for Agricultural Development in ACP countries,2002. (5)Introducing Participatory Plant Breeding for Strengthening Agro-Biodiversity in Cuba, Internarional Development Research Center, 2002. (6)Keane J. Shore, Researcher Profile:Breeding New Respect for Farmers in Cuba, Internarional Development Research Center,2005. (7)Changes in plant breeding of pumpkins as response to socio-economic limitations Cuba, Alternative Breeding Criteria and Partcipatory Research, FAO. |
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