2005年12月23日

ミャンマーの有機稲作

■住民自立を目指すNGОと農民田んぼの学校

 ミャンマー連邦は国民の68%はビルマ族だが、それ以外にも東北部に住むタイ系のシャン族が9%、カレン族が7%がいる他、ラカイン族、中国系、インド系、モン族等の多くの民族からなる多民族国家である。行政的にも国民の多数を占めるビルマ族が居住する管区(タイン)の他に自治権が認められた州(ピーネー)が七つある。だが、ミャンマーは貧しい。2003年現在の人口は42,720,000人だが、一人当たりのGDPは1900ドルと世界第57位となっている。

 1948年に連邦として独立したものの戦闘的なカレン族は独立直後から独立闘争を行ったし、1949年には中国国民党軍の敗残部隊がシャン州に侵入。これをCIАが後押し「反共軍」とゲリラ闘争させたため、40年以上にわたって内部闘争が引き続き、国民生活は混乱を極め、貧困状態を強いられ続けた。ミャンマーの発展にもCIАが大きな影響を与えたことがわかるだろう(1)
少年僧が見られるのも仏教国ならではの風景だ

 だが、いまミャンマーでは、タイ国境の丘陵地帯のカチン州とシャン州を中心に、農民田んぼの学校とSRIが急速な広まりをみせている。カチン州やシャン州は、主食のコメが農民たちの収入源となっているが、水が十分得られず土質も悪いためにその収量は低い(2)。農家の平均耕作面積も1.2ヘクタールと小さく平均反収もたかだか150〜200キロにすぎない。

 そこで、NGО「メタ開発財団」は、農民たちの技や能力を高めて食料不足問題を解決するため、2000年から米に力点をおいて「農民ほ場の学校 (FFS=Farmer Field School)」を導入する。農民ほ場の学校とは、モデルほ場に10〜15人の農民が参加し、現場で働く農民から農民たちが直接的に「技」を学ぶ一種の青空教室である。普及効果がきわめて高いことから、アジア各地でいま急速に広まっているが、この農民ほ場の学校がミャンマーでも2000年から始まったのである(3)

 ちなみに、メタ財団とは、草の根ベースで地域密着型の持続可能な事業を実施することで、地域住民の自立自助を促し、自給自足の実現を目指すNGОである。政府と武装エスニック・グループとの間で休戦協定が結ばれ平和がもたらされたことを背景に、自律的な社会発展と農村住民の生活改善を目指し、1998年に立ち上げられたばかりのNGОで、女性の参加や地域資源を活用した適正技術の普及も進めている(1)

■SRIで倍増した反収
ミャンマーでの伝統的な田植え風景
 財団は国際海外協力援助機関から得た基金で様々なプロジェクトを展開しているが、総合的有害生物管理(IPM)をはじめとし、エコロジー的に持続可能な農法を用いることで農業生産の向上にも取り組んできた。その一貫として、米増産の有効手段としてSRI(System of Rice Intensification)についても2000年にまず8アールと10アールの二つの田んぼで導入してみたのである。この取り組みにあたって中心となったのが、現在、米の専門家として財団で活躍しているフマユン・カビル(Humayun Kabir)博士である。メタ財団は、農民ほ場の学校を立ち上げるにあたってフィリピンにある国際農村再生機構(International Institute of Rural Reconstruction)から技術的なサポートを受けたのだが、博士は以前この再生機構のスタッフだったのだ(2)。ちなみに再生機構とは開発途上国の貧しい農村住民の暮らしを向上させるため1923年に中国のY.C.ジェームス・エン博士によって設立された機関である。1960年、エン博士は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの開発ワーカーのための研究や研修所として再生機構を組織し、以来機構はフィリピンのセンターを中心に、アフリカとラテンアメリカにある地域センターと連携し、持続可能な地域援助に取り組んでいる(4)。フマユン博士はここでコーネル大学のノーマン・アプホッフ教授からSRIのことを学び、フィリピン北部やカンボジアでSRIを試行してみたことがあったのである。初年度の反収は197〜278キロとかんばしくなく、国内の平均反収250キロと大差なかった。稲の分けつ状況は良かったが、植付け時期が一月間遅れたことがその原因だった。そこで、財団は翌年に別の遊休農地を整地し、十分な堆肥や厩肥を入れて、無化学肥料で栽培試験を行なってみた。すると、平均450キロ、中には650キロ以上と以前の倍の反収が得られたのである(2)。また翌2002年も好調で平均525キロの反収が得られ、なかには1000〜1500キロに達した圃場もあった(3)

■5千戸の農家が実践し一万人以上に普及

 2000年からスタートした「農民ほ場の学校」の広がりぶりにも目覚ましいものがあった。2001年には29校が開校され、カチン州全域へと学校が広まったし、2002年には66校、2003年には163校とわずか3年で258校がカチン州とシャン州で設立されたのである。2001年には既に56名のスタッフと60人の農民がSRIのトレーニングを受け、そのそれぞれが毎年10から20人に教えていく。ネズミ斬式にSRIに取り組む農家の数は増え、2003年には5200人の農民が自分の田んぼで試した。そして、2003年末には、取り組み農家や外部からの二名の評価者の参加のもとに徹底的なプロジェクト評価が行われたが、その結果、稚苗や堆肥のようにSRI技術の一部を使うだけでも50キロ以上、そして稚苗、粗植、堆肥や厩肥の利用、ロータリー除草機での除草、適切な潅漑とSRIの全てのテクニックを用いれば250キロ以上反収が伸びることがわかったのである。
勢ぞろいした農民ほ場の学校のスタッフやファシリテーター(2005)
 もちろん、推奨されるテクニックをすべて用いている農家は一割ほどにすぎない。とはいえ、高品質の籾や8〜20日(通常は35〜55日)目の稚苗の田植え等、最低でも二つのテクニックは全農家が使っていた。このことから、フマユン博士はさらに増収が期待できると見込んでいる。各農民ほ場の学校では、三カ年平均でいずれも100〜300%もの増収が見られた。だが、SRI栽培はそれ以外の農法での最高収量よりもさらに15〜37%も高く(2)、このため農民ほ場の学校の人気を呼ぶ看板商品になっている(3)。シャン州では農民たちは大量の化学資材を使っているが、SRIではこうした外部投入資材、とりわけ化学肥料を使わなくても高収量が得られる。そのことが農家の期待を呼んでいる。カチン州とシャン州では2003年半ばから新たな五ケ年プロジェクトが始まり一万人以上の農家がシャン州のSRI水田に学びに訪れたし国内の他地域にも広まっている(3)。そして、ようやく政府も関心を寄せはじめた。農業潅漑省のBrig-Gen Khin Maung副大臣は2002年1月にFАОの会議でスリランカを訪ねた折にSRIの存在を知ったのだが、2002年6月にはSRIへの研修のためメタ財団とともに省としてノーマン・アプホップ教授を招聘しているし(2)、2004年7月には、シャン州南部のNaungkham村の農業開発訓練校に導入されたSRIの現場視察を行なっている(4)。まだ、現場では堆肥利用が遅れているが、SRIは今後もさらに収量を高め、国内で広まっていくことであろう(3)


参考文献
(1)Metta Development Foundation
(2)Humayun Kabir, The Practice of the System of Rice Intensification in Northern Myanmar
(3)Humayun Kabir, The results of SRI in Myanmar
(4)International Institute of Rural Reconstruction
(5)Rice intensification system boosts output, The New Light of Myanmar,Sunday, July 25, 2004,an article from the Myanmar government website


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