徒然絵巻
大杉谷源流 7/24嘉茂助谷遡行 7/25堂倉谷ゴルジュ帯遡行 |
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竹株先生と二日間の予定で大杉谷源流部に行った。
≪7月24日≫
初日は、嘉茂助谷の滝つぼに降りることにした。
滝つぼに降りると大杉谷特有のバケツをひっくり返したような激しい雨がふりだし、雷とともに沢の水が増えみるみるうちに、にごりはじめた。
近くで雷が、おちている。釣りどころはない、竿を持つことすら危ない。
早々に撤収した。堂倉谷近くに、もと営林署の施設の廃屋があり、その軒先で野営した。
≪7月25日≫
昨晩 集中豪雨にあい廃屋の軒先をかり野営した。
朝の5時前 先生が身支度を整えはじめた。
雨は止んでいた。
わたしは早起きは大の苦手のため、朝マズメのつりは無理。
竹株先生は、夜明け前からうずうずしている様子。
10分も歩けば、堂倉の若水の水場あたりにいけるので、私は ,寝させてもらうことにして 3時間ほど竹株先生ひとりだけで釣り場に向かってもらった。
ひと眠りして、コーヒーを飲んでいると活かし魚籠を持たず、こちらに歩いてくる竹株先生の姿が見えた。
上流部で数匹かけたらしいが、撮影のため、アマゴは活かし魚籠にいれて水の中に隠してあるらしい。
竹株先生がもどり、食事をした。
私も身支度を整え、今回の目的である堂倉ゴルジュ帯の在来型のサンプル確保に向かった。
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←枝沢を下る途中
小休止をする
竹株希朗氏
谷床へ到着直後→
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枝沢をくだり 10時半ごろ堂倉 奥七つ釜の上あたりにおりた。
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奥七つ釜の上から上流の風景-1 |
奥七つ釜の上から上流の風景-2 |
谷床につき、景色を楽しんでいるのも束の間、一匹のアブが現れ、しつこく つきまとわされた。
叩き落としたものの、しばらく刺し口が痛んだ。幸先のわるい出だしとなった。
仕掛けの準備がすみ、いざ釣りはじめようとしたところ、
雲行きが怪しくなり、昨日同様激しい雨がふりだした。
水かさが増えると川どうしができない場所があるとのことで、うなぎの寝床のようなゴルジュ帯をとりあえず抜けるべく、連爆帯の絶好ポイントを捨てて、少し上流にむかうことにした
滝の連なる見事な景色に後ろ髪がひかれる思いがした。
「撤退する勇気も必要ですよ 」との竹株先生の言葉にしたがい竿を納めた。
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大釜を形成した美しい滝 |
写真中央左から 登ることができた。 |
切り立ったゴルジュ帯で、淵のスケールは大きく、遡行が難しそうに見えたが、滝の落ち口あたりの岩盤がえぐれており、水の中にルートを見つけることができた。
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滝の落ち口にむかう竹株希朗氏 |
雨が降り出し、最後の撮影場所となった淵 |
鉄砲水がきても、とりあえず避難できる場所にでた。
大杉谷特有のバケツをひっくり返したような雨は、一向に止む気配がない。
あとは、枯れ沢を登ると林道にでるとのことで、つりをするならこの場所が最後のポイントになるらしい。
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堂倉谷ゴルジュ帯 在来型
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虹彩が横につながり “目が横一文字” |
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堂倉谷上流部 在来型
(7月25日午前 竹株氏採捕) |
標準的なアマゴの目 虹彩5個 |
ラストチャンスということで、竹株流トバシ ハイループロングラインを穂先に結び毛ばりを打ち込んだ。
「よっしゃぁ!」 右手が知らぬ間にあがった。
「先生やったで! 竹株流て゛やったで!」
「ええアマゴや 堂倉の顔つきをした ええアマゴや 自分の間合いで完璧にあわせとったな」
眉をしたたる雨水 “天から馬鹿と天から阿呆” ふたり顔を見あわせ笑った。
土砂降りの中、目が横一文字の堂倉ゴルジュ帯独特のアマゴを確保した。
ガレ沢を登ると、不思議と雨が止まった。
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≪あとがき≫
今回のアマゴの撮影は、“水槽写真”によるものです。
神技ともいえるハイループによるロングラインテンカラを自在に操る竹株希朗氏は、
テンカラの達人 竹株渓遊として、世間に知られています。
一方、みずからを“天から馬鹿”とよび、人生の大半を変異型アマゴの生態調査に
費やし、全国の渓谷を旅しながら、変異型アマゴの撮影をされてきました。
大きな水槽をリュックに背負った源流遡行は、大変なことだったと思います。
今回は、竹株氏が実際に使っていた水槽をお借りして撮影したものです。 |
紀州のテンカラとふるさと
著者:竹株 希朗
1992年1月1日発行
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