アイコン 2011年

' 11年1月        今年の目標         モコ

 今年も、新年最初の号は目標です。
今年は、『変化に対応する、整理整頓を心がける、体調管理をきちんとする』にします。

 変化〜は、仕事も何か変わるらしいですし、プライベートでも色々変わらないといけなくなりそうだからです。
整理整頓〜は、流行りの仕分けではありませんが、必要な物や事柄を分けて片付けていきたいです。
最後は、心身共に健康でいられるようにと思って。
2010年は、後半からマイナス方向で、考えられない事態になって終わりました。

 2011年は、その続きが年明けから来そうで不安なのですが、上の目標を目指して頑張っていこうと思います。
微妙に前向きだか後向きだか判らない気もしつつ、これにて失礼します。

' 11年1月       振り返りつ、展望しつつ     如月

 今更ながら、2010年を振り返ってみる。
・・・うーん、ひと言で言うならば、「疲れた」かな。とにかく、駆け回っていた一年だったし、いろんなことにも挑戦したし。
良いようにとれば、充実した一年だったとも言えるけど、実際はムリしてたなぁと、実感。ムリがたたって寝込んだことも、1度や2度ではなかったような。

 肉体的にもボロボロだったけど、精神的にも不安定で、波があった。改めて、ムリしてたんだなぁと、しみじみ思う。特に、終盤11月、12月はひどかったし・・・うぅ、思い返してもつらくなる。
とまぁ、そんなこんなを教訓にしつつ、2011年を展望してみる。
とりあえず、昨年やっていたことは継続するとしても、昨年以上は望まないことにして、ペースも落としていこうと思う。現状をしっかり生き、あまり変化は求めないようにしたい。己の実力をわきまえて、出来ることを確実に、といったところかな。

 テーマとしては、「そーっと」って感じでしょうか。今年は、そーっと生きたいと思います。
あせらず、ゆとりをもって・・・

' 11年1月        新年を迎えるにあたり    M

 今年は、27才にもなるので、もっとしっかりしないとなぁと、日々、ちゃんと生きたいと思います。

 毎日欠かさずに頑張るとか、少しでも多くの達成を果たすとか、何気ない事でもすんなりできるようになるとか、色々な欲求です。
 不満足で終わりたくないので、ここは、おもいきりネバらねばと意気込み、去年よりも力をつけたいので、もっともっとファイトかなぁと情熱燃やしちゃいます。

 そして、おちつき健やかな大人になりたいと願ってます。
豊かに進歩はつづいてゆくでしょう・・・だんだん機嫌よくなるべく楽しく笑顔で!!

' 11年3月              心にゆとりを         

短気だったりせっかちだったり、焦ったりあわてて急いだり、色んな状態が様々にありますが、私にとってベストなのは、ゆとりです。気持ちに余裕が無いと心に悪いですし、なるたけゆったりとしてたいと思います。できるだけ楽がいいですから、心地よくいきましょう。
切羽詰まりたくもないし、気長に考えて早とちりも良くないし、本当にゆっくりがいいと思ってます。間に合うくらいのマイペースで、気分良好でやってゆこうって感じです。
ムリをせずに良心的に頑張れたらと、あまり高望みもいけませんが願い事は叶えたい!!

' 11年3月            確かな思いと揺らぐ心    U  

この時期、どうしたって自然と「進学」や「就職」という言葉が耳に入ってくる。すると、普段は意識をしていなくても、自然と自分の将来も考えてしまう。当然この先も、今のままでいいとは思っていないし、やりたいと思っていることもある。

 私には、管理栄養士になりたいという夢がある。それには、専門学校などを出て、資格試験に合格しなくては、なれない。
 管理栄養士ではなく栄養士なら、2年間通えば受験できるけれども、たとえ栄養士になれたとしても、栄養士の資格だけでは、充分な仕事は望めない。副業のようならいいのかもしれないけれど、本業としてやっていくには、管理栄養士の資格が必要となってくる。
 管理栄養士の資格を取るためには、更に2,3年が必要となる。スムーズにいったとしても、計4年はかかることになる。
 そこへきて私は、高校にも行っていないので、高卒認定が必要かも知れず。更に何年か、かかるかもしれない。全てが順調にいっても、管理栄養士の資格を取るのに、5,6年はかかってしまう。
 卒業したらもらえるというわけではなく、あくまでも、試験に合格しない限りは、資格は取れない。今すぐに始められるわけでもなく、いつ始められるかも判然としない状況。そんな中でも、夢を追い続けていていいのだろうか、とも思ってしまう。
 最低でも5,6年はかかるのなら、今は先ず、バイトなり何かしらの仕事に就いて、自分の生活費くらいは、自分でまかなうようにしなきゃ、いけないんじゃないか。とも思う。自分のことを自分でできるようになって、初めて自分の抱く夢に向かっていくべきなんじゃないのかな、という思いも。当然、年齢的なこともありますし。

 ふだんは、今の状態が精一杯なんだから、「今のままでいいんだ」と思うようにしているけれど、どうにもこの時期は、思いが揺らいで、先のことを考えてしまい、「このままでいいのか?」と問うてしまう。
 いろんな葛藤はあるけれど、それに向けて、今できることはやっていこうと思う。小さな一歩でも、確実に目標には近づいているんだから。

' 11年5月        アトリエとギターと私       U

 私がアトリエ虹に顔を出すようになって、はや3年(間ブランクなんかもあったけど)。そんな中で始めたギターも、2年半になるのかな?
 ギターといっても、エレキギターではなく、アコースティックギター。 ジャンジャカ弾くわけでもなく、メロディを奏でる(奏でるっていうほどの腕前じゃないけど)ソロギター。エレキは、リズム感の無さと、指がついていかなかったりで諦め。アコースティックも、弾き語ろうにも歌がNGなので諦め。結果、必然的に歌わずともメロディのわかるソロギターになったわけで。

 とはいっても、当然始めから弾けるわけもなく。暫くは1小節もメロディにならず。曲の印象すら感じられることのない日々。毎日ひたすら同じところの練習練習(しんどかったなぁ、指は痛いし)。果たしてサビまでたどりつけるんだろうか?と思いつ。
 こういうとき、外に出られない。ギター教室など、誰かに教わることも出来ないということが、辛いというか、悲しいというか。不自由さが、はがゆかったり。イヤになって一時やめてしまったこともあったなぁ。

 その後、半年ほどして、とある出会いなどもあり、再開することができたものの、ずっとギターに触れることもなかったので、当然ながら指が忘れてしまっていて、また始めからのやり直しに。それでも地道に辛抱強く練習しているうちに、ものすごーく時間はかかりながらも、なんとなーくメロディっぽいものを感じられるようになってきて。そうなると、嬉しさもあるし、苦々しかった練習にも楽しさが出てきて。「続けていれば、弾けるようになるかも」という希望もわいてきて。
 再開してから1年半くらい?今では何曲かそれっぽく弾けるようになってきたけど。ここまでくるのに、アトリエ虹のみなさんには、つっかえつっかえ聴き苦しいところを聴かせてきたわけで。文句を言われることもなく弾かせてもらったことに、感謝しつつ。

 まだまだ上手くなりたいし、レパートリーも増やしたいし。弾いていないと忘れていってしまうので、これからも練習あるのみ。
ってことで、アトリエ虹のみなさんには、今後もお付き合い願うことになっちゃうな。いずれは心地よく弾けて、心地よく聴けるレベルまで上達したいものです。
' 11年5月            真ん中あたり      :anemone

            心に傷を抱えた人の
            集まるところ

                   「アトリエ」と書かれた看板の
                   小さな家がある
                   その小さな家に向かう 道すがら
                   冬の道

            その細い道を歩いていたら
            私の中にいる 
           小さな私に
            出会えそうな気がした

                   寒い冬 雪のあと
                   ぬかるんだ
                   細い道を歩きながら
                   胸の真ん中に イシキを傾ければ
                   不安で怯える
                   小さな私

            こどもの頃の
            臆病で心細い
            寂しさに震えていた
            小さな私に
            出会えそうな気がした

                      本当の私に・・・

' 11年5月            親のありがたさ       ヒデ     

  自分は、不定期ですがアトリエにお世話になっています。スタッフの方にも言ったのですが、自分の両親は他界しています。現在一人ぐらしです。自分が物心ついた時は5人家族でした。父、母、祖母、自分、弟です。
  母は中学1年の時に亡くなりました。その7年後祖母が亡くなりました。弟は早々結婚し独立しました。それからは父と2人暮らしでした。父との関係は仲の悪い時期もありましたが、亡くなる4〜5年ぐらい前からは比較的普通でした。

  父が亡くなったのは約5年前です。父は病院嫌いでした。定年退職してから定期検査を受けていませんでした。父の死因は急性腎不全でしたが、原因は検査を受けていなくて分からなかった糖尿病が関係しています。父は体が丈夫でめったに風邪もひきませんでした。だからほとんど病院も行かなかったのです。
  亡くなる1週間前に、吐いたり下痢が続いて内科に行ったのですが、あまりいい内科ではなかったので、糖尿病だとは気づかれませんでした。どうもおかしいと思い、救急車を呼んで病院に入院させたのですが、今思うと手遅れでした。当時の自分は無知で病院に入院したから大丈夫だと思っていました。

  入院して2時間で体調が急変し、自分の目の前で心肺停止しました。頭の中が真っ白になりました。それからICUに入り2日後に亡くなりました。それからはお葬式などはほとんどおばさんやおじさんに任せて、ただお葬式には一応喪主として参加しましたが、何か現実感がありませんでした。

  父が亡くなったのは分かるけどあなたは何が言いたいの、と思う方もいると思いますが、さざんかの会の会報を読まれていると言う事は、お子さんが当事者だと思うのです。多少なりとも社会との接点がないのでは?
 
  もし自分の様に親が急死した場合大変だと言いたいのです。あと健康管理を親御さんがしっかりして欲しいと自分は思っています。かかり付け医を持って血液検査を定期的にやっていれば病気は早期に発見できます。万が一病気が見つかっても治る確率は高いと思います。自分の親も定期的に血液検査をやっておくべきでした。そうすればまだ父と一緒に過ごせたかも知れません。あまりべったりしすぎるのもいけないと思いますが、親と子は仲良くするのが一番いいと両親を亡くしてから思います。

  亡くして初めて分かる気持ちかもしれません。けど他の人には自分の様な経験をしてほしくありません。もし仮にですが、この文章を読んで気持ちが変わってくれれば自分としたら嬉しいです。

 あまり上手く表現できず、もし気分を害した方がおられればすいません。お子さんが当事者で今仕事をしていない事で苦しんでいる方もおられるかもしれません。そういう時はアトリエに行ってみるのもいいと思います。話聞いてくれると思います。また、アトリエに行って作業(畑や軽作業)するのも自己を高めてくれるのでいいと思います。当事者の方はアトリエに来るだけでも気分が変わる時もあると思いますよ。

   アトリエには一時期離れていたので余計にそう感じます。いろいろな場所に行って話しをするのも一つの手段かもしれません。

 変な文章ですいません。これが今の自分の気持ちなので。これを読んだかたで共感してくれる人がいれば嬉しいです。

 2010年版は準備中です

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