それは確かに日向だった。


大神の力を解放した姿と同じ銀灰色の髪も、人あらざる尖った耳も、紫水晶の瞳も、痛いと言っても結局剃ってくれない無精鬚も、全てが確かに日向なのだが。

「な…な…な…」

酸欠の金魚よろしく口をぱくぱくとさせて、必死に何かを言おうとしているのは判るのだが、金は言葉が紡げず二人の日向を凝視することしか出来ない。

「…無理もないか」
「…だな」

そんな二人はこうなる事を予測していたらしく、大して慌てずにそれぞれ金に手を伸ばして、よしよしと撫でさすりながら落ち着かせるべく優しく宥めていた。

「ど…して…こんなコト、なりましたカ…」

それでもしばらくすると金は落ち着いてきたらしく、絞り出すような呻くようなかすれた声で、まずは一番の疑問を口にした。

「…話す。が、まず先にメシにしてくれ」
「腹が減ってると、余計に怒りが込み揚げてきてたまらん」
「は、はい」

金としてはこんな状況で食事もへったくれもないのだが、なんとかまともに機能しはじめた己の脳裏に、ふみこの「日向を宥めろ」という言葉が浮かび、言われた通り食事にしようと台所に向かった。








数刻後。







「さて、どう説明したらいいモンかね」
「そうだなぁ…」
「……」

怒りのせいかいつもより多目に食べて、今ようやく一息ついた日向達は。

「一つはっきりしてるのは、やっぱりあのばーさんは鬼門だってコトだな」
「ああ」
「……」

混乱のあまり無言になってしまった金のために、彼が口にしたいであろうことを自問自答するように、二人で現状を語り合っていた。

「さて、まずはこうなったいきさつなんだが」
「計画はオゼット、実行犯は小夜ちゃんだ」
「…エ…エエッ！？」

原因は判らないが、日向が分裂？する羽目になったのは、てっきりふみこ自身もしくはトラブルメーカーの光太郎ではないかと考えていた金。

「そんな！何故小夜サンが…っ」

思いもしなかった生徒の名を告げられ、思わず驚きにソファから腰を浮かしかけた。

「落ち着け金。小夜ちゃんはわざと狙ったわけじゃない」
「小夜ちゃんが本当に狙っていたのは俺じゃない。…あの馬鹿だ」
「コータローさん…」

《あの馬鹿》で通じてしまうのもかなりおかしな話だが、何かをふみこが計画を立てそれを小夜が実行しようなどと考える相手など、この世界広しと言えども玖珂光太郎しかいないのだ。
金が妙な所で納得していると、日向達は半ば呆れながらも、ぽつぽつと事の次第を話し出した。






事の次第はこうだ。






ご存じのように、日向は金から預かった（…と言うより取り上げた？）ドリル片手に、小夜が下宿中のふみこの屋敷を尋ねたのだが。


『あれ、所長？ふみこたんのウチに来るなんて珍しいじゃん』


屋敷の門の所で、夕飯に招かれたとか言ってやってきた、不肖の弟子玖珂光太郎と鉢合わせになった。

『…まぁな。お嬢ちゃんが事務所に忘れ物をしたんだ』
『ふーん。…ってことは…所長、糸目のおっさんのパシリ？』
『お前なぁ…』

言い得て妙な光太郎の例えに、まさか金の身を案じてとも言えず、日向は黒眼鏡越しに弟子をにらみつけるだけで、大した反論も出来ない。

『人の事を言う前に、自分を振り返れ』

大体光太郎だとて、（気が付けば）ふみこの遣いっ走りになっているのだ。

『……』

お互い様である。
心当りがあるのか、無言になった光太郎を内心笑いながら、二人仲良く屋敷の中に足を踏み入れ、日向はさっさと用件をすませて帰宅するつもりだった。
だからいつもならさっさと前を行く光太郎の後を、自分のペースで付いていくはずの日向は、今回に限り珍しくも彼の前を歩いていた。





……それが、仇となった。





『うわっ！』
『どうした？』
『あっぶねー。今靴紐踏んで転けるトコだった。所長、先行っててくれよ』
『ああ』

こんな何気無い会話を交わしつつ、日向が招き入れられた部屋の扉に手をかけて開いた瞬間、それは起こった。









『申し訳ありません、光太郎さんッ！！』









扉を開けた瞬間日向の視界に飛び込んで来たのは、玉砕覚悟の面持ちで鏡をこちらにかざす小夜。

『…へ…？』
『小夜、駄目よ！』

意味が判らず、扉の所でその鏡を覗き込む羽目になった日向に、次いで耳に入ったのは珍しく慌てた様子のふみこの制止の声。

『……小夜ちゃん、光太郎ならすぐ後ろ……にぃッ！？』

そして何事だと問い正す間も無く、日向はふみこの制止の声の理由を思い知ることになった。

『な…ッ！？』

小夜がかざし日向が覗き込んでいた鏡の表面が、漣打って歪んだと同時に、そこから黒い何かがこちらに引きずられるように出てきたのだ。

『小夜！！』
『えッ、あ…？…あああっ！！』

先ほどよりもキツいふみこの声に、そこでようやく自分の過ちに気付いた小夜だったが。

『おいおい…コイツは一体何の冗談だ…？』
『いてて……。全くなんなんだ…ッ？』

彼女が我に返った時にはすでに遅く、日向の目の前には、手にしていた鏡から寸部違わぬ日向が吐き出されていたのだった…。





…しかも良くないことは重なるもので。





『も、申し訳ございません日向さん…ッ』
『あっ！』

慌てた小夜がかざしていた鏡を下げようとして…手を滑らせた。

『………』（×４）
『なんだぁ？』



床に落ちた瞬間鋭い音を立てて割れたそれを目にし、事の成り行きを知らずに呑気に遅れて入ってきた光太郎を茫然と眺め、４人は無言で固まった。