「オゼットの説明だと…なんだったか。鏡の向う側からあの馬鹿をもう一人呼ぶつもりだったらしい」
「馬鹿馬鹿しい話だがな。嬢ちゃんにけしかけたのはいいが、その嬢ちゃんが間違えてこのザマだ」

人騒がせな…とぶつぶつ言いながら煙草を吹かす日向達に、説明を受けた金は誰をも庇うことが出来ず終始無言で耳を傾けていた。

「起きたモンはどうしようもないから、とりあえず俺たちはここに戻ってきたんだ」
「元に戻れないのですか…？」
「件の鏡が、修復不可能なまでに見事に割れたからな。さすがの魔女もお手上げらしいぞ」
「そんな…」

日向達の話を聞くにつれて、金の表情がどんどん悲壮な面持ちになってゆく。

「これだと日常生活、差し支えアリマスよね…」

並んでソファに腰を下ろしている二人の前に回り、金はひざまづいてから彼等の手を取って、そして気持ちを代弁するかのようにぎゅっと握り締めた。

「なぁ…お前さん、俺達がどっちがどっちだか判るか？」
「……？」
「どっちがこっちの世界の俺か、区別がつくか？」

今にも泣きそうな金の気を逸らせようと、日向達は努めていつもの口調で話しかける。
その問いに顔を上げてじっと二人を見つめる金だったが、暫し考えた後こくりと頷いた。

「どちらも日向サンだと判ります。デモ…」
「でも？」（×２）
「こちらの世界、それならば。
簡単なコトです。…右利きの貴方がこちらの世界の日向サンです」

先ほど食事をした時、どちらの日向も右手で箸を持っていたのに、金は一方が左利きである事を見抜いていたらしい。

「ご名答」

こちら、と言われて視線を向けられた方の日向は、迷うことなくしっかりと当てられて驚きを隠せない。

「よく判ったな」

もう片方も同じだったらしい。

「確かに俺はもともと左利きだが、右も普通に使えていたはずだ」

それなのに金は、先ほどの短い時間できちんと見抜いていた。

「では混乱しないように、呼び分けるとしましょう。
元の右利きの貴方を日向サン、左利きの呼び出されてしまった貴方をゲンノジョーさんお呼びします。…それで構いませんカ？」
「ああ、それでいい」
「面倒をかけるな」

金らしいきちんとした対応に、日向達は揃って目礼で詫びた。

「日向サン達のせい、違いますカラ。…デモ…区別がついたからと言って、何ひとつ問題が解決した訳ではナイのですネ…」
「それどころか、死活問題が」
「は？」
「……外で仕事が出来ん」
「エエエッ？！」

その言葉に驚く金に対し、実際に見せた方が早いとばかりに日向達は金の腕を取り、浴室の洗面台へと連れて行く。

「見ろ」
「これじゃ外に出られん」
「………」





それを目の当たりにした金は絶句した。





「アイゴー…」




二人に揃って指示された鏡に写し出されていたのは、茫然自失の金だけだったのだ。

「日向サン達、鏡に写るしてナイです…」
「そういう事だ」
「多分俺がここに居るせいだと思う」
「……」
「しかも」
「まだある」

驚愕の連続で流石に膝が崩れそうになる金を支え事務所に戻ると、この際まとめて問題を晒してしまえとばかりに、二人はさらに追いうちをかけてしまう。

「大丈夫か？」
「すまん」

金をソファに座らせてから、それぞれ片手を金の肩に乗せて深呼吸を促して。

「これじゃあな…」
「出ても行動が制限される…」

そう言って二人が指差したのは床…に伸びる自分達の影。

「………」

それを見て意味が判った金は、今度は驚愕した上に氷ついてしまった。

「ま…さか…」

金の前で左右に別かれてみせた二人の間に、不自然な具合に横に伸びる一本の影。

「そのまさかだ」
「これ以上離れられない」

なんと日向達は、影によって一定以上互いに離れられなくなっていたのだった。

「お仕事…どうするデスか…」
「だから死活問題なんだ」
「なぁ？」

まるで他人事のように肩をすくめて頷き合う日向達に、金はただただ青くなるばかり。
そんな不穏な空気の事務所に、一本の電話がかかってきた。

「はい、日向探偵事務所…」
『あなたに用はないわ。金を出して』

つかさず日向が受話器を取るが、かけて寄越した相手が悪かった。

「…ほらよ」

だったら事務所の番号にかけて寄越すな！と怒鳴る気力も失せている日向は、保留もなしに金へと子機を放り投げた。

「ハ、ハイっ」
『状況は飲み込めたかしら？』
「ハイ…」

事の大変さを痛感したばかりの金は、不機嫌そうに自分を見ている日向達の視線を痛い程感じながら、力なく返事をしてふみこの指示を待つ。

『まず日向の仕事。これは光太郎にミュンヒハウゼンに付かせてやらせるわ。光太郎が回し切れない分は貴方にお願い。いいわね？』
「大丈夫デス。私やれるだけやりますっ」
『次。日向達には事務所から出ないように伝えなさい。…必要な物は全て届けるから出るな、とね』
「…だ、そうデス…」
「あぁそうかい」
「じゃあ遠慮なく高い酒とうまいモノでも頼むとするか」

スピーカー機能など使わなくともすでに耳に届いているため、金はおそるおそる了解を取れば、二人は煙草をふかしながらやけくそ気味に返事を返す。

「小夜さんは…どうしていますカ…？」
『あれは私の手伝い。日向達を元に戻すには…鏡をどうにかしないとねぇ…』

ふみこが歯切れ悪く答えるあたり、そこが一番の問題のようだ。

「アノ…代わりの鏡はナイのですカ？」
『あったらこんな風に頭を悩ませたりはしないわ』
「そうですよネ…」

一縷の望みをすっぱりと一刀両断にされた。

『鏡と言ってもあれは普通の鏡じゃないの。長い年月を要して、漸くあの術に使えるだけの質を備えた代物よ。
だから作る事が出来なくて頭を痛めているわけじゃなくて、作り直すのに時間がかかり過ぎる事に頭を痛めているの。わかる？』

「ハイ…あっ！」
「わかったわかった」
「わかったからとっとと作り直してくれ」

事の重大さがよく判る金は素直に頷いて了解の旨を伝えかけた所、被害者２名はぶっきらぼうに答えてふみこを急かした。

『…金。その電話のスピーカー機能をつけなさい』』

…当然、ふみこは黙ってはいない。
命じられるままに金がそのボタンを押せば、ふみこはすぐ様今一番効果適面な祝詞を口にする。





『おすわりッ！！』
「のわっ！」（×２）





その一言で二人の日向は床にのめり込むように沈没するのだった。
…身から出た錆というか何というか。

『全く…ケダモノなだけに女に対して口の聞き方も知らないのかしら？』

または懲りることを知らないとでも言うべきか。

「……っ」（×２）

呻き声さえ上げられずに叩きつけられた二人に、これまた金が手を差しのべようとしたのだが…。

『その馬鹿二人は放っておいて、金』

思いきり見透かされていた。

「……ハイ」

別に悪いことをしている訳ではないのに、身をすくめながら返事をする金だった。

『馬鹿が依頼を受けている分、明日から順に終わらせるから光太郎に合流しなさい。私は小夜と鏡の方をどうにかするわ』
「わかりましタ…」

床にのめり込んだまま身動き一つしない日向達と、電話越しとはいえ逆にきびきびと指示を出すふみこの様子に、金の心中は一体どちらが探偵事務所の所長だかわからない事態になっていた。