大後退 04





「悪い、少し遅くなった」
「お帰りなさいませ、日向様。お嬢様と小夜様がお待ちでございます」
「……?なんだか随分と賑やかだな」

仕事を一通り終えて屋敷に戻ってきた日向は、万能執事に出迎えられた玄関で、常人ならば捕らえることの出来ない音を耳にして足を止める。

「日向様、まずはこちらへ」

しかし万能執事は、やんわりとながらしっかりと日向を己の主の元へと促した。
しかも案内された部屋の扉を開けた瞬間、日向は二重の意味で頭痛を覚えることになった。

「意外と早く戻ってきたわね、『おじちゃん』?」
「…来た早々嫌味か、お前は」

まず第一に、出迎えたふみこの台詞がこれだったことと。

「その上なんなんだ、この仮装でもするような服は…」

第二に、広い室内を埋め尽くす勢いで広げられている衣服の数々のせいである。
てっきり怪しげな(失礼です)実験でもしていると思っていた日向は、まるで自分の趣味の範囲外である数多の衣服に、眉間に寄るしわを隠せない。

「オゼット。金を元に戻す方法は見つかったのか?」
「あぁ、あれ?調べてみたけど、結局時間がたって効力が切れるのを待つしかないわ」
「んな…っ!」

あれでもないこれでもないと様々な衣服を吟味しながら、ふみこはまるで興味がなさそうに答える。

「金をあのガキのままほったらかしにするのか?!」
「仕方がないでしょ、その方が下手に何かを飲ませるよりよっぽど早く、且つ確実に戻りそうなんだもの。
となればあの坊やでいろいろ遊ぶのも良いかなと思って」
「遊ぶってお前は」
「小夜、こっちの服なんかどう?」
「私はこちらも金さんに似合うかと‥」
「あら、なかなか可愛いじゃない」
「人の話しをきけ!」

ふみこどころか小夜にまで相手にされず、かなりの勢いで切なさを覚える日向だった。

「いつまでも突っ立ってないで座れば?…なんならあなたも坊やの着替えを選ばない?」

壁に手をつき目まいを起こしかねない様子の日向に声をかけるふみこの手には、フリルが沢山を通り越してごったり(日向談)ついたワンピース。

「日向さんは『いめくら』がお好きだとお聞きしましたが…それは何なのですか?」

そんな日向に気遣うようで全く気遣いのない声をかける小夜の手には、衣服というよりは仮装(これまた日向談)にしか見えない牛の着ぐるみパジャマ。

「……」

文字通り金で着せ替えをする意欲満々な二人を前に、日向は呆れるよりも金が非常に不憫になってきた。

「せめてまともな成人男性の服にしてやれよ…」

元に戻った時、金が頭を抱えて悲鳴を上げる姿が目に浮かぶ。
もっとも所詮ふみこには全く頭が上がらない上、小夜にだとてとても甘い金のことだから、普段の状態でも(二人がかりで)着替えを要求されたら、抵抗してもきっと泣く泣く着替えていただろう…とも日向の頭をよぎったが。
(それよりも金のような規格外に長身な男性用の、しかも普段着になるとはとても思えない衣服が大量にあるのかと、何故その疑問が頭をよぎらないのか不思議である)。

「(おいオゼット…お嬢ちゃんに何を吹き込んだんだ。俺はイメクラなんかの趣味はない…)」
「(ふぅん?あなた金にこういうの着せたくないの)」

こっそり言い合いながらもぴらっと『男の浪漫!』的衣服をちらつかせられ、一瞬だけでも怯んだ日向に罪はない…くもない。(←なおこの服は各自のご想像におまかせいたします)。

「あーとだな。俺は着せ替えの趣味はないから判らないが。こういうのは本人抜きであーだこーだ言っても始まらないんじゃないのか?」
「あら、それもそうね」

一応日向としては金への助け舟のつもりで提案したのだが、名案とばかりにふみこから切り返されて、それが失言だったと気付いても後の祭りである。

「ちょっと待てオゼット」
「今のあの子、一人じゃ着替えもおぼつかない状態だものねぇ」
「こら!何を考えてるんだ!!」
「おかしなコトを考えているのはそっちでしょう?小夜、金を呼んできて」
「はい」

慌てて止めに入るが更に楽しみを見出されてしまい、しかも意味を理解出来ていないらしい小夜に素直に頷かれて、日向は更に慌てて少女の後を追うはめになった。

「金さん、どちらにいらっしゃいますか」
「小夜ちゃん、ちょっと待て…」

ヤタを出現させ、金の気配を探らせながら廊下を歩く小夜を、日向はどうにか止めなければと思いながら肩に手をかけようとした。
だか予想に反してその手をひょいひょいとかわされてしまい、なかなかうまくいかないのだ。

「こっち?」

そんな日向の苦労?も知らず、主の探す者の気配を見つけたヤタが一声発すると、小夜は「ご苦労様」と優しく労い廊下の角を曲がって…。



「こら大正!まだ出たら駄目だっ!!」



何とかジーンズとTシャツ姿ながらろくに汗が引いていない事が判る光太朗と。



「大正殿、待つでゴザル!!」



似たような姿で、長い髪から水滴が落ちないように頭にタオルを巻き着けたロジャーと。



「やーッ!!!」



全身ずぶ濡れな上に髪の毛からは水滴を滴らせた、素肌にバスローブを羽織っただけの金と出くわしてしまい。




「きゃーッッ!!!」




と、屋敷を揺るがすような、けたたましい悲鳴を上げるはめになったのだった。


「小夜たん?!…イテェっ!!」
「巫女姫殿ッ?!…コウッ!!」」


しかしそれだけでは終わらないのが小夜である。
顔を赤らめながらも絶叫と共に光太朗目がけてヤタをけしかけたのだ。






そして。






「ひゃぅッ?!」
「大正殿っ!?」





はしたないと言うかみっともないと言うか、はたまたあられもないと言うか、とにかく普段の姿からは全く想像できない姿の金を、日向は何のためらいもなしに肩へ担ぎ上げ、今金達が出てきた浴室へと身体を滑り込ませてしまう。

「………」

そしてロジャーが駆け込んで来る前に素早く内側から施錠を行うと、はだけかかっているバスローブを気にもかけずに逃げようとする金の腕を掴んで引き寄せてしまった。

「や…っ」

これには《日向=恐いおじちゃん》と覚えている金が、理由は判らないがまた怒られる!と思ってじたばたもがくのも無理はない。

「いや〜!」
「………」

だが日向とてこれに怯んでもいられない。
もがく金を慣れた手つきで押さえ込むと、脱衣所に無造作に放り出してあったバスタオルを掴み、滴が滴ったままの髪を素早く拭き取り始めた。
始めこそは乱暴に見えたそれも、時間が立つにつれて金がおとなしくなってきたのだから、なかなかどうして丁寧に行っているらしいことが伺える。

「ん…」

いつの間にかぺたりと床に座り込み、おとなしくされるがままの金に、日向はあえて淡々と、今度は申し訳程度にバスローブに覆われているだけの身体を拭き始めた。
怒る訳でもなく、ただ自分の身体を拭いてくれるだけの日向に幾分安堵してきたのか、金はそっと背後を振り返る。

「おじちゃん…」
「日向だ」
「ひゅーが?」
「ひゅうが、だ」
「…ひゅーが」
「玄乃丈」
「げのじょ?」
「………」

名前で呼ばせようと訂正するが、いつもの金でさえ日向の名前は発音しづらいのに、五歳児には殊更発音しづらいらしい。
毎度の事とは言え、年がら年中ふみこの暇潰し(…)の犠牲になる金(と自分)に対し、切なさにほろりと涙がこぼれそうな錯覚に陥いる日向だったが。

「気持ちいいか?」
「うん」

先刻とは違い、おとなしくされるがままでいる姿に安堵した。

「あのな金。ちゃんと身体を拭かないうちに風呂場から出たら駄目だろうが」
「…だって」
「だって?」
「…おにいちゃん、へた。いたい」
「下手?痛い??」
「ろいおにいちゃん、あついの、きらい」
「は???」

日向の問いかけに金は何かを思い出したのか、ぷうっとふくれてしまった。
後で二人から話を聞いて判ったことだが、光太朗は頭どころか身体までゴシゴシと力一杯洗ってしまい、金はそれがとても痛かったというのと。
ちゃんと湯船に浸かって温まれと言ったロジャーは、金と光太朗の適温では熱すぎて、いいだしっぺのくせに一緒に入ることが出来なかったのだという。

「おにいちゃんたちとおふろ、きらい」
「そうか」

その場面がたやすく想像出来た日向は、今度は二人が不憫になった…のはほんの少しで。

「いいか、オゼットの前でそれは絶対に言うんじゃない。いいな?絶対に駄目だぞ?」
「どうして?」
「お前にとってものっ凄く良くないことになる」
「よくない…こわいこと?」
「(ある意味)物凄く恐い事になる。泣くだけじゃすまされないだろう」
「うぇ…っ」
「だから言うんじゃない。判ったな?」
「…ん」

ふみこがそれを知ったら十中八九「じゃあ私と入りましょうか?」と言うであろう予測がついた日向は、もしそうなった場合金が元に戻った時に羞恥のために噴死しかねないと冗談抜きで不安になり、それを阻止?すべくそれはそれは真剣な面持ちで釘を刺した。
んっ、と唇を噛み締めるように頷く金だったが、この中身だけのお子様は、恐らくその本当の意味は理解していないのだろう。

「じゃあ、おじちゃんでじょんといっしょ、はいる?」
「…は?」
「ひとりでおふろ、いや」
「…………」

本来ならばこんな風におねだりされようものなら、喜び勇んで一緒に入っていた。
そもそも、中身さえ気にしなければ断る理由なぞ全くない。


しかし。



しかしである。



『大正殿、ご無事でゴザルかっ!?』

扉の外で叫んでいる、ロジャーが許しはしないだろう。

「おじちゃん?」

きちんと服に着替えることを促され、よいしょ、よいしょとまるで某子供番組を彷彿とさせる仕草で着替えていた金は、何故か自分から視線を逸らせている日向に不思議そうに声をかける。

『大正殿!』
「生憎と貴様が心配するような事は何もしちゃいない」
「おじちゃん、これやって」

だがシャツのボタンがうまくはめられない事の方が気になったらしく、自分が問いかけていることをすっかり忘れて、目を逸らせたままの日向のスーツの裾を引っ張った。

『ならば鍵を…っ』
「ほれ」

日向はチラリと金に視線を合わせて、心の中でシャツヨシ下ヨシ!とおかしな点呼を取ってから、ロジャーを中に促すように施錠を外す。

「大正殿っ」
「なぁに?」

血相を変えて(しかもワガメちゃんまで従えて)中に飛び込んできたロジャーの視界には、頭にバスタオルをかけられた状態で日向から袖口のボタンをはめてもらっている、にこにこと呑気に微笑む金の姿。

「おにいちゃんの、おにんぎょう?」
「は?イヤ、コレは拙者の式神で…」
「今のこいつにそんな説明で判る訳がないだろうが」

心配が杞憂に終わりほっと胸を撫で下ろす間も無く、ロジャーは日向の嘲笑うような物言いにキッとにらみつけた。

「しきがみ…しってる」

だがワガメちゃんの頭をを撫でながら、金がのほほんと間延びした声音で割って入ると、外見通りの大人二人は「え?」と顔を見合わせた。

「でじょんもしきがみ、もってる。ここに、よぶ?」
「いやいやいやいや!今は呼ばなくてイイからなっ!!」
「だ、大丈夫でゴザルっ!」

ただでさえ恐ろしい程の破壊力を持つ仁王剣を、無邪気に使われたらなんだかとんでもない事になりそうだと、二人は揃って祝詞を阻止する。
仁王剣の威力を間近で痛感したことがあるだけに、それを幼少の頃から使いこなしていたと言う事に、ふみことはまた違う意味で金に対し畏怖を感じてしまう二人だった。

「じゃあ、こんど」
「あ、あぁ」
「それが良いヨ」

にこっと笑う金に引きつった笑みで返す二人の額に、うっすらと汗が浮かんでいたのは気のせいではないだろう。

「こーたろーおにいちゃんは?」
「そういやアイツどうなったんだ?」
「アハハハ…」

あれ?と首を傾げる金とそれに賛同する日向に、何故かロジャーは乾いた笑いを向ける。

「イヤ…巫女姫殿の悲鳴に、ふみこ殿がやって来て…」

ここまで言うと、また乾いた笑いで誤魔化すロジャーだったが。

「金の身代わりに連れていかれたな」
「御名答…」

任せたはずの金の世話に手こずっていただけでも腹ただしいのに、自分の屋敷で典雅さのかけらもない格好で小夜の前に飛び出してきたと告げられて。

『あら。随分とイイ格好をしているわね』

やけに優しく微笑むふみこの怒りを察し、光太朗は何の言い訳も出来ず、万能執事から何処かへと連行されていったのだと言う。

「いやぁ、アレには流石に口を挟む勇気がなかったな」

真っ赤になったままの小夜を促し、こちらに向かって悠然と微笑むふみこの紫の瞳には、ロジャーへの紛れもない牽制が込められていた。
それに関しては気持ちが判らないでもない日向は黙っているが、今の金にとってそのようなことはどうでも良くて。

「おにいちゃん、おねえちゃんと、いる?」
「まさか…一緒に行きたいのか?」
「うん。おねえちゃんのところ、いく」
「止めておいた方が良いでゴザル」
「いや。おねえちゃんのところ、いくっ」

精神年齢が後退しても、結局金にとってふみこは一番らしい。

「(…堪えろ、犬)」
「(やかましいわっ)」

いつもと違い怒鳴りつけるわけにもいかず、かといってそれを見過ごせる程でもなく。
だがそれは金のせいではないだけに、日向はバスタオルを放り投げると、金の腕をいささか乱暴に掴み浴室を出る。
金を連れだって廊下を歩く日向の今の心情を例えるのなら『こうなりゃもうヤケクソ』である。

「ちょっと待て…」

そんな日向をいささかでも不憫だと思った(のか?)ロジャーが、少し落ち着けと引き止めかけた時奇妙な音がその場に響いた。

「……」
「……」
「…えへ」

立ち止まり顔を見合わせる日向とロジャーに対し、金は何も悪びれたところなどない無邪気さで、空腹を訴える自分の腹を押さえている。

「んとね、おなか、へった」
「あ、あぁ…」
「いつの間にかもうこんな時間なのか…」

自覚した途端言葉にして空腹を訴える金の呑気さに、大きなお子様を引率中の大人二人は呆れるやらほっとするやら。



「皆様、お食事のご用意が整っております。
お嬢様達は先に席にお着きになって皆様をお待ちでございます」



しかもそこにタイミングを見計らったように、何処からともなく万能執事が現れたではないか。

「ごはんたべる!」
「こちらでございます」
「はやく、はやく」

万能執事に招かれ、ごはんに釣られた金は二人の腕を取りぐいぐい促す。




「はいはい」
「さぁ行くでゴザルよ、大正殿」




大事の意味が全く違う二人だが、今の金とて大事な事には変わりはない。
普段の物静かで控え目な笑みではなく、中身だけとは言え子供らしい天真爛漫な満面の笑みを見せる金に、それぞれ苦笑と共に取られた腕を逆に彼の腕に絡ませて歩き出した。










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