大後退 07
翌朝。
「金の件なんだけど。なんだかね、ちょっと配合間違えただけみたい」
全員で朝食を摂っている最中、ふみこは「良い天気ねぇ」言わんばかりに、かなり重要なことをさらっとこう言ってのけた。
『………』(×4)
ツッコムまい。
ふみこがこう重大なことを軽く話す時、墓穴を掘りたくなければ絶対に深く追求してはいけないことくらい、いい加減(それこそ嫌と言うほど)思い知らされているはずなのに。
「配合間違えてましたで済むかーッ!」
昨晩と同じように金が隣に座った状態で食事を摂っていた日向は、不機嫌さを隠さずにふみこを怒鳴りつけたたのだが…。
「お座り」
「ぃでぇッ!」
すると間髪おかずに命令され、したたかにテーブルへ(顔面から)叩きつけられた。
『………』(×3)
「んと…おじちゃん、いたいいたい?」
その姿に同情と嘲りが要り混じった眼差しを向ける残りのメンバーと、一人のほほんとした調子で日向を見ている金。
「金。おじちゃんは悪いことを言ったから怒られているのよ」
「おねぇちゃん、おじちゃんにメッ、してるの?」
「そうよ」
「ふぅん」
「………」
目に見えぬ力にミシミシと素晴らしく痛々しい音を立てている日向は、ふみこの言葉を訂正したくとも、そもそも声が出ないのだ。
「……ぐ……」
声が駄目ならば身振り手振りで…と思っても、身体全体に目に見えない力がかかっているのだから同じ事で。
「大正のコレは、薬の分量を間違えただけなんだな?」
「ならば。それ程時を置かず元に戻るのですね?」
「安心した。原因が判ってとりあえず良かったな大正殿」
残りのメンバーは(伸されている日向については一切触れず)、安堵の言葉だけ紡ぐ。
「?」
「金。こっちにいらっしゃい」
「??」
何故皆から良かったなと言われているのか判らずにきょとんとしている金を、ふみこはちょいちょいっと手招きする。
「おねぇちゃん、おじちゃん、いたいいたい、このまま?」
「あら、おじちゃんがかわいそう?」
「うん」
一人身動きの取れない日向の姿に、金はこくっと頷く。
「金がそういうなら許してあげましょうか」
そしてじっとこちらを見つめてくる純真無垢そのもののその瞳に、ふみこは自分が悪者にならないうちにと、あっさりとその呪縛を解いてしまった。
それに対し金はふみこににこっと幸せ一杯な笑みを見せてから、また朝食を取るために日向の隣へと戻って行きかけて…。
「…………」
目に見えぬ呪縛から解放され、心底くたびれ果てた溜め息をついている日向の頭を、動物か何かを愛でるように撫で始めた。
「大正、お前所長に何してんだ?」
「なでなで」
「いや、そうではなくて」
「んと…かわいーかわいー、してる」
金の行動に訳が判らない光太朗とロジャーは、それぞれ問いかけてみるがイマイチ良く判らない。
「……」
「…か…可愛い、ですか…」
しかし女性陣は金のそれが何を差すのかに気付いたらしく、日向の恨みがましげな視線を避けて笑いを堪えてしる。
「金は、おじちゃんが大好きなのよね?」
「うん。かわいー」
「所長がかぁ?」
「これの何処が可愛いでゴザルか?」
「…笑い過ぎだ」
肩を震わせて笑いを堪えているふみこと小夜をひとにらみすると、日向は自分の頭を撫でている金の腕を掴み、いい加減椅子に座るように促した。
「なーんかむかつく…」
「…同感」
昨日とは打って変わって、日向に対して並み並みならぬ信頼?を置いてしまったらしい金を見て、面白くないのは残りの二人。
「なぁ小夜たん。なんで所長が『可愛い』なんだ?」
「拙者もお聞かせ願いたいでゴザル」
「え…」
笑いを堪えていた小夜だったが、まさか自分に説明を求められるとは思ってもいなかっただけに、つい、助けを求めるように視線をふみこに移しててしまった。
「そんなもの、金を見ていれば自ずと判ることよ。そんなことより、早く朝食を済ませてしまいましょう」
「なんだよそれ」
「…普段の金ならなら思いはしても決して口にしない事を、今の金は素直に言っているだけよ」
「は…?」
「…判らないなら余計な詮索はするな」
立場が逆転した分余裕も出てきたらしい日向は、そう言い切るとまたせっせと金の世話を焼き始めた。
「金、口を開けろ」
「…う…」
しかも金がこっそり避けていたモノに気付くと、素早くそれを己のフォークに突き刺してから、そのままずいっと金に差し出した。
「ちゃんと人参も食え、人参も」
「ヤだ」
とたんに見事にそっぽを向かれたが、余裕がある分対応は冷静だった。
「…食べないと耳は触らせんぞ」
「イヤっ!」
「(やっぱり納得いかねぇ…)」
「(…うむ)」
しかも世話を焼くというよりは、どう見ても二人を牽制しているとしか思えない構いっぷりである。
「それなら頑張って食べないとねぇ」
「…ぅえ…」
「大丈夫ですよ、金さん。これは甘くておいしいです」
それに呼応するかのように、ふみこと小夜も金を構い始めているではないか。
「…ん」
ふみこからは声援(というか激?)を飛ばされながらにっこりと微笑まれ、小夜からは力一杯太鼓判?を押されて、金はしかめっ面になりながらも観念して口を開けた。
「よし、えらい…」
金が渋々差し出された人参をぱくんと口に入れると、日向はすかさず誉めようとしたのだが。
「駄目だったら無理しなくて良いんだぜっ?」
「無理なら犬に吐き出すと良いでゴザル!」
その姿を見た光太朗とロジャーまでが(何故か)渋面になりながらも、無理はするなと余計な口を挟む。
「阿呆。好き嫌いを奨励してどうする」
金のせっかくの頑張りを台無しにしそうな二人に、日向は至極まっとうな言葉を返すのだが…。
「んだよ、大正は嫌がってんじゃねーか!」
「そうそう、たかが人参くらい食べなくとも支障はナイッ」
こともあろうに、逆切れして食ってかかる始末。
「…………」
「…………」
「…………」
これには日向は勿論、ふみこや小夜まで呆れ過ぎて、二人に白い視線を送る以外対処しきれない。
「…んく…」
「大正殿!?」
「大正?!」
そんな中、金は一人もくもくと口内の人参と闘って?いたようで。
はふぅ、と気の抜けるような溜め息をつく金に、二人は「無理しないでぺッしろぺっ!」と馬鹿馬鹿しい声をかける。
「おじちゃん」
「あぁ」
だが、二人の正しくない気遣いをよそに、金は日向に向かって再び口を開けているではないか。
「え…」
「何故…」
「誰であろうと、ミュンヒハウゼンの用意した食事が口に合わないはずがないわ」
その姿を見て茫然とする二人に、館の女主は冷ややかに告げる。
「金に構いたい気持ちは結構だけど。いい加減食事を済ませて金を連れていって頂戴」
そう言ってにらみつける先には、中身が後退している金は別として、妙にしまりのない面持ちで金に食事を促す日向。
いくら金自体がほほえましいとは言え、そのそばに居るだらしなく若気た様子の日向に、流石のふみこもいい加減馬鹿らしくなってきたようだ。
「よし、早くメシ食べて遊ぶぞ!」
「おじちゃんは?」
「俺は…」
「おじちゃんは仕事があるから一緒には遊べないのでゴザル」
「んな…ッ」
そんなふみこからの無言の威圧に、日向よりも早く光太朗とロジャーがさっと反応した。
「がっかりしなくても良いわ。おじちゃんはいないけど、今日は私や小夜も一緒に遊んであげるから」
「ちょっと待…」
「おねえちゃんたちもいっしょ、あそぶ?」
「ええ」
「はい」
「うれしいー」
日向に口を挟む僅かな暇も与えず、ふみこ達は揃って金の意識を自分達の方へ向けさせてしまう。
「おねえちゃんと、いっしょー」
「お前なぁ…」
しかも金自身がそれにころっと引っ掛かるのだから、日向の空しさ(切なさ?)が倍増するのも無理はない。
「おじちゃん、どうか、したの?」
「なんでもない…」
だが仏頂面ながらもしっかりと食事するようにを促せば、金はここでようやく日向の様子がおかしい事に気付いたらしい。
「おじちゃんはお仕事に行く時間だから、あなたに早く食べて欲しいのよ」
「誰もそんな事は言ってない…」
さっさと行けと言われたようでむっとしてしまうが、実際そろそろ事務所に戻らなければ差し仕えが出そうな時刻である。
「(名残惜しいが)俺は仕事に行ってくるから」
そう言って潔く?日向が腰を上げると、もくもくと残りを口に運んでいた金が慌てて一緒に立ち上がる。
「金?」
「どうしたの?」
「どうかしたでゴザルか?」
「どうかしたのですか?」
「何やってんだ?」
金以外の全員が疑問符を浮かべるが、当人は口の中の物を何とか飲み込むと、にこぉっ子供らしい無垢な笑顔を見せた。
「き…」
幾らか低いだけの背丈である日向に何らためらうことなく抱きつくと、金はその笑顔のまま彼の左頬に「ちぅっ」と口付けたではないか。
『………』(×5)
「おじちゃんに、いってらっしゃい、ちゅー」
誰だよこんな事を教えたのは!と唖然として言葉を失った大人達をよそに、一人ご満悦な金は、今度は反対側の頬にも口付けようとして…。
「ふぇ?」
日向から真顔で引きよせられた。
「おじちゃん?」
「どうせなら俺はこっちの方が…」
「?」
そのまま近づいてきた顔を避けることなく、金は日向の成すがままだったが、これで当然黙っていなかったのが残りの面子である。
「馬鹿をやっていないでさっさと行きなさいっ!」
「不潔ですっ!」
「(中身だけとは言え)子供相手に何やってんだッ!」
「貴様殺すッ!」
これには全員がキレた。←当り前。
金の腰を引きよせ顔を近づけているのでは、どう見繕っても抱擁して接吻を求める以外に見えない。
(だいたい未遂ではなくちゃっかり唇が重なっていたのを、ふみことロジャーの大人組は二人は気付いてしまった)
「悪鬼退散ッ!」
「ザサエさんッ、GO!」
日向に向かい追い出すべく仲良くヤタとザサエさんを繰り出す若人二人に対して、大人二人はこれ以上はないと言わんばかりの渋面で金を自分達の方へ引き寄せた。
「不容易にあんな事しちゃ駄目よ」
「なんで?」
「あれは悪いオオカミでゴザル。あのような事をしたら、大正殿が食べられてしまう!」
日向の名誉?の為フォローするが、今の金に対して日向が抱いているのは『保護欲』である。
「おねえちゃん、ちゅーしたよ?なんで、だめ?」
「は?」
むう、と難しい顔で呟かれ、ロジャーは返答に詰まった。
「ろいおにいちゃんも、したよ?おじちゃんもいっぱいいっぱい、したよ?
でも、なんで、デジョンがするは、だめ??」
自分は沢山ちゅーをされたのに、何故自分がしてはいけないのかと金はご立腹であるらしい。
「………」
「………」
顔を見合わせてどう説明したら良いものかと考えあぐねるふみことロジャーだったが。
「わんわんに、ちゅーしたい…」
若人二人の攻撃から逃げる?ように屋敷から去ってゆく日向を窓から眺め、さも残念そうに口にした金の呟きに二人は瞬時に合点がゆく。
と、同時に何やら含みのある笑みを浮かべたのは気のせいなのだろうか。
「金。あなたおじちゃんにアレをしたかったの?」
「んと…」
「もしかして本当は『わんわん』にしたかったのでゴザルかな?」
「!」
ここで金は自分が(日向から散々注意をされてにも関わらず)『おじちゃん』ではなく『わんわん』と呼んでしまった事に気が付いた。
「あらあら、可愛いわね」
ばっと両手で自分の口をふさぐ仕草に、ふみこは恐ろしい程に優しい笑みを浮かべる。
「…ないしょ」
「大丈夫でゴザル。犬には黙っているよ」
これまた同じような笑みを浮かべるロジャーに宥められ、金は潤みかかった瞳でこくっと頷いた。
「黙っていてあげるから、お願いきいてくれる?」
「?うん」
口をふさぐ手をそっと外させて、ついでに食堂から広間移ってソファに座らせて。
「アレをおじちゃんにだけするのはずるくない?」
「拙者達にもして欲しいヨ?」
金を挟み込みながら、ふみことロジャーはじりじりと間合いを詰めてゆく。
「なんのちゅー?」
普段の金ならこうなる前に脱兎の如く逃げ出しているのだろうが、今は顔を近づけてくる大人二人を平然と眺めている。
「そうねぇ…」
「大好きのちゅー、かな?」
「ふぅん?」
二人から頭を撫でられ頬をさすられ、必要以上に身体を近づけて挟まれても、やはり金は平然としている。
会話だけ聞けば非常に微笑ましいが、端から見た姿は大人達の悩ましい?情事の前触れのようであることを忘れてはいけない。
「金は私達が嫌い?」
「だいすきー!」
「ならばちゅーをして欲しいでゴザル」
「うん」
それを判ってわざとそう聞くふみこ達に対して、じゃあするーと呑気に答えた金は、二人に促されるままに、まずはふみこの頬に口付けようとして…。
「なにをやってんだーッ!!」
「ふ、ふみこさん達まで!不潔ですッ!!」
まさにその瞬間、ドアを蹴り破る勢いで(いつの間にか)舞い戻ってきた若人二人に阻まれた。
尚、ふみことロジャー、すなわち両脇から挟まれる形になっていた金は、その勢いに驚きぽかんとしてしまった。
「別に疚しいことは何もしてないわよ?」
「ああ、確かに」
だが大人二人も別段動じる様子もない。
「ンなろ…」
「く…ッ!」
なので若人二人は(仕方無しに)矛先を金に向けた。
「大正!」
「ふえ?」
「はしたない事をしてはいけません!」
「はしたない…って、なぁに?」
しかし、それに肝心な金がまるで判っていないのだから、若人二人にはどう説明したら良いのか判らない。
「んと…おにいちゃんも、さよ、おねえちゃんも、すきー」
「は?」
「え?」
だからちゅー、となんの前触れもなく金が近づいて来ていた光太朗と小夜の頬に口付ければ、二人は顔を赤くして言葉に詰まり、怒るタイミングを逃してその場に立ちすくむ。
そんな自分達を、ものすごーく意味ありげな微笑をもって眺めている大人二人に気付いた光太朗と小夜。
「………」
「………」
その様子に、実は二人は『金と遊ぶ』ではなく、『金で遊ぶ』つもりなのだと言うことにも気が付いてしまった。
(ちなみに金は、光太朗達が硬直している隙に、ふみこ達からさっさと呼び寄せられてしまっている)。
「…所長が怒るワケだよな」
「でも」
「あ?」
「もしかしたら…ですが」
「何がもしかしたらなんだ?」
先ほどの続きとばかりに、金へちゅーをねだって(え?)いるのを眺めながら、小夜は自信なさげながらも(憶測にしか過ぎないにも係わらず)、光太朗へとんでもないことを口にする。
「日向さんがこの場にいらっしゃっても…恐らく同じだったのではないかと」
「は?」
「ですから。いくら日向さんが金さんの事を案じてここに残っていたとしても、結局ふみこさんやロイさんとなんら変わらなかったのではないかと…」
「んなアホな…」
小夜の言葉を笑い飛ばそうとした光太朗だったが。
「わたくしの推測ならよろしいのですが」
「………」
己の上司が日頃どのような態度であったかを思いだしてしまい、一転空笑いにしかならなかった。
そもそもあの上司は、(自分達が追い出す前に)金に何をしていただろう?
「おねえちゃんに、ちゅー」
「ふふ、ありがとう」
「ロイおにいちゃんにも、ちゅー」
「ン、可愛いネ。お返しに俺も」
和やかに(盛大に?)スキンシップをはかる金達に、言葉にならない痛ましい眼差しで眺める光太朗と小夜は。
(大人って…)
(大人って…)
こんなコト平気でやるようになるのか!?と、見当違いな非難を心中で浴びせるのだった。