大後退 08
金が中身だけ後退してしまってから数日後のこと。
「おじちゃーん」
相変わらず金が元に戻る兆しはみられなかったが、皆順応力だけはすばらしかったのが幸いして、それなりに平和に過ごしていたのだけれど。
「これはどういう事だ?」
日向が一人雑務をこなしていた事務所に、いきなり金が押しかけてきたのだから驚かずにはいられない。
「おじちゃんの、おうちー」
唖然とする日向をよそに、元に戻れば見慣れたはずの室内を物珍しそうに見回す金。
「大正が来たがったんだよ」
放っておけば扉という扉を開けて回りそうな様子に、光太朗は「コラ!」と気合一発で引き止めてから、渋る金を来客用のソファに座らせる。
「だからって」
「連れて来たくはなかったんだが…」
「…なんだそれは」
二人から少々遅れてやってきたロジャーの手には、何かが詰まっているらしい塗り箱を包んだ物と、何故か金の仁王剣(と、他色々)入りのギターケース。
これらからして、どうも散歩ついでの単なる事務所訪問ではないらしい。
いぶかしげに保護者二人を見比べる日向に、当の二人は揃って深い溜め息を吐いた。
「おじちゃん、みてみて」
だがにこにこを通り越してにっこにこと元気一杯笑顔満開な金は、ソファから立ち上がると、光太朗とロジャーへ現状説明を求めている日向の袖を引っ張って、さかんに自分の背中にあるモノを見ろと急かす。
「一体なに…」
「かわいいー?」
「…………」
さしもの日向も、これには流石に絶句した。
と、同時に仕掛けたであろうかの偉大なる魔女を盛大に罵った…但し己の心中でだが。
「おねえちゃんと、さよ、おねえちゃんから、もらったの」
再度「かわいい?」と尋ねてくる金の背中には、どう見ても(変化した時の)自分にしか見えない、限りなく犬に近いオオカミ型のリュック。
「おい光太朗…」
「何だよ?」
「あのば…じゃなくて。オゼットの奴、俺に何か言ってなかったか?」
つい禁句が口に出そうになったが辛うじて言葉を飲み込んで、なるべく平静を装いながらも弟子に問う日向の表情は険しい。
「えーと…」
自分が悪いわけではないのだが、恐らく怒鳴られるであろう事が予想出来てしまうため、自然と光太朗の口は重くなる。
「おねえちゃん、おじちゃんからほめられる、いってたよ」
「…は?」
しかし、その怪しい雲行きを金があっさりと払ってしまった。
「おねえちゃん、リュックどんなのがいい、きくしたの。だからデジョン、わん…じゃなくて、おじちゃんみたいなのがいい、いったの。
おねえちゃん、そんなにおじちゃんだいすき、いうしたから、うんって」
「えーと…ちょっと待て」
うまく言葉にできないことがもどかしくて興奮気味に裾を引っ張る金をなだめ、日向は金がいわんとしている事を頭の中でまとめ始めた。
「オゼットが、作ったのか?」
「つくるしたのは、おじいちゃん」
言い出しっぺはふみこで、実際に作ったのは万能執事らしい。
「オオカミの形がいいと言ったのは?」
「はぁい」
問われて元気に(しかも手をあげながら)答える金だが、十中八九、ふみこ(もしくは小夜)からの誘導があったに違いない。
「ちゃんと、みて?」
「………」
そう言って金が背中からリュックを下ろし、まるでぬいぐるみを扱うように、日向の膝の上にちょこんと座らせた。
図らずもそのぬいぐるみ型リュックをまじまじと眺める羽目になった日向は、なまじ出来が良いだけになんとも言えぬ気持ちになった。
しかも(よりによって)腹の方にチャックが付いているのは何故だろう?
「オオカミ(というか俺)はこんなに目つきが悪くはないだろうが…」
「そうかぁ?」
「とても似てるじゃないか」
デフォルメ化されて随分と可愛らしくなってはいるが、目つきの悪さだけはそのままだと揃って否定された。
「おじちゃん、かわいいー?」
しかし問うている金にとって大事なのは、『可愛いかどうか』のただ一点のみ。
「………」
だがそれも、金を見れば否とは言わせぬ眼差しでこちらを見ているし、しかも金の背後に立つ二人からも『可愛くないとは言わせないぞコンチクショウ』的オーラがばしばし出まくっている。
「可愛い…んじゃないか…?」
「うん!」
それに押されたような形で日向がなんとか同意すれば、金はまた満面の笑みを浮かべてそのぬいぐるみ…ではなく、リュックを抱き締めた。
「で。ここに何をしに来たんだ?」
その姿は心底可愛い…というのは自分の中だけで叫んだ日向は、早くこの話題から逸れたくて話を変えた。
「おじちゃんと、ねんね」
「は?」
「所長、今日はふみこたんのトコ来られないって午前中電話寄越したろ?」
「ああ」
外に出なければならないような仕事はひとまず片付いたのだが、その後の事務処理云々が結構溜まってしまっていたのだ。
「それにしたって、今晩はお前達が一緒に寝てくれるんじゃなかったのか?」
「それが…」
「いや。わん…じゃなくて、おじちゃんと、ねんね」
「大正殿がぐずって駄目だった」
ふみこですら宥める事ができなかったというのだから、金のむずかりようが知れるというものだ。
「…と言う事で、ふみこ殿から大正殿をここへ送り届けるようにと、俺達が仰せつかってきた訳だ」
不承不承といった様が有体に判る言い方をして、ロジャーは手にしていた包みを日向に差し出した。
「なるほどね。そういう事ならありがたくいただくさ」
塗り箱の中身は日向と金の夕飯、つまり二人分の弁当である。
人あらざる鼻を持つが故に、受け取る前からその中身を知り得ていた日向は、素直にふみこの心遣いに感謝の言葉を口にする。
とてもじゃないが、お子様向けの食事など日向は作れない。
「へえ、所長素直じゃんか」
「お前はうるさい」
金を再度ソファに座らせながら光太朗が感心すると、日向から「そんな事を言うなら自分の分の書類を上げろ」と言い返されて暫し黙り込む。
「それと…大正殿の着替えも預けられた」
「着替え?そんなモノ元々ある…」
「正確には『持たされた』だな」
「………?」
今度は苦笑まじりなってしまったロジャーの説明に、日向は訳が判らず眉を潜めた。
「大正、ふみこたんからもらった服を出してみ?」
「はーい」
日向の様子に、今度は光太朗がなにやらにやにやしながら、リュックを抱えている金を促した。
「…………」
それに金が従う…のはいい。そうするように命じたのだから、それがおかしいといったことはない。
…しかし。しかしである。
それが詰め込まれているモノが悪かった。
出してみろと言われて金が手にかけたのは、見る度に複雑な心境になるあのリュック。
「おねえちゃん、きがえこれ、いうした」
抱き抱えていたそれを自分の膝の上へ仰向けに乗せ直すと、日向の目の前で金は全くためらう事なく、腹部に備え付けられていたファスナーを一気に引き開けた。
「!」
それを見ていた日向が、思わず己の腹を押さえた。
「こんな童話なかったっけ?」
「あったネ」
音程の外れたおかしな鼻歌を歌いながら金がファスナーを開けたその様は、なんだかとっても『おしおきにお腹に石をつめられちゃった』某童話のオオカミようで。
「これは新手の嫌がらせかッ?!」
なんだか自分が腹開きされているような錯覚に陥り、腹に手を添えたまま日向はがっくりと肩を落とした。
「ちょっとだけ所長が哀れになってきた…」
「…確かに哀れだな」
もはや怒る気力もなくうなだれている日向を見て、不憫に思った光太朗とロジャーは互いに頷き合ったのだが。
「きーがえっ」
だが金はといえば、全く気にした様子もなくゴキゲンで開いたファスナーから手を突っ込み、着替えをずるずるっと取り出していた。
見様によっては、臓物を引きずり出しているように見えてしまうのは、決して気のせいではないような…。
「おじちゃんと、ねんね」
「うっ…」
その上出てきたのが、よくもまぁこんなのがあったなといっそ感心してしまいそうな、オオカミの顔と足跡のプリント柄のパジャマだったりするのだ。
「これは絶対に嫌がらせだろうッ?!」
「…多分(×2)」
オゼットめぇぇ!と唸る日向だったが、なぜ唸っているのか判らない金が、きょとんとした様子でそれを否定した。
「おねえちゃん、えらぶ、してないよ?」
「何…」
「えらぶ、したのは、さよ、おねえちゃん」
「なにぃ!?」
「つくるしたのは、おじいちゃん」
「………」
最近ふみこが小夜を妙に構うようになっているなとは感じていたが、どうやら受けなくても良い方の影響を受けてしまったらしい。
しかも小夜の場合、全く悪意が入らないだけに、下手に言い返すことも出来ないのだ。
だがこの点は、金の影響を受けているような気がしないでもないが。
「いちいち腹をたててもいい加減空しいだけだぞ」
そんな日向に、全く同情していないような言葉を紡ぐロジャー。
「…わかってる」
言われなくとも判っているが、それでもやっぱり腹が立つ。
「とりあえず、大正殿は無事送り届けたからな」
「はいはい」
それでも無駄に体力は使うまいと投げやりに言葉を返す日向に、やや不安が残るらしいロジャーの顔色は冴えない。
「おじちゃんと、ねんねする」
「だからここに連れてきてやっただろ。大正は随分所長が好きだなー…」
「すきー。だって」
「『わんわん』だもんな?」
「うん!」
「………」
「………」
そんな二人をよそに、光太朗と金は呑気な会話で盛り上がっている。
「それはいいけど、ふみこたんから言われた事は覚えてるか?」
「うん。おねえちゃん、から、いわれた、おぼえてる」
しかし、それから続けられた会話に日向は首を傾げた。
「オゼットから言われたこと…?」
「ん?ああ」
つぶやくような日向の問いに、ロジャーが取り出したのは金のギターケース。
「お守りだ」
「お守りぃ?」
それがなんで…と言いかけた日向は、今度こそ間違いなく本気で同情しているらしいロジャーの視線に怯んでしまった。
「んとね、おねえちゃん、こわいことあったら、におうけん、よびなさいって」
「な…」
「お?ちゃんと覚えてたな」
「えらい?」
「偉い偉い」
「ほめられたぁ」
きちんと覚えていた事で光太朗から誉められた金は、ほにゃっと破顔して日向を振り返ったのだが。
それと同時に向けられた光太朗のそれは、大変冷たい…というか冷めた物で。
「…大正殿に殺されたくなければ、自制心を失わない事だ」
「………」
それが自分と金の関係を知った上の視線であれば、意味する事はたった一つ。
「…今の金は子供だぞ」
「だからお守りなんじゃねぇの?」
「……」
暗に夜の事を警告された日向は、自分に対する弟子からの評価を知った。
「大正、本当に所長のトコでいいのか?」
「おじちゃんが、いい」
「…そっかー……」
しかも頭を撫でながら金の身を案じている様は、何かそれだけではないような…。
「俺の気のせいなら良いんだが」
「なんだ」
「もしかして光太朗のやつ、俺を牽制していないか?」
「……」
ロジャーが否定せずに視線を反らし、小さく溜め息を吐いた事でそれは肯定となった。
「…本人はまだ気付いていない。ただ単に大正殿がこのような事になって、守ってやらなければという保護欲が出たと勘違いしているんだ」
だから下手に刺激しない方が良いと、ロジャーは哀れみを隠さずに冷静になれと肩を日向の叩く。
「げーんこつやーまの、たーぬきさん〜」
そんな三者三様それぞれの想いが渦巻く中、金は全く雰囲気に飲まれる事なく歌遊びに乗じている。
(金が元に戻ったら、言うべきか言わざるべきか)
金が光太朗に向けているものは、紛れもなく年長の者が年少の者を心配するものであるが、如何せん金はこの手の押しに弱くうまく逃げられない。
(いや、こっちも下手に刺激しない方が良いだろうな)
ふみこやロジャーが己に向けるものとはまるで意味が違う愛弟子の牽制に、内心頭を抱える日向だった。