大問題 02






『はぁ…』

その場所で金は大きな大きな溜め息を吐き、いつもはきちんと折り目正しい姿勢を保つ長身をしょんぼりと丸めて、そしてやっぱり深い深い溜め息を吐いていた。

『はぁぁ…』
『辛気臭いわね…』
『だって…私にはもうどうしたら良いか判らなくて…』

そのどこまで続くのかと言いたくなるような溜め息をBGMに、黙って紅茶を嗜んでいたふみこだったが。

『あのね大きな坊や。私はあなたの姉でもましてや母でもないの。
だから何かに付け避難場所にしないで頂戴』

半ば駆け込み寺化している現状に、そのまま率直に迷惑だと追い帰そうと口を開く。

『す…スミマセン…』

途端に辛気臭い重苦しい表情からいつもの朴訥とした表情に替えようとして…金は半泣き顔になってしまった。


それはそうだろう。


金にとってふみこは、最大の頼れる人間であり仲間であり(好きと言うよりあこがれている女性であり)、人生の先駆者(…多分)なのだから。

『ふみこサンに助言戴けないなら、私死んでしまいます!』
『……』

金の叫びは誇張でも何でもない。
まさにその通りの事態が迫っているからこそ、金はふみこに助けを求めに来ていたのだ。

『…大体、その悩みに関してはすでに私が手を打ってあげた筈よ?
どうしてまた今更手を貸してあげなきゃいけないのかしら』

むしろこっちが足りないくらいなんだけど?とふみこに妖艶に微笑まれ顎を捕まれ、金は身の危険を感じて瞬時に距離を置く。

『いらない知恵はついたのね。あの犬のせいかしら』

少し前までなら簡単に奪えた金の唇も、前の相談事の後からそうなかなか簡単に戴けなくなってきた事が、さらにふみこの機嫌を悪くしている事実を金は知らない。
ただ触れたり触られたり抱きつかれたり以上…それこそキスでもされようものなら、一人でねじれた城に突撃した方がマシだと思える事を金に仕掛けてくる人物が居るから、否が応にも防衛本能が働いてしまうのだ。

『あの後のオオカミさんのお仕置きは、あなたが今こうして泣いて嫌がるくらい、そんなに辛くて激しかったのかしら…?』
『!!』

自分から距離を置くことに罰を与えるように嫌味ったらしくそう言えば、金の身体は面白いくらいに跳ね上がる…はずだった。

『……』
『…金?』

しかしふみこの予想とは異なり、金はぐっ…と下唇を噛み締めうつむいてしまった。

『犬に何をされたの』

ここで漸く金の悩みが前回よりもややこしくなっているのかも知れないと気付いたふみこが、一変して冷静な声音で鋭く尋ねれば、金はそれは言いたくないと首を振る。

『黙っていたら判らないわ』
『…ふみこサンが、帰られた後。私はスキがあり過ぎると、日向サンがひどく怒った、それだけですカラ』
『……』

余計な事は一切口にせずそれだけ言って口を閉ざす金に、これ以上は聞き出せないとふみこは早々に見切りをつけた。


それはそうだろう。
こんな時の金は兎にも角にも頑固なのだ。


押しに弱いし女には殆ど免疫はないし、灰汁の強すぎる面子に振り回される
だけ振り回され、結果貧乏クジを引いてばかりいるような性格なのに。
それなのに自分が死んでも譲れぬと決めた事は、絶対に折れないし妥協しない。
それどころかそのことを必要以上に突く事をすれば、金は黙って屋敷から出て行くだろう。
ふみこにとってそれはあまりにも面白くない事だった。

『からかって悪かったわ。きちんと相談に乗ってあげるから、椅子に座りなさい』
『……』

ふみこの言葉に素直に床から立ち上がり、大きく一礼してから金は先ほどまで自分が座っていた椅子に戻る。

『以前ふみこサンは、また困ったコトがあれば来なさいとおっしゃるしていたので。
…報酬が私自身で払うは、できる事と出来ないことがありますが』

馬鹿正直に改めてそう切り出す金に、ふみこは失笑を隠せない。
今自分が気にいって追いかけている馬鹿な男がいなかったら、金はきっと一番のお気にいりにされ振り回されて、その神経をすり減らす毎日を過ごしていただろう。

『アノ…?』
『何でもないわ。あなたのその馬鹿みたいな律義さが好ましかっただけ。それだけよ』

誉めてけなして持ち上げて落とす。
金そのもので楽しむ極意を例えるとしたら、だいたいこんな所だろうか。

『それで?あなたが今回私に相談したいのは何かしら』
『た…』
『た?』
『その……私の体力を……』
『体力を?どうしたいの』
『一時的に、体力を上げたいですが、どうすれば良いデスカ…?』

あれだけ悩み落ち込んで盛大な溜め息を吐いていた金の、反比例するかのような一見なんともない簡単な質問に、一瞬だけふみこの反応が遅れた。
どうしてこうも金はふみこの裏を掻く?のがうまいのか。

『ちょっといい、大きな坊や。あなた…あの犬との事を相談に来たのよね?』
『ハイ』
『それがどうしてそんなスポーツ選手のような悩みになるのかしら…?』

こめかみに指をあて軽い頭痛を覚えながら確認をすれば、金はしばし考え込んでから首を傾げてしまった。

『私、おかしなことを言いましたか?』
『おかしくはないけれど、納得はできない。
あんなに散々辛気臭く溜め息を吐いて、その悩みがただ体力を上げたいなんて変だわ』

ふみこがそう思ってしまうのも無理はない。
すでに人とは呼べない自分程でないにしろ、金とて十分人外並みの体力と筋力を持ち合わせているからだ。
仁王剣を自在に操り空を飛び、しかも生身でさえ片足で何十メートルも飛ぶような人間が今更何故体力を欲しがる?
…と自問自答で考えてみて、ふみこにはすぐその理由に思い当たった。

『日向が相手だからだったわね…』

この場合は《大神目・人狼科・日向玄乃丈》とでも言うべきなのだろうか?

『そ、ソノ…。余程のことをするされない限り、普段は私の体力でも持たせることは可能なのですが。
最近、私一つ気になる事があるのです』
『……』

話の内容が内容だけに恥ずかしさに顔を真っ赤にして、それでもふみこの目を見ながら金はその理由を述べた。

『日向サンはいつか、自分の能力は月齢に左右されると教えて下さるしました。
別に小説などにあるような新月期だから変化できないとかそういう事ではなく、満月期になると大概の無茶は出来る程に血がたぎるのだと。ならば』
『ならば…?』

なんとなく金の言いたい事が判ってきたふみこだったが、あえて金に続きを促した。

『満月期でない今の状態で気絶するまでが多いのに、満月期に入った日向サンに、私は一体どんな抱かれかたされてしまうですカ…?』
『なるほどね…』

ここでようやく金の深い深い溜め息に合点のいくふみこだった。
しかし合点はいっても、結局ふみこにとっては相変わらず頭痛のする相談事には変わらないのだが。

『あの首輪は効果がなかったのよね…』
『なくはナイですが、極力お世話になりたくナイです』

前回の事を思い出してしまったのか、眉をヘの字にまげて不機嫌そうに金は言い切った。

『今回は、ちゃんと私がどうすれば良いか、を考えるして下サイ。
…日向サンをどうこうしても、結局解決にはならないですカラ』
『そうねぇ…』

金に前もってこんな言われ方をされて、下手に何かを企んで仕掛ける事はできなさそうだ…と割り切ったふみこは。

『単純に体力をあげるだけなら、できない事もないわ』

と、あっさりと応じてしまう事にした。

『本当ですカ!?』

それに真剣な眼差しで自分にすがっているこの可愛い大きな子供(…)が、あんな心身共に獣と化したヘタレに食い散らかされるのを黙っているのも、ふみこからしてみればそれはそれで面白くないのだ。

『試作品の段階なんだけど、あなたの望むような薬があるわ』

そう言ってふみこが万能執事に目配せをすれば、彼はいつの間にか準備していた小物入れ程度の箱を差し出した。

『試作品とはいえ、いっそ無駄にならなくて良かったわ』
『…はぁ』
『効果の方は間違いはないけど、問題は持続具合なのよね』

ふみこは箱の中からいくつかの硝子瓶を取り出し、それらを並べながら金に説明をし始めた。

『肝心な報酬の件だけれど。試作品だから報酬はナシ…というよりも、結果くらいは知りたいから、使ってみた結果を報告してくれるのが報酬でいいわ』
『わ、判りました』

硝子瓶を真剣に見つめ堅い表情のままで頷く金に、ふみこの中でちょっとだけ悪戯心が沸き上がる。

『あなたはあくまで自分がどうするかと悩んでいるのだから、必然的に出来ることは限られてくるわ』
『ハイ』
『…だから、誰かさんの求めに応じられるだけの体力が欲しいと思ったんでしょう?』
『!!』

ふみこがあくまで優しく《誰に》を追求せずに問いかければ、金はいつもの調子でぼっ!とガスレンジ並みの音を立てそうな勢いで顔を赤くする。





別に抱きついたり口付けたりなどしなくとも、不意打ちで金を赤面させることなど、ふみこにとっては唄を口ずさむより簡単な事だった。

 / 
戻る?