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北投石に関する年表と歴史

1989年/明治31年
東京帝国大学 櫻井廣三郎博士秋田県仙北郡田沢村渋黒温泉にて採集。当時は、鉛の硫酸塩としか分りませんでした。
1905年/明治38年
10月岡本要八郎が北投温泉「瀧ノ湯」に入浴の際、河床に沈殿物を発見。その時は、その沈殿物に関して採集や調査はされていません。
1907年/明治40年
1月20日「三ノ瀧」で初めて結晶を得て、吹管試験を行いました。
12月東京地質学雑誌第160号に硫酸鉛鉱と記しています。
1908年/明治41年
7月北投石の写真乾板の感光試験を行い、予想通り北投石が放射性を示す結果が得られました。
1911年/明治44年
3月「台湾島地形地質鉱産図説明書」に硫酸重土鉛鉱Barito-Anglesiteと命名。
7月北投石が動機となって温泉の放射性調査のため理学士:石谷傳市郎先生、醫学士:山川一郎先生が訪台しています。同時に神保小虎先生も現地を調査。
8月神保小虎先生が帰京9月渋黒温泉の調査によって日本にも北投石が産出していた事を突き止めています。
9月「台湾鉱物調査報告」に硫酸重土鉛鉱Anglesio-bariteと命名。
12月東京地質学雑誌第290号に北投石の性状を記載しています。
1912年/明治45年
7月神保小虎先生が北投石を携えて欧米を訪れ、ロンドン、ノルウェーで諸国の専門家に見てもらっています。
同年/大正元年
ロシアにて神保小虎先生はフェルナドスキー氏と協議し西洋名をとしました。
1959年/昭和34年
高野幸雄先生によるホクトウ系鉱物の結晶構造と形態の研究により、鉛の含有量で北投石の定義ができるとしました。
1972年昭和47年
高野幸雄・綿抜邦彦両先生の微量成分の化学分析と合成研究によって北投石が独立種でない可能性が出てきました。
1982年/昭和57年
佐々木・湊両先生の格子定数の精密測定によりは北投石重晶石と硫酸鉛鉱を端成分とする連続固溶体で、明確に境界がないので独立種ではないことがわかりました。現在は、北投石のことを含鉛重晶石と呼んでいます。
参考文献(入手文献)は国立国会図書館で入手した文献を参考にしました。
参考文献一覧はこちらを参照してください。


北投石について

酸性の温泉でできる温泉沈殿物の一種で、珍しい石に北投石(ほくとうせき)があります。台湾の北投温泉で1906年に発見され、後に北投石と命名されました。日本でも秋田県の玉川温泉で1898年に発見され、後に北投石とわかり、現在は特別天然記念物に指定されています。

北投石は重晶石(硫酸バリウム)のバリウムの一部が鉛に置換された化学組成(Ba,Pb)SO4(Ba:Pb≒4:1)をもつ鉱物です。また、ラジウムを含むので強い放射能をもっています。鉛の多い褐色の層とラジウムの多い白色の層が重なり縞模様をつくっています。研究によると、生成のときの成長速度は、年に0.5から1ミリメートルだそうです。

また、北投石の放射能の量は自然の10倍と高く、また、鉛やラジウムを含むことから、体に長く密着させたり、北投石を水に入れてその水を飲むことは体に有害だそうです。



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