かつては鞠生(まりふ)の松原の沖に浮かぶ向島(むこうしま)は、
豊後国の国東半島の沖合いに浮かぶ姫島に対して婿島と呼ばれていた。
そのいわれは、とおいとおい昔の神代のこてであった。

  周防国の佐波志那都命(さばしなつのみこと)の子に
牟礼香来比古(むれかくひこ)という者がいた。
身の丈六尺(1.8m)あまりで筋骨たくましく眉目はうるわしいばかりか、
大変な働き者であった。
佐波川の荒野を切り開いて美田とし、財貨をたくわえて豊にくらしていた。
周防国きっての評判の若者であった。

  海を隔てた豊後国の国東の里には、加奈古志比売(かなこしひめ)という、
これまたたぐいない美貌にかがやき、諸芸にひいでる評判の姫君がいた。
父の佐伯速阿岐命(さえきのはやあきのみこと)のもとに、
国中の多くの若者が婿になりたいと、言い寄ってきたが、利発にとんだ、
かわいい姫君にふさわしい若者はいなかった。

  日夜、あれこれと姫君の縁談に気をもんでいた父のもとへ、
塩土老翁(しおつちのおじ)がやってきた。
塩土老翁はイザナギ・イザナミのおん子で、「海幸山幸」の話にでてくる神で、
海路の神として、また塩づくりの神としてあがめられ、
諸国を巡って海上航路や塩作りの技術を教えていた。

  佐伯速阿岐命の話を聞いた塩土老翁は、しばらく加奈古志比売にふさわしい
若者をあれこれ思い浮かべたが、はたとひざを打ち、佐伯速阿岐命に
周防国の牟礼香来比古のことを話した。
  佐伯速阿岐命は、塩土老翁のお目にかなう若者なら、姫君にとって不足は
なかろうと思い、塩土老翁に仲介を頼んだ。
こうして牟礼香来比古と加奈古志比売はめでたく結ばれることになった。

  ところが、当時の婚姻(こんいん)は妻問い婚(つまどいこん)という方式で
あった。結婚しても、夫婦は一緒に暮らさず、夫も妻も以前と同じように、
それぞれが実家で暮らすのが普通であった。
夫は妻の家に夜ごと通うので妻問いといい、夜だけ妻子と団欒をともにした。
豊後国の加奈古志比売と周防国の牟礼香来比古の場合も例外ではなかった。

  牟礼香来比古は昼ひなかは懸命に働き、日が暮れてから船ではるばる
国東の里の加奈古志比売のもとに通い、夜明けにまた佐波の浦へ帰ってくる
という生活を続けた。
  牟礼香来比古は働き者でたくましいだけでなはなく、愛情のこまやかな若者
であったので、夫婦の愛情はいっそう深まった。
嵐の夜など夫を待ちわびる加奈古志比売は、夫の安否を気づかい、
気も来るわんばかりであった。

  日がたつうちに、さすがの牟礼香来比古も疲れを覚え、次第に働く気力を
なくしてしまった。
佐波川の美田もいつの間にか草が生い茂ってしまった。
  そんな息子を気遣った佐波志那都命は家人に命じて、妻のもとへの通いを
やめさせるようにした。
だが、妻を恋い慕う牟礼香来比古は、たくみに家人の目をかすめて国東へ
通い続けた。
 
  がまんのならなくなった父の命は、とうとう舟に鎖(くさり)をかけて、
舟を動かせないようにした。
  いつものように、家人の目をようやくのがれた牟礼香来比古は、浦の船にのり、
櫓(ろ)をこいだところ、櫓はきしむばかりで舟は少しも動かなかった。
あせった牟礼香来比古は、力いっぱい櫓をこいだが、
闇夜(やみよ)に櫓のきしむ音だけ悲しげに響いた。
「加奈古志比売、加奈古志比売・・・・・・」
妻を恋い慕って夜の海に向かって絶叫するばかり――。
妻を慕う身は、ついに夜が明けると舟ともども島に姿を変えてしまった。
その島を婿島(むこしま)という。

  一方、夫を待ちわびた加奈古志比売は、ついにこらえきれず、
国東の沖まで舟を出して夫を迎えたが、とうとう夫が来ないまま夜が明けた。
これまた、あわれにも加奈古志比売も舟ともども島になってしまったという。
これが姫島(ひめしま)という。
 
  こうして、恋い慕う夫と妻との仲が引き裂かれて島となり、
海を隔てて向かい合って、今も互いに恋い慕っているのが、
姫島と婿島(向島)といわれている。

おわり


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姫島婿島物語

防府の昔話と民話(1)  :防府市立佐波中学校発行・編集「防府」より

(ひめしまむこしまものがたり)