防府の昔話と民話(2) :防府市立佐波中学校発行・編集「防府」より
(たまのおやこれたかとろくじぞう)
(今昔物語第17)
今は昔、周防国の一宮玉祖神社の宮司に玉祖惟高という人がいた。
宮司の子孫とはいえ、幼いころより仏教をあつく信仰し、
なかでもとりわけ地蔵菩薩を尊崇し、日夜念仏をおこたらなかった。
ところが、長徳4年(998)4月のころ、惟高は病の床に伏し、
6〜7日たってにわかに息をひきとった。
惟高の霊魂は暗黒の冥土で道に迷い、涙を流して悲しんでいたところ、
姿、顔立ちのおごそかな六人の小僧がやってきた。
見れば、それぞれが香炉(こうろ)・宝珠(ほうじゅ)・錫杖(しゃくじょう)・
花筥(はなばこ)・念珠(ねんじゅ)を一品づつ持ち、
一人は合掌していた。
香炉を持つ小僧がやってきて、
「おまえは、われらを知っているか。」
と尋ねた。
惟高はいっこうに知らなかったので、
「存じ上げない。」
と答えた。
小僧は、
「われわれは六地蔵というものぞ。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のかたちをとってあらわれたのだ。
おまえは宮司でありながら、つね日ごろから仏教をあつく信仰しているので、
すぐさま世に帰って、この六地蔵を作ってあつく信仰せよ。」
といった
このようなできごとを夢うつつで見ていた惟高は、三日三晩たって、
息をふきかえした。
惟高はこのふしぎなできごとを家族の者や親しい人に語った。
これを聞いた人びとは六地蔵のありがたさに涙を流して感激した。
惟高はすぐさま三間四面の堂を建て、その中に冥土で見たままの
六地蔵を造って安置した。
その堂を六地蔵堂という。
開眼供養(かいげんくよう)の日には、六地蔵の結縁(けちえん)にあずかろうと、
僧侶・俗人・男女が遠方からもおびただしくお参りにきた。
そのころ、三河入道寂照(みかわのにゅうどうじゃくしょう)という僧が、
惟高入道の往生(おうじょう)するさまを夢にみたと告げた。
惟高は神につかえる宮司の身として、神への供物(くもつ)を私用する罪が
多かったとはいえ、世の人々は地蔵菩薩の導きによって、
惟高が極楽浄土(ごくらくじょうど)へ往生をとげたことをよろこびあった。
それで、
「もっぱら地蔵菩薩を念じてたてまつるべし」
と語りつたえているとか。
(註) 12世紀はじめに成立した今昔物語には、インド・中国・日本の
仏教説話が1040話おさめられている。
防長両国に関するものには、これを含めて
「周防国の判官代観音(ほうがんだいかんのん)の助けによって
命を存すること」
「周防国の基灯聖人・法花経(きとうしょうにんほっけきょう)を
誦(じゅ)すること」
「長門国の阿武大夫・兜率(あぶのたいふ・とそつ)に
往生すること」
の4話がある。
なお、当話の原題は
「地蔵の助けによって人を生かす六地蔵を造ること」
である。
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