山口の伝説
人にまつわる話
雨乞い禅師 (あまごいぜんじ)〜美祢市〜


  いまからおよそ600年前のことである。

美祢地方は田植えの季節が近づいたというのに、いっこうに雨のふる気配がなかった。

田や畑の作物はつぎつぎと枯れ、飲み水にもことかくありさまであった。

  このころ、人々は、長く続くいくさのため、身も心もすっかり疲れはてていた。

そのうえ、この日照り続きである。

百姓たちは、空を見上げては、

「どうして雨は降らんのじゃろうかのう。」

と、なげいていた。

  滝穴(たきあな:秋芳)から十町(約1km)ほどはなれたところに、自住寺(じじゅうじ)

というお寺があった。

このお寺に寿円(じゅえん)というおしょうがいた。

ひごろから、苦しいことも楽しいことも村人たちと分かちあっているおしょうは、

なんとかして村人たちのなんぎをすくいたいと思っていた。

  寿円おしょうが滝穴にこもったのは、その年の5月1日の夜明けのことであった。

暗い滝穴にこもると、断食(だんじき)をして、

昼も夜も念仏をとなえ続ける行(ぎょう)にはいった。

  3日たち、10日たち、やがて満願(まんがん)の21日めがきた。

夜がしらじらと明けた。

と、みるまに真っ黒な雲が空をおおいはじめ、雷がなりひびき、

大粒の雨が大地をたたきはじめた。

  待ちに待った雨だ。

村人たちは、家を走り出て、天をあおいで雨にうたれていた。

願いがかなったことを見とどけた寿円おしょうは、しずかに手をあわせると、

おりからの大雨でうなりをあげて流れ落ちる竜が淵(りゅうがぶち)の濁流(だくりゅう)の中へ、

身を投げた。

  それから数日後、寿円おしょうのなきがらは、滝穴の下流の淵で見つかった。

村人たちは、悲しみのうちに寿円おしょうをとむらった。

そして、おしょうの徳を長く人々に伝えるために、火葬したおしょうの骨と灰をねって、

寿円おしょうの座像をつくった。

村人たちは、その座像を自住寺にまつり、いつまでも寿円おしょうの徳をしのんだということだ。

  その後、自住寺は雨乞い寺、寿円おしょうは雨乞い禅師とよばれるようになったという。




      文: 金石 弘士

  



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