山口の伝説
干珠満珠物語(かんじゅまんじゅものがたり) 下関市
下関の長府の丘から沖の方を見ると、瀬戸内に潮の流れをよそに、
二つの美しい緑の島が、なかよく並んでいるのが見える。
陸に近い方を干珠といい、沖に見える方を満珠という。
この二つの島は、長府の忌宮神社(いみのみやじんじゃ)の飛地境内(忌宮神社が管理する土地)
であるが、大昔から次のような話が伝えられている。
それは、今から千七百年ぐらい前のこと、神宮皇后(じんぐうこうごう 仲哀天皇のお妃)が、
神のお告げを受けて、三韓征伐(さんかんせいばつ その頃の朝鮮にあった新羅(しらぎ)・
百済(くだら)・高句麗(こうくり)の三国を討つこと)をされるときの話である。
朝鮮に渡るには、先ず、あの荒波で有名な玄界灘(げんかいなだ)を越えていかなければならない。
皇后は、この戦いは、大変苦しい戦いになると考えた。
そこで、皇后は、長府に豊浦の宮をおき、軍を整え、船を集め、いくさの準備をすすめた。
準備が整うと、皇后は、転地のあらゆる神々をまつり、力添えとお守りをお願いした。
特に、海の神でである、龍神の無事といくさの勝利を願った。
ちょうど満願の日のことであった。
それまで風もなく、静まりかえっていた瀬戸の海が、にわかに黒雲におおわれ、
強風にともなって大波が起こり、音をたててうずまき、狂いはじめた。
その荒れ狂う波の中から、
「皇后さま、皇后さま。私は瀬戸に住む住吉明神の化身でございます。」
と、呼ぶ声が、皇后の耳に聞こえてきた。
みると、荒れ狂う大波の上に、白いひげを潮風になびかせながら、住吉明神が立っていた。
そして、
「三韓は、いずれも強い国でありますゆえ、ぜひ、龍神のお助けをおかりになるのがよかろうと
存じます。ついては、安曇(あずみ)の磯良(いそら)というものを召されて、これを使者として、
干珠・満珠の二つの珠を龍神よりかりうけられ、そのご神徳によって、いくさを勝利に進められるが
よろしかろうと存じます。」
とお告げになられた。
そこで、皇后は、さっそく、この海岸に住む安曇の磯良という若者をよびよせ、
二つの珠を借りてこさせた。
この二つの珠には、潮の満ち干を自由にすることができるふしぎな力があったのである。
皇后が、軍を整え、船を浮かべて、いざ海に乗り出すと、
海原の魚たちはぴちぴちはねて門出を祝い、
追い風をうけた船はすいすいと勢いにのって進んだ。
そして、皇后は、朝鮮の沖の大きな島に陣をはって、戦いにそなえた。
いよいよ、待ち受けていた新羅の大群が、たくさんの軍船を連ねてせめてくるが、
皇后は、先ず、潮干る珠を海に投げいれた。
するとどうだろう、みるみるうちに、潮がひいていき、海底が現われてきた。
新羅の軍団は、船底を海底につけて傾き、動けなくなってしまった。
困り果てた新羅の兵は、とうとう船をおりて、海底を歩いて攻め寄せてきた。
このようすをじっとみつめていた皇后は、敵の兵隊が、陸にあがろうとするときをみはからって、
干満つ珠を、岸の近くに投げ入れた。
すると、たちまち、どこからともなく海水が白波をたて、うちよせるようにして満ちてきて、
みるみるうちにもとの海となった。
あわてふためいた新羅の兵たちは、逃げ場を失い、海水を飲み込み、
つぎつぎにおぼれ沈んでしまった。
海底に傾いていた軍船も満ちてくる海水の勢いでひっくり返され、
とうとう新羅の兵も軍船も、ぜんぶ滅びてしまったのである。
皇后は勇み立つ兵をはげまし、軍船を整えると、いよいよ三韓へわたり、
一気に敵を打ち破り、三韓の貢物(みつぎもの)を献上させ、
これから先ずっと、天皇に仕えることを誓わさせた。
こうして、皇后の軍船は、大波をけって堂々と長門の海に凱旋した。
皇后は、戦いの勝利をたいそう喜んで、干珠・満珠の徳をたたえられ、
それを、龍神にお返しになる前に、お祝いの儀式をとり行うことにした。
その日は、瀬戸内の波もおだやかで、空も青く晴れわたり、
まわりの山々も鮮やかな緑色にはえていた。
皇后の軍団は、幾組も幾組も組をつくって、壇ノ浦から長門の浦にかけて並び、
旗や槍を高くかざして、にぎやかな祭りの行事がくりひろげられた。
その先頭の一番大きい軍船から、皇后はひときわ声を高くして、
「わたくしたちが、このたびの戦で、三韓をくだして勝利をおさめ、ここにめでたく凱旋できたのは、
みなのものの勇ましい働きによるものであることはもうすまでもない。
しかしここに、みなのものに告げて、ともにお礼を申さなければならないことがある。
それは、この海に住みたもう住吉明神のお導きによって、
龍神より借り受けたこの干珠と満珠の二つの珠のご神徳である。
わたくしたちは、この珠のご神徳によって勝利をかちとったのである。
いま、ここに、お礼を申すとともに、これを龍神にお返ししたいと思う。」
と言って、静かに二つの珠を海にしずまれたのであった。
すると、二つの珠がしずめられたあたりの海の上に、
見るも鮮やかな美しい島が二つぽっかりと浮かびあがってきたのである。
おどろいた兵士たちは、ただ目をまるくしてながめているばかりであった。
このふしぎなできごとをご覧になった皇后は、いちだんと声を高められ、
「みなのもの、龍神はいま、この海に二つの島をつくりたもうた。
永遠に長門の浦をしずめたまうのである。
熊襲(くまそ)はすでにたいらぎ、いままた三韓は貢物を献じてきている。
こうして平和の波は末永くいつまでも干珠・満珠の岸を洗うのであろう。」
と、のべられたのである。
これを聞いた兵士たちは、われを忘れてとびあがり、いっせいにかちどきの声をあげ、
何度もさけび続けた。
その声は、長門の浦にひびき、やがて関門海峡にすみずみまでひびきわたっていった。
このようにしてできた二つの島が干珠と満珠である。
おわり
文:吉浦巧雄