第二回 安易な事業計画の横行
この『介護労働者の増加』『有料老人ホームの低価格化』の2つの要因は関連している。
介護サービス事業は、純粋な労務集約的事業だ。介護付有料老人ホームの最大の支出項目は人件費であり、低価格化のためには、スタッフ配置を抑えるか、サービス原価で、固定費でもあるスタッフ人件費を抑えなければならない。実際、急増した低価格の介護付有料老人ホームの事業計画は、介護スタッフの半数をパートなどの非常勤職員とするなど、人件費が非常に低く算定されている。言い換えれば、これらのデフレ環境に影響された低価格の有料老人ホームは、『介護スタッフは募集すればいくらでも集まる』という買い手の労働市場の後押しでのみ可能だったのだ。
しかし、経営環境・労働市場が変化した今、多くの有料老人ホームが経営に行き詰まることになる。
有料老人ホームなどの高齢者住宅事業は、他の介護サービス事業とは違い、利用するサービスではなく、高齢者の生活の基盤となる住宅事業であり、開設後は数十年にわたって安定運営を続けなければならない。
本来、その計画にあたっては、短期的な利益確保ではなく、長期安定経営を基礎として詳細に検討・計画しなければならない。しかし、これら特殊な経営環境と『高齢者は増加する』『需要が高まる』という過剰な期待が、事業の特殊性からくるリスクから目をそらし、詳細な検討なしに、安易に計画が進められてしまったのだ。
今でも、バリアフリーの建物に介護保険制度で利用できる介護サービスを付ければ高齢者住宅ができると思っている人は少なくない。特に、建設主導で行われた事業計画は、『表面利回り』『実質利回り』など、不動産経営の側面から策定されてものが多く、実際の事業内容の検討ではなく、『開設目的』『建設目的』が中心となっている。東京や名古屋、大阪などの大都市部周辺では、特定施設入居者生活介護の指定枠の争奪戦となり、不動産の有効利用方法として有料老人ホーム事業が提案されていた。
経営が悪化している有料老人ホームの事業計画を見ると、人件費が低く抑えられているだけでなく、入居率が初年度から95%、100%で計算されていたり、入居者が数年の内に都合よく退居する(入れ替わる)ことが前提になっていたりと、事業者に都合の良い、楽観的な数字が並んでいることがわかる。新しい事業で事業の実績値が乏しいため、高い利益率から逆算して収支計画が立てられているものも少なくない。
この『過剰な期待』『介護労働者の急増』は、制度設計や報酬設計にも影響を与えている。
マスコミ等で取り上げられている通り、介護労働者が不足するようになった今、『身体的にも精神的にも厳しい労働に対して介護報酬が低すぎる』という意見が増えている。確かに、高齢者に対する介護労働は、身体的にも精神的にも厳しい仕事で、夜勤などの変則的な勤務に加え、入居者を無理な体勢で支えなければならないこともあり、腰痛を抱えながら働いている人は多い。
ただ、介護労働の実態も介護報酬の単価も、介護保険の発足当時から大きく下がっている訳ではない。報酬単価の設定当時は、不景気で失業率が高かったため、同じ労働・報酬でも多くの介護労働者が集まったが、景気の回復によって、仕事の選択肢が広がったため、介護報酬によって低い報酬に縛られている『介護』という仕事に魅力がなくなってしまったというのが正しい見方だ。
日本は高齢化だけでなく少子化もセットになっている。外国人労働者を大幅に増やさない限り、介護労働者が不足することは最初からわかっていたことだ。実際、短大や専門学校で介護福祉士という国家資格を取得しても、その4割は介護関係の仕事についていないというデータがでているが、言い換えれば、買い手市場のときの安い人件費に合わせて介護報酬が設定されているため、売り手市場の現在の状況では、この介護報酬ではスタッフが集まらなくなっているのだ。
確かに低い介護報酬が、介護労働者の低収入の原因であり、これが労働者の介護サービス事業離れの一番の要因であることは間違いない。超高齢社会の中で、これからも増加する高齢者介護の需要に対して、介護労働者をどのように確保していくのかは、行政が真剣に考えなければならないだろう。
しかし、事業者が事業の失敗や収益悪化を介護報酬の責任とすることは間違っている。誰も、行政に強制されて事業を始めた訳ではなく、制度が途中で大きく改定された訳ではない。また、そもそも労働市場などのマーケットの変化スピードと、それに対応する行政施策のスピードには格段の差がある。
福祉施策から民間事業に移行したと言っても、その収入の大部分は行政施策によってコントロールされている。純粋な一般サービスのように『需要が高い』ということと『事業性が高い』『収益性が高い』ということは同意ではない。
特に、高齢者住宅事業は、他に類例のない経営が難しい事業であり、事業参入にあたっては、その事業の特殊性や事業リスク、制度の方向性について詳細に検討しなければならない。事業性が高い高齢者住宅事業が行き詰る最大の理由は、過剰な期待による甘い見通し、杜撰な事業計画にあると言っても過言ではない。
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