ホーム スモール・データ・バンク2

火事

CS生活をしていると、日常のCS対策の他に突発的な出来事が起きることがあります。今回は、究極の突発事項、近所で起きた火事の体験を書いていきたいと思います。


○出火

 2016年3月初めの午後、私が住むマンションの近くの建物から煙が上がりました。道路を挟んで、向かい側のビルです。はじめはボヤかな・・・と思って見ていたのですが、煙はどんどん勢いを増し、消防車が何台も駆けつけて、一帯は騒然となりました。2階建てのビルの屋上から炎が上がり始め、本格的な火事だと気づいたときには、風下にあった私のマンションも煙に包まれていました。私はマンションの廊下の窓から様子を眺めていましたが、建物全体が燻りくさく煙くなって、耐えられないくらいになってきてしまいました。



 私はハッと気づいて、すぐさま自室に戻り、手当たり次第に部屋のものをビニールに詰めまくりました。一番最初に詰めたのは寝具一式です。これに煙や焦げくさい匂いがついてしまったら大変です。他には、部屋の中にあった布製品、紙類など、目につくものはビニールに詰めましたが、気が動転していて何をどこまで詰めたらいいのかわかりません。
 そのうち、「自分が今着ている服はどうなのだ、これをビニールに詰めるべきではないのか?」と思いました。この日は仕事が休みだったので、いつもよく着ている室内着を着ていました。すぐさま外出用の服に着替え、室内着をビニールに詰めました。この対策は、結果としては失敗で、室内着も外出着も煙で汚染されてしまい、 後でこの成分を除去するのに、2倍の手間を要してしまいました。

 煙の成分やいぶり臭さはどんどん室内に入り込んできて、ゴホゴホと咳が出ました。そのあと、気管が閉塞したような猛烈な息苦しさになりました。喘息の吸入薬を吸ってゆっくり休もうとしましたが、部屋も廊下も建物中が煙に包まれているように燻されて、どこにも逃れようがありません。

 マンションの住人が外に飛び出し、火事を見物し始めました。外は野次馬がいっぱい集まって、人だかりがしていました。そのうち、マンションの廊下(屋内)で見物しながらタバコを吸い出す人も出て、火事の煙かタバコの煙か、あらゆる煙が建物内に立ちこめて、何が何だかわからない状態になりました。私は自室から出るべきではないと思い、他に逃げ場もないものだから、じっと座って耐えていました。

 毎年3月になると、大陸から黄砂が飛散してきます。この日は、あらかじめ黄砂対策のために部屋の窓を目貼りしてあったのです。それなのに、どこからともなく微細な粒子や煙が部屋に入り込んできて、喉や気管を燻します。もし目貼りをしていなかったら、どんなことになっていたのかと恐ろしい気持ちでいっぱいでした。

 火事は午後2時〜6時まで4時間燃え続け、2階の内部を全焼して終わりました。幸いなことに、この雑居ビルは昼間は無人で、人的な被害は出ませんでした。両隣のアパートの人たちは、延焼が危険だというので、住居から避難しなければなりませんでした。私のマンションは避難する必要がなくて、助かったと思いました。

 私は部屋にこもっていたので、夫がときどき様子を見に行っては、状況を知らせてくれました。それを聞いても「なすすべはない」といった感じでした。火が消し止められたあとも、しばらく一帯は煙に包まれている感じでした。マンションの建物に焦げた匂いがついてしまって、それが至る所に充満しているように感じられました。

○建物の解体工事
 一夜明けて、早朝に若干焦げ臭さが収まった感じがしたので、シャワーを浴びて髪を洗いました。とにかく火事は終わったのだから、燻り臭さはいずれ収まっていくだろうと考えました。しかし、その後、長期間にわたって、私はこの火事の余波に苦しめられることになります。

 翌日、窓から火事の現場を見てみると、建物の外形はそのままなのに、内部は真っ黒に燃えてしまったようでした。

 2日後、建物の外側に足場が組まれ、3日後から解体工事が始まりました。職人が壁を壊していくと、建物の中は真っ黒に焦げていました。壁を壊す前よりも、ずっと焦げ臭さが増しました。肺が痛くなり、頭痛や吐き気もしました。

 この日は、火事当日に着ていた外出着を一式洗濯したのですが、これは早まった処置でした。なぜならその日の解体工事で、どんどん焦げ臭い物質(焼け焦げた建材が細切れに粒子状になったもの)が発生し、飛散してきて私のマンションの建物の中まで入ってきたからです。服を干していた室内まで、その物質は入ってきました。せっかく洗ったのに、また焦げ臭い服に逆戻りしてしまいました。それで、当日着ていた室内着は洗うのを延期しました。気に入っていた化学成分の少ない室内着が、もとの安全な状態に戻るのか気が気ではありませんでした。火事当日には汚染されなかったものの、新たに出してきた衣類も、この解体工事の焦げた粒子にさらされて汚染されてしまうのかと思うと、胸が苦しくなりました。

 5日目になると、焼けた建物の足場に幌がかけられたので、焦げ臭い粒子の発散はある程度抑えられたように感じました。これで、焦げた物質による症状が収まってほしいと思いました。

 ところが、作業の都合なのでしょうか、翌日にはなぜか幌の一部が取り外されていて、再び焦げ臭い粒子がマンションの方まで漂ってきたのです。「何のために幌を張ったんだろう?」とぬか喜びした自分を恨めしく思いました。

 その後どんどん解体工事は進んで、焦げた建材も次々排出されていきました。「これがなくなっていけば楽になるに違いない」と希望を持ちました。作業中は焦げくさい粒子が飛散して苦しいけれども、それが終わればすべてが楽になるはずだと。

 作業が一週間ほど続くと、私のCS症状も進んでいって、四六時中肺が痛い状態になりました。喉や鼻の穴もヒリヒリと痛みます。しかたがないので、工事が行われている昼間に寝て、必要な家事や仕事は夜中に起きてやるようにしました。

 火事から10日ほど経つと、焼け焦げた2階部分の搬出はほとんど終わって、1階部分の解体工事に移りました。1階はそれほど焼けていなかったので、焦げの物質はほとんど搬出し終わったことになります。呼吸器の痛みも少し和らいだ感じがしました。

 ホッとしたのもつかの間、1階の解体工事が進むにつれて、今度は焦げによるものと違ったCS症状が出てきてしまったのです。1階部分は焼けていないので、つまりは一般の住宅の解体工事と同じことなります。この木造ビルの合板の成分や、土台に使われている防腐剤の成分などが粉々に砕かれた瓦礫から発散しているのでしょう、粘膜にピリピリとしたアレルギー症状や、頭痛やめまいなど神経系の症状が出てきました。

 工事はその日によって始まる時間が違っていましたが、現場の作業音を聞くまでもなく、工事がいつ始まったか症状で感知できるようになってしまいました。「いがらっぽい空気が漂ってきたな」と思って現場を見てみると、作業が始まったばかりなのがわかりました。

 15日目、解体工事というのはもっと一気にやってしまうものだと思っていたのですが、すでに火事当日から2週間以上が経過しています。「今日こそ終わりになるのでは?」と毎日期待しているのですが、夕方になるたび落胆させられました。

 工事から18日目、ようやく最後の瓦礫を積んだトラックが現場から出て行きました。最後まで作業していたユンボも、トラックに乗せられて去っていきました。あとには何もない更地が残されました。「ああ、本当に終わったんだ・・・」と感無量でした。

 その後、私は、火事当日に着ていた服などを洗濯して、この事件に、本当に幕を閉じることになったのです。服は洗ったら、焦げ臭さが取れて元通りになったので、安心しました。

○その後
 この時点で、私はまだ不安に思っていました。更地になったということは、そこに新たに建物が建てられる可能性があるということです。「解体工事に続けて、すぐに建築工事が始まってしまったらどうしよう・・・」と 心配でした。もうすでにダメージを受けるだけ受けてきたのに、新築工事なんて耐えられるわけがないと思ったのです。幸い、その後、建築工事が始まることもなく、1年半後の現在でも、空き地のままとなっています。

 今回の出来事を振り返って言えることは、火事による有害物質は、日常的に出会うCS原因物質とは桁違いに強いということです。計画的でもなく、法律を遵守するわけでもなく起こった突発的な燃焼なので、無差別に焼き尽くして、大量の有害物質を発散させます。その破壊力たるや、恐ろしいものでした。火事当日に部屋のもの(特に布団)をビニールに包んだのは、とっさのこととは言え、よい判断でした。その後の経過は予想もできなかったことで、対策のしようもなく過ぎてしまいましたが、それもしかたのないことだと思いました。

 突発的な事故や災害などは、いつ起こるかわからず、考えると不安になるものです。今回の件を経験してみて考えたことは、「突発的なアクシデントは起きるときは起こる、でもそれは予想できないのだから、心配するだけ無駄だ」ということです。まだ起こっていないうちには心配してもしかたがないし、起こってしまったら、それなりに対処するだけです。どんな大変なことでも、いつかは終わりが来ます。

(2017年11月)

「空気清浄機」へ続く
「スモール・データ・バンク2の目次」に戻る
このページのトップへ
ホームへ戻る