5.Nobady Knows , No money Nods
〜ボクはどうしていつもこうなのでしょうか〜
リンゴの里、アルマティから空路数時間、
カザフスタンから程近いウルギーというモンゴル最西部の町(というか村?)に降り立った。
さてさて、ここからチョロート川までは約1500キロ!?
カザフからモンゴルへの移動は陸路では国境が外国人に開かれている保証が無い(&バカに移動に時間がかかる)。
かといって首都ウランバートルまでの飛行機はモスクワ経由で値段が倍!
まぁどちらにせよ首都からでもチョロート川までは600キロもあるのだが…。
「とりあえずモンゴルに入国できればいいや!」と
カザフの旅行会社でつたない英語で交渉&こんな寒村に降り立ったのだった…汗。
憧れのモンゴルへの第一歩。
しかし、降り立ったそこは想像していた“草の海”ではなく、
岩石の世界。
周囲を険しい岩山に囲まれ、
遠くで落雷が聞こえる。
―――脱色世界―――
そんな言葉がぴったりだ。
砂塵で、雲で、紫外線による日焼けで?
すべてが白くかすんだ、
“地の果て”
最西部の“県”、その最も中心広場がコレ。
さびれてる、マジで。
後述のガキどもと釣りした町外れの川周辺
まず、モンゴル国内に入ったので、首都ウランバートルの武さんに電話をかけた。
「お久しぶりです。8月23日、なんとかモンゴルの地を踏みましたわ。
忠告どおり、ヨーロッパオオナマズは季節をはずして散々でしたけど、
なんとか“ルート”付けぐらいはできたので、無念は武さんが晴らしてください〜笑。
へ〜、そうなんですか、今まさにチョロートは火を噴いてるんですか!
鬼斬られ師さんもいい釣りされたんですか!
でも、まいったなぁ・・・。どうやってもここからじゃ1週間ほどかかりそうっす(汗)
予定通り9月の声を聞くころにはチョロートで落ち合いましょう!」
が、帰ってきた返事は恐るべきものだった!
「え、無理だよ!お客さん入っちゃったし。」
え?出国前、メールで言ってたじゃないですか・・・
「9月はデカいの出る季節だから、お客さんは入れずに自分のために使うよ。
そのとき拓矢くんとぐらいしかいけない難所に行こうよ!」って・・・。
なんかモンゴルのタイメン釣りがごちゃごちゃしたグレーゾーンにあるから
ガイド使わないと結構マズイよ、って忠告いただいて、
だから
「“最強ガイド”が協力してくれるので、カザフはどうあれ、モンゴルは“絶対”大丈夫です」
ってことで、バリバスさんにもルアーファンさんにも話がまとまって、
こうやってボクちゃん今、既にモンゴルの大地に来てしまっているんですけど・・・
なんだかんだで“責任”背負って立ってるんですけど・・・
「がっかりだよ〜!」
いや、俺は釣れなくてもいいんすよ。
ただ、モンゴルのチョロートでの“Mrテムジン”の釣りを見たい。
チンギスハーンの生まれ変わりの、“鬼神”伝説の、
生きた証人になりたかっただけなんですけど・・・。
まぁ、俺は武さんのそんなテキトーさに俺は惚れ込んでるんですけどね(笑)
「こいつは放置しても大丈夫!勝手にやり遂げる!」
師匠、弟子はそう解釈したしましたっ!
パプアやなんや、今までもむちゃくちゃテキトーなカンジでしたしね!(笑)
「酒を飲まずに薬を飲んでください!」
「いや、俺は酒のほうが大事だから・・・」
・・・そんなマラリア蚊ジャングルでのアホ過ぎる体験・・・
ずっとこんな感じでふざけてきましたしね(笑)
まぁ入国予定日もはっきり告げてなかったわけで、
俺も超いい加減、テキトーですから・・・
ごめんなさい。
すいませんでした。
「プロローグ」にも書いたけど、
弱ストーカー入ってますから(笑)
こんなバカ弟子を見捨てないでください・・・。
「めんどくさいことはなるだけさけたいんで、
“フィッシングアドベンチャーモンゴリアの範疇内での活動ってことにだけは建前上しといてくださいね・・・”」
そのような旨だけは伝えて、電話を切りました・・・。
「まだ俺全然しゃべって無いじゃん!
アル中親父(後述)のこととか聞きたいこといっぱいあったのに!」
と隣でテルさんは隣で言ってたけど、
やかましいよ、テルさん・・・。
俺はデートのドタキャンを食らったような
そんなブルーな気持ちなんだよ・・・
「まぁ、お客さんが帰った後、きっと再出撃してくれるだろう・・・」
と、希望的観測。
聞いた話では?
なんか今年からモンゴルのタイメン釣りの規制が出来て?
ガイド使えは問題は無いのだけれど?
単独釣行だとヤバい?
・・・ヤバいって何が?汗
このとき、俺は完全にタイメン釣りに関して武さんの厄介になる予定だったので、
大した情報収集をしていなかったのだ。
「釣り券は自然保護官から買えるはずだけど、
いい加減な仕組みになっていて、行って見なきゃ分からんという状況でしょ!」
そんな武さんからのメールがすべてを物語る。
パプアにしろ、途上国の秘境ってそんなもんなんじゃないかな。
行って見なきゃわかんねぇんだもん、その地域の風習とか
独立法(?)みたいな中央とは隔絶した暗黙の自治制度とか・・・
・・・・ところで釣り券ってどこで売ってるの?・・・
「は〜、ダルっ」
この時点で鬱度50%
つーわけで、フラれた後の高校生みたいにいつまでもふれくされててもラチ開かんので
一応いろいろと責任背負った20歳なわけで、
俺は“もうひとつの責任”を遂げるべく、
インターネットカフェを探した。
“もうひとつの責任”
今さら言わなくてもいい話かな、とも思うけど
これが今回の旅に与えた影響は大きいのは事実だし、
この後出てくる“鬼”へ、すべてが繋がるから
やっぱり書くことにするよ。
話は上海にさかのぼる・・・。
そして話はアフリカに行く前にまで遡るんだ。
アフリカ出国1週間前、
青森の浅虫であった大学の海洋実習の帰り、
盛岡駅で時間つぶしに何気なく手に取ったロドリから話ははじまった。
「岸釣りスター誕生」
素人オーディション企画の募集記事だった。
仙台に帰り、万世と
「ちょっと出てみない?」
って話になって
「いや、俺たちには“センズリスター”の方が似合っるでしょ?」
「アハハ(笑)」
ってな
そんなノリから、すべてはじまったんだ。
でもね、これは俺も万世も顔ではヘラヘラしながら、
内心結構マジだったと思う。
ロドリさん、あったら読み返してほしいけど、
応募書類の消印、成田空港の郵便局になってるはずです。
出国直前、バイトに追われ、黄熱病の予防接種に追われ、
マジ時間のない中で、
日暮里から成田へ向かう列車の中で、
俺は応募フォームとともに熱い手紙を書き、
パプアの写真を添えて送った。
そのときはまだ
タイ&パプアと、2回しか海外に行った事は無かったけど、
「5回の海外釣行を完遂する」と書いたし、
これはこのユーラシア編が終わった後「エピローグ」&「終わりに」で述べる、
俺の「表現したいもの」も今と全く変わらず、書いた。
「落ちるわけはねぇ、絶対」
俺はそう思って80円払って郵便局に提出し、
1時間後エジプトへの機上の人になったんだ。
・・・その後約1年の展開は、皆さんもご存知の通り。
(釣りをやらない人は、まぁ、「そんなこともあったんだな」程度に読み飛ばしてね)
アフリカから帰っても、スモールを爆釣しても、パプアに再度飛んでも
どっかにこの企画のことが頭にあった。
それぐらい、
「ロドリ」って雑誌はさ、俺の世代にしたら、
一番バスに熱かった中学のころの、聖書みたいなもんだったんだ。
憧れの舞台だったんだよ、俺にとっては。
で、でもちょっとした“ハプニング”によって高滝で撃墜&惨敗した俺は
「お、終わった、さようなら〜」
と勝手に解釈して、無断でユーラシアへ“逃亡”したわけ(笑)
でもね、上海のネットカフェで驚いた。
届いていたメールには「すぐ電話ください」とあった。
「おいおい、もう上海だぜ?テンション下げることわざわざ電話で聞きたくないなぁ・・・」
上海駅向かって左、小さな売店で電話を借りて電話をかけた。
国際電話のノイズで聞き取りにくい中、はっきり聞こえた。
「3次審査合格です。」
「今後の詳細はまた追ってメールで送ります」って。
「旅先なもんで、ローマ字でお願いします・・・」そう言って電話を切った後、
俺はテルさんとガッツポーズをし、チンジャオロースで祝杯を挙げた。
ホットメールにとどいていたメール
誰が受かったとか、一切そういうことは教えてくれなかったけど
とりあえず次の“指令”が出された。
「9月号で他の合格者ともども、それぞれの地元で1日取材を行います。」
「9月の頭までに帰ってきてください」
おぃおぃ、それはさすがに無理ですって!汗
武さんとの約束や、ルアーファン様のこともあるしね・・・
そう返信して、
俺はネットの繋がらない“旅”へ、シルクロードを進むことになる。
このとき確か8月4日、
次にメールを確認したのはカザフのアルマティで、
鯰釣りにイリデルタへ向かう直前の8月13日ごろ。
そのとき届いていたメールで
ここまでの妥協案を出していただいたんだ。
「小塚さんは1ヶ月遅れでもかまいません、
10月号に地元取材を載せることにして、
最低でも10月の3日までには取材を受けてください」
「とりあえず、9月号ではカラー1ページ用意しますので、
8月末日〆で近況報告という形で旅の模様をレポートしてください。」
旅先から写真&文章を送れるか不安ではあったが、
このバカタレをここまで買ってくれることに、俺は燃えた。
「やっぱナミダ君で釣らなきゃ、でしょ?」って燃えてた。
岸スタ特別カラー!宝物だ!った・・・
ガイドを使うという選択を選んだのも、この辺の事情がちょっとあった。
返信のメールを打つ。
「検討&調整してみます」
「が・・・」
やんわりと、でもはっきりと
・・・帰国のフェリーの到着が、10月3日の予約というコト・・・
・・・飛行機の利用は金銭的にちょっと難しいコト・・・
・・・というか、その後は新学期の授業登録他で、どうやっても7日以降の取材しか無理なコト・・・
を伝え、
「大変うれしいお話ですが、自分の重要度はやはり、
岸スタ企画の前から、学生服時代から決めていた“5回釣旅”の完遂にあります。
わがままをすいません。なんとか、帰国の早送りを検討してみますが・・・どうぞ良しなに。」
・・・こういうメールを送り、俺はイリデルタに突入していく。・・・
いま冷静になって、そして結果論で言えば
「帰国を早めればよかっただけ」
でも俺は時間の許す限り、
自分の納得のいく魚を釣るまで居座るつもりだった。
「帰国を早める」それは妥協に思えた。
思っちゃったんだから、しょうがないよ。
そしてその後、次にネットに繋がったのが、このウルギーという町だった。
時すでに8月23日、
カラー1ページ分のレポート&写真を製作&送信すべく俺はパソコンに座った。
これが上で述べた
“もうひとつの責任”
である。
でもね、こんなメールが届いてたよ・・・(原文そのまま掲載)。
Dear Mr. Takuya Koduka
Henshin arigatougozaimasita.
Oonamazu no hikiaji ha ikagadesuka?
Ano roddo ha mochikotaeteimasuka?
Sate, kisidurisuta- no kenndesu.
Kodukasan no kikoku madeno sukeju-ru desuto,
saisoku demo roke ga dekirunoha 10gatu 7nichi ni nattesimaisoudesune.
Kononittei ha, zubari auto desu.
10gatu hatubai no gou ni keisai surukotogadekimasen.
Sokode,henshuuchou to kyougi sita kekka,
konnkai no goukaku ha miokuraseteitadakitai nodesu.
以下、その理由と慰めの言葉が長々とあって・・・
そして、こんな言葉がメールの最後には添えられていた。
担当編集者さんは無駄に熱いことをシレっと言っちゃう人で、
俺は、この人が好きだった。
Bouken toha, seikou suruka douka tasikadenai koto wo aete yattemiru koto,
to jisho niha kaitearimasu.
Tsuri no tanoshisa no honnshitu toha masani sore dato omoimasu.
Sore wo taigen suru KodukaTakuya ha zutto kininatteshouganai otoko deshita.
Korekaramo sonna tsuri no yume wo dokusha ni teikyou siteitadaketara to omoimasu.
Ijou ha 9gatugou ni keisai yotei datta, boku kara Kodukasan heno komento desu.
Harukanaru tabiji wo oe, buji kikoku sareru kotowo negaimasu.
かみ締めながらよんだ。
旅先のネットカフェでは、
アルファベッドでしかメールが読めないことも多いから、
ローマ字で送っていただいたメール・・・
読みづらい、
だからこそかみ締め、
読んだ。
・・・そして叫んだ。
暴れたかった。酒に狂ってガラスにダイブしたくなった。
誰かにボコボコになぐってほしかった。
ぎゅっと抱きしめてほしかった。
この日、俺は荒れた。壊れた。
なにもない、そんなモンゴルの荒野の宿で
俺は発狂し続けた。
「次があるよ」と慰めてくれるテルさん。
テルさんがいなかったら、俺はこの日確実に何かしらやらかして病院か警察行きだったろう。
埼玉のTAKさん、福井のユッシー、静岡の黒ちゃん、
長崎のスエちゃん、三重のコーゾーさん、
神戸のリアクレさん(当時は連絡は取ってなかったけど、ブログで拝見させていただいていた)・・・
その他、これをきっかけにほんとに多くの方と、メールなりなんなりで知り合えたカラ・・・。
最高の出会いがいっぱいあった企画だからこそ、
この終了のホイッスルは信じたくなかった。
「終わったんだ、ホントに・・・」
俺たちワカゾーに回ってくるチャンスなんて、実はそう多くない。
だからこそ、そんなチャンスは絶対逃してはならないことを
1回のチャンスの価値を
今までの20年で身にしみてわかってたはずなのに・・・
「次があるよ」とか、よく聞く慰み言葉だ。
バカヤロウが
そんなもん気休めだ。
目の前のことひとつ完遂できないやつが、
未来に逃げてんじゃねぇ。
「夢を追う」なんて言葉で、
ボカすんじゃねぇ。
「小さなことをクヨクヨ何時までもいうな」と言う人がいるかもしれない。
だまってろ
俺はスカした奴が大嫌いだ。
マジにもなれず、そのくせマジな奴をあざけ笑う。
俺にはそんな奴らが可哀相な存在に見えるよ。
ホントの“気が触れる”、そんな体験をしたことのない
精神の童貞野郎を。
どんなときでも、俺は俺の味方だ。
可能性を、信じている。
無限大を、旅したいだけ。
?わかったような面してあきらめ方を諭すブタなど、ひき肉になって消えてしまえ。 ?
次なんてねぇんだ。
1回壊れたもんは、どうやっても元に戻んなかった。
・・・だから俺は旅に出たんだ。
この日、俺の「岸釣りスター誕生」が終わった。
俺の全責任において、俺自身が選んだ結果だった。
No.11番、“棄権”
8月23日、ゲームオーバー
(いうまでも無くイメージはバトルロワイヤルです。笑)
好きだった女の子に、告白する前に彼氏が出来てしまった。
そんな感じ?
うぁあああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼ああああああ嗚呼あああああ嗚呼ああああ嗚呼あああああああああ嗚呼あああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼ああああああ嗚呼あああああ嗚呼ああああ嗚呼あああああああああ嗚呼あああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼ああああああ嗚呼あああああ嗚呼ああああ嗚呼あああああああああ嗚呼あああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼ああああああ嗚呼あああああ嗚呼ああああ嗚呼あああああああああ嗚呼あああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼ああああああ嗚呼あああああ嗚呼ああああ嗚呼あああああああああ嗚呼あああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼あああああああああああ嗚呼ああああああ嗚呼あああああ嗚呼ああああ嗚呼あああああああああ嗚呼あああああ嗚呼あああああああ
生意気たれてるけど、
ホントは俺だって怖いんだよ。
自分に自信があるからこそ、
枯れていくときのことを思うと。
ヒトには鮮度がある。
嫉妬もされない男になって、
チンコが排尿器官になって、
誰からも気にもとめられず、
誰からも恐れられることもなく、
「ホントの俺はこんなんじゃない」
とか寝言抜かしながら、
ないものねだりにおびえ、
夢を毒と呼ぶ日が。
そしてその時誓ったのだ。
自分の選択を、俺は自分自身で肯定する
釣りに絶対はない。だからこそ、絶対に釣る。
ロドリさん、ウザいと思うやろけど本当のことだから書いたよ。
まじでありがとう。
これが、俺の言う“テンション”を爆発的に引き上げたのは紛れも無い事実だから。
だから俺はメールで言ったとおり、
世界行脚釣行録を完遂する。
こんな僻地で、もうやること、やれることはただひとつ。
選択肢などない。
目の前の目標を、ただ完遂すべし。
俺は自分の中で“炎”と呼ぶ気位(きぐらい)になった。
(ごめん、剣道を15年近くもやってると、こういう“気位”とかいう武士道が身にしみこんでくるんやわ)
何か目標が定まったとき、絶対に完遂し終える気位。
周りへの配慮を失ってまでも、目的完遂まで怖いぐらいのストイックになる危険な自己モード。
「決めたことをやり遂げる。やり遂げてきた。
俺はその一点で、俺自身を信頼している」
“炎”
・・・世襲式、インターハイ予選、受験・・・
その他、しょーもない半生の節目節目で奇跡を起こしてきた、
シンクロシィニティーを呼ぶチカラ・・・
「俺を邪魔するやつは消す。」
危険なまでにサエてる状態。
アフリカのガンジャなんかとは、比べ物にならない、
脳内麻薬、ドーパミン垂れ流しの
本当の精神危険状態。
「ゴミだって燃えんだぜ?」
(ガチンコ・ファイト学院)
でもね、
ヤサクレだった心を治めてくれるのは、
俺にはやっぱり水辺であり、
クソガキたちだったんだ。
ひとりになりたくて宿を出る。
もう夕暮れが迫っている。
歩いて数キロの距離に川がある。
とにかく水辺に逃避だ。
気がおかしくなりそうになったとき、俺は昔からずっとそうやってきた。
俺がつらいとき、魚は俺にやさしい。
地の果て・・・そんな荒野の川原
スピナーを投げていると、
やっぱりガキどもが群れてきた。
市街地に近いここは、やっぱりそう魚は濃くはないみたい。
苦心の末、よくわかんねぇ、見たことのない小さなマスが釣れたよ。
まだ笑顔が引きつっているけど、癒される。
そうだよ、この釣竿&リールを手にしたのも
俺が小6、ちょうどこいつらぐらいのころだ。
エクセージよ、
よくもまぁ、10年間折れずに
今日も異国の地で曲がってくれるなぁ。
ガキ共が「かして!かして!」ってうるさいから、竿をかした。
さすがにそう簡単には釣れないだろ?
まず、スピニングタックルを使ったことがないもんな。
キャストのイロハから、ジェスチャーで伝える。
でもね、スピナーは軽すぎて飛ばせないの(汗)
「さすがに無理だろう」
俺があきらめかけていたとき、後ろで歓声が起こった!
なんと、ほんとに釣れている!
試行錯誤の末、初めての1尾。
おめでとう!!!
大事な糸、「パワーフィネス(バリバス)」はスプールの中でピョン吉の嵐だったけど、
どうでもいいわい、そんなこと。
この笑顔こそが、原点
はしゃげ、クソガキども。
楽しいだろ?驚くだろ?これが釣りだぜ?
「俺の“釣り旅”の原点はなんだ?」
“世界”にはじめに憧れたのは、
Sカシワギさんの“アマゾン大釣行”を読んだ小学生のとき。
“旅”ならば、
開高健を読んだ、高3の受験期。
でも、すべての別格として
“釣り旅”ならば、まごうことなく武さんのタイメン釣行記だ。
「海外の釣りは、決して金持ちの道楽ではない」
“いつか”を“今”に変えた
「世界怪魚釣行記」という現在進行形の伝説。
紆余曲折を経て、
5回の旅、最後の相手をこいつに選んだ。
―――“鬼”を獲る――――。
「俺には、高校時代から決めていた、5回の釣り旅の完遂のほうが重要なんです・・・」
カザフのネットカフェ、
ロドリさんに送ったメールに嘘はない。
「これからもそんな釣りの夢を読者に提供していただけたらと思います」
ロドリさん、悪いが買いかぶりだよ。
俺はそんな大した奴じゃない。
スエちゃんやクロちゃん、バンセイ・・・誰が残ってるか知らんけど、
誰であっても俺よりバス釣りはうまいし、きっとうまくいく。
・・・ただ、この旅だけは俺が俺により絶対成功させてやる。
「大魚は畏怖を残して去っていった・・・」
“エンディング”として、それが一番収まりがいいのかもしれない。
・・・でもね・・・
やっぱり俺にはハッピーエンドが似合うから。
若者の夢と、オヤジ達の想いを背負った“小塚劇場”
“世界行脚釣行録”に、底などない。
己を追い込むすべてのプレッシャーが気持ちいい。
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」(アントニオ猪木)
「冒険とは可能性への信仰である」(上温湯隆)
鬱病になど死んでからなってやるよ!
今は忙しくて鬱病どころじゃねぇ!!
せっかくの、釣り師処女地帯!
モンゴル西部を開拓だ!!
「地球の歩き方」の簡易地図にすら載ってるホドの、大きな湖に狙いを定めた。
聞くところによると、パイクの楽園がこの辺りにあると言う。
そこへの流入&流出河川であればタイメンも潜んでいる確率が高い!
いつものように市場へGO!!
値段交渉、ロシア製ジープを雇い…
とまぁ、うまくいけばいいんだけど、今度ばかりは交渉自体が難しかった!
この「ウルギー」という町(というか寒村)、
カザフスタンに程近く、
モンゴル語ではないカザフ語をつかうカザフ族という人々の居住地なのだ。
モンゴル語の「旅の指差し会話帳」は用意してきてたけど、
カザフ語版はそもそも出版されてない。
かといってここではロシア語が通じるわけでもなかった・・・。
でもね、やっぱり必死こいてやってると誰かが助けてくれるんだな。
首都ウランバートルの大学に通う女学生さん(俺と同い年。ハタチ)が、
夏休みで帰省していて、
格安で通訳として、俺達の開拓に付き合ってくれることになったのだ!!
市場で交渉が難航している俺達に
英語で話しかけてきてくれたとき
「おぉ、女神よ!」
って思ったわけ(笑)
実際は、かなりのテンパリ娘さんで(苦笑)
たまに何がしたいのか分からんことも多々あったけど、
彼女のおかげで
俺達はまがいなりにも「開拓」という旅を始められたんだ。
いっしょに知り会いづてを頼って、
何とか車&ドライバーを確保
食糧を買い込んで、
片道推定約150キロ!ドライバーには「最低3日」の条件で
俺達は「開拓」を始めた。
彼女の通訳によると
「湖はドライバーの故郷周辺だから、とにかく任せておけば大丈夫」と。
言い知れぬ不安は気のせいですか?
いや、この子、
かなりテキトーで、
まぁそれはいいんだけど、
どれぐらいテキトーかって言うと、
この数日以上になると思われる開拓旅に
自分の彼氏まで連れてきたのだ
(本人は否定してましたけど・・・笑)
ジムニーほどの大きさのロシア製ジープは
俺&テルさん、通訳ちゃん&彼氏くん、ドライバーの計5人でぎゅうぎゅうづめ
加えて大量の荷物だからね・・・
なんというか、雰囲気が、
ちょっとしたピクニック気分なのです・・・。
「こいつ、お泊りデートと勘違いしてるんやないやろうか・・・」というほんわか雰囲気、軽いノリ(笑)
まぁそれもいつもの俺なら嫌じゃないんですが・・・
今、“炎”ですから・・・
「チッ」
「あいのり」だゼ!!無理やりテンション上げてくぜ!!
(どうでもいいけど俺は三ちゃんの恋路がうまくいくことを願っています)
車は荒野を行き、車内は歌声に包まれました・・・
ラクダです。ふたこぶタイプです。
砂漠以外にいるラクダって、なんか不思議な感じがしました。
なぜか小さな池に白鳥が!!
・・・ってそうだよねぇ、日本に来るのは冬の越冬のためだもんね。
と考えると、ここは冬さむいんやろな〜。
八月の終わりで、すでに寒し。
共感ですな。
「恋愛の歌」「両親の歌」・・・モンゴルの民謡?や童謡をを歌うバカップル(笑)
ヤサクレだち、“炎”状態の俺の心には
もどかしいと言うか、じれったいというか、
ストイックさをなだめていくような、薪を少しづつ取り除いていくような
そんな雰囲気が正直イラっときたけど、
まぁ焦ってばかりいてもしょうがないしね。
「火に油注いでくれよ!爆弾でもいいぞ!もぅ!笑」
・・・で、俺にも当然「歌え」となるわけで・・・
一番恐れていた事態に。笑
テルさんは寝てるし・・・
仕方ないので、俺は何を思ったのでしょう、
中学時代の校歌を歌いました・・・
だって、酒なしでひとりアカペラはきっついよ、マジ(笑)
でもね、やっぱ音楽ってすごいよ。
歌うと、心が穏やかになってくる。
こんな旅もアリかなって思う。
いい具合に緊張もほぐれてきた俺たちは、次から次へと歌を歌った。
大地が闇に包まれ、それでもライトあかりひとつで轍をたどりながら、
「空から見たら、俺達は1匹の迷い蛍だろう」
そんなことを思いながら・・・
ブルーハーツの「青空」を、歌ってて、おかしな話だけど自分で心にしみたんだ。
歌ってすげぇっておもった。
「・・・行き先なら、何処でもいい・・・」
でもそんな言葉が、あとで響いてくることになろうとはこの時は知る由もなかった。
ドライバーも手をたたいて喜んでいたんだけどな・・・。
ねぇテルさん、後で歌の感想言わなくていいよ。照れクサい!
寝たフリしてるとか・・・マジ性格悪いっす!笑
そんなこんなで、刻は既に深夜。
闇夜の中で、車はよく分からない川辺で止まった。
荒野をず〜ときたから、
ここがどこかもわからないけど、
闇に水のせせらぎを聞いた。
どこか川の近くだと言うことは、わかった。
電気のない小屋、ドライバーの知り合い?に
一晩の宿を借りる。
強烈に獣のにおいがする小屋の内部。
さすが家畜大国、モンゴル。
“ルンペン”ストーブの明かりだけを頼りに
そこでお湯を沸かし、インスタントラーメンに注いだ。
借りたスプーン自体が乳製品臭い。
乾燥した家畜のフンをほおりこむと、ストーブの中で赤々とはぜた。
・・・さすが、モンゴル。
今夜はもう寝よう。
ここは何処なんだろう?
日が昇れば分かるだろう。
朝。
そこはすごいところだった。
色の無い、無機質な脱色世界に
しとしとと朝の雫が落ち、
頭に浮かんだ表現は、読んだことも無いけれど
ノルウェイの森
日本のような密生ではなく、
パラパラと生える針葉樹。
川辺に近づけば濃くなっていく
緑のグラデーション。
赤い岩の世界。
工事の採掘現場のようであり、
それよりはもっと高貴で、凛とした厳しさを宿す。
雪シロ交じりのような、結構な急流
とりあえず俺達はルアーを投げた。
“霞んでいる”そんな表現がぴったりの、
地の果ての川と、テルさん。
なんか、強烈に鬱が進行しそうな色彩。無常感。
「そう簡単には釣れんわいな」
いるとすればマス属だろう。
その時点で、俺が過去ルアーで釣ったマス属など、釣堀のニジマス数匹だ。
足りない経験値
過去の引き出しを、スモール釣りから開いた。
ここから第2段階、“ポイント選択”がはじまる。
肉食魚は、基本なんだって同じさ。
いるべきところに、魚の鼻っ面をルアーが通るかどうか、それだけ。
「自然なる不自然」
開拓スピードを上げるべく、徹底的にリアクション狙いの釣りに行く。
アタリらしき感触があった。
「??」
同じコースを数投するけど、反応は無い。
「気のせいか?」
アプローチコースを若干ずらし、
「不自然なる自然」
食わせのアクションにスイッチ。
「キュン!!」
来た
待っていた生命感が、バリバスを通して伝わってくる。
結構慎重なファイトの末取り込んだのは、
見たことの無い、40センチほどのウロコの大きなマスだった。
「やった、うれしい!」
名称不明マス。
こういう魚がいてくれることが、
何がいるかも分からん場所で、名前も知らん魚を釣ることが
サイコーに俺は楽しいんだ。
(ルアー、賜:新潟Hさん)
その後、この1匹でスイッチの入ったテルさんも同じマスをGET
ジープで移動しながら、“開拓”は続いた。
Fish On in 名も無き川
広角レンズがないのがもどかしい。
コンパクトデジカメに限界を感じたよ。
“360度以上の絶景”
風、せせらぎ、匂い、いろんなもんが“広さ”の軸を増やす
時にダブルヒットするぐらいの魚影。
結構魚はいるよ。ウルギーの街近く、ガキどもと釣ったのと同じ種類と思われます。
50センチくらいまでのはよく釣れました。あんまり大きくはならない魚なのかな?
「なんて名前の魚ですか〜?」ポーズでの一枚(笑)
どなたか名前を知っていたらメールください。
ハイルス(グレーリング)♀とは違うようなのですが・・・
俺の“釣能力”は確実に進歩している。
そう思った。
大丈夫、魚がいる場所に行けば、まず魚は寄ってくる。
アフリカやパプアや岸スタや・・・
すべてが俺の財産となっている。
自分でもわかんないレベルで
“魚運”ってもんが宿ってきてる。
小手先の技術や、道具とは別の
“波長を合わせるチカラ”
ドライバーが移動を促してくる。
俺達はジープに乗り込んだ。
「OK、そろそろいこうや“湖”に。」
道中の“脱色世界”でのひとコマ。
人々は家畜とともに生きる。
あか切れが目立つ、ホリの深い顔。
なんとなく、悲しくなる世界。
写真にも写りこんでいるだろ?俺の心境が・・・。
やはり、生活環境が厳しいのだろう。
羊より酷烈環境に強い、ヤギが多く飼育されていた。
8月下旬、すでに木枯らしが身にしみる
家畜たちの憂鬱
互い違いに首を縛られるヤギたち。
抵抗することを忘れ、媚びて生き延びる道を選んだ者の悲哀。
少年もヤギと同じ匂いがした。
けどダマされた。
結論から言えば
俺達はドライバーに利用されただけだったのだ。
その後、車は目的地の“湖”に向かうことなく引き返し、
ドライバーの実家に帰るとそのままドライバーは寝込んだのだ・・・・。
ガソリン代を出させておいて、
自分は“地の果て”の実家に帰りたかっただけ・・・。
ゲルのすぐそばの水溜りみたいな“池”を指し、
「これがお前らの言ってた“湖”だ」という。
挙句「弟が危篤でウルギーまで送れなくなった」と
ガキでも言わないような言い訳をぬかす。
こんな地の果てで、行き惑う俺達・・・
・・・でもちゃっかり金を請求してきたのだ。
びた1文譲ることなく、当初の「湖とウルギーの往復、最低3日間拘束」の交渉時と同じ金を。
「出せるか、クソボケ!」と言えば、
向こうも逆上した。
――――油を注がれた“炎”は爆発した――――
悔しいのと、情けないのとで、
襟首をつかみかかった。
「ナメてんのか、タヌキ親父!」
ぶっちギレた。
自分で自分が嫌いになりそうだった。
「カネかよ、ここでまで、カネかよ?コラ!!」
「貧乏人」
・・・やってはいけない一言を、
俺は「指差し会話帳」を指差し、罵倒した。
ラインを超えてしまった。
泣きたくなった。
通訳の女の子も泣きそうな顔してる。
言葉を選んで訳してるのだろうと思い、申し訳ない。
だがな、怖いなら女はすっこんでろ。
こういうことは男だけのほうがやりやすい。
「車ぐらい、破壊してやる!こんなヘンピなところで放り出されたせめてもの復讐だ!」
怒りにまかせ、
レザーマンでタイヤを切り付けに向かう俺を、
テルさんは必死に押さえつけ、なだめてくれた。
「他の村人と交渉して、ウルギーまで送ってもらうしかないよ。
ここで村人全員を敵に回したら、ホントに帰れなくなるだろう?」
もっともな話だ。
荒野をウルギーから約100キロ、その間
街らしい街、店らしい店などなにもなかった。
道路すら、“轍”程度だ。
俺はバカじゃない。
キレても、絶対こういう後のことは考えてキレてるよ。
だから、テルさん、
時に感情に任せた行動も必要でしょう?
どこへ行こうと俺は日本人。
他国から見れば「お金持ち」という看板下げて生きている。
相手にはほとんど言葉も通じない。
こういうとき、「旅人」は泣き寝入りするしかない…のか?
否
「もはや意地、尊厳の問題。カネなどどうでもいい。とりあえず、ぶっ飛ばす!」
俺は相手に飛び掛ったが、周囲の人に取り押さえられただけ・・・。
大した魚は釣れなかったけれど、それでも楽しい思い出になるはずだった。
最後の最後でトラブるまでは…。
「もぅいいよ・・・」
そんなテルさんの優しい言葉がムカついた。
俺は運転手に金を投げつけた。
「地べたに這いつくばって拾えや、ファッキン野郎!」
別の車と交渉し、何とかウルギーへの帰路に着く俺達。
車内
「金で解決できることなんて安いもんや」
故郷富山の親父の、そんな言葉が思い出された。
決して金持ちではないオヤジの、そんな一言の含蓄を。
「ごめん、父さんの言葉に嘘はねぇっす。でも俺はまだ分かりません…」
破壊衝動が募る。
それは自分自身へも同じ。
拳を砕きそうになり、思いとどまる。
「その辺にしておけよ」と心の中の俺が言う
「一度妥協したら、スパイラルだ」と、もう一人が言う。
作り笑いが笑ってた。
顔のパーツがうまく立ち回りやがるから、
心臓がナイフを要求する。
「殺せ、刺せ・・・」
何かを手に入れるためには、何かを捨てる必要があるという。
俺は羽ばたけるのかな?捨てる勇気もなしによ?
タンポポの綿毛のように、大事なモン1つだけ持って空に舞い上がれたら、
きっと高く飛べるのだろう。
予定より大幅に早い帰還、1泊二日の小冒険の末
満身創痍でウルギーにたどり着いた俺達。
時刻はすでに夜、店はすべて閉まり、
いつもの韓国製カップラーメンをすするだけ。
もはや、体力も限界にあった。
何より精神力、気力が磨耗しかけていた。
行きましょう、テルさん。
すべてが擦り切れてしまう前に・・・
“釣旅”の聖地
Mr.テムジンの懐、チョロートゴルへ
旅が故に苦労した分一匹の感動は計り知れずに大きいけれど、
その裏にはいくつのも失望や激怒、苦労がある…そんなお話。
結果、目的の湖にたどり着くことすら出来ず、通り道の川で変なマスが釣れただけ。
それはそれで嬉しい一尾。
「何が釣れるか分からない」「釣れても名前が分からない」
…そんな“釣旅”の醍醐味と、
悲哀が入り混じる西部調査釣行でした。
写真は通訳をかってでてくれた子。迷惑かけたけどありがとね。バイルッラ!
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