くにこの日記


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2006年11月26日(日)
オール電化は安全か?

11月26日
「火を使わないから安心」と急激に使用が拡大され、
2000年以降急増したIH調理器(電磁誘導加熱調理器)は
本当に安全なのか?という特集記事が載っていました。

IH調理器は電磁誘導加熱という技術で一般家電の50ヘルツの
電流のほかに、コイルに20キロヘルツ〜40キロヘルツの
高周波の電流を流すことで磁力を発生させます。
上に載せたテツやステンレス製のなべに、
うず電流を起こして熱を生じさせ食べ物を調理する仕組みです。

わざわざ高い磁力を発生させて調理するのですから、
電磁波を浴びる危険があります。
利用度が高い物ですからよりいっそう浴びる危険が・・・

電子レンジなどは調理中はのぞかない方が良いと言われていますが、
さらに間近で調理するのに人体への影響はないのでしょうか。

周波数の高い20〜40キロヘルツの日本の電磁波の
ガイドラインは62.5ミリガウスです。
IH調理器から10センチ離して測定した値は
機種にもよりますが69.8ミリ、73.9ミリ、
100.9ミリガウスもありました。
10センチの場所だと、なべを持つ手は被爆しています。

30センチ離れればかなり安全です。鍋1個で10.3ミリガウス。
さらに鍋が2個になった場合は30センチの距離で
22.6ミリガウスです。

視点を変えて妊婦の場合はどうでしょうか?
WHO(世界保健機関)の下部機関「国際がん研究機関」の発表では
居住空間に電気製品があふれていると
高いレベルで被爆すると指摘しています。

短期の被爆での流産リスクでは16ミリガウスのレベルで
健康への被害が問題にされています。

夜間電力使用で安いとかエコとか宣伝されていますが
本当はどうでしょうか?
原発の電力は夜だからといって止めるわけには行きませんから
安くしてでも売りたいという意図で料金設定されています。

遠路はるばる高圧電線で送り、その電気をさらに熱に変えることは
直接ガスを燃やすよりも大きなロスを生じ、
有効なエネルギーは35%です。

設置するのに高負担なので、経済産業省はオール電化推進のため
新築5万円、改築8万円の補助金を出していますが
総体で100万円以上かかる工事となります。

災害の際の生活の機能が全てストップすることを考えると・・
自分と家族のために、また環境のためにも
後悔しない選択をしたいものです。

2006年11月24日(金)
議会運営

11月24日
「有機センター建設事業」建設候補地‘白紙へ‘と言う
新聞報道がありました。
魚沼市議会には正式にはまだ発表がされていませんので
新聞紙上で知る限りが全てです。

しかしこの大事なことを市議会議員の大半が
まだ知らされていないということは問題だと思っています。

魚沼市は6町村が合併して一緒になったのですから、
各町村でやり方が違うことは無理もないと思います。

しかし、議会が後回しになるのは避けなければなりません。
なぜなら、問題が発生した場合一番早く住民が聞きに行くのは
議会議員のところだからです。
そしてまたいち早く対処もできる立場にあるからです。

新議会が出来て一年が経ち一巡し問題もいくつか出てきました。
これらの事を整理しながら問題を解決してゆこうと思っています。

28日に議会運営委員会が開催されますので
このことを議運の場に出して協議してもらおうと思います。

2006年11月22日(水)
足立・魚沼議員連絡協議会第1回(通産18回)

11月22日
21日、22日の両日、足立区の議員の皆さん全員ではありませんが議長以下会派の代表9人が魚沼市を訪れ、視察してゆきました。
小出町時代からの長い交流で、本格的に始まったのは昭和57年からとのことですが、最初は昭和35年のスキー交流が始まりのようです。
中越大震災の時にはいち早く義捐金をたくさん(金額は、はっきり覚えていませんが3000万円ぐらいだと思いましたが・・)持ってきてくださり驚いたものです。

今回は入広瀬の施設、大自然館を目当てに視察に来てくださいました。と言うのも、子供たちに体験学習をしてもらいたいと魚沼市の柳ヶ瀬商工観光課長が何度も足立区や豊島区などの教育委員会へ足を運んだのが功を奏しての視察でした。

これがうまくいけば大自然館も自立できますし、となりのエコミュージアムも自然体験という利活用ができ、都会の子供たちのオアシスにもなろうというものです。

足立区だけでも学校は108校あり、教育委員会の推薦が付けば成功ですが今はまだ海のものとも山のものともわかりませんが形になりつつあるようです。
私たちも出来る限りのおもてなしをしましたが今日視察してくださった方たちの感触はどうなのか気になるところです。

2006年11月21日(火)
県との質疑応答

11月21日
昨日20日、小出病院対策特別委員会が3時からありました。「病院に関する県との懇談会」です。

県の病院局と、福祉保険部の職員が魚沼市に来て私たちと懇談形式で私たちの質問に答えました。

1、運営母体は、財団法人と聞くが財団の設立に関与市町の出資の考えはあるのかないのか。
 
答え:知事の考えどおりに賛成なら出資の負担はないが既存の病院についてのこともあるので話し合いによる。

2、小出病院の運営母体はなぜ基幹病院と同一でできないのか(分院なら)医師やスタッフの交流がスムーズにいくのにどうか

答え:運営母体を基幹病院と小出と同一にできないことはない。総合力で整備してゆくため再編したい。災害や救急医療は県が、身近な医療は地元自治体にお願いしたい。医師確保をして基幹から必要な医師の派遣をするということにしたい。

3、医師確保の方策は。(現実性はあるのかないのか)

答え:大きな課題だ。県だけでは難しいので国にも大学の定員増を願っていたが、新大医学部、自治医大の定員増がH20年から認められた。医師誕生までには時間もかかるのでそれまでの間、医師の勤務の義務付けを願っていく。
新大から提案された医師確保策に頼る。新大助教授の肩書きは有効、ほか首都圏の大学との連携、東京医療センターからの医師確保も効果があると思う。

4、基幹病院や小出病院の医療スタッフ確保は県が関わるのか。現医師、現スタッフはどうなるのか。

答え:小出、六日町を統合して基幹病院を建設したい。小出、六日町に残す必要のあるものは地元で願う。その際必要なものは県も支援を考える。
県職員組合の対応:再編、フレーム案は話してあるが、保証や身分はまだ話し合っていない。意向調査もまだこれから・・正規職員と臨時を入れると1000人(4病院)いる。今後経営主体が決まってからスタートラインに立つ。

5、小出病院は外来を中心に1次、2次的医療はやっていかなければならない。老朽化した現施設の解体、西病棟の改装、外来診療棟や管理棟の整備の考え方は。

答え:東病棟(s44年建設)西病棟(H元年)老朽化の施設もあり小出の診療機能をどうするのか、予防などの関連などもあり全て魚沼市の言う通りにはできないが支援できるものはしたい。後は話し合いによる。

6、診療科目を魚沼地域の中で特化すれば2次医療も可能ではないか。(産婦人科、整形外科、小児科など)

答え:ワーキングチームに検討してもらっている。住民のニーズ、経営の問題、医師からみた魅力の問題、など・・この3つが連携しあってやってゆくのがよい。

7、精神神経科医療の基本的考えは

答え:精神の病床数は全県いっかである。患者や家族と話し合いながらやってゆく。

8、市営として休日、夜間救急センターの運営、健康と保健センターの開設について(県からの支援は)

答え:休日、夜間の運営、救急センターの運営は国から一般財源で、きている。施設については国、県からの制度あり、利用して・・

9、財政力全てに悪い魚沼地方から県立県営の小出病院が撤退すれば益々自治体への負担は増え、「過疎化は一段と進む」危険が必定。医療の面で財政一辺倒ではならないと思うが県の考え方は。

答え:県立病院だけでは医療は完結しない。財政一辺倒ではならないが、再編しなければ今までと同じではやってゆけない。

10、ベッド数の決め方は

答え:病床数はワーキングチームの中で考えてゆく。

11、基幹病院の基本設計、用地買収、建設工事、開院等の年次計画は。

答え:今年度中に構想の策定をしたい。3ワーキングチーム、新大との話し合いを早くして一日も早く基本設計にかかりたい。通常で行けば5年くらいはかかると思っている。

12、交通機関についての県の対応は。

答え:街づくりという観点で捉えて病院を廻るバス路線を財団で考えたい。


などなどが県に聞いてみたことです。




2006年11月16日(木)
柏崎クリーンセンターの視察

11月16日
柏崎市にあるごみ処理場、クリーンセンターかしわざきを会派で視察しました。
一会派ではもったいないので他の会派にも声をかけて総勢9人で行ってきました。

クリーンセンターかしわざきの焼却場は、魚沼市のエコプラントと同じタイプの物でエコプラントよりも3年早く平成4年に出来たものです。<比較のために( )内は魚沼市の数量>

33000世帯で出すごみの量は39000トン(27268)、うち燃やすごみは30932トン(24713)、資源物6575トンでリサイクル率はなんと18.5%(10.2%)

柏崎ではごみの分別が進んでいて、19分別(10)もありました。
よく住民に周知したなぁというのが実感です。聞いてみましたら19も分別しているのは県内でもトップクラスとのことでした。


ちなみに一人当たりのごみの排出量はというと1140g/日(1706g)で魚沼市とは大きな違いがありました。
1,100〜1,200gというのが平均のようですので魚沼市の住民が出す量が多いということになります

来年からごみの有料化をするということでしたのでそうなればさらに資源化率も上がりごみの出る量も減るというものです。
見習わなくてはならないところがたくさんありました。

燃やすごみの中身は分析によると
@紙、ダンボール・・・43%(62%)
Aビニール、プラスチック・・19%(13%)
B生ごみ・・・・・・・27%(18%)
C木・竹・草・・・・・5%(3.5%)
D不燃物・・・・・・・6%(0.8%)

燃やせばごみ、使えば資源というように、紙の分別をもっと良くすればリサイクルでごみの量も減り、浮いた財源が他のところに使えることになります

「ごみは奥が深いなぁ」とは今回視察に行った議員からの感想でありました。

柏崎のユニークな取り組みとして聞いたのは、町の真ん中に一箇所だけ「資源ごみの拠点回収施設」を作り毎週水・木・土曜日朝10時〜夕方6時まで資源ごみを引き受けることにしたら年間10万人の利用があったそうです。
空き店舗を借り上げてシルバー人材センターに委託しているようですが、年間の経費が600万円でも価値があるという見方でした。

炉の修繕量やメンテナンスに毎年1億円(1億3000万円)ぐらいかかるそうですが、自分たちで出来るものはその中の一割ぐらいで荏原製作者に払うのは9000万円だそうです。
消耗品は出来るだけ寿命を延ばして荏原の言う通りには替えないと言ってましたが、その代わり良く点検して具合を見ているとも言ってました。

クリーン推進課の職員の数はごみ減量係6名、施設係19名、収集係8名の計34名との話しでした。多分課長も入るのでしょう。
たくさん資料を貰ってきましたのでこれから勉強です。

2006年11月15日(水)
ごみの話

11月15日
昨日午前中、会派で勉強会をしました。
ごみに関する勉強会です。他の会派の人も2人参加しました。
魚沼市役所の環境課の大桃係長から資料を提示してもらい説明を聞きました。

それによると、魚沼市のごみ焼却場で燃やされるごみの62%は紙ごみで、自分たちがたくさんあるんじゃないかと思っていた台所の生ごみはたったの18%にすぎない事がわかりました。
ごみ焼却後、最終処分場に運ぶ費用は一年で約8100万円(平成17年度)かかっています。
紙ごみの量が減ればこの処理費用も少なくなりますので何とか減らす方法はないものでしょうか。

また資源ごみのリサイクル率は魚沼市は平成17年度で10.2%、新潟県では15.6%(15年度)、国はさらに高く16.8%(15年度)となっており、魚沼市のリサイクル率は非常に悪いということになります。

またごみの分別も魚沼市は10分別ですが新潟県の平均では12.7分別となっており分別でも平均より少ない分別という事がわかりました。

炉の修繕料に毎年1億3千万円もかかっており、森島議員がこれは何故かとたずねますと荏原製作所のメンテナンス料も入っているとのことでしたが他の会社で安いところではどうかという意見があり、もっと研究する必要ありと思いました。

ここと同じ焼却場は柏崎にありますので明日はそこを会派の皆さんや他の議員と一緒に見てきます。

2006年11月12日(日)
収穫感謝祭

11月12日
霰が降ったり、霙になったりと寒い一日になってしまいましたが、我が山田下集落では収穫感謝祭を行いました。
毎年、この時期に餅つきをして集落総出で楽しみます。
私たちが活動したのは午前中でしたので空模様もまずまずでしたのでラッキーでした。
お天気だけとってもこの頃私はついています。

お餅は今年は4臼、つきました。
老若男女が集い楽しい時間を過ごしましたが、昨日から準備にかかった役員の人たちの大変さに頭が下がります。

私たち婦人会は朝から野菜の刻みなどで協力しました。
毎年のことですがわいわいいいながら結構楽しく時間が過ぎます。

こうして寄る事が少なくなった今では貴重なことと思っています。
年の違うお母さん方もたまに話が出来てよいことですし、料理一つにしても教えたり教えられたり、集落の人たちの出入りも解り、良かったです。

集落で餅つきするところはまだ他にたくさんあるのでしょうか。

2006年11月11日(土)
小出病院特別対策委員会

11月11日
昨日10日の小出病院対策特別委員会が10時からありました、私は2年前の手術の定期健診で遅刻しました。

県の病院局と、福祉保険部の職員が20日に魚沼市に来て私たちと懇談するという話しですので私たちの意見をまとめました。

1、運営母体は、財団法人と聞くが財団の設立に関与市町の出資の考えはあるのかないのか。

2、小出病院の運営母体はなぜ基幹病院と同一でできないのか(分院なら)医師やスタッフの交流がスムーズにいくのにどうか

3、医師確保の方策は。(現実性はあるのかないのか)院長先生によって医師の確保が変わるとも聞くが・・

4、基幹病院や小出病院の医療スタッフ確保は県が関わるのか。現医師、現スタッフはどうなるのか。

5、小出病院は外来を中心に1次、2次的医療はやっていかなければならない。
 老朽化した現施設の解体、西病棟の改装、外来診療棟や管理棟の整備の考え方は。

6、診療科目を魚沼地域の中で特化すれば2次医療も可能ではないか。(産婦人科、整形外科、小児科など)

7、市営として休日、夜間救急センターの運営、健康と保健センターの開設について(県からの支援は)

8財政力全てに悪い魚沼地方から県立県営の小出病院が撤退すれば益々自治体への負担は増え、「過疎化は一段と進む」危険が必定。医療の面で財政一辺倒ではならないと思うが県の考え方は。

9ベッド数の決め方は


などなどが県に聞いてみたいことです。
その他、ご意見や疑問がありましたら是非どうぞメールください。



2006年11月9日(木)
生活習慣病

11月9日
昨日委員会がありました
福祉と総務の合同委員会でした。

なぜ合同かと言いますと「国民健康保険」に関することで、今までの旧町村の時は国保は社会厚生委員会に所属するものでしたし、内容は福祉の分野が多く関わるものですので、係りになった総務文教の委員長、佐藤貞一さんが福祉の委員長星孝司委員長と計らってくれたものです。

国民健康保険の国からの通達によると平成20年度から糖尿病等の生活習慣病に着目した健診及び保健指導を行うとあります。

これは国保会計が赤字の自治体が多くあり国保特別会計に一般会計や基金からの繰り入れが多くなっているための国の指導によるものです。
あまりに多くなるとお一人お一人が払う国民健康保険税は上げなければなりません。

医療費が多くなる主な原因を突き詰めていくと生活習慣病が多くなっているということです。

65歳以上の4分の一は糖尿病もしくはその予備軍です。

一人当たりの老人医療費は全国平均で75万2721円、最高は福岡県の92万2667円、最低は長野県の61万2042円です。

ちなみに新潟県は低いほうから第3位で63万1615円、魚沼市は58万4385円でした。

糖尿病の治療費は境界型では6360円/月、軽度の糖尿病で15210円/月、重度の糖尿病では28350円/月、人工透析が必要な人は46万5310円/月となります。

この糖尿病にならないように毎日の食習慣を気をつけましょう。

2006年11月8日(水)
私の誕生日

11月8日
今日は私の誕生日でした。
母が10ヶ月もの長い間、重いおなかを抱え、つわりに苦しみながら、出産の痛さも耐えて生んでくれたこと、夜の授乳に眠い目をこすりながらミルクを作って与えてくれたこと、私の腕の骨折には毎日付き添いで苦労したこと(リハビリの痛さに耐えかねて病院中を逃げ回る私の話など)、よく父と母とで私の行事に付き合ってくれたことなど、楽しく物悲しく思い出していました。

今はその両親も亡くなり遠い昔になりましたが何故かちょっと前の出来事のようです。

「慈故能勇」という老子の言葉があります。
「慈しむなり、ゆえによく勇なり」と読むそうです。「母は強し」の理由だと思いました。

私もそうであったと自負したい気持ちですがまだまだだったと思っています。
今もまだ母ですのでこれからはそうでありたい気持ちが十分です。

2006年11月3日(金)
菊の香 薫る文化祭

11月3日
文化の日にふさわしく雲ひとつない晴天に恵まれ、夫と守門の体育館と小出郷体育館に文化祭を見に行きました。
守門の大塚議員からお茶会に招かれていたためでしたが、とっても盛況で守門の心意気を感じ感心しました。

体育館にはたくさんの出品が並べられ、特に子供たちの作品は賑わいを見せていました。
私はパッチワークをしていますので興味を持ってみてきました。

体育館の下では野菜や物産、利き酒、焼き鳥焼きそば、そば、古物市など所狭しと並べられていて楽しく買い物をしてきました。
中でも守門の女性部の作った笹団子はとってもおいしく、10個の笹団子を買いましたがあっという間になくなりました。

広神は明日と明後日ですので通り越して,小出の体育館に行き高尚な作品の数々に圧倒されてきました。
白象会の作品はいつ見てもすごいですね。
絵を鑑賞する機会が少ないので有難いですね。

たくさんの会が出品していました。
その中で「りゅう」に私の友達が出品していました。
絵心のない私は見て初めて「ああ、こんな書き方があるのか」と感心させられます。

私のパッチワークは広神庁舎の前の体育館で展示されます。
良かったら見てやってください。

2006年11月2日(木)
33年前の今日

11月2日
今日は長女の誕生日です。
33年前の今朝出産しました。
第一子の長男『貴大』を難産で出産直後になくしましたので
とても嬉しかったことを昨日のことのように思い出しています。

結婚してからもう35年【光陰矢の如し】とはよく言ったものです。
私が初出馬した時、補選の1年のみならず5年も議員をしなければならないと気づいて落ち込んだ私に「今歩いているのは曲がり道の人生でなく自分の人生なんだよ」と諭してくれた夫に今は感謝しています。

第一線で働く、家にばかりいた妻が急に出かける毎日になり、家族はとても大変だったろうと思っています。
実際家族とギクシャクもしたこともあります。
友達に「何で私が出る時はみんなが不機嫌になるんだろう? 私はいつもいい顔で出してやっているのに・・」と、ぐちをこぼしました。
友達は「仕方がないよ。お母さんは家族の太陽なんだから・・・」「!!!」

家族の太陽が急にいなくなったら寒いし寂しいし大変なことです。
私は私の存在を求めていてくれる家族のいることを「有難いことだ」とその時感じました。

それからは心を入れ替えて、自分のスケジュールを前もって家族に良く話し、了解を得るよう心掛けました。
まだまだ至らないところのある私ですが、家族もそれからは私のスケジュールを最優先してくれるようになりギクシャクすることはなくなりました。

自分が変われば周りも変わる・・ということを身をもって体験している毎日です。
相手が態度が悪いと思ったとき自分の態度はその人に対してどうだったか・・。

どうぞ皆さんもギクシャクした時は振り返ってみてください。