くにこの日記


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2007年3月28日(水)
突然の家族の死

3月28日
もうすぐ3月も終わりになります。
随分ホームページをご無沙汰してしまいました。

実は
16日朝6:30頃、いつものように
義父を起こしに部屋に行きましたところ、

いつもは「あ〜」とか「う〜」とか言いますのに
返事がなく、部屋に入ってみると様子が違い、
うつぶせになっていました。
起こしてもゆすっても起きません。

義父はビックリするほどあっさりと
89歳の春の早朝に逝ってしまいました。
前の晩、晩酌を済ませ
よろよろしながら部屋に行った姿が目に焼きついています。

近年は
話す言葉は「ありがとう」「すまないねぇ」「世話になるよ」
「うれしいねぇ」「よかったよ」「おいしいよ」と
いった言葉ばかりだったと思い出しています。

あれほど好きだった湯治も去年は
出かけても1.2日で帰ってきてしまい
「やっぱり家が一番いいよ」と言っていました。

晩年は
穏やかで、家族が好きで、みんなで団欒が好きな人でした。

21日に初7日の法要を終わしてもらい、
22日、議会も終わりました。

後から随分たくさんの弔問のお客様がお見えになり
義父との別れを惜しんでいただきました。

皆様一様に「幸せな御最後でしたね。」というのです。
誰もが、元気でいて
ある日突然亡くなるというのを望んでいるのですね。
その点でも
義父は幸せだったと思います。

皆様のご厚情をありがたく思っております。

2007年3月15日(木)
一般質問、予算審議

3月15日
魚沼市議会で12日、13日は一般質問がありました。
私は2日目、午前の最後かと思っていたら
午後一番目になりました。

午前中は浅井守男議員の只見線問題、入広瀬寿和温泉プール冬期廃止問題があり、
30人ぐらいのプールに通う子供たちの保護者が傍聴に訪れ、
ついに市長も長い期間休む事はしないと約束しました。

傍聴席からは拍手が沸き、傍聴効果に手ごたえありの感でした。

午後からの少なくなった傍聴者の常連に混じって、
私の応援に来てくれた人もあり嬉しかったです。
有り難うございました。

中々思うようには市長の返事は引き出せません。
何回か続けてやらないと駄目のようです。

昨日14日から
予算審議に入っています。

私は総括質疑で4番目でした。
市債合計は?  答え 640億円、
普通交付税参入額は? 301億円、
魚沼市が払う金額は? 339億円、
損失補てんや損失補償をしていたらそれも入れての
実質公債費比率は19年度予算ではどれくらいか? 21.6%ぐらい
(健全の18%以内に戻るのは平成24年度あたりから)
ここに隠れ借金はないか? ない

次に
今日の一般会計での質疑で
職員の福利厚生費の補助金について質しました

市職員互助会補助金450万円、人間ドック助成金525万円について
「今の財政改革でゆけば、批判のある互助会補助金はいかがかと思う。」と述べました。

総務課長も批判のあることも承知していると答弁し、
19年度については一人当たり1000円減らして
5000円にしたが徐々に削減の方向で・・というので
徐々にではなく早期に取り組むべきではないかと言いますと、
今年度中に検討するとの答弁でした。

他にも何点か質問しましたが長くなるのでこの辺で・・


2007年3月10日(土)
新小出病院構想

3月10日
昨日9日に
小出病院対策特別委員会が開催され、
基幹病院整備後の小出病院のあり方についての
W・T(小出病院ワーキングチーム)が出した構想案が提示されました。


それによると、
入院病床は100床、
皆さんが心配されている診療科目は
内科、整形外科、小児科、産婦人科、総合診療科、
リハビリ科、眼科、精神科、泌尿器科、の9科
内科の中には透析も入り、
ほぼ皆さんの希望を入れたものとなったと思っています。

さらに、県立小出のときにはなかった
在宅の患者のための訪問診療が加わるようです。(俗に言う往診です)

今まで取りざたされていた産科については
年間800〜900人もの出産実績を勘案して残し、
住民の皆さんが安心して産み育てられるような方向を目指すものです。


実際に医者の数が足りるのか不安はあるものの
診療科目がほぼ皆さんの希望に沿ったものですから良かったです。
これで私も安心しました。

また、小出病院の規模が縮小されるのですから
県への要求としてそこに付け足す物は

健診センター(職域健診、特定健診、人間ドッグ)
健康増進センター(プール、スポーツスタジオ、入浴やシャワー施設)
などを併設するというものです。

この4月から
創設されるという社会医療法人として認定を受ける方向を目指す
という説明がありました。

今までの公的な医療法人だと
直接の医療行為のみだが、
新制度は
収益事業も出来る仕組みと聞いている。
これに公的機関が担ってきた
小児救急医療や僻地医療などをセットにしたものが
新制度の社会医療法人です。

市と県が関わり民間の経営となる
新しい小出病院の姿に期待します。

2007年3月3日(土)
魚沼市の財政危機を考える会から提言書

3月3日
遅くなりましたが
2月16日に「魚沼市の財政危機を考える会」から
「地方分権の時代にふさわしい魚沼市を実現するための提言書」が
市議会に出されました。

その際、私も出席しましたので少し報告します。
考える会の会長`大林義雄‘さん、事務局の渡部四郎さん、
会計の高橋正則さん、広報担当の岩井富士夫さん、
この4人の方が市議会を訪れました。

提言書の内容は
1、@新庁舎建設の凍結または先送り
  A図書館建設の凍結または先送り
  B有機センター建設の先送りまたは計画縮小及び変更
2、@職員数の削減の目標人員を450人以下とする
   その実施計画を10年を5年と短縮する
  A退職時の特別昇給廃止と諸手当の見直しと縮減
   さらに基本給を削減(職員10%、管理職15%、特別職20%)
3、歳出の徹底した抑制
  @5年計画の削減前倒し
  A入札制度の見直しでコストの引き下げ
4公営施設の経営健全化
  @必要性
  A観光施設の統廃合で独立採算制の確立
5、企業誘致の早期実行

以上の説明と新聞に掲載された図などの説明を受け
議長からは
「皆さんのお話されたことは当局側も議会側も議していることですが、
真摯に受け止めます。」という返答でした。

ほかに総務文教委員長が「我々の所管なのでお答えしますが
今回提言されたものは16年度決算(魚沼市は合併の決算)によるもので
もうすぐ総務省の17年度の決算が出されるので待っているところです。
それによって明らかになるものも多いと思います。
とにかく皆さんが提言されたものを見させていただきます。」

(議事録がないのではっきりしませんがこんな内容だったと思います)

市議会側は出席者は
議長、副議長、議運の委員長、総文委員長、福環委員長、産建委員長でした。

2007年3月2日(金)
国際連合発表IPCC

3月2日
今年の天気はどうなっているのか・・と皆様からよく言われます。
世界的な発表であるIPCC(国連気候変動政府間パネル)によると

・地球温暖化の原因は、人間活動による温室効果ガスの排出
・21世紀末の地球の平均気温は最大で6.4度上昇
・1906年から2005年までの地球の平均気温は0.74度上昇した
・今世紀後半までに北極海の海氷が夏にほとんど消滅する可能性
・70年代以降強力になっている台風やハリケーンの強度が更に強まる
・猛暑や熱波、豪雨などの異常気象がさらに増加へ
・さんご礁への大きなダメージに言及、世界に警告を発した
・異常気象による「環境難民」は2002年までで2500万人、
 2010年までに倍増、21世紀末には2億人に達する

このIPCCの発表は1990年、1995年、2001年に次いで4回目。
今後の予測についてかなり厳しい内容になっています。

私たち一人ひとりが日々の生活を見直し、エネルギーの節約など
温暖化の防止に取り組む事が大切です。

ごみを出さない工夫、残さない工夫、エネルギーを節約する工夫、
車に乗ることを減らす工夫、お一人お一人にかかっていますので
よろしくお願いします。
みんなで考えてゆきましょう。

2007年2月27日(火)
24日の続き・・原発、プルトニウム

2月27日

NPO グリーンピース・ジャパンのサイトには
六ヶ所村について下記のように書かれていました。

日本には55基の原発がある。
六ヶ所村の施設は原発でなく、核燃料リサイクルセンター。
プルトニウムを再処理する工場。


「再処理工場を建設するのは再処理(プルトニウム生産)が目的で
はなくなり、実は、原発を動かし続けるために、使用済み核燃料
の保管場所(=捨て場)が欲しかったようです。しかし、捨て場
だけをひきうける住民はいません。そこで、濃縮ウラン工場と
か、再処理工場とか、何かを生産する工場とセットにはしたもの
の、要するに、「だまし、だましして」(通産省資源エネルギー
庁の役人の発言 1984年5月8日付け読売新聞)六ヶ所を 
“核のゴミ捨て場”にしようとしているのです。」


とにかく、こういう”事件”に こと欠かないのが今の世の中ですね。
なぜ、こうなったのでしょうか?

原点は、”もっと、もっと”と便利快適を追求している我々国民。
それによって、エネルギーが不足してきた。
そして、原発を生み出した。

”原発がなかったら、あなたたちの生活はどうなるの?”
と、役人、業者も大義名分を持つ。
そして、次に、
”原発は悪くない”という学説をつくり、それをみんなで信じるようになる。

そう考えると、すべきことは

自分がまず、事実を知る。
それを人に伝え、世論を動かす。

問題の原点であるエネルギー消費を減らす。
その為に、便利快適追求の今の生活を改める。




地球はつながっている。できごともつながっている。
核を作ったアメリカもコロラド川の住民は甲状腺の疾患
白血病、奇形児の出生、は事実です。

劣化ウラン弾を使った米軍兵士にも放射能による障害や
死亡、が始まっている。
イラクの方々もすごく大変なことになっている。

日本も戦後61年まだ長崎広島の被害者はたくさんいらっしゃる。

核の影響は続いているのに、さらに日本は原発で広めようとしている。

テレビなどでは断片的な事象しか出さないけど
つなげていけばはっきり政治的権力者の意図が見えてくる。
原発での放射能漏れなんてとても多い!
公表するデータの改ざんは通常業務!
報道規制していることは多い! これは事実です。
電力会社はお金持ち、新聞社の大株主、テレビのCM
スポンサー、これも事実です。



2007年2月27日(火)
24日の続き・・原発、プルトニウム

NPO グリーンピース・ジャパンのサイトには
六ヶ所村について下記のように書かれていました。

日本には55基の原発がある。
六ヶ所村の施設は原発でなく、核燃料リサイクルセンター。
プルトニウムを再処理する工場。


「再処理工場を建設するのは再処理(プルトニウム生産)が目的で
はなくなり、実は、原発を動かし続けるために、使用済み核燃料
の保管場所(=捨て場)が欲しかったようです。しかし、捨て場
だけをひきうける住民はいません。そこで、濃縮ウラン工場と
か、再処理工場とか、何かを生産する工場とセットにはしたもの
の、要するに、「だまし、だましして」(通産省資源エネルギー
庁の役人の発言 1984年5月8日付け読売新聞)六ヶ所を 
“核のゴミ捨て場”にしようとしているのです。」


とにかく、こういう”事件”に こと欠かないのが今の世の中ですね。
なぜ、こうなったのでしょうか?

原点は、”もっと、もっと”と便利快適を追求している我々国民。
それによって、エネルギーが不足してきた。
そして、原発を生み出した。

”原発がなかったら、あなたたちの生活はどうなるの?”
と、役人、業者も大義名分を持つ。
そして、次に、
”原発は悪くない”という学説をつくり、それをみんなで信じるようになる。

そう考えると、すべきことは

自分がまず、事実を知る。
それを人に伝え、世論を動かす。

問題の原点であるエネルギー消費を減らす。
その為に、便利快適追求の今の生活を改める。




地球はつながっている。できごともつながっている。
核を作ったアメリカもコロラド川の住民は甲状腺の疾患
白血病、奇形児の出生、は事実です。

劣化ウラン弾を使った米軍兵士にも放射能による障害や
死亡、が始まっている。
イラクの方々もすごく大変なことになっている。

日本も戦後61年まだ長崎広島の被害者はたくさんいらっしゃる。

核の影響は続いているのに、さらに日本は原発で広めようとしている。

テレビなどでは断片的な事象しか出さないけど
つなげていけばはっきり政治的権力者の意図が見えてくる。
原発での放射能漏れなんてとても多い!
公表するデータの改ざんは通常業務!
報道規制していることは多い! これは事実です。
電力会社はお金持ち、新聞社の大株主、テレビのCM
スポンサー、これも事実です。



2007年2月24日(土)
原発とプルトニュウム

2月24日

日本には55基の原発があります。
青森県六ヶ所村の施設は原発でなく、
プルトニウムを再処理する核燃料リサイクルセンターです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<原発って?><プルトニュウムって?>

アメリカは原発の放射能漏れでコロラド川の汚染が進んでいる。
コロラド川原発付近を14年600億円使って浄化できたのは0.4%
コロラド川付近の灌漑農業で作られたポテトや小麦は日本に輸入されている。
ポテトチップになってマクド・・・などで売られている。

日本人は電気を大量に使い、
足らないので原発に30%依存しているが、
依存している30%を節電すれば原発は不必要となる。

原発の原理は 核融合させてお湯を沸かしてタービンを回す熱源としての核。
100万kwの電気を発電するのに
300万kw作って200万kwを海に捨てているのが現状。
海を暖める大型機械。(すごく問題)

僻地にある原発からの高圧送電線での減衰で60%、実質40%以下の電力。
プルトニウムは人間が作った。自然界にはない物質、
100万分の1グラムで人一人死んでしまう。
角砂糖1個分(20g)で2000万人の致死量。
海の海水温度が上がって、鮭の溯上が無くなる川が出てきた。


原発先進国フランスも諦めた。
イギリスも諦めた。英は今23基あり、毎年1基減らしていく。
フランスからの高レベル核放射能廃棄物を六ヶ所村で受け入れている。
イギリスのセラフィールドの核燃料リサイクル施設での一昨年の事故に6000億円かかる、
セラフィールド再生工場は、この事故を契機に閉鎖される。
英国、セラフィールドの海岸は放射性物質が通常の70倍、海水浴すらできない寂しい海岸。

日本人には何も知らされず、核開発が進められている。
マスコミ、メディアは真実を伝えない。

電力会社はプルトニュウム再処理工場するための調査に手を上げた自治体には
2億円を出すと言っていたがどの自治体も手を上げずに今年10億円になった。
すると高知県の「津野町」、岐阜県「よご町」が手を上げ検討しようとしたが反対

高知県東洋町で受け入れの申請が受理され、検討が始まった。
東洋町としては第2の夕張市になる財政難を迎えている。
検討して引き返せる。と町長は言っているが・・?

橋本大二郎知事は「お金で人の頬をひっぱたく行為だ」と廃棄反対を表明。


核燃料リサイクルは出口の見えない開発、
全ての技術は模索しながら作っている。
確立された技術はない。安全だろう、だろうで作っている。
しかし、本当に安全だろうか

原子力発電所を作った平井憲夫さんの話ではそうではなかった。
興味のある方はぜひ平井憲夫で検索か下記のホームへどうぞ。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/


プルトニウムは大変危険なもので、
エネルギーにしてはいけない猛毒でもある。
増え続ける核廃棄物を100万年貯蔵する方法は世界中どこにもない。
日本には43トンのプルトニウムがあり、毎年8トン増える。
もし、核燃料リサイクルが稼動すれば
55ヶ所にプルトニウムを運ぶことになり
日本中に撒き散らす可能性がある。密閉できない、必ず漏れる。

再処理工場からの海に放射能物質を含んだ廃液
(経口致死量約4万7千人分)が放出されても
海水で薄まるから大丈夫だと日本原燃は言っています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長くなるのでまた次に・・します。

2007年2月21日(水)
守門の勉強会にでて

2月21日
昨夜、守門地区にある、○○家を目指したのですが
中々行き着かず、2回聞いてやっとたどり着きました。

7:30が約束の時間でしたが
7分遅刻してしまいました。ごめんなさい!

そこでは若い方から私と同年代の方までいらして
勉強会を開いていました。


一般の方でもこれだけ熱心に勉強をするんだ!と
私も正直言ってちょっと驚きました。

現在の小出病院問題から守門の抱える学校統合再編問題、
地域の問題、などいろいろ出ました。

皆さんの疑問にお答えする格好で会は進み、
予定とされる時間を過ぎて終了しました。

最後にマイ箸運動の一環である
箸袋を皆さんに1つづつ差し上げましたら、
買ってくださる方もいて

売り上げの半分を恵まれない子供たちへ寄付するのですが、
嬉しくてその売り上げは全額寄付することにしました。

私の店でも500円で売っていますが
差し上げた方の中で自分で作って、広げてくれたら嬉しいと思いまして
どうぞどんどん広げてくださいとお願いしました。

守門からもマイ箸運動が広がってくれるのを
熱望します。

2007年2月19日(月)
足の施療

2月19日
皆さんはフットセラピーをご存知ですか?
最近は東京駅の構内にもお目見えしました。

足の裏を診断したり、治療したり、もんでくれる人のことです。

その人が言うには、
最近の小学生の足型を取ると6割は足の指が写っていないそうです。???

特に女の子は小さいうちからミュール履かせたりするので多いのだそうです。

足も、手と同じように掴む事が出来ます。
足は大地を掴んで走ったり歩いたりするのです。

足の指が写らないというのは
大地を掴む力がない、ということです。

そのため集中力のない子が増えているという臨床が出ているのです。

落ち着きのない子や集中できない子が
クツ選びの指導や、普段の生活のアドヴァイスで
とても落ち着いた生活になったそうです。

特に赤ちゃんや幼児は足が軟骨状態なので、
靴選びは重要になります。

ポイント
・踵が堅くしっかり立っている靴を選ぶ
・つま先が固く守られている靴を選ぶ
・中敷の上に立ち、つま先部分に1センチの余裕があること
・脱げにくいこと
などだそうです。

でも元々素足だった人間が靴を履くこと自体が不自然ですよね。

2007年2月16日(金)
積もり貯金

2月16日
昨夜、チョコレートについて書きましたが
念のため申し添えますがそれが総てではなく、
強制労働ではないところもあります。

こういうところも多いと認識していただければ幸いです。

夫は、私の決意を聞いてから14日の晩、
四国へお遍路さんに出かけてゆきました。

私はこれからも出来るだけ不要な物は買わずに
買ったつもりで「積もり貯金」をし、
貧しい子供たちのために使うことにしました。

国連開発計画は
世界の11億人が安全な水が飲めず、途上国の半数が
不衛生な水で健康上の問題があり、年間180万人の子供たちが
下痢のために死亡していると報告書を発表しました。

現状では国連が目指す、安全な水を利用できない人を
2015年までに半減させることは難しく
追加費用として年100億ドルが必要と試算しました。

この費用は5日分の世界の軍事費より少ないのには驚きました。

2007年2月15日(木)
チョコレートの原料は?

2月15日
友人からチョコレートにつきまして、
情報を頂戴しました。

紅茶も同じように
子どもたちに強制労働を
強いられているときいています。
同じ地球に住んでいて、
先進国の人々の暮らしが
貧しいといわれる人々を追い込んでいく。


・・・・・・・・・・・・・・・

チョコレートの原料は......... 


アフリカの最貧国では子どもたちの労働は当たり前の状況であり、子どもの労働力がなければ家族が食べていけない状況にある。そして子どもたちが奴隷として売買され、農園や工場で死ぬまで酷使されている。 

西アフリカでは仲買人が農村などをまわり、親や親戚から1人15−30ドルで子どもを買い集めて、国外に300ドルほどで売る人身売買が現在でも横行している。 

チョコレートの原料は・・・ 

世界のカカオ豆はほぼ100%途上国で生産され、その7割までをコートジボワール、ガーナ、ナイジェリアなどの西アフリカの国々が占めている。なかでもコートジボワールは40%を占めている。ユニセフによると、カカオ農園で「奴隷」として働く子どもの数は15,000人とも言われる。劣悪な労働環境で強制的に働かされてきた子どもたちが、世界最大のチョコレートやココアの生産を支えてきた。 

農園で働く少年の証言によると、朝5時から夜11時までカカオ豆の摘み取りに働かされ、労働時間は週に100時間を越える子どもが珍しくなかった。 
カカオ豆をつめた袋はときに少年達より高くなる。他の2人が手伝って、袋を頭の上に乗せてやる。歩き出すまで棒で殴られ続け、急がないとまた殴られる。死ぬことさえあった。殴られることは「生活の一部だった」と語っている。 

十分な食事が与えられないので、病気に倒れる子どもも多い。夜は狭い小屋の板張りの床にすし詰めになって寝る。子どもたちが解放されるのは、死ぬか逃亡に成功したときだけだ。だが、逃げ出して捕まれば、半死半生になるまで殴られるリンチが待っている。 

こうして集められたカカオ豆は、少年たちの知らない国でチョコレートやココアに生まれ変わる。チョコレートをかじっている裕福な国の子どもたちは、誰がどのようにチョコレートの原料を集めているかを知らない。 

カカオ豆を集めたアフリカの子どもたちは、これが何になるかは知らない。ましてチョコレートを食べたこともない。 

現在のチョコレートの製法は、皮肉をこめてこう言われる。 
「カカオ豆を炒って粉にし、砂糖と牛乳と・・・・そして、アフリカの子どもたちの汗と血と涙を加えたもの」 

石 弘之さんの「子どもたちのアフリカ」より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今年、バレンタインディに使われたチョコレートは
一体いくつだったのか、考えてしまいました。

夫に宣言しました。
今年からチョコレートは上げない!

その分恵まれない子供たちに
学校を作るボランティアをしている
スクールエイド、ジャパンに寄付をするの

夫は最近、いつもその学校のことを気に掛けていたので
とっても喜んでくれました。
 

2007年2月12日(月)
雪合戦

2月11日
今朝から雪でしたが小出の国際雪合戦の頃には
ほとんど止み、気にならなくなりました。

今年は165組の参加です。
何と大きな大会に育ったもんです。

足立区の玉川部屋の皆さんが昨年に続き参加され、
大きな鍋でちゃんこ鍋をご馳走してくれました。

さて我が魚沼市議会も雪合戦に参加しました。
参加者は、
森山(英),大屋,榎本,大塚,星(謙),浅井,佐藤(守),五十嵐,山田(昭),山田(仁),星野 でした。

1回戦は何とか勝ちましたが
2回戦はべた負けでした。

私は2回戦に出場しました。
3分ってすごく長いんですねぇ。
思いっきり投げたので(その時は気づきませんでしたが)
昨年捻挫した手首が今、痛んでいます。

こんなところに年を感じます。

2007年2月6日(火)
「小さな物語」をご紹介します

2月6日
とっても素敵でほっとするメールがきましたので
ご紹介します

=============
コミュ、永遠という名の一瞬の中で紹介されていた物語です。

【小さな物語】(作者不明 菅原裕子訳)


インドのある水くみ人足は、2つの壷を持っていました。

天秤棒のはしに、それぞれのツボをさげ、首のうしろで
天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。

その壷の一つには、ひびが入っています。

もう一つの完璧な壷が、小川からご主人さまの家まで
一滴の水もこぼさないのに、
ひび割れ壷は、人足が水をいっぱい入れてくれても、
ご主人さまの家に着くころには半分になっているのです。


完璧な壷は、いつも自分を誇りに思っていました。

なぜなら、彼が作られたその本来の目的を、彼は常に達成する
ことができたからです。

そして、ひび割れ壷は、いつも自分を恥じていました。

なぜなら、彼は、半分しか達成することができなかったからです。


二年が過ぎ、すっかりみじめになっていたひび割れ壷は、
ある日、川のほとりで水くみ人足に話しかけました。

「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている。」

「なぜそんな風に思うの?」水くみ人足は言いました。

「なにを恥じてるの?」

「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人さま
 の家まで水を半分しか運べなかった。
 水がもれてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、
 その努力が報われることがない。
 私は、それがつらいんだ。」

壷は言いました。

水くみ人足は、ひび割れ壷を気の毒に思い、そして言いました。

「これからご主人さまの家に帰る途中、道端に咲いている
 きれいな花を見てごらん。」


天秤棒にぶら下げられて丘を登っていくとき、
ひび割れ壷はお日さまに照らされ美しく咲き誇る道端の花に
気づきました。

花は本当に美しく、壷はちょっと元気になった気がしましたが、
ご主人さまの家に着くころには、また水を半分漏らしてしまった自分を
恥じて、水くみ人足にあやまりました。

すると、彼は言ったのです。

「道端の花に気づいたかい?
 花が君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?
 
 僕は、君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に
 花の種をまいたんだ。

 そして君は毎日、僕たちが小川から帰るときに水をまいてくれた。

 この2年間、僕はご主人さまの食卓に花を欠かしたことがない。

 君があるがままの君じゃなかったら、ご主人さまはこの美しさで
 家を飾ることはできなかったんだよ。」
===========

2007年2月4日(日)
2007年荊冠旗開き、「部落開放同盟」県連合会

2月4日
新潟市の東映ホテルで開催された
「部落開放同盟新潟県連合会」に初めて出席してみました。

そこでは蒼々たるメンバーが集まり
来賓にも何人もの新潟県選出の国会議員が出席し、
およそ120人ぐらいで開催されたのです。

富山国際大学の藤野教授の講演会で
私も今までよく知らなかった「被差別部落」の内容を
詳しく聞いてきました。

江戸時代まではハンセン病患者は賎民に多かった。
今では日本国中、貧しくてハンセン病になる人は いないが
当時は貧しくてハンセン病になったのである。
今でも発展途上国には出る病気である。
大正時代になると国民はみな同じという旗の下になったが
被差別部落は貧しく、ハンセン病が多く出たので偏見ができた。

遺伝すると言う風評から結婚忌避ができた。
その後、ハンセン病は遺伝ではなく感染症と分かったが、
隔離されたために、それほど強い病気なんだと誤解された。

そのため差別が長く続き、今も苦しんでいる人たちは多い。

大正時代の記録によると、
らい病の患者が今いるかどうかの調査ではなく、
今までに出た事があるかどうかの調査をした事がわかった。
それほどずっと後の時代まで影響したのである。

大体このような講演会でした。
知らなかった事がよく分かってとても有意義な講演会だったです。