くにこの日記


<前<2005年6月のページ | 7月| 2005年8月のページ>次>
2005年7月31日(日)
オカリナ演奏会

7月31日
 素晴らしい音色のオカリナを聞く機会に恵まれました。昨夜7:00から神湯温泉のオートキャンプ場で「トトロ」と言う名前のオカリナ演奏グループによる演奏があり行ってきました。
 30人のメンバーの内20人ぐらいの出場でしたが素晴らしい音色が夜空に響きました。残念ながら満天の星空・・というわけにいかず雨が落ちなくて良かったと思うぐらいでした。
 更に付け加えると初めて足を踏み入れたオートキャンプ場の芝の素晴らしさにビックリ!感動モンです。皆さんもぜひ1度足を向けてみてください。私はいつも横を通りながらどうして入らなかったのかしら?と今は思います。
 話をオカリナに戻しますが、五十嵐先生という十日町出身で新潟在住の素敵な方が教えてくださっているとの紹介がありました。よく見ると生徒のほとんどは保育園の先生や近くのお母さんでした。それですごく身近に感じた次第です。
 昨夜の演奏会はトトロのボランティアと後でお聞きしましたがもっと宣伝して大勢の人に聞いてもらえばよかったのに、「もったいなかったなぁ・・・素晴らしかったのに」と思いました。
 オカリナの澄んだ音色が夜の闇をどこまでも響き、遠くの人を誘い惹きつけます。私も10年ほど前オカリナを田中さんから買ってもらい今も大事に持っていますが地震で落ちたときに少し壊れてしまいました。それでも捨てられずに持っています。
 広神出身の明田川先生の作られた「明田オカリナ」だからです。今はもうお亡くなりになってその息子さんが跡を継いでいるとお聞きしています。私のような初心者が吹いてもそれなりに素敵な深い音色で答えてくれます。持ち主が違えばこのオカリナも命を吹き込んでもらえたかもしれないね。

2005年7月30日(土)
中越大震災復興支援コンサート

7月30日
 29日夜7:00より文化会館で「中越地震復興支援コンサート」がありました。山形交響楽団によるもので、ジェガを誘って4人で聞きましたがとても良かったです。久々のヒットだと思いました。
 指揮者の飯森範親さんはとても若くバイタリティ溢れる指揮でみんなを元気付けてくれました。
 ピアノ協奏曲もあり、ショパンとチャイコフスキーの2曲が聴けて贅沢な夜でした。歯切れの良い管弦楽と素晴らしい指を持つピアノ奏者の2者から元気を貰いました。
 お聴きになられた方みなさん、一様に感動されたとお話されていました。   命の洗濯の時間でした!
 お隣の席をふと見ると、3月28日まで議席を並べていた角屋巌さんがご立派なひげを蓄えて来ておられたのでつい「変装してきたの?」などと口走ってしまいました。馬鹿な私!
 それだけ月日が過ぎたということをしみじみ感じました。

2005年7月29日(金)
外国の友達

7月29日
 昨夜、マレーシアから友達が来てくれてとても楽しい時間を過ごしました。ジェガティザンという名前のインド系のマレーシア人です。
 15年ほど前に国際大学に来ていてその2年の間、私たちのような英語を習いたい素人にアルバイトの教師として集落へ教えに来ました。
 それからの付き合いで、うちのお父さんは彼が結婚するときもマレーシアのペナン島までよばれて行って来ました。私は残念ながらその時ちょうど末娘のお産で行かれませんでしたが・・・。
 そんな人と付き合っていれば英語が堪能か、と思われるでしょうが依然として話せない、解らないが続いています。悪いことに日本人の奥さんがいるのでなおさら英語で話すチャンスが減ってしまったのです。
 驚くことに、まだ小さい娘さんですら(たらちゃん)日本語、英語、中国語、そしてマレー語と4ヶ国語を使い分けているのです。今5歳です。どうです皆さん。日本が東南アジアに後れを取る理由の一端を見る思いがします。
 小さいうちからの自然な教育環境の大事さを感じませんか?今日本語ですら満足に話せない日本人が多い現状を考えると、背筋が寒くなります。どうしたらいいのでしょうねぇ。

2005年7月26日(火)
新風クラブ結成

7月26日
 台風の影響でいよいよ雨になりました。しばらくぶりの雨ですが、この後大風にならなければ良いがと案じています。雨の影響もあり店はさっぱりです。

 今日は会派の話を掲載します。
 小出地区の議員は今まで会派制で議会運営をしていたのであまり困ることもないようですが、急な会派制の展開となったので馴染みのなかったほかの地区では、困惑している議員もいると思います。
 私たちも会派は初めてなので慌てましたが、前もって予想として「急な会派制の話になることも有りうる」と話していましたので混乱することはありませんでした。
 とりあえず広神の議員4人で会派を組みました。森島、山之内、桜井、星野の4人です。桐生議員は本人の希望で無所属になっています。多分今もそうでしょう。
 会派の名前は「新風クラブ」・・・ムムどこかで聞いたような?と思われる方も居られるのでは・とも思いましたがこれに思いを入れている人もいるのでこの名前に決まりました。
 この広神議員団で今後、旧広神地区の区長さんがたと懇談会を持つ予定を盆明けの8月19日に組んであり議員団最初の仕事になりそうです。

2005年7月25日(月)
人体の不思議展

7月25日
 ひさしぶりにプライベートな時間を過ごしました。一番下の娘と孫と3人で新潟の県民会館に行ってきました。そこでは今人体の不思議展が開かれているのです。本物の人でできた筋肉、骨格、血流、臓器、脳内などが見られる不思議展です。
 なかでは怖いと泣いている幼い子もいるぐらい迫力満点の展示会でした。どんな人がここにいるのか、係りのおねぇさんに聞いてみましたらほとんどが中国からの献体ということでした。どうして亡くなったのかまでは解らないそうです。
 ところで、新潟市で駐車できる良いところをご存知の方は教えてください。ちょうど今日は中学校の陸上大会とぶつかり白山公園のあたりはどこも満杯で40分も辺りをウロウロしてしまいました。穴場があったら教えてください。

2005年7月24日(日)
議運の委員長は大役?

7月24日
 梅雨もあがって気持ちよい朝を迎えました。今朝は清本に当選の挨拶に行ってきました。そこで私の議運委員長のはなしになりました。
 議会運営委員会(議運)の委員は各常任委員長(総務文教、福祉環境、産業建設の3委員長)と、会派代表から成る、委員会で議会の運営をする大事な委員会です。
 その委員会の委員を決めるに当たり地域代表にするのか、魚沼市で考えるのか、地域なんて抜きで考えようとか、いろいろな意見が出たところで議長・副議長・各常任委員長が別室で協議し、まだ会派もできていない、その条例もまだないけど、「とりあえず会派のできた人は提出してみて下さい。」というので会派の下話のあった人が慌てて書いて出しました。だからきちんとした会派になっていない人もいたと思います。
とりあえず会派は6会派出てきました。他に無所属の人が6人ほどいたようです。議運は9人で形成されることになっていましたので会派だけ考えればちょうどいい数ですが地域のことを勘案して無所属から1人入り、副議長・委員長といる会派の代表から遠慮してもらうよう議長がお願いしました。10分ほどの協議の後、了承し9人の議運が誕生しました。
  次に一番年長の住安議員が仮委員長となりいよいよ委員長決めです。委員は{高橋和福、佐藤貞一、浅井守雄、佐藤守、森山英敏、大平悦子、星孝司、住安孝夫、星野邦子}です。
佐藤委員が、委員長になりたい人が複数いるようなので手を上げてもらえば・・と言うので高橋議員と私が手を上げました。二人で話し合ったらどうだ。と取り持ってくれましたが高橋さんは「話し合ってもいいけど俺は副になるつもりはないので・・・」と言います。「じゃあ、邦子さん副でどうだい?」「私も議運に入れてもらったのは委員長がしたかったので入れてもらったので、おこがましいようですけど投票にしてください。」とお願いしました。
投票の結果、5:4で星野邦子に決まったのです。自分から取りにいったのですからいじめられても覚悟の上です。失敗は恐れません。誰にも最初があるのだから・・。

2005年7月23日(土)
初めての定例会

7月23日
 昨日は大変忙しい一日でした。6月定例会の初日で、私は議運の委員長として始めての議運の報告をしましたが一つ失敗しました。議会監査委員の推薦をするについて、議長より推薦の山田仁視議員を議運で承認しました。と言えばいいところを「議会で決定しました。」と言い間違え、「きいてねぇぞー」と文句を言われすぐ訂正したにもかかわらず星謙一議員から問題にされてしまいました。それから訂正のしなおしをしてその件は一応決着しましたが、次に「会派の名簿がまだ出ていないが議運で話し合ったかどうか」を問われ「時間がなかったので話は出なかった」と申しますと、これから会派に入ろうとするとき会派名簿がなければ決め手がないと言うので私ももっともだと思うと、星野邦子の個人的な見解とお断りして答えて事なきを得ました。
 どんな質問が出るか解らないので用意周到に臨まなければいけないと思っていましたが思ったより意地悪な質問はありませんでした。すべり出しは好調です
 夜は夜で{地域医療の展望と基幹病院の行方}の題目で庭山先生を講師にお招きし、市長をお迎えして議場で殆どの議員の参加で勉強会を開催しました。星野邦子が呼びかけましたので司会を務めました。19:00〜21:15まで中身の濃い講義を受けました。
この講義により地域温度差のあった議員の考え方に同じ情報で考える土壌ができたと思います。これからが正念場です。地域の住民が安心して暮らせるにはどんな選択がベストなのか私たちは今、大事な岐路に立っています。住民、議会、行政が一体となって取り組む必要を感じました。マスコミを呼んでおきましたので報道してくれると思います。今日はこの辺で・・・

2005年7月19日(火)
広神議員団5人衆

7月19日
 毎日毎日めまぐるしく一日が終わり、終わってみると予定したことの半分もできていなくてがっかりすることがあります。でもほとんどは新しい発見の日々で、充実した時間の中で生きていることを実感しています。
 広神議員団5人で広神区長衆との懇談も企画しており、段々形になっていくことが嬉しく思っています。
 これも広神議員団がまとまっていればこそと感謝しています。このたびは広神議員も1期が3人、2期が1人、4期が1人の計5人でまとまっており何かと心強いです。相談もしやすくなんでも5人で相談して、頑張っていきたいと思います。

2005年7月18日(月)
第1回魚沼市長杯に参加して

7月18日
 魚沼市長杯第1回コンペが昨日越後ゴルフクラブで234人の参加者で盛大に開催されました。
天気は上々、仲間にも恵まれとても楽しい時間を過ごしました。表彰式は旧湯の谷の地域振興センターで会費4000円で行われましたが今までにないご馳走で握りずしの屋台やそばうどんなどの屋台、他にいくつかの趣向を凝らして、大変楽しめました。毎年こんな感じならいいなと思います。
234人の中で女性は20人、その中の13人は当たりなので私も正直、当たるか当たるかとワクワクしていたら最後まで名前を呼ばれなったのでがっかりです。でも最後まで楽しめましたので最高の気分でした。

2005年7月17日(日)
魚沼市で二人の女性農業委員誕生

7月17日
 嬉しいおしらせです。一昨日までの協議で念願の魚沼市初の女性農業委員が誕生しました。しかも二人も・・・。旧広神から議会推薦枠で二人推薦できるので広神議員団に働きかけ、この推薦枠で二人女性を出したいので協力して欲しい旨の話をしました。「いい話だけど成り手がいるかい?」と懐疑的な人もいましたが「当てはあります」という私の強引さに負けてじゃやってみるか。と言うことになり広神議員団の皆さんから
それぞれほねをおって貰いました。私が何度か願っても今までの広神議会ではここまで話が来ないうちに潰されていましたので、今回は何とかなるような気がしていました。
 二人女性がいれば初めてでも二人で助け合えるし力強い。そう思ったのです。内諾を得たとき本当に「やったぁ!」と思いました。でも本当に誕生するまでは油断は禁物です。最終日まで協議が続いていたからです。他に一般の農業委員は本来なら選挙で、立候補制をとるはずですが地区別に何十年も話し合いで決めてきた経緯もあり、選挙なしが通例となっていました。旧広神では関矢文衛さんという五期も議員をした人が話し合いのほかに立候補し、協議になっていたのです。
 この人は過去にも同じことで立候補し、またかと言う思いもあり、広神では選挙もやむなし・・とはなしていました。ところが他の地区では選挙までして出たくないとの意向で、降りると言われ協議続行になっていたのです
 これが飛び火しなければいいが・・と思っていました。案の定、広神議員団を集めて話する必要があるので集めて下さいと言われました。「私が話を聞いて必要があれば集めますのでお話してください。」と断って前段の話を聞きました。聞いた後、なぜ議会推薦と一般選挙が関係あるのか聞いてみました。一般の枠の中で解決するのが筋でしょう。と言う私の話を理解して帰りましたが、その後農林課長からも話した人からも
返事があり女性議員は二人誕生したことをお聞きし、やっとだっくりしました。
 なかなか気の抜けない世界です。でも今までのことを思えばずっとやりやすくなりましたので・・・。地区毎に何人と決めれば小選挙区で決まってくるのでそうすればいいのに・・と言いましたら、こんなことが起きると思っていなかったので法律改正していないのでできないそうで、これからの仕事です。条例改革の必要があります。

2005年7月16日(土)
昨夜の祝勝会

7月16日
 昨夜は星野くにこ応援団の反省会をカネキさんで開きました。7:30からなので7:00に家を出れば一番乗りと思っていってみたらなんと10番乗り位で、皆さんの心意気を感じとても嬉しくなり暖かい気持ちになりました。
 嫌な会ならこんなに早くから来てくださるわけもないし、気持ちよく会が終わるわけもないのでとても嬉しかったです。たまに集まらないと寂しいですね。
 私は皆さんから大事にしていただいてとても幸せです。皆さんのご期待に沿える議員になりたいと思っています。
 私が議運(議会運営委員会)の委員長になったことを私をご存じない大勢の皆さんは不安に思っておられるかも知れませんが自分から願って勝ち取った委員長なので自分の力を結集して頑張ってみたいと決心しています。どうぞ目を離さず見ていてください。
 以前、県議の松川きぬよさんが「誰にも最初があるのよ!。」と私を励ましてくださったことがあります。その言葉は今も生きていて現在なお私を励ましてくれています。この言葉を今度は私が使って誰かを励ますことができるよう努力します。まずは自分を磨くことですね。

 22日から始まる6月魚沼市定例会は市長、議長の挨拶の後すぐに議運の委員長の報告があり委員会報告をします。今からわくわくしています。こうご期待。

2005年7月13日(水)
議会運営委員会開催

7月13日
 午前10時から、初めての議会運営委員会を開催し、午前中に協議をおわすということで始まりましたが、何せ選挙後、初回の議運(議会運営委員会)なので決めることが沢山あり大変な作業でした。予定時間を45分オーバーしてなんとか終わりほっとしました。
 市長挨拶から始まり、行政側から提案の説明、議会事務局提案の説明、議会運営上の決め事、請願・陳情の取り扱い、一般質問の時間制限の問題、など多岐にわたり協議し今後の運営をスムーズにするためにみんなでがんばりました。
 最後に私から「地域医療と基幹病院の勉強会」の提案をし議会全員で同じ情報を得る勉強会をすることになりました。講師は庭山先生、期日は7月22日と決まりそれに向けての資料作りをお願いしました。

 議会の日程:7月22日定例会初日、 7月26日総務文教委員会9:00、 7月29日産業建設委員会9:00、 8月1日福祉環境委員会13:30、 8月2日一般質問10:00、 8月3日一般質問10:00、 8月8日本会議10:00

2005年7月12日(火)
11日の初議会

7月12日
 昨日は議長選びから始まって長い初議会を終わりました。庁舎を出たとき夕方の6:30でした。これで選挙がやっと終わりました。私の報告を首を長くして待っている人に報告して一日が終わりました。

  議長 岡部忠好        副議長 山田昭雄

  総務文教委員長 佐藤貞一   副委員長 大塚フミ子

  福祉環境委員長 星たかじ   副委員長 桜井ただし

  産業建設委員長 浅井守雄   副委員長 皆川雄二

  議会運営委員長 星野邦子   副委員長 佐藤守

  広報編集委員長 大平悦子   副委員長 森山博

  議会監査委員 山田仁視    老人ホーム組合議員 山田昭雄

 これだけ決めて次に職員から議場に入ってもらい市長の挨拶、報告、職員の紹介、専決処分の承認、旧堀の内ケーブルテレビの説明、などとても疲れました。
 家に帰ってもう8:30ごろは寝ました。

2005年7月8日(金)
議長選び

7月8日
 昨日は朝一番に湯之谷へ 選挙人名簿をお返しに行き そこで議長選の話になりました。今のところ名前があがっているのは岡部ただよしさん、星謙一さんの二人です。まだこれから出てくる可能性もあり11日の初議会まで攻防が続きます。

2005年7月5日(火)
選挙を終えて

7月5日
 選挙が終わり昨日一日中議会関係のことで終わりました。10時から当選証書を付与され午後はずーっと議会の仕組みの説明会でした。前日寝てない人が多いのでかなりきつい仕事でした。
 これから議長選びが始まります。どろどろした匂いがないといいけど・・・議会に席をおく身なので避けては通れないことは判っているけど何回経験しても後味が良くないものです。
 会派を作るという話が持ち上がっています。会派は政策的に一緒になれる人が作るべきで議長選のために作るものではありません。そこを履き違えている人がいます。よく考えるべきです。
 自分が何のために議員になったのか、解らなくなったら原点に戻れと、私に忠告してくれる仲間がいます。ありがたいと思います。この人たちが応援してくれる限り私ものんびりしっかり行けるでしょう。