くにこの日記


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2005年8月31日(水)
邦子新聞の行方

8月31日
 シャカリキになって書いた邦子新聞が新聞屋さんでストップがかかり9月1日の発行が難しいようです。
 衆議院選挙が公示になり「果たしてこういう出版物が許されるかどうか解らないので選管に聞いてみたら、問題はないと思うけど一応、県の選管に問い合わせる。」と返事があったそうです。
 となると、1日の発行は無理となりがっかりです。でも差し止められたわけではないので・・・。まあ様子を見ることになりました。

2005年8月30日(火)
銀山湖

8月30日
 昨日は良く晴れた日だったのでおじいちゃんが前から奥只見ダム・銀山平に行きたいと言っていたのを思いつけて10時30分ごろになってから二人で出かけました。
 邦子新聞を書き上げた後だったので気分転換にもなりとてもよかったです。
 奥只見湖は素晴らしい景色を提供してくれたし、何よりも澄んだ空気と大自然の懐に抱かれていやされて帰ってきました。
 でも途中の長いトンネルは私には少し大変でした。今度は誰かについていって貰いましょう。

2005年8月29日(月)
遺伝子組み換え

8月29日
 昨日南魚沼市で「上越北陸研究センターでの遺伝子組み換えイネの場外圃場実験をやめさせよう」の集会があり行ってきました。若い人たちの多さに驚き、又、関心の高さに嬉しくもなりました。
 それにつけても私は自分の無知に顔が赤らむほどそこの人たちは熱心でした。帰ったら何とか皆さんにお知らせをしなくてはならないと決心しながら車を運転してきました。

 遺伝子組み換えイネ(GMイネ)の外での実験中止の声が全国から上がる中、6月24日地元の農家と新潟産の米を食べている消費者による「作付け差し止め」の訴訟が起こされました。
 遺伝子組み換え技術はまだ安全性が確立されておらず多くの消費者は遺伝子組み換え食品を食べることに不安を持っています。
 もし米どころの上越市での試験栽培で周辺イネと交雑したり、混入するなど遺伝子汚染が起きれば新潟県産米に対する消費者の信頼は一気に失墜するでしょう。
 風評被害も起きるかもしれません。
 
 上越市での実験は、コシヒカリ系統の米「どんとこい」に、病害に強いカラシナの遺伝子を導入した、いもち病に強いイネです。
 この中で注目は、ディフェンシン耐性菌の出現・流出・伝播の危険性です。(ディフェンシンとは生物が生体防御機能として生産する抗菌物質のことです。)
 GMイネは病害に強くするためディフェンシンを常時大量に作り続けるよう加工されています。田んぼの微生物がGMイネから溶出するディフェンシンと頻繁に接触することにより、これまで有り得なかったディフェンシン耐性菌が出現する可能性が高くなる
 実験室では耐性菌が出現したと言う論文がいくつも報告されている。自然界ではなかったことがGMイネの出現によって引き起こされ新たな問題に直面することになるのです。30年、50年経ってはじめてあの時・・と思っても被害が出てからでは遅いのです。
 予測不可能の危険を含む遺伝子組み換えに今新潟でも「いらない」キャンペーンが展開されています。http://www.no-gmo.org/index.htm

2005年8月24日(水)
JA薮神支店ゴルフコンペ

8月24日
 昨日は雨が降る中、JA薮神支店のゴルフコンペに出ました。10組のコンペでとても楽しかったのですが・・・楽しいほどスコアがよければよかったのに、残念でした。
 昼食中は晴れていて又歩き始めたら降るという具合でしたので天を仰いで回りました。
 その反省会の会場で神湯に勤めている桜井冶衛門さんから広神会への出席をたのまれました。旧村友会の青壮年部会の名残で毎年バーべキュウをしているとのことです。
 この間、区長集との懇談のときに鈴木千春さんからそういう呼びかけがあり区長さんがたは回覧でまわす旨の話をしていました。
 9月4日なので私は別の予定があるのですがどうしようか少し迷っています。正式な使いがあったら考えることにします。
 今日は中越地区市議会研修会でこれから長岡まで行ってきます。12:00に広神庁舎出発です。

2005年8月22日(月)
私の休みの日の1日

8月22日
 店が休みで、今日こそ邦子新聞を書こうと思っていましたがなかなか自由な時間がありません。昨夜「ベアテの贈り物」上映実行委員会に出て、今日は私に振り当てられた役割をこなさなくてはならなかったので急いでおわそうと思い、朝のうちに家を出たのに家について時計を見たら11:30でした。
 雑用が他にもあり仏壇の掃除をしたり地震で壊れた仏具を買いに出たりなかなか目的が果たせません。そのうちに長岡に勤めに通っている次女から「大雨で上越線が不通なので新幹線で帰るから迎えに来て・・」と電話があり遂に夜になってしまいました。人生もこんな風に計画の半分ができればいいほうなのかしら?などと思いながらこれを書いています。
 でも夜は長いのでこれから取り掛かります。
      
     「ベアテの贈り物」
     日本国憲法を作るとき日本女性の幸せを願い、女性の人権と男女平等を憲法草案に盛り込んでくれた人がこの物語の主人公「ベアテ・シロタ・ゴードン」
     「女性が幸福にならなければ世界は平和になりません。」といってくれた人です。1923年ウィーンに生まれ5歳のとき両親は日本にピアニストとして招かれ、運悪く第2次世界大戦が勃発し17年間日本で過ごすことになった。戦後両親との再会のためGHQの1員となり日本を訪れたのがベアテさんです。皆さん是非見に来てください。
               9月17日(土)  2回上映(上映時間92分)
                         PM2:00  PM19:30

2005年8月21日(日)
黒岩祭り

8月21日
 本日11:29に地震がありました。この辺一体は震度3と発表されました。長岡が震度5強と言うのでどの辺かと思っていましたら小国とのこと、ああ小国も長岡に合併になったのかとあらためて思い直しました。
 やはり合併後落ち着くまでは何となく不便だったり違和感を覚えたり・・だと思いますね。わが魚沼市も地名では見当のつかないところがあり不便を感じている人も多いと思います。どんなことで不便しているか、もしありましたら教えてください。お待ちしています。
 昨夜は新潟市で開かれた黒岩祭りに参加してきました。3000円会費で屋外での立食パーティでした。新潟市の篠田市長をお迎えしてのご挨拶と乾杯で会は盛り上がりましたが残念ながら途中で雨に降られ、終わりにはどしゃ降りとなってしまいました。
 しかし10月には結婚の予定という朗報も聞かれ黒岩応援団のおば様族も大変な喜びようでした。どしゃ降りの新潟市や三条市を抜けると少しは雨も小止みになり、小千谷あたりでは花火が上がっていました。山本山のトンネルを抜けるともう雨は降っていません。新潟県の長さを実感した次第です。それでも半分の長さですものねぇ。

2005年8月20日(土)
区長さんと懇談会

8月20日
 昨夜、旧広神地区の区長さん方と広神議員団とで第1回目の懇談会を開きました。私たち議員団の主催で無報酬で開いたにもかかわらず大勢の区長さんからお出でいただいて良かったです。
 いきなり要望はないかお聞きしても少し無理があると考えこちらから話題提供をしました。7月22日に勉強した基幹病院と地域医療の話を山之内議員よりかいつまんで報告して貰いました。
 初めての懇談会ですので区長さん方からの直接の要望は災害復旧のことのみにとどまりました。森島議員が名司会を務めました。

2005年8月18日(木)
勉強会(広神議員団と有志)

8月18日
 16・17・18日と店を休みにしましたので16日は終わってない挨拶回りをし、17日は大和病院でドッグを受け「いい数値だね。」とお墨付きを貰いました。
 今日は午前中、花畑の草取りをし午後4:00から広神議員団で予定した財政の勉強会に参加しました。企画実行は山之内議員にお願いしましたところ、次々参加者が増え広神議員団の4人のほかに5人加わり9人で財政課長の清塚さんをお願いし講義を受けました。基本が聞けて良い講義だったと思います。
 その後、初の女性農業委委員のお二人と合流して懇親会を開きました。盛会でした。

2005年8月15日(月)
お盆

8月15日
 お盆だというのにこのところの大雨は各地で被害をもたらしています。今朝もたくさん降っていましたが副市長を迎えて行われた戦没者慰霊祭の30分ぐらいは何とか小雨になり、参列者の皆さんも沢山濡れずに済みました。
 慰霊祭は中学校前庭の大きな慰霊碑の前で行われました。あらためて良く見ると素晴らしい碑です。旧広神の486人の御霊が祀ってあるそうです。
 昨夜はわが山田下集落は祭礼でした。あいにくの雨でしたがその雨を縫って30分ほど踊りができました。この雨に小さな子供さんまで入れて110人も集まったことは近年にない快挙です。この子達がここに根付いてくれるような住み良い魚沼市にしたいものですね。
 今夜お祭りがある地域に雨が降らないよう願うばかりです。何といっても祭り当番になると雨のたびに旗を降ろしたり上げたり、それだけで疲れてしまいますから・・・

2005年8月14日(日)
地球温暖化は自分のこと

8月14日
 大雨が続き各地で床上や床下浸水があり大変なお盆になっている人もいて、地球温暖化がここまできたと思うと本当に「地球環境に負荷をかけない生き方を個人個人が自覚しなければならない」と思っています。まず自分でできる小さなことからでいいんです。小さな一歩が大きな一歩へとつながるので・・・
 例えば、新聞を読むときテレビは消す、すだれやカーテンを使って冷暖房の調節をする、パイロットの電気はこまめに消す、ポットを電気で沸かすものから昔のポットに変える、核家族から大家族へ変身する、水道の水を無駄遣いしない(洗面器の活用)、掃除機は使う回数を減らし箒かモップにし、ごみをまとめて取るとき使う等、細かいことですがみんなが気がつけばすごいものになります。
 私は議員になる前からこのことに興味を抱いてましたので議員活動の一環として訴えてきましたが、今回の選挙でもこのことを反対に私への攻撃に使う人がいました。国会議員のようなことばかり言っていて地元の役に立たん!もっと足元を見てやれ!など同僚である議員からも言われました。しかし足元である家庭から取り組まなければ叶わぬ地球温暖化対策であることを解ってもらいたいのです。
 私のライフワークですので議員を辞めてもこの活動は続けます。

2005年8月12日(金)
議員報酬高いか安いか

8月12日
 いよいよお盆が来てしまいました。明日はもうお墓参り・・・選挙があったお陰で目の回るような忙しさでした。何ヶ月も選挙一色でしたので軌道がうまくいかずみんな中途半端で、失敗ばかりしています。徐々に元に戻りたいと思います。
 昨日は覚張元議員の出した共産党新聞の余波で湯之谷で会合があったようです。覚張新聞にはお手盛りの議員報酬と書かれてありましたが、あれはお手盛りでもなんでもなく26人の市議会になったら30万円にすると合併協議会で決めたことを単に市長が提案しただけです。しかも近隣の類似団体である小千谷市(魚沼市よりやや人数が少ない)よりやや安くなっています。
 少ないのは市長も減額していることだしいいと思う・・という議員もいてこのことをよもや問題にされるとは考えてもいませんでした。
 30歳代、40歳代、50歳代のやる気のある人に議員になってもらいたいんじゃなかったのかと思いますが、もしそうなら2足のわらじを履かなくてもよいように考えていかねばいつまでたっても定年退職者にお願いして成ってもらう域を出ないのではないでしょうか。また議員になる人が増えれば自然淘汰されて議員の質も上がると考えます
 いかがでしょうか?皆さんのご意見をお伺いします

2005年8月11日(木)
1万人大集会

8月11日
 昨日は拉致被害者を救う会1万人集会にわが魚沼市の議員団6人で参加しました。高橋和副、佐藤守、佐藤貞一、山之内、森島議員と私です。他に小峰清吾さん、広域におられた佐藤さん、皆川県議の後援会長の青木さん、そして会場で皆川浩平県会議員と会い総勢10人。
 本当に大勢の参加で1万人ってこのぐらいなんだと実感してきました。
 集会に出ると、この人たちをこんなに長く苦しめている北朝鮮に早く経済制裁をして何とか解決のめどを・・・と思いました。が、かつての日本人が極東アジアに何をしたのかも合わせて検証する必要があると感じました。
 いずれにしても早期の解決のために私たちに何ができるか行動に移す時期が来ていると感じました。私は内閣府に経済制裁発動を要請するメールを打つことにしました。

2005年8月9日(火)
議運委員長腕試しの議会

8月9日
 7月22日から始まった定例議会も昨日無事に終わりやっと選挙が終わった気がしました。
 選挙後初の定例会は議長選の後でもありぴりぴりした雰囲気で終始したと感じたのは私一人ではなかったようです。
 六町村の形式も違いそれをまとめていくのに誰もが腐心した議会だったと思います。私自身も困惑した場面もあり魚沼市の議運委員長の腕試しをされていると感じたものです。
 これからは独自のカラーを徐々に作っていけばよいと考えています。議運の中で政務調査費と費用弁償の話が出て、議会では新潟県の他の市議会の調査をしてから検討すると私は返事しました。
 私の中では費用弁償廃止、政務調査費請求と思っていますが皆さんはどうお考えかありましたらお聞かせください。
 明日は新潟市で拉致問題1万人集会に出席です。

2005年8月6日(土)
廃棄物適正処理推進大会

8月6日
 4日のホテル新潟で開催された大会の中身はどうも「し尿処理業者から行政への要請」大会のようでした。
 要約すると、行政はもっと清掃業を考えよ。し尿処理はなくならない業種だが件数が減って職業としての成り立ちは難しくなっている。行政と手をつないでやってきた半公共的な業種なのに待遇は悪い。国の役人はし尿処理の責任は総て自治体にあるという意見だ。公共下水道には一般会計から補填して住民の負担を軽くして公共下水道を推進してる。反面、われわれの合併浄化槽をあまり推進しないのはなぜか?われわれ業界がストライキを起こせば一番困るのは住民だ。行政はもっと考えて欲しい。・・・と言うのが大筋だったように思いながら帰ってきました。

2005年8月3日(水)
議運委員長の答え方

8月3日
 昨日10人、今日9人の一般質門がほぼ予定した時間で終わり、4:10から全員協議会が開催され特別委員会のメンバーを内定しました。8日の本会議で提案し決定となります。
今日の一番最初に議運の報告の際、本日の一般質問の後に全員協議会を開催する旨をつげたら星謙一議員曰く「議長の報告で既に上がっている全員協議会の件をなぜまた議運にかけたのか委員長にお聞きする。」と言われて戸惑いました。私は「特別委員会を作るか作らないかは各常任委員長にまかせたので、その結果により全員協議会の内容が変わるので・・・」と議長の言うべきことを言ってしまいました。
 やはりその答えでは星謙一議員は満足せず「なぜ議長がいったん議題に載せたことをまた議運で諮ったのかが聞きたい。議長の権威が無いではないか!」そこで少し休憩を議長が取ってくれたので「議長が諮問したので諮った。」と言い直しをしました。すると今度は議長に説明をするよう矛先が向いたので議長は「内容が変わったので説明した。」と答えました。まるで反対のための反対じゃないけど私には困らせるための質問のように聞こえました。
 こういうことはこれからも有り得ることで、心してかからなければと再度思いました。
 もう一つ、議運報告の中に政務調査費と費用弁償の件があり、それに対する質問は桜井稔議員から「どんな内容か?」と聞かれ「新潟県下の状況を調べるよう事務局に頼んだのみでまだ報告の段階に至ってない。」旨を言いますと、再度の質問で「いったいどのぐらいの期間で結論を出すつもりか」「まだ議運で話し合ったわけではないが私の心積もりでは、いま話が出て調査して9月議会から議論して12月議会で結論付けるという感じで考えます。」
 桜井議員は「もっと早く結論を出すよう要請する」と言いますので「皆さんの議論が高まれば皆さんの意見を尊重します。」と私も言いました。
 明日は新潟で廃棄物適正処理推進大会があり私も含め9人の議員が出席します。主に福祉環境の議員です。

2005年8月2日(火)
病院問題

8月1日
 福祉環境委員会が1:30より広神庁舎で行われ出席しました。議題の中で小出病院対策特別委員会を立ち上げるか、立ち上げないかを協議中に「大体庭山先生なんかを呼んできて勉強会をすること自体がナンセンスだ」と私に食って掛かった議員がいました。
 「町医者で、小出病院なんか無くなってもどうってこと無いのを呼んで勉強会しても医者の立場でしかものは言わないのは参考にならない!]と言い張る人がいました。そこで私も「6町村の中には病院に対する考え方に温度差があるので皆さんが同じ情報を得る必要を感じて開かせてもらった勉強会です。次は小出病院の院長先生を考えています。」と言いますと「そんなのは呼んだって県の意向でしか話せないんだから意味が無い。」と言います。
 「私たち魚沼市は今病院問題で大事な岐路に立っている。」のでと言いますとそれがわかっていればいいと言われました。自分たちの問題として考えていく下地を提案したつもりだったのですが・・・どうも意見がすれ違っているようです。
 明日は一般質問2番目に登壇です。これから勉強です。