くにこの日記


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2005年10月29日(土)
お墓の参道か集落の道路か

10月29日
 昨夜は山田下集落で臨時総会が開かれましたので私も夫と参加しました。
 お墓に通う参道があぜ道なのではっきり直したほうが良くはないか?という相談でした。
 それにつけては関係者が田んぼを少し提供するのでせめて軽トラがとおれるぐらいにしてはどうか。
 赤線なので集落の事業にするのか、お墓の関係者の負担にするのかで相談となりました。
 山田下のお墓はもう余り余分がなくあと一区画か二区画しかない中でお墓に関係のない人までの負担はいかがなものか、という意見や集落の道路整備というならやはり全戸負担にすべきでは、とかいろいろ意見が出ました。
 そんな中で多数決で集落の事業にしようと決まり、負担割合を関係者とそうでない世帯とを区別することで総会は終わりました。
 
 義援金も集落に来ているとのことでしたがそれは又集落全体のことに使うほうが良かろうとの意見があり、私ももっともだと思って聞いていました。
 昨年から今年の区長さんのご苦労は一口に表わせないほど並大抵のものではなかったと思っています。
 それにつけても土地や水の権利、お墓の利用など面倒なものだと痛感しました。
 穏やかな区長さんでもあり皆さんの信頼も厚いことから良くまとめていると感謝しています。

2005年10月28日(金)
映画の上映大成功!

10月28日
 昨夜、メタセコイヤの木の下で の上映実行委員会の最終回があり文化会館に行ってきました。
 赤字にならないように気合を入れたお陰と皆さんの努力もありチケットは607枚も売れたので82170円の余りが出てホッとしました。
 山内実行委員長をはじめ皆さんの喜びはひとしおのものがありました。何せ実行委員といっても総勢7・8人でしたから・・・。
 (この半端な数は実行委員でなくとも協力してくださった方もいたものですから本当の人数はわかりません。)とにかくご協力くださった皆さん、ありがとうございました。
 実行委員で話し合って、筋ジストロフィー療養センターの「ありのまま舎」に40000円、震災にあったパキスタンに30000円、魚沼市の社協に残金の全部を寄付することにしました。
 これで上映した目的の一部が叶いました。本来の、魚沼市に障害を持った人も自立できる支援センターの設立はこれからの大きな課題です。障害を負ってもあきらめず不屈の精神を持つ皆さんに脱帽の思いです。
 これからの一歩をどうぞ皆さんも応援してください。

2005年10月27日(木)
中学生海外派遣報告会

10月26日
 昨日午後2:00から堀の内公民館で中学生の海外派遣報告会が催されたので行ってきました。
 冒頭のご挨拶で松田教育長から「つぶやき」として、こんなに大勢の議員やら教育委員やらがお出でになるとは思っても見なかった。プレッシャーになる。という言葉をまともに聴けば「行ってはいけなかったのかなぁ」という気がしました。
 まあ毎年行っていたし、発表するほうも聞く人がいなければ張り合いもないと思うので聞き流すことにしました。
 
 中学生海外派遣は毎年広神村で行っていた事業で生徒に大きな期待と夢を与える事業として近隣町村からも注目を浴びていた事業でした。今まで教師2人を含む14人を海外派遣するため300万円の広神村からの補助をしていました。
 春の予算では海外交流事業という項目に300万円ありましたので今年もやってくれると安心して議員辞職しました。ところがそれは小学生から高校生までを対象の、外国の人と交流する事業で海外派遣ではありませんでした。
 広神中学の関係者や生徒たちのショックと嘆きは言葉に表わせないものがありました。そこで校長先生が直訴をしまして何とか補正予算を組んでもらい150万円の補助金獲得に繋がりました。
 今度は魚沼市から広く募集し各町村から一人ずつのピックアップで6人、教師1人計7人の海外派遣でした。何はともあれこの事業がつぶれずにすんで良かったです。
 治安の良いオーストラリアに替えて2年目の海外派遣で生徒は今後どんな道を歩んでくれるでしょうか。
 今までの海外派遣の子供たちの中からも海外で羽ばたいている人もいて今後が楽しみです。
 今回は男子1人女子5人でした。私は男子と女子の考え方の相違に注目しました。男子は国を論じ女子は人を論じていました。こんな観点からも男女両方がいてちょうど良いと思います。

2005年10月25日(火)
避難訓練

10月25日
 10月23日には宇梶地区で大規模な災害避難訓練があり半日そこに参加しました。参加した議員は16名、他に消防などにも参加していましたので実際は19名の参加でした。
 寒い朝で駒ケ岳などに初雪を見ました。全国的に初冠雪があったようです。私のふるさとも雪だったようで中禅寺に初雪の報道がありました。
 
 同じ宇梶地区で堀の内の防災訓練を行った昨年9月の訓練は実際の震災にどれほど役に立ったのかは解りませんが訓練は大事だと思っています。
 なぜなら消防訓練をして、自分がいざというとき何をすべきか咄嗟に出来るようになるという地元消防士の話を聞くとそう思うのです。
 そこでは非常時の携帯食品や小さなライト、寒さよけのアルミシートなどを販売していましたのでとりあえず3人分を買いました。
 非常食料は3日分あると言いますので現実2日分あれば日本の実情を考えると間に合うと思いますので・・・。
 こんなのを使う日が来ないことを願って・・・。

2005年10月20日(木)
中越大震災というタイトルで

10月20日
 新潟で開かれた新潟県女性議員の会、秋季研修会に出席しました。今回は私に女性議員の会から宿題が出ていましたので大変です。
 その宿題とは「中越大震災で農業の被災と復興について述べよ」というものでしたので困りました。私の専門分野でなかったからです。
 でもそうも言ってられません。というのは広神は農業が主な地域ですし、農地の被害は広神が一番多くあったからです。
 そこで真剣に勉強しました。発表した内容を以下に書いて見ます。
   
 旧広神村(現在の魚沼市)は昨年の中越大震災では魚沼市の中でも農地の被害が著しく、530件あまりありました。
 昨年夏の新潟・福井に大被害をもたらした7・13の集中豪雨で緩んでいた地盤が、中越大震災で大幅に崩れ、又被害の状況もまだ完全に把握できないでいるうちに大雪となりその解けた雪が割れた地面をもぐり山間農地や道路、崖地などの傷口を深くしたのです。
 更に追い討ちをかけるようにこの春は大雨となり集中豪雨の傾向にあるのか、この一年で3回も床下浸水に見舞われた家もあるのです。
 また震災を免れたと思っていた農地も実際に水を張ってみたら片方の畦が畦一つ分下がっていたり、雪がなくなっていざ水を張ってみたら溜まらなかったりうねっていたりで考えていたより被害は広がっていきました。
 「問題点」 
  @今回の震災では壊れた箇所の絶対量が多く工事業者が対処しきれない
   工事を地元の業者に願う地権者が多い・・・実際県外の業者では工事が終われば引き上げるし細かい注文はつけにくいし、後々の面倒を見てもらえるかどうかわからないので地元の業者にと願うのは誰しものことです。
  A災害と認められると復旧までに3年という期限が設けられる。
   この震災では10月23日に起きたので雪が降れば査定は出来なくなるので事実上1年目はほとんどなかったと同じです。
   しかも16年の年は19年ぶりといわれる大雪で5月初旬まで田んぼに雪が残りました。
   3年目も19年の3月まででも実際は18年の雪降りまでが期限となり雪の降らないところの半分しか実働の期限がないということになります。
  B合併と震災がほぼ同時にやってきた。
   魚沼市は11月1日合併6町村の対等合併により役所は分庁舎方式を決めていました。  
   分庁舎方式とは入広瀬役場に建設課、守門村役場に福祉関係の課、広神村役場は農林課と議会、小出町に本庁舎、堀の内役場には教育委員会と広報課、湯之谷村役場に商工観光課という具合でした。
   元の職員はみんな6町村に別れて仕事に当たる体制になっていたため配置換えを2週間伸ばして残りましたが解決の目処もつかず対応は困難を極めました。
   947平方キロメートルという広大な面積を持つ魚沼市ですので被害にも差があり職員間でも認識に温度差があったため対応に大きな影響を残しました。

 ・魚沼市役所の農林課を例に取ると
   農地は激甚災害の指定により、補助率も増えました。普通災害の補助率は約50%ぐらい・・激甚災害指定になると80%前後となります。
   ところが私たちの魚沼市は農地97.4%農道や水路に至っては99.6%もの高い補助率となったのです。これには意味があります。
   関係職員が膨大な量の災害事務手続きをして初めて高い補助になるのです。
   今も毎日寄る10時11時の残業をしているようです。(遅いときは午前2時までしたときもあったようです)
   激甚に指定されてすらこんなものです。この煩雑な事務の手続きは何とかならないのでしょうか。
 ・縦割り行政の問題
   道路の復旧には建設課、上下水道課、ガス企業課、など複数の課が協力してやらなければ出来ないものも多く、実際山奥の農地になるほど工事車両の通れない道路が多く工事は遅れています。
   こんなに大きな災害の時は一つの課で責任を持って工事が出来るようになればよいと思いました。
   別々の課では統一した工事が難しく、仮復旧を急ぎ全市復旧を目指す課と埋設するガスや水道が完成しないと出来ない道路復旧のせいで遅れる農地整備とのジレンマが関係者には大変気の毒です。
 ・山間農地の復旧
   山の田んぼが丸ごと崩れ下のほうで一枚の田んぼにすれば経費が何十分の一で済むと思われるものでも原形復旧が基本というのです。
   「何故か?」と聞きましたら地権者が複数の場合利害が絡んでこじれると困るという話を聞けばそれも最も・・
   災害と他の事業を組み合わせて一部は災害、他は畦抜き事業という組み合わせでうまく一枚にすることもできるというのですが、職員の相談の乗り方にもよるしこれだけ忙殺されていればそんな細かい相談に乗ってやれるかどうかも危ぶまれるところです。
 ・道路復旧に国県の役人が細かく口を挟みなかなかオーケーが出ずに仕事が遅れたり自治体職員が役人の対応に追われたりという一面もあり、地方分権が進めばもう少し効率よくできるようになるのかもしれません。
  対応にあたる国県の役人のせいというより制度が悪いのだと思います。

 (山間農業の抱える問題)
 山や畑、田んぼ、養鯉などに頼って生きてきた高齢者の今後であると思います。
 地震で何もかも失い住む家までなくした被災者に被災者生活再建支援法は大変使い勝手の悪いものでした。
 このままでは「国は応援してるよ」というポーズだけの支援にも映る・・・。
 家が最大の心のよりどころであるのに家を建てるのには使えないという決まりはどこから来たのでしょう。(個人の財産取得になるという判断によるそうだが・・)
 
 生きる糧であった総てを失った高齢農業者の行き場はないと同じです。
 やる気をなくしてしまう前に何とかしてやれないのだろうか。自立の精神まで失えば真の復興は難しいものとなります。
 10年前の阪神淡路大震災では街の80%から90%が復興したと言われていますが被災者の50%の人がまだ復興できないでいると答えています。今も生活に困窮している人がいると今春報道されました。
 行政と住民とのギャップがこうした差を生むのでしょうか。
 中越大震災では亡くなった人こそ49人という数ですが生業の総てを失って復興の目処の立たない人がたくさんいることを考慮に入れていただきたいのです。

 (命を守る)
 又農業ばかりでなく、安全な暮らしと命を守るためには緊急時の対応を常日頃から考えておかなければならないと痛感しました。
 避難場所を見つけておく、水・薬・食料(2日間分)・寒さ対策・家具の倒れ防止・など
 この震災では地域のふれあいがみごとに功を奏しました。誰にも何にも言われなくとも寄り集まって協働で暮らしたことはこれからの教訓となっていくでしょう。
 何事か起きたとき自分が何をすればよいのか、何をすべきか常に考えておくことが大事だと痛感しました。
 これは総てに通じることと思います。
 

2005年10月19日(水)
本会議

10月19日
 今日午後2:05本会議終了、その後福祉委員会を開催30分ほどで終わりましたのでその後会派会議を持ちました。
 その会派会議の指定管理者制度の話の中で羽川荘の名前が出たので「今まで補助金を出していたのを出さないで、民間が引き受けているのだから是非羽川荘を利用してください。」と話しましたら我が新風クラブの皆さんも快く「じゃあ次の会議は羽川荘でやろう」ということになりました。

 本会議は1度も議運を開くほどの揉め事もなくスムーズに終わりました。途中で議長は都合により帰り、副議長が議長を務めました。
 夜6:00から守門の治平さんで議員と議会事務局だけで反省会を開きました。
 決算審査委員長の佐藤守さんが会場設定をしてくれましたが「議運の委員長がするもの」という声がたくさんありましたので後で又考えて見ます。
 

2005年10月15日(土)
我が子にせいを語れますか

10月15日
 今日は小出のボランティアセンターで「我が子にせいを語れますか」という講演があります。
 講師は高柳美智子先生{人間と性}教育研究所所長
 現在の性教育は小学校3年生ぐらいからかなり具体的に教えます。
 我が子に訊かれたその時親がうろたえずに積極的に教えられることが重要です。
 人間の性生活も愛があって始まるものだということをよく子供たちに学んでもらう必要があります。
 特にこの地域は中学生の妊娠中絶率が高くみんなで対処しなければならない問題だと思いますので是非聴いてください。
    小出ボランティアセンター  午後6:30から9:30  500円 中高校生300円

2005年10月14日(金)
委員会の終了

10月14日
 昨日で16年度決算審査を終了しました。68会計もある膨大なものでしたが自分の地区以外は問題の急所が解明されていないので突っ込んだ質問にはならずじまいだったというところでしょうか、あるいは良く解っている人ほど質問しなかったというところなのでしょうか、2日間で決算に対する審議は終わりました。
 しかし旧町村時代には3時ごろのキリの良いところでやめて次の日にまわしていたところが多かったようでしたので、きっちり時間いっぱい勤めた今回の審査は濃い時間だったと思います。
 それで日にちが縮小されるならばそれは今回決算委員長を務めた佐藤守さんのきり回しがうまかったからということになりませんでしょうか。
 やり方の違いによる戸惑いも13日の款毎の審査で旧来の質疑が出来ましたので解消されたものと思います。
 ただ、いつのときも新人は早いペースに置いてかれてしまいますので戸惑いは消えなかったかもしれません。しかし今回の新人は新人とは言いがたいほどの人材ばかりです。問題はないと考えます。
 
 ちなみに私が議員になりたてのときはあまりに速いペースに、意地悪をされている気分になったものです。
 それもその筈で私は補選で当選したため他の新人はもう既に3年を過ぎるころでしたので自分たちの組んだものを審議している格好になりベテランとはいえなくとも新人ではないといったところでしたから・・・。
 しかし仲間の議員もいましたので私が何を言ってもあまり咎められもせず幸せな新人の1年間だったと思います。
 2年目にはもう次の選挙が控えていましたので、いくら勤めた期間が短くとも2期目になるので超ベテラン議員から「2期目なんだから容赦しない」といわれて身を引き締めた覚えがあります。
 それは話せば長くなるので又別の機会に・・・
 

2005年10月12日(水)
決算審査委員会

10月12日
 昨日は16年度の決算審査特別委員会がありました。決算委員長は守門の佐藤守議員、副委員長は堀の内の五十嵐昭雄議員です。
 旧町村の打ち切り決算は魚沼市に総て引き継がれていると考えている議員が多くあるらしく6町村の分についてはあまり突っ込んだ質問は出ませんでした。
  
 他の町村では一般会計の審査では総括質疑を先にしていたらしく広神方式と違い私も戸惑う部分もありました。広神では各項目ごとにやってから総括質疑に入るので総括は本当の総括になります。
 ところがどうも総括で各項目毎のもやっていたらしく私から見ると総括質疑には程遠い質問もありました。
 しかし慣れなければだめですので早く自分らしさを取り戻したいと思います。
 
 小出病院問題で市長に10回以上も質問をした議員がいます。それに対して委員長は制限をしましたが発言者はものともせず続行しました。
 議運の委員長はこのときどうすべきか考えましたが「委員会は1問1答方式なので制限を加えるのは適当でない」と判断して黙っていました。
 案の定休憩のとき色々と騒がしいようでしたが私は関わりませんでした。
 明日の委員会はどうなるでしょうか。

2005年10月9日(日)
映画上映会のお知らせ

10月9日
 6日に「メタセコイヤの木の下で」の上映会の3回目だか4回目の打ち合わせがありました。
 生まれながらに筋萎縮症の病気を持ち小さいうちから医療機関で過ごす青年の恋物語です。
 これは実話を基にして出来た物語で今回上映するにあたりその原作者の「山田富也」さんを語る講演もありますので是非見ていただきたいのです。
        2005年10月16日  小出郷文化会館 小ホールにて
     昼の部・講演13:30−14:00・上映14:00−15:46
     夜の部・講演18:30−19:00・上映19:00−20:46
     500円(剰余金の一部は中越大震災の被災者に贈られます)
 この上映会の責任者は山内君といいます。彼は大学生のとき交通事故に遭い頚椎損傷の大怪我をしました。今も車椅子の生活です。首から下が動かないので介助が必要です。
 しかし、めげずに自立への道を模索しています。彼が自立できたなら全国の障害者にどれほど希望の灯が灯されることか計り知れないものがあります。
 そんな彼が挨拶しますので是非お越しください。券は私のところにもあります。お届けしますのでお申し付けください。

2005年10月8日(土)
一般質問

10月8日
 今日は10:30過ぎから本格的な雨になってしまいました。残念なことに広神地区保育園の運動会だったのです。
 我が家も孫が年長で出ていますので孫の家族と見に行きました。先月産まれたばかりの新生児を連れて行きましたので雨にはかないません。お父さんを残して帰ってきました。
  
 嬉しいことにお昼近くになって日光の実家の隣に住んでる姉妹がその家族とともに訪ねてきてくれました。今日は瀬波に泊まる予定で村上の町屋に寄るというので1時間ばかりの滞在でしたが幼馴染はいくつになってもいいですね。
 
 3日・4日と一般質問がありましたが議員の質問に対して市長の答えがかみ合わないことが何度もあり、一般の傍聴者にもおかしなものに聞こえたと思います。質問している我々も歯がゆいものでした。
 特に山之内議員の18年度予算の目玉は何か
  浅井守雄議員の興せ地域の里山産業(前回やることを約束したのには何をしたのか)
  森山博議員の行財政改革の実施について
  この人たちに対しまともに答えていないのには憮然としました。
 市長は市長自身の言葉で答弁して欲しいと思いました。今までの答弁はほとんど職員が書いたものでしたから・・
 
 市になって町村議員のときは許されても議員に許されないことの一つに通告制があります。
 一般質問も例外ではなく通告にない質問は許されていません。一般質問といえどもそれぞれが1個の議題として独立しているものなので議題外のものはいけないと記されています。
 それを知らないかつての町村議員経験者は再質問でまったく新しいものを出すこともあります。再質問は市長の答弁の内容に対し、する質問なのでかみ合っていなければなりません。同じことは市長にも言えそうですが・・・。
 問題含みの一般質問でした。

2005年10月2日(日)
コーラスの発表会

10月2日
 今日は音楽の夕べに出演しました。文化行事としては31回も続く伝統ある行事と思います。
 私たち広神地区のコーラスは10年以上も出演しているでしょうか、楽しく参加させていただいてます。
 今日の出演団体は19団体、13:30から4:30ぐらいで終了。桜井文一委員長の開会の挨拶に続き、市長よりご挨拶を頂き始まりました。
 私たちは少し高度な曲を選びましたので練習に難儀しましたが、曲の完成度は私流に感じて80%ぐらいと思っています。
 観客の評価はまちまちでしたが、指導者のお一人の吉田先生の「良かったので続いて同じ高田三郎の組曲をやったらどうかな?」というご意見に非常に嬉しさを覚えています。
 私たちのこれからの励みになるでしょう。

 昨日、朝早く中子沢に行き「ヱゴマ」の栽培を見てきました。ヱゴマは成人病対策に非常に効く食物でご年配の方々は良くご存知かもしれませんが戦後の1時期広く栽培されていました。
 魚沼では戦後30年代まではイグサの名で栽培されていたそうです。
 「アルフアーリノレン酸を60%も含むもので神経、血管系の病気や癌などを抑制する効果があるとされています。」
 なお市販されているヱゴマには添加剤が多く含まれ不安材料があるので、できれば自家栽培が望ましいと中子沢の清塚さんはお話されていました。
   詳しくお聞きになりたい方は 清塚正伸さんまで・・tel792−0908