下総の神社  <印西市の神社 南部版>

印西市は市域が広いため、だいたい464号線を境に南北に分けました。(北部版はこちら
この印西市の神社南部版は、武西・戸神・船尾・松崎の社を掲載しています。


道祖神【印西市武西】

覆屋内に6基の祠があり中央の大きい祠が駒形大明神、年期見えず。その他の祠は道祖神らしい。右側の中型の祠の年記には”政”の文字。全面小型の祠は明治のもの。

(印西市武西218付近)

宗像神社【印西市戸神】     ←参照





(印西市戸神920)

外川神社【印西市船尾】

道路沿いから見える鳥居と拝殿、その奥西側の裏山上の本殿が鎮座する。本殿は妻入型でお堂のような造り。神紋には”三ツ巴”が見える。狛犬は明治34?(丑)年3月吉日新築 船橋講中、手水鉢は文化2?年8月吉日 相馬郡 酒誥(詰)村、左側の灯篭、天保14癸卯年3月 仙人大権現、右側灯篭、文政4巳正月吉日 仙人大権現、境内社には浅間神社などあり。本殿入口には草鞋、神額(北相馬郡井野村)が奉納されている。石造物からも垣間見えるように江戸時代後期には、虫封じとしてかなり広い信仰圏を有していたようだ。印旛郡誌に見える「虫神社 御祭神 役小角命」がこの社か。仙人大権現の本社、山形県最上郡古口村鎮座の外川仙人堂では、御祭神を日本武尊としている。(印西市船尾125付近)
 虫封じ祈祷について
1月15日、8月15日と大祭を行っております。各ご家庭のお考えにお任せいたしますが、お参りされる度にご祈祷されるのが望ましいです。基本的に7歳までとなっておりますが、年齢は問いませんでの、どなたでもご自由にご祈祷をお受け下さい。裏山に本殿がございますので是非ともお参りください。 外川神社々務所(拝殿前の掲示板より)

白山神社(いぼ神様)【印西市船尾】

県道4号線(千葉竜ヶ崎線)沿いの船尾小学校を北側すぐに鎮座している。流造の本殿には彫刻は施され、灯篭には文政8(1825年)乙酉3月吉日とある。小型の手水鉢もあるが年紀は確認できず。印旛郡誌には御祭神は”伊弉册尊(イザナミノミコト)とある。

(印西市船尾1302付近)

宗像神社【印西市船尾】    ←参照





(印西市船尾1293)


火皇子神社(ひめこじんじゃ)【印西市松崎】

旧松崎村の村社。住宅地を外れ畑の中を進むと参道入口の鳥居にぶつかる。正規の参道は南側の新川からのようだ。灯篭は昭和56年、鳥居の隣の標柱は昭和61年のもの。手水鉢の年紀は見えなかったが蓮の様な彫刻が見える。本殿流造、神紋は「三ツ巴」。境内社には、疱瘡神・大杉大神・石裂山大権現・阿夫利神社など。広大な境内と本殿後ろにあるかつての御神木の切株を見ても古い歴史が感じられる社。同村内の多門院には正応2年(1289年)の毘沙門天像がある。この火皇子神社の”読み方”に付いては、千葉県神社名鑑及び地名辞典には「ひめこじんじゃ」と記載があるのだが、境内の拝殿改築記念碑に「ひのおうじ」と記され混乱の元となっている。市内大森には同じ字を書く火皇子神社(ひのおうじじんじゃ)が鎮座している。ご祭神は下記の通り火具土命(火之迦具土命)(カグツチのミコト)である。(印西市松崎1319)
 火皇子神社(ひのおうじ:原文のママ)は松崎郷の産土様として、有史いらい広く氏子に親しまれて来たところである。しかしその起源は明らかではなく、当神社の由緒書に「御祭神ハ火具土命ナリ創建年月日は不詳ナレドモ古来より氏神トシテ氏子民の崇敬厚ク御例祭日ハ十月九日ナリ氏子百拾有余戸アリ昔ヨリ火災除ノ神トシテ近隣の参拝者多シ」と記されているのみである。
 なお、俗伝によると本殿の中に安置してある御神輿は、殿外に出すと必ず豪雨が襲い、印旛沼は海と化し、農作物は壊滅的な被害を被るので、門外不出のものと伝えられている。
 また、本殿の後方には、天を突くような樹齢およそ六百有余年、周囲一丈六尺(約5メートル)の杉の御神木があったが、昭和23年7月27日午後6時頃、折からの落雷により焼失し、今は防護柵が残るのみである。(拝殿改築工事記念碑から抜粋)
 一部ブログ等に本社の御祭神を「八火具土命」としているものが見受けられるのだが、どうも碑文の中の”御祭神ハ”のハ(は)を数字の”八”と見間違えているようである。