散歩道の歴史 鎌ヶ谷編




大宮大神

千葉県神社名鑑では、ご祭神は天鈿女命(アメノウズメノミコト)であるが神社明細帳では大山姫命とする。元禄3年(1690年)3月再建なるも前由緒沿革不明。拝殿の額には「大宮大神社」とある。本殿、流造り。神紋十八菊。天保11(1840年)子年の手水鉢あり。全国に大宮神社は鎮座するがご祭神は一定ではなく本社は無い。各地の神社が「神社→大社→大宮」と変遷していったのかもしれない。旧村社。
(鎌ヶ谷市佐津間124)

日枝神社

由緒沿革不祥。ご祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト)。上記大宮大神の摂社ともされるが大山姫命と関係が深い大山祇命(オオヤマヅミノミコト)と混同されてしまっている可能性がある。境内には富士塚があり祠2基(明治22年)あり。素木の鳥居がシブイ。場所は大宮神社と大津川を挟んだ北側台地上にある。境内でヤマカガシ発見!注意されたい。
(鎌ヶ谷市山王台926付近)

三十番神

三十番神とは、1ヶ月30日を毎日交代で国家安寧・衆生幸福を見守る30柱の神々を云う。鎌倉時代から盛んとなる。初期には天台宗で後に日蓮宗で盛んとなった神仏習合の神様。とはいえ吉田神道でも独自の三十番神を提唱していた。明治以降神仏分離令のため急速に下火となる。
(鎌ヶ谷市粟野679付近)

八坂神社(天王様)

御祭神は素盞鳴尊(スサノオノミコト)、神社明細帳では大永3年(1523年)創立と伝わる。村人が京都八坂神社の御分霊を勧請した。本殿、流造り。神紋は本殿に「右三ツ巴」、賽銭箱や幔幕には「五瓜唐花」があり、本社の京都八坂神社と同一紋を使用している。この「五瓜唐花」の神紋がキュウリに似ている事からキュウリを作らず食べずの習慣があるとも云われる。面白いのが手水鉢で天保15年(1844年)辰9月とあるのだが天保は14年までで暦上では弘化元年となっており。発注から納品までの間に改元となってしまっていた。改元の情報が遅れてまったのだろうがこの様なケースは神社仏閣を巡っているとたまに見受けられる。(鎌ヶ谷市粟野208)

八幡神社

旧印旛郡白井村軽井沢新田から鎌ヶ谷市へ編入された地域にある。ご祭神は応神天皇で、宝暦3年(1753年)8月15日勧請とされる。境内は広く大型の灯篭・狛犬などあり。
鎌ヶ谷市には、多くの稲荷神社・八幡神社が鎮座しており白井市とはまた違った歴史を歩んで来たのだろう
(鎌ヶ谷市軽井沢1997)

八幡神社(鎌ヶ谷八幡宮)

ご祭神は、誉田別尊(応神天皇)。境内由緒書では縁起不明となっているが明治初期の神社明細帳によれば寛永6年(1629年)9月の創立としている。立派な本殿と拝殿がありよく掃除が行届いた神社である。神紋は右三ツ巴。場所は鎌ヶ谷大仏駅北側に隣接しているが駅前にこれだけ広い境内を持っているのには驚かせられる。かつての鹿島道(木下街道)に接し宿場が近かったのかもしれない。(鎌ヶ谷市鎌ヶ谷1-6)

駒形大明神

清田家3代勝定は、父祖伝来の牧士職を継承するかたわら延宝4年(1676年)印旛郡草深の地に赴きこれを開拓するなど多才な士であったが特に馬術に優れ、その技は遂に徳川家4代将軍家綱の認めるところとなった。かくて将軍家より「人喰馬」という無類の悍馬を賜り、将軍の御前においてこれに乗り、馬場を3周することを命じられた彼は、見事乗りこなし面目をほどこした。帰路、市川市北方付近に至り、にわかに馬はたけり狂い騎手を振落そうとした。身の危険を感じた勝定はやむなくその馬を切り、首を持ち帰り自家の墓地に一祠を建てて冥福を祈ったという。
(鎌ヶ谷市教育委員会掲示板より)(鎌ヶ谷市鎌ヶ谷3-3)

初富稲荷神社

創建は明治2年(1869年)、京都伏見稲荷大社の御分霊を迎え初富地区の総鎮守となす。ご祭神は宇迦之御魂神・佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神、この四柱神で稲荷大神と称す。神紋は右三ツ巴。境内掲示板にある「社殿様式普通宮造」と言うのが面白い。
境内は広く手入れが行届き、さすが総鎮守と思わせる。駐車場あり。
(鎌ヶ谷市初富本町1-4)

豊作稲荷神社

明治2年初富開墾開墾の際、富商湯浅七左衛門が開墾事業を担当主宰した地域が初富地区で、その地を湯浅里と称し明治6年(1873年)5月豊作稲荷神社を建立した。(境内鎌ヶ谷市教育委員会掲示板より抜粋)本殿、流造り。現在は梨の産地で有名であるが開墾当初は養蚕も盛んだった様子が伺える。神社前の道は国道464号線と船橋取手線・新鎌ヶ谷駅への抜道となっており道幅が狭い割には交通量が多く危険。(鎌ヶ谷市初富湯浅里221-1)

弁財天

水の神様らしく鳥居から入ると下って祠が鎮座する。写真の鳥居左にある掲示板に簡単な説明がされている。その中で、かつては入道池と言う池があったと記されているのだが現在も字に「入道溜」の地名が残る。水が湧き出していたのかもしれない。場所は鎌ヶ谷第3中学校のすぐ南にあり通学路に面してしる。掲示板には「学問・芸術の神」ともあり毎日中学生を見守っている。
(鎌ヶ谷市粟野238西側付近)

水神宮

上記弁財天の説明板にもある水神宮。寛政四子年九月吉日と石井金左ェ門とある。写真にあるようにかつては後ろ側に大木があり、その根元に鎮座する。場所は入道溜交差点脇にあり、溜池や湧水などに関係してのだろう。
(鎌ヶ谷市初富928付近)

金毘羅神社

住宅地に挟まれた金毘羅様。道路に面して鳥居があり、参道を進むと右側に昭和10年11月と入った手水鉢がある。裏手に廻れなっかたので本殿は確認できず。
(鎌ヶ谷市初富137東側付近)

右京塚神社(三塚様)

宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)をお祀りする神社。宇迦之御魂神とは通称「お稲荷様」で狛犬の代わりに神狐が鎮座している。創建不祥なれど、明治4年、京都伏見稲荷大社より分祀したとも伝わる。神紋は宝珠。拝殿裏に富士塚があるのだが、そこに「不思議なる事」の碑があり「水犬・氷剣・火剣・風剣」と記され、近くの「浅倉国定翁命碑」に略記あり。
(鎌ヶ谷市右京塚7)

七面社

参道奥のお堂脇に七面大明神(明和2酉(1765年))の祠あり。神社明細帳には御祭神に七面社と記載あり。隣には水神の小さな祠が鎮座している。場所は谷地川の源流地である囃子池の脇にお社が位置している。さて七面社とは日蓮宗の守護七面大菩薩(本地仏)の垂迹神であろうか。(鎌ヶ谷市道野辺本町2囃子清水公園北側))

月読社・浅間大神  

前の石碑が月読社(大正4年11月)で後ろの石碑が浅間大神(昭和3年11月)である。台座部分に「考心講中」などと刻まれている。月読社は二十三夜講塔であろうと思われる。
場所は交通量の多い「稲荷前交差点」の北側に鎮座している。
(鎌ヶ谷市東初富77付近)

鴻徳神社

掲示板によればご祭神は五穀大明神。昭和57年10月鎮座。神紋は「鶴の丸」。地域の鎮守と言うよりも立派な個人の氏神様の雰囲気がある。
(鎌ヶ谷市東初富1-10)

八幡神社(道野辺八幡宮)

御祭神は誉田別尊・息長足姫命(神功皇后)・比売神をお祀りする。縁起詳細不明なれど、別当妙蓮寺文書で明和年間(1764〜1771年)には鎮座していることが明らかであり、また中沢城築城にあたり鬼門除けとして創建とも伝わる。中沢城に付いての城主及び沿革などは明らかでは無い。境内は広く、近在の社では最も大きくまた整備されている。神紋は右三ツ巴。本殿流造。
初詣には多くの人で賑わう。(鎌ヶ谷市道野辺中央5-6)

根頭神社

道野辺地区の氏神・鎮守の神として古来当地及び周辺住民、産土様と尊称崇敬するお社なり。御祭神は根頭之大神(国津神・大地主の神)で創建年代不詳。当地伝承の1つによれば、この地に草分け八軒衆あり。この内の三橋孫六家の遠祖藤原左衛門丞、故あって京の公家を離れ東国に下向するにあたり公家当主より然るべきお墨付きと共に大神の神璽を授けられ、この地に奉じ一社をを営み根頭神社と称したる。(境内掲示板より抜粋要約)神紋、右三ツ巴。
(鎌ヶ谷市道野辺50・市民の森)

八幡春日神社(中台八幡)

誉田別尊・天児屋命(アメノコヤネノミコト)他を御祭神とする。天児屋命は中臣氏(藤原氏)氏神である。由緒不明であるが、文政3辰(1820年)9月吉日と記された手水鉢、正徳3癸巳(1713年)春吉日の灯篭あり。神紋は右三ツ巴。参道が長く続き、手入れの行き届いた社である。
(鎌ヶ谷市中沢907)

弁財天

シブイ素木の鳥居をくぐり参道を奥に進むと覆い屋根の下に弁財天の祠が鎮座する。祠の前には神使の白蛇が供えてある。弁財天の名の通りに谷地川に近くまた、湧水でもあるのか祠の奥には水路があり水が流れている。手水鉢は天保9年(1838年)9月吉日とあり、正面には右三ツ巴の神紋あり。
(鎌ヶ谷市中沢200北側付近:新橋交差点東側)

八幡神社

由緒沿革不祥。本殿は覆い屋根で確認できず。狛犬及び灯篭1対あり。神紋は右三ツ巴。手水鉢には弘化4(1847年)丁未年9月吉日とある。
(鎌ヶ谷市中沢172)

雷電・道祖神

鳥居の奥の入母屋に1基づつ並ぶ。左が雷電で右が道祖神。資料によれば、共に宝暦十一巳年(1761年)仲春良辰、下総国葛飾郡薩磨邑願主敬建とある。降雨豊穣と村の守神を一つにお祀りし、かつての村人の思いが伝わる社である。
(鎌ヶ谷市南佐津間11付近)

道祖神

明治40年4月18日建立の道祖神。馬頭観音等と共に鎮座している。十干十二支を使用していないのが興味深い。左側面には願主が並ぶ。
場所は464号線沿いで「くぬぎ山駅」近くの老人憩いの家にあるのだが、注意していないと見落としてしまいそうである。
(鎌ヶ谷市初富31付近)

稲荷神社

くぬぎ山駅前にある酒屋さん脇に鎮座している稲荷社。屋敷神を参拝できるように鳥居・灯篭を整備している。朱と鳥居と灯篭と白狐のコントラストと瓦の覆い屋根が趣を感じさせる。道幅がそれほど広くないので正面からの撮影をやめて駅ホームから撮影した。
(鎌ヶ谷市くぬぎ山5-2)