-上州から信州へ
 困民党総理田代栄助以下、めぼしい幹部は戦列を離れてしまうが、まだ困民軍が解体したわけではなかった。

 粥仁田峠での戦闘や、「秩父事件」のなかで最大の戦闘となった「金屋の戦闘」などが本陣崩壊以降行われている。これらの闘いは、県庁から中央政府転覆を 最終目標にしていたといわれる
困民軍が平野部へ積極的に進出しようとした現われといわれている。

 そして、粥仁田峠、金屋の戦闘でともに敗れた困民軍は平野部への進出を断念し、警備の手薄な上州・山中谷から新雪の十石峠(信州から米作の無い秩父や、上州に向けて一日十石の米が届けられた峠から十石峠と名づけられたと言われている)を越えて、信州・南佐久地方へと進出していくことになる。

 上州や信州の谷間の村々にも借金からの解放を待つ負債農民がいる。
新たに菊池貫平を総理とした150人程の困民軍は、11月5日秩父を出発した

 十石峠を越える頃には困民軍は300人に増え、11月7日に大日向村になだれ込んだ時はその数、400人になろうとしていた。
上州、信州でも悪徳高利貸の打ちこわしなど負債農民の為の闘いが続けられた。

 秩父を出発する時
「千鹿谷の大将」といわれた島崎嘉四郎は、「信州より人数を集めて再び帰ってくる。その時は直ちに駆けつけよ。命の惜しい者は勝手に 帰れ。」と演説を打って信州路に進出していったそうである。「困民軍の行く所、困民軍有り」という極めて楽観主義に貫かれていたようである。

 上州自由党員を多数引き連れ「秩父事件」のなかで大活躍した小柏常次郎と並んで、「秩父事件」のなかで高く評価されている菊池貫平率いる困民軍も高崎 鎮台兵の前に11月8日長野県東馬流での戦闘をピークに海尻、海ノ口と敗走し
八ヶ岳山麓の野辺山原の高原で11月9日壊滅する

  ここが、秩父困民党軍の
最期である。



東馬流周辺地図


白井の関所跡

白井の関所跡

十石峠

東馬流戦闘地