嵐吹く 三室(みむろ)の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり

                                                  能因法師          百人一首より

                         【歌の大意】   三室の山の紅葉の葉が あれあのように嵐に吹き散らされている
                                    それはさながら竜田川を彩る錦のようではないか



箱根から戻ってきた二人を一番に出迎えたのは鮮やかな紅葉の樹林だった。
雨は降り続いていたが、出発する前までは、ちらほらと色づいているだけだった北国の木々が、この数日の寒さで一斉に秋色に衣替えをしていたのだ。
宿へと向かう道筋の緑一色だった景色が黄や紅を散りばめて装う様が美しく、二人は感嘆の声をあげずにはいられない。
「ほう! 少し留守にしていたあいだに、なんと見事な!」
「この辺りは聖域とは違って木が多いからな。 なんとも贅沢じゃないか!」

これだけ滞在していると、仮の宿とはいえ愛着も湧こうというものだ。 玄関先に降りたった二人は、久しぶりの日本の傘を楽しもうと、離れまで庭を通って行くことにした。
「見てみろよ! 玄関先のつまらない木だと思ってたのまで、真っ赤だぜ!」
「あれはカエデの類だろう。実に見事な真紅を呈している。 紅葉は夜間の急激な冷え込みにより、さらに強力に促進されるものだ。
 我々の留守にしたここ数日の冷え込みがよほど厳しかったのだろう。より詳しい紅葉の過程が知りたければ解説するが?」
「いや、今は遠慮しておこう。 それよりも俺は、お前と紅葉との類似点について注意を喚起されたぜ♪」

   私と紅葉との類似点
とは、いったい……?

ちょっと間があったあと、やはりカミュはたずねてみることにした。 ミロにしては珍しく論説的なフレーズが気になったのである。
「ああ、それはだな、紅葉は夜間に急激に気温が下がると鮮やかに色づくが、お前は、俺が夜間に急激に加熱すると鮮やかに
 染まるってこと♪」
わかっていたことだが、聞かなければよかったと思うカミュである。 差している紅の傘のおかげで赤面しているのを人に見られずに済んだのは幸いだった。

久しぶりの透き通った湯を楽しみ、夕食を終えて離れへ戻ろうとしたときだ。 二人を見た宿の主人が待ちかねたように寄って来て
カミュに話しかけた。 カミュが頷くと、ほっとしたように辞儀をしてフロントへ戻っていく。
「どうしたんだ?」
「なにか用事があるらしく、このあとすぐ、離れへ来るそうだ。」
「ふうん、そいつは珍しいな。」
ミロの言うとおりで、滞在し始めてこのかた、宿の主人が離れに来たことなどあったためしがない。
振り返ったミロが、いぶかしげに眉を上げた。

離れに戻って数分もしないうちに宿の主人がやってきた。
いかにも恐縮したように二人に幾度も頭を下げたあと、大きな身体を縮めるようにしてカミュに用件を話し始める。
カミュの方は最初からコタツに入っていたのだが、主人はタタミの上で正座をし手を膝に置いているのが、かたわらのミロから見るといかにも日本人らしく思われる。
カミュがやがて頷くと、ほっとしたらしい主人は額の汗をぬぐい、懐からなにやら折り畳んだ紙を取り出した。コタツの上に広げられたのは一枚の地図のコピーで、主人の太い指が道の一つを辿り始め、今度はカミュと相談をするという風情になってきた。 頭を寄せ合って話し合う様子が、はたから見ているミロにははなはだ面白くないのだが、一つ一つミロに説明している場合ではないらしい。
やがて話がまとまったのか、主人はタタミに頭を擦り付けんばかりに深々とお辞儀をすると、大急ぎで帰っていった。
そのあとで地図を指差しながら、カミュは説明に飢えているミロに事の次第を話したものである。 聞いたミロが、唸り声を上げた。

10分ほどして再び主人がやってきたときには、すでにカミュの準備も整っている。
「では、行ってくる。」
「ああ、先に寝て待ってるからな。」
主人とカミュの後ろ姿を見送ったあと、ミロは玄関の戸を閉めたが、いつもとは違って鍵は開けたままにしておいた。
雨足が一層強くなってきたようだ。


カミュが戻ってきたのは、もう夜明けに近いころだ。
そっと玄関を入ると、テレビをつけたままコタツにいたミロが、伸びをしているところだった。
「………ミロ、待っていてくれたのか?」
「ああ、ずっとテレビで情報収集してた♪ お疲れさん!」
「すまぬな、お前には眠れぬ夜だったというわけだ。」
「かまわんさ、お前がいても、どうせ眠らなかったろうからな♪」
ミロの言葉が、緊張の色を残していたカミュの頬を染めさせる。
「冷えたろう? 風呂からあがったら少し飲んだほうがいいぜ。」
「うむ、そうしよう。 朝食をこちらに運んでくれるそうだから、じきに届くだろう。」
「ふうん、部屋で食べるのは初めてだな。」

カミュのつかう湯の音を聞きながら、グラスを用意していると、なるほど朝食が届けられ、見る間にコタツの上に並べられた。
気のきいたことに、熱燗も添えられているではないか。あとはカミュが湯から上がってくるのを待つだけであった。

   まるで、夫の帰りを待っていた新妻みたいだな……
   なんとなく立場が逆転しているようだが、たまにはこういうのもいいじゃないか♪

すっかり用意のできた朝食を見て、ミロはしごく御満悦である。

「で、どうだった? テレビではうまく助け出された様子が、かろうじてわかったが?」」
帰ってきたときは寒さと緊張のため真っ白だった頬が、ようやく血の色を取り戻していることにミロは内心ほっとした。
湯上りの肌を浴衣で包んだカミュに、まずは一献さしてやる。
「濁流に囲まれた集落で孤立しているのは百二十名ほどと聞いていたが、正確には百三十六名だったようだな。 全員、無事に
 医療機関に搬送されたらしい。」
「俺の方は言葉はわからなかったが、そこの映像とやたら詳しい現場の見取り図がしょっちゅう映ってたから想像はついた。
 ともかく、お前があそこの上流の方で川を堰き止めたあとは大騒ぎだったぜ、興奮の坩堝ってとこだ。まあ、無理もないが。」
ミロの言葉にカミュが眉を上げた。
すでに半分ほど盃をあけたところを見ると、カミュにしてはテンションが高いのかもしれぬ。 これは相当に珍しいことである。

   あとでフトンに運んでやる必要があるかもしれんな、俺としては嬉しい限りだぜ!
   ここのところで、夫と新妻の役は逆転ってことだ。 フトンがもっと遠くにあればさらにいいんだが♪

「氷壁がテレビに映し出されたのか?」
「いや、そんなものは映りはしなかった。 ともかく、テレビでは、濁流に取り囲まれた現場を川岸からずっと写し続けてたよ。
 なにしろ夜中だったから、現場から2キロも離れた上流のことは把握できなかったと思うぜ。たぶん今も、理由はわかっていな
 いだろう。ただ、水が引いたあとは大騒ぎになり、救急車だのレスキュー隊員だのが水の引いた川床に一斉になだれ込んで
 いって、10分もたたずに全員を救出して戻ってきたのが映ったよ。 突入する前に、安全確認なんか慎重にやってるもんだか
 ら、ハラハラしたぜ!上流で流れをせき止めてるほうの身にもなってほしいね!」
カミュに注いでから、自分の盃を満たしてもらったミロが一息に飲み干した。 今夜のミロはなかなか饒舌である。
「で、全員が救出されたあとで、お前が氷壁をとかし始めたから、水かさがだんだん増してきただろう?それでもう一度、大騒ぎに
 なって大変だったらしいぜ。 言葉がわからんから、いまいちはっきりしないがな。
 なにはともあれ、これで主人の願いも叶えられたってわけだ、さぞかし喜んでいたんじゃないのか?」
「ああ。 チベットなら五体投地されたに違いないが、幸いここは日本なので、散々お辞儀をされただけで済んだ。」
「そいつはよかったな。」
ミロが大きくあくびをしたときには、すでにカミュのまぶたも重くなってきているようだ。 念のため振った銚子も空になっている。
「もう朝だが、どうせ今日も雨らしいから一日中寝て過ごせるぜ。 そろそろフトンに行くか?」
「……そのほうがよさそうだ………それで、ミロ………」
すでに話すのも大儀になったらしいカミュをもたれかからせたミロが肩を抱く。
「わかってるよ………何もしないから、ゆっくり寝てくれ……。 いくら俺でも、徹夜で働いてきたお前を捕まえて好き勝手なことを
 する気はないぜ。 お前を大事に思うのは、楊柳青の昭王と同じだよ。」
そう言いながら薄紅に染まった指先を手に取り優しく口付けると、その手を預けたままのカミュが目を伏せる。
「すまぬな………その代わり……」
「ああ、ゆっくり眠ったら、今夜は槐の木の下といこう。 ただし、俺は昭王ほど控え目じゃないかもしれんが、それでもいい?」
それに対するカミュの返事は、ミロの予想とは違っていた。
重いまぶたの下からやっとの思いでミロを見て、ささやくようにこう言ったものである。
「ミロ………とても歩けそうにない………すまぬが 隣りまで……運んでくれぬか…」
我が意を得たりとミロが微笑んだ。
「ああ、いいとも………水と氷の魔術師、黄金聖闘士アクエリアスのカミュはたった今から俺だけのカミュだ……。
 他の誰にもさわらせはしない。」
その言葉が聞こえたのかどうか?
たくましい腕に抱き上げられたカミュが、ミロの胸に頭を持たせかけ何かつぶやいたようだった。
その言葉がミロを微笑ませ、抱く腕に力を込めさせる。

   わかってるさ………俺のカミュ……

艶やかな前髪に一つキスをしたミロが隣室に姿を消した。
いまだ降り止まぬ雨が、鮮やかに紅葉を濡らす秋の朝である。