第十九回


総てを成し終えた一同が帰宮したのは、かなり夜も更けてからであった。

永定河まで迎えに出てきていた近衛兵二百騎を加えて威儀を整え、しばらく留守にしていた天勝宮に近付けば、多くの臣民が待ち受けているのが見えてくる。
還御の注進を受けて宮門に出迎えた宰相を始めとする多くの宮臣が三拝九拝する中を、数え切れぬほどの松明に照らされて、昭王、カミュ、アイオリア、そしてアルデバランが騎乗して通っていった。
この日、水難の不安は払拭され、天勝宮は万歳の声で包まれた。
噂通りの黄金色の鎧に身を包んだカミュの姿は人々の注目を集め、声にならぬどよめきが上がっていくのだった。
ところどころに大きく焚かれた篝火はカミュの聖衣をさらに煌めかせ、金彩の光が放たれるようにも見えて、その珍かに美しいことは限りがない。
昭王が宮門を通過するときには、大きく開かれた門扉の横で銅鑼が打ち鳴らされて各々の馬を驚かせたが、カミュ以外の者は心得ていたとみえ、すぐさま馬を抑えてみせる。
しかし、突然のことにカミュが慣れぬ馬を御しかねていると見てとると、昭王とアイオリアはすぐに馬をカミュの横につけ、左右から轡を抑えて鎮めさせた。
聞けば、燕王が行幸として宮門を通る際は、必ず銅鑼が鳴らされるのだという。
もっとも、昨日の朝方、昭王が宮門を駆け抜けたときだけは、そのあまりの速さに銅鑼を鳴らすのが間に合わずに銅鑼方の役人等が慌てふためき右往左往したらしく、昭王が遥かに離れた頃に、やっと銅鑼の音が聞こえてきたらしいのだが。
昭王はそのときのことを思い出して、こみ上げてくる笑いを抑えかねている。
あとに続くアルデバランは、左右近衛府の衛士達の歓呼の声に手を挙げて応えていた。
皆々疲労の色は濃かったが、事を成し遂げた安堵感に包まれて喜びに満ちているのであった。
馬上の昭王は、さすがにその白い頬を紅潮させているカミュを傍らに見遣り、もしもこの人なかりせば、と思うとまことに嬉しくも頼もしくも感ぜられてならぬ。
宵闇の中、松明のゆらめきに照らし出されて色濃く輝く黄金の聖衣のその人は、この夜、昭王の心にさらに深く刻まれたのである。

門内に入り馬から下りると、四人はすべての扉の開け放たれた玲霄殿(れいしょうでん)へと導かれた。
扉の内からは尽きることのない冷気が外に流れ出し、何も知らぬ者の驚きを誘う。
旅から帰還した四人にしてからが水盤のことをすっかり忘れていたとみえる。
大きな身体を揺すってアルデバランが笑う。

「これはしたり!あの氷のことをすっかり失念しておりましたぞ。」
「あの僅かの氷でこれほどに冷えるとは!いっそのこと冷晶殿と名を変えたほうがよいかも知れぬな。」

昭王の言葉にアイオリアが笑いながら、カミュの為に、『冷晶』とは、冷たく
澄み切って光るもの、というような意味だと説明していると、太后の出御を知らせる振鈴が響き、玲霄殿の内外に居並ぶ一同は深く拝礼をする。
満面に笑みを湛えた太后より懇切なねぎらいの言葉を賜り面目を施したのち、アイオリアは総出で出迎えていた家の子郎党らに囲まれて屋敷に帰っていき、アルデバランも麾下の副将軍シャイナ等腹心の部下と共に宿舎に引き揚げようとする。

「このまま寝るには惜しい夜だ、ムウ殿、一緒に来ぬか?」

ムウに声を掛けているその様子では、アルデバランは一晩中飲み明かす気らしく、あの気性ゆえ、さもありなんとこそ思われた。

「お疲れであろうと思いましたが、そのご様子ではあと二、三日は馬に乗れそうではありませんか。」
「さすがに馬はもうよいが、乾坤一擲(けんこんいってき)の策が成就したのだ、とても寝てはおれん。
事の次第を逐一聞かせようではないか。」
「それは願ってもないこと。」

肩を叩き合いながら出てゆく二人の姿を昭王は密かに羨ましく思ったものだが、一言も言えるものではなかった。
天勝宮に戻った身には、楊柳青の夜はすでに手の届かぬものになっている。現に十数人の侍僕諸官に取り巻かれている昭王なのである。
二度とはない夢を見たのだ、と己が心を慰めた昭王がカミュを促して玲霄殿を出ようとすると、扉口で立ち止まったカミュが振り返り、

「もうよかろう。」

と卓上の水盤に向かって右手を軽く指し伸ばした。
はっとした昭王が水盤を見ると、ほの暗い中に一瞬淡い金色の光が射したと見る間に氷は水と化している。
瞬時に氷のとける様を目の当たりにして、昭王はいささか惜しい気がしたものだが、こればかりは致し方がない、真夏に涼しさを求めるほうが無理というものであった。
それでも玲霄殿の中は、夜の明けるまで冷気が漂っていたということだ。




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