ツマグロヒョウモン

「ちょっと来てくれ、変わったものがある。 お前の意見を聞きたいね。」
箱根の宿の玄関を出たところで先に歩いていたカミュを呼んだ。
「変わったものとは?」
「どうしてこんなになっている? この金色はなんだ?」
俺の興味を惹いたのは、すぐそばの植え込みの細い小枝にぶら下がっている茶褐色のものだ。
「蛹 ( さなぎ ) だ。」
「そのくらいは俺にもわかる。 お前と一緒にいて鍛えられたからな。 俺が聞きたいのはこの金色のところだ。 これはいったいなんだ? まさか塗料がついたのではあるまい?」
葉のまばらな細枝に下がっているのは明らかに蝶か蛾の蛹で、大きさは2.5センチくらいの小ぶりなやつだ。 それはいいのだが、その腹部もしくは背部と思しきところに金色の小さな点が規則正しくついている。 身体の中心線から左右対称に5対、全部で10個の小さなやつだ。 真横から見てみると直径1ミリくらいのその金色はつんと尖っていて先端はかすかに黒い。 ちょうどケーキのクリームを搾り出したような形になっていた。 あの有名なドラクエのスライムの形といえばわかってもらえることと思う。
「ああ、これはツマグロヒョウモンだ!」
「え?」
カミュは旧知の仲の友人に会ったように嬉しそうな顔をしているが、俺にはさっぱりわからない。
「ツマグロヒョウモンはタテハチョウ科の蝶でアフリカ北東部からインド、オーストラリア、アジアの熱帯から温帯域に広く分布する。 漢字で書けば褄黒豹紋。 メスの前翅先端部が黒いので褄黒、豹のような斑点の模様があるので豹紋だ。 幼虫の食草はスミレ類で、このあたりにも野生のスミレが生えているゆえ、ここで蛹になったのだろう。 日本での分布の北限は関西だったが、近年の地球温暖化の影響で北関東での生息が確認されたという報告がある。」
いつも思うのだが、こうしたことを話しているカミュはいかにも自信にあふれて貫禄すらある。

   夜の態度とここまで違うのも世界不思議発見じゃないのか?
   むろん、こんなことは口が裂けてもいえないが

すらすらと述べるカミュの博識ぶりはいつもの通り見事だが、俺の知りたいこととは違う。
「で、この金色は? まるで金属のように光沢がある。 とても自然のものとは思えんが。」
きわめて小さいが、それはまるで磨き上げた金属に等しいほどの輝きだ。
「むろん金属などではなく、きわめて薄い膜の多層構造になっている。 光を反射して金や銀に見える。 蛹が羽化して成虫になったときに脱ぎ捨てられた皮をいくら注意深く観察してもこの色は見えなかったという話もある。 光を反射しなくなったのだろうな。 むろん目的についてはわからない。」
「ふ〜〜ん……」
どう見てもそれは鏡面仕上げの金属だ、そうとしか思えない。
「最初は驚いたがよく見ると可愛いな。 全体の色は地味だがこの金色のツンツンが洒落ている。」
自然の不思議に感心していた俺はこの金属光沢の突起が固いのかどうか知りたくなって、そっと指先で突起をさわってみた。
「うわっっ!」
じっとぶら下がっていた蛹が身をくねらせて動いたのだ。 くねくねと身悶える有様が目に焼きついて背筋がゾクゾクしてくる。
「ど、どうして動くっ! 蛹なのにっ?!」
「蛹は動くものだ。 別に驚くようなことではない。 刺激を与えるとほとんどの蛹はひくつくような動きを見せる。 動かないと思うのは思い込みに過ぎない。」
「そうなのかっ! そんなことは知らんぞ!」
ドキドキしながら見ているとやがて蛹は動かなくなってほっとする。
「それにしても驚かされた。 ちょっとシュールだったぜ。」
「そうか? お前に似てちょっと可愛いと思うが。」
「どこがっ!」
「この金色の棘状突起が、」
カミュが行儀よく並んでいる金色のツンツンを指差した。
「お前の聖衣の両肩の突起の意匠と酷似している。 そうは思わぬか? 私は初めて見たときからそう思っている。」
「知らん!」
まったくとんでもないことを言う。 俺のスコーピオンの聖衣がツマグロヒョウモンの蛹と似てるのか??

   まてよ?
   静かにしてる蛹をつつくと身体をくねらせて身悶えるとこなんかは………ちょっと似てないか?
   で、蛹から脱皮してきれいな蝶になるってわけだ

「お前も似てると思うな。」
「私のどこが?」
「あとで教えてやるよ、楽しみにしててくれ。」
「今ではいけないのか?」
「いまはちょっと………ともかく、あとだ。」
ツマグロヒョウモン、うん、なかなかいいじゃないか。
くすくす笑いながら宿を後にする。 今夜が楽しみだ。






             
 先日郵便受けの下側に蛹が一つついているのを見つけました。
              みると金属としか思えないような小さい粒々が並んでいます。
              「……これはなに?」
              兄の昆虫採集に付き合ったのと北杜夫のエッセイを読み込んだ影響で
              昆虫には並々ならぬ興味がありますが、 こんな蛹は初めてです。
              温暖化で関東までやってきたのでしょうね。


              うちで見つけたのはまるで水銀のようにきれいな銀色でしたが、
              金色のものもあるというので聖衣の関係上、この話では金色に。
              それにしても見事です。
              くねくねしたところを見たときはほんとにぎょっとしました。
              そのときはそれだけだったのに、ミロ様が気付いてしまったのです、カミュ様との関係を。
              だって、ほんとに身悶えてたんです。
              あれ見たら、誰だって妖しさを感じますよ、ほとんど黄表紙。

              以下のリンクは、蝶、幼虫、蛹に自信がある方のみご覧ください。
              うっかり開いて卒倒しても責任は負えません、ご用心。

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                蝶の写真がきれい。一番下には幼虫がいます。  ⇒ こちら
                二番目の写真にはっきりと金属の突起が。  ⇒ こちら
                        (ただし一枚目は幼虫ですが。 )          


               見聞録 「オオムラサキ」  ⇒ こちら
               見聞録 「アゲハ」      ⇒ こちら