9月8日(日) 第6日目 − 巡礼4日目  パンプローナ 〜 プエンテラレイナ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:40 16:15 8:35 23.5 3.41 HM 50 R 17  92  688 
 4日目は、出発するときから雨に見舞われました。アルベルゲを出発するときから、リュックにカバーをして、ポンチョをかぶり、そして足下はスパッツを着けた完全装備。すべて、初めて着るものです。日本にいるときに着る練習はしていなかったので、着るの手間取りました。こんな時、複数で行っておれば助け合いできるのですが、一人ではこの辺が不便です。まあ、頼めば同じ巡礼者であれば誰でも助けてくれますが、シャイな僕はなかなか言えないのです。(笑)
 パンプローナの町は、かなり広く町を抜け出すまでは、かなり時間がかかりました。その間、本降りの雨。しかし、完全装備なので、それほど濡れません。最も気を遣ったのは、靴です。靴に水が入ってしまっては、後が思いやられるからです。幸い、上等の靴を買っていたので、その心配はありませんでした。パンプローナを抜けたときくらいから、小降りになりました。
しかし、雲が低くどんよりとした中を歩くのは、楽しいものではありません。パンプローナの郊外は、丘陵になっており、凄くスペインの巡礼の道らしくなってきたような気がしました。
 下の写真のベルドン峠に登りはかなりの急傾斜でした。相変わらず、どんどん追い抜かれます。しかし、どうにかこうにか登り切りました。スペインは、風が強いところが多いのだと思いますが、あちこちに風力発電の風車があります。特に、後に歩いたメセタの大地あたりは、非常に多くありました。ここペルドン峠にも多くの風車があり、峠の頂上でブンブンうなりを立てていました。非常に風が強く、風車にとっては最高の場所ではないでしょうか。たぶん、四六時中強い風が吹いていると思われます。風が強いのも相まって、非常に寒かったです。しかし、ここでいつもの通り、パンとジュースとフルーツで昼食をとりました。しかし、寒くあまり長居が出来ないので食べ終わったら反対側へ降りていきました。
降りるときは、石ころだけで非常に歩きにくかったです。巡礼者のほとんどの人は、スティックを持って歩いています。
僕は、スティックを持っていないし、持とうとも思っていません。どうもバランスが悪くなりそうでかえって危ないと思うからです。しかし、それも慣れだと思いますが。
16時15分頃に今日の目的地のプエンテラレイナに到着しました。そこに到着したらすぐにアルベルゲがありましたので、申し込みしましたが、すでにコンプリートでした。このとき考えたのですが、欧米人がガンガン早く歩いて行くのは、早く目的地に着いて、アルベルゲを確保しようということがあるからかもしれません。そう思いました。値段の安い公営アルベルゲから埋まっていきますので、遅く着くと高いアルベルゲに泊まることになるし、最悪ホテル泊まりになってしまいます。
この日は、その最悪のケースでした。話は、それますが、ここのアルベルゲの受付の若いお嬢さんは凄く美人でした。写真を撮らせてほしかったのですが、さすが言えませんでした。それと非常に愛想が良く、僕の持っていた巡礼手帳が日本のものでデザインが非常に好きだと言っていました。一瞬僕のことが好きだと言われたとびっくりしましたが、巡礼手帳のことでした。(笑)冗談は別にして、他のアルベルゲを探さなければなりません。しかし、今までもそうでしたが、疲れていてその気力がありません。隣がホテルということでホテルに行きました。(アルベルゲとホテルは同じ経営者と思われます。)
ホテルは、何と50ユーロ。それもシングル、ツインとも空いていないので、トリプルになってしまいました。仕方ありません。やっぱりこういうときも一人旅は不利です。下の写真の通り広い部屋で一人寝ました。まあ、プラバシーは保たれるし、トイレに行くのも気を遣わなくてもいいし、疲れを取るにはいいであろうとプラス思考に考えました。
 夕食は、ホテルのレストランで摂りました。17ユーロでこれも高い。しかし、ビッフェ形式で、いつもの貧乏人根性丸出しで写真の通りたらふく食べました。これだけ食べたら元はとっているのではないかと思います。(笑)腹一杯で部屋に戻ったらよく寝ることが出来ました。いずれにしろ、この日も順調でした。
 余談ですが、スマホを駆使して、毎日FACEBOOKを利用して状況をアップしていました。スペインは、何処へ行っても比較的電波状態は良くて、以降何処へ行っても電波が届かないところは、殆どありませんでした。
契約しているヨーロッパ40カ国ローミングOKのSIMカード容量は、1ヶ月500MBで5000円でした。500MBあれば、動画やゲームなどをせずに、インターネット、メール、スカイプをするくらいなら十分足ります。その点では、全く問題なく、そして、アルベルゲには、殆どWIFIがありますので、そこではそれを使っていました。

 
                 ペルドン峠に並ぶモニュメントの前で
歩いているときすれ違いに「オラ」と言った 天候不順なのかヒマワリは半ば枯れている
パンプローナを過ぎるとこんなところをずっと歩いた サリエギの街並み
ペルドン峠からの展望 ペルドン峠の風力発電風車
ペルドン峠 ペルドン峠を下った後、天候は一気に回復
4日目で巡礼道らしい道に出会えた まもなくプエンテナレイナに到着
今日の夕食 ブッフェ形式でこれを全部平らげました。
デザートもたらふく食べました。 泊まったホテル。隣はアルベルゲであったが、コンプリート。
同じ経営者と思われる。

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今日は朝から雨でポンチョやスパッツを付けての歩行となり大変でした。しかし、昼前に雨もあがり昼から天気になりました。朝7時40分に出発し16時15分に目的地に無事到着しました。しかし、アルベルゲは満員で仕方なくホテルに宿泊。50ユーロでしたが、何と写真の通りトリプルルームでした。どなたか泊まりに来ませんか。(笑)
 
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9月9日(月) 第7日目 − 巡礼5日目  プエンテラレイナ 〜 アジェギ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:15 15:50 8:35 24.1 3.53 AM 12 R 116  664 
 7時15分にホテルを出発。今日は昨日と打って変わり絶好の天気になりました。下の写真にあるように朝焼けがそれを如実に語っています。プエンテラレイナの街の中を抜けていきましたが、途中何軒かアルベルゲを見かけました。中には、アルベルゲにあぶれたのか、その前でシュラフをかぶって寝ている若者もいました。こういうことも出来るのだなあとは思いましたが、僕には残念ながら、そこまで逞しさはありません。
 街を抜けるところに下の写真の「王妃の橋」がありました。朝の清々しさと朝焼けの中で見る橋は、何とも言えない趣がありました。まるで、中世にタイムスリップしたような錯覚を覚えました。
 街を抜けてからは、アスファルト道路ではありませんが、普通の道が続きました。スペインの西にあるサンチアゴコンポステーラに向かっているので、前方の写真を撮る場合、自分の影が大きく伸びています。緯度が高いので太陽の指す角度が低く,、そうなるのだと思います。日本の場合は、夕方には大きな影が出来るという印象がありますが、朝方にこれだけの影が出来るのはあまり記憶がありません。
 今日の天気は雲一つありません。この日から、少し気候帯が変わるアストルガあたりまで、殆ど雨に遭いませんでした。アストルガまでは、どちらかというと砂漠的な乾燥地帯なのかもしれません。最初は、雨があまりにも降らないので、僕自身がラッキーな男だと思っていましたが、そうではなかったようです。(笑)
 マニェル村を越え、青空の中に浮かんでいるようなシラウキ村を越え、順調に進みましたが(今は記憶が乏しくなってきているので順調に歩いてとしか書けないですが、それなりにしんどかったとは思います。)、途中、川の橋のほとりで昼食をとりました。ちょうど影になっていて心地よかったです。これだけ天気がいいと結構日差しがきつく、非常に暑くなってきますが、基本的に湿度が低いことと、温度も高くなく、風が心地よいので、それほど大きな汗はかきません。しかし、日差しがきついことで非常に日焼けします。これが、真夏だと非常にこたえて歩けないかもしれません。歩くには季節的に、春か秋がベストシーズンだと思います。
 川のせせらぎを見ながら昼食をとったのですが、足のケアを考え、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、しばらく足を風にさらしていました。マメが出来ないように足のケアとしては、最も力がかかりそうなところにセロテープを貼り、滑りやすくしていました。それが功を奏したのですが、最初から最後までマメを作ることはありませんでした。(出来かけましたが慎重にケアしたために、知らない間に固まっていました。)その辺は、出発までに日本で訓練して、足の様子を見ていたお陰で対策がとれました。大した訓練はしなかったのですが、訓練をしていなかったら、確実にマメは出来ていたと考えられます。(靴のひもの結び方まで訓練によってベターな対策が取れたと思います。)
 昼食後は、また長い坂が続きました。
 ビジャトゥエルタの街に入り、しばらく歩くと大きな公園があったので、休憩することにしました。そこに、下の写真にあるベルギーの女性が休憩していました。この女性とは、今日会うのは三回目になります。まず、最初は狭い小川の橋の日陰がある場所で、次は昼食をした橋のたもと。そして、三回目が今です。三回目なので、これも何かの縁かと思い、拙い英語で話しかけてみました。最初は、ずっと男性と思っていましたが、この時はっきりと女性だと判りました。びっくりです。2回目までは、彼女はウインドブレーカー着ていましたが、今は、写真のようにTシャツ姿です。胸元に目がいったら、膨らみが見えましたので(特にじろじろ見たわけではありません。目に入ったということ。鼻の下を長くしたわけではありません。笑)、女性だと判りました。日本語訛りの英語を使う僕と、ベルギー訛りの英語を使う彼女とでは、なかなかコミュニケーションできませんでしたが、自己紹介程度の内容は判りました。それにしても、ベルギー英語本当に聞きづらかった。(笑)相手も日本英語、それも大阪弁訛りの英語は聞きづらかったと思います。(笑) 彼女はベルギーのブルージュ在住27才(レディーに歳まで聞いてしまった。)で世界旅行が好きであちこち行っているとのことでした。
 この時、彼女に出会えて助かったことがあります。それは、自分では気づかなかったですが、僕のリュックの背負い方が非常にアンバランスで効率が悪いということです。それを彼女が指摘してくれました。そして、バランスが取れるようにリュックの紐の調節をしてくれました。それは、効果抜群でした。非常に体が楽になりました。彼女には感謝感謝です。
 そして、僕が先にその場所を立ちましたが、リュックを背負うとき親切にヘルプしてくれました。僕は、こんなことには非常にググッときてしまうのです。(笑)何とええ子なんだろうかと!! まあ、それだけですが。
別れ際には、また、サンチアゴデコンポステーラで会いましょうというふうに言って別れました。彼女とは、後1回出会いましたが、向こうは気づかなかったようだし、僕自身も、その時、体にイエローカードが出ており、わざわざ話す気力も無く、彼女を見たのはそれが最後になりました。このことは、やはり多少、一人旅の寂しさも手伝ってか、少しの恋慕感情が湧いてしまったようです。(笑)
 今日の目的地は、当初エステージャと考えていましたが、エステージャについて、アルベルゲは何処かにないかなとキョロキョロしていましたが、あったのはあったのですが、何だか気乗りしなくて、もう一つ先の街に行こうかと思いました。
そして、アジェギという静かな街にアルベルゲが見つかりましたので、そこに泊まることにしました。このアルベルゲは、何かのスポーツセンターを改築したような感じでした。このアルベルゲは、二段ベッドではなく、大きなフロアーに一段ベッドが並べてあり、これはどこも同じですが、男女混合となっていました。シャワーとトイレは別々にはなっていました。
 夕食は、このアルベルゲのレストランで食べましたが、一人で食べていると、20代後半と見える男性が同席してもいいかと言ってきたので、もちろんOKしました。話をするとドイツ人で何と19才で歯科大学で歯科医になるための勉強をしているとのこと。とにかく、写真の男性であるが、非常にしっかりしており、僕と比べてどちらが年上か判らないような感じがしました。その男性とは、この後何回も道中で出会わすことになりました。出会うたびに親しく声を掛け合いました。
この日は、男女2人との出会いがあり、非常に印象深い日となりました。

 
       プエンテラレイナの街の出口(進行方向に向かう)くらいにあった「王妃の橋」
       逆行なので色があまり綺麗に出てませんが、実際の見た目は本当素晴らしい光景でした。
明るみかけた街を抜ける 清々しいプエンテラレイナの朝焼け
今日は快晴。大男が写真を撮っている きつい上り坂で自転車の巡礼者も降りてあるいている
マニェルの村が見えてきました。 遠くにシラウキの村が見えてきました。
青い空に浮かぶようなシラウキ村 シラウキにある教会
エステージャの街が見えてきました。 エステージャのアーチ橋
エステージャにある聖墳墓教会のファサード エステージャの街並み
目的地のアジェギ(Ayegui)に到着しました。写真は、そこのアルベルゲです。12ユーロでした。今日はアップダウンが少なく、荷物の背負い方も分かってきて重いものの少し灯りが見えてきました。 ドイツ人の19歳の歯科医を目指す青年と夕食を共にしました。
この青年、本当にしっかりしています。
 
今日の夕食
アルベルゲで食事。サラダ、ポークステーキ、ビール、デザートで9ユーロでした。味はまずまず。

 

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本日の美女狩り(笑)
休憩時に三度も顔を合わせましたので話かけてみました。最初は男性と思っていましたが、ベルギー人(ブルージュ在住)の27歳の女性でした。世界中を旅するのが好きだと言ってました。サンチアゴデコンポステーラで再会しようと粋に言って別れました。(笑)(石原裕次郎の「粋な別れ」という歌の歌詞を思い出しました。(笑))
 
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9月10日(火) 第8日目 − 巡礼6日目   アジェギ 〜 サンソル
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
7:15 16:15 9:00 26.6 3.61 AM 6 B 143  638 
 いつも起きる時間は、だいたい6時くらいですが、それも全体の流れに合わせています。6時は、まだ夜中という感じで外は真っ暗です。ですから、あまり早く起きてごそごそすると寝ている人に迷惑がかかるからです。目が覚めても皆が動き出すのを待って起きます。室内の電灯も全体が動き出して誰かがスイッチを入れますが、たぶん、アルベルゲのルールはあると思うのですが、成り行きになっているようです。朝早く出発する人は、点灯できないので静かに起きて懐中電灯で準備をして静かに出て行っていたようです。僕は、歩く道順に自信がなく、皆の後を付いて歩くという歩き方をしていますので、真っ先に出発することはありませんでした。
 起きたらトイレに行き、そして顔を洗って髭を剃って、その後アルベルゲが朝食付きでない場合は、前日買っていたパンで簡単に済ませます。(寝室内で飲食をしてはいけないルールがあるようで食堂がない場合は、食べないこともありました。)
 出発前は、服装をきちっと整えます。服装と言っても軽装ですので簡単に済ませ、慎重に行うのは、足のケアーをするために足裏にセロテープを貼ったうえで靴下を履き、そして靴を履き、靴の紐はかっちり締めて、足が靴の中で動かないようがっちりガードします。しかし、靴の紐加減が難しく、閉めすぎたら足首のところの皮膚がすれて痛めてしまいます。いずれにしろ、慎重に時間をかけて行いました。(どんなに急いでいても、それだけは確実にしました。)
 この日は、7時15分にアジェギのアルベルゲを出発。やはり7時15分ではまだ外は暗い。暗いうちは、標識も見にくいので一人歩きは避けました。誰かの後を付けました。しかし、たまに一人になってしまうこともあり、その場合は、誰かが後から来るのを待っていました。(情けない話ですが、とにかく安全を期しました。)
 出発してしばらくしたら、ワインのにおいが漂ってきました。イラーチェ村でワインを作っているらしいのです。ひょっとしたら試飲させてもらえるのかと一瞬思いましたが、7時半すぎでしたので、ワイン工場も開いていませんでした。
 今日も雨は降らないもののどんより曇っていました。しかし、昨日と同じで昼からは快晴になりました。ただ、今日の宿泊地であるサンソルに着く前に少しにわか雨に遭い慌てててポンチョを着ました。しかし、本降りにならず助かりました。
 このところ連続で、当初の宿泊地には泊まらず一つ先に行って泊まるというパターンになっています。
この日も、当初ロスアルコスに泊まろうと考えていましたが、ロスアルコスに着いた時間が非常に中途半端でアルベルゲに入るのは早すぎまするうえ、まだ体力もありましたので、結局ひとつ先のサンソルを目指すことにしました。
 ロスアルコスを通過すると一直線の道になりました。見渡す限り平地ですので、次の村が目視できました。すぐに着くだろうと思い歩いていましたが、歩けども歩けどもなかなか着きません。そして、その道はほとんど人が歩いていないのです。今まで何回も会っていたアメリカ人女性の2人連れが例によって僕を追い越していったくらいです。その追い越しに関することなのですが、途中でこの二人のアメリカ人(一人は年寄りで、もう一人は大柄の美形のお嬢さん。)を僕が逆に追い越したのです。その後、この2人に追い越されることはありませんでした。あれだけ早足で歩いていた二人がどうしたのだろうと思いました。途中に村もないしもちろんアルベルゲもない平地の真ん中です。何故なのか、どうでもいいことなのですが、考えてしまいました。色々想像たくましく考えましたが、考えられれるのは、たぶんトイレに行ったのだと思います。トイレと言ってもこの道中何処へ行ってもそうでしたが、途中に公衆トイレなどありません。トイレがあり旅行者が利用できるのは、村や町の中のバールやアルベルゲだけです。ということは、平原の真ん中でトイレに行きたくなったら、男女を問わず、草むらに隠れてするしかないのです。男性はまだしも、女性は大変だと思います。現に草むらに入ると、白いティッシュが一杯落ちていました。
これは、人間の生理現象であるから仕方のないことです。男性は特には問題ないと思いますが、女性の神経質な人であれば、このスペイン巡礼道は歩けません。さらに、アルベルゲなども男女雑魚寝状態になるので、その点も神経質な女性は無理です。しかし、欧米の女性は、その辺はあっけらかんとしたものです。慣れているといった方がいいかもしれません。
 てなことで、次の村のサンソルに着くまで一人旅でした。(何故一人旅になったかというと、たぶん、殆どの人は、僕が通過したロスアルコスに泊まったものと考えられます。)途中にわか雨に遭い、あわててポンチョを着ましたが、サンソルに着く頃には完全に雨は上がっていました。
 16時15分くらいにサンソルに到着。アルベルゲの標識が出ていましたので、そこに泊まることにしました。小さなアルベルゲで、定員10人くらいだったと思います。
アルベルゲの受付の仕方ですが、巡礼者手帳を提示するだけで泊めてくれます。たまに、パスポートを要求されますが、それは、巡礼手帳に書いてあることが、現地の人が読みにくい場合、要求するようです。ほとんど宿帳的なものにサインする必要はなかったですが、中にはサインさせられることもありました。受付後、利用料金を払えば完了。後は、簡単にルールの説明の後、部屋やシャワールーム、トイレなどを案内してくれます。
ほとんどパターンが決まっているので、英語でしゃべる必要はありません。もっぱら、スペインの人は、結構英語が話せない人がいますので、特に田舎の人はなおさらですので、パターンが決まっていて受付できることは助かりました。
 部屋に入り落ち着いてから、外に散策に行きました。本当に小さな村でスーパーなどもありません。あるのは、バールが1軒くらいでした。夕食は、そのバールでしましたが、早い話田舎のバールですので、酒を飲むだけのところと言う感じで、食事をするようなところではないのです。だから、英語が話せないマスター相手に、スマホにスペイン語を訳させ、お腹のふくれるもの作って下さいと頼みました。人の良さそうなマスターで、適当に本当にシンプルなものを作ってくれました。
スペインオムレツ(ジャガイモの入ったオムレツでトルティーヤというものだと思います。)をパンで挟んだサンドイッチでした。
非常にシンプルなものでしたが、そこそこ美味しかったです。飲みものは当然ビールです!!
今日も1日無事終了!! 感謝感謝!!
 
             ビジャマヨール・デ・モンハルディン村が見えてきた 左はブドウ畑
ワインを作るイラーチェ村の修道院
あたりにワインの香りがした
イラーチェ村を過ぎてアスケタ村までの道の途中
アスケタ村が見えてきた 左下の動画撮影場所の後ろ側にある教会
ロスアルコスまでの一直線の道のり
ロスアルコスの街の入り口 ロスアルコスの街並み
ロスアルコスの聖マリア教会 ロスアルコスを過ぎてサンソルまでの道のり
遠くにサンソルが見えてもなかなか着かない
サンソルまでの道のりで一休み
歩いているのは僕一人 貸し切り状態(笑)
やっと小さなサンソル村に着きました
左の写真はサンソルの小さなアルベルゲ(収容仁人10名程度)で、ここに泊まりました。朝食付きで6ユーロでした。ここは自炊設備があり一部の外人が自炊していました



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今日の夕食は近くにレストランがないのでBarでしましたが、食事類がないので、写真のマスターが特別に生ハム入りのオムレツサンドイッチを作ってくれました。人の良さそうなマスターでした。ビールを2杯飲んで9ユーロでした。このマスター、僕の印象としては、「ドン・キ・ホーテ・デラマンチャ」という感じがしました。
 
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9月11日(水) 第9日目 − 巡礼7日目  サンソル 〜 ログローニョ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:15 14:20 7:05 22.1 3.7 A 7 R 18  164  617 
 今日で歩き始めて7日目になる。やはり重い荷物がこたえます。しかし、リュックの担ぎ方も改善されてきているので、最初よりラクになっているもののやはり大きな負担です。
 今日も7時15分に出発。サンソルから僅か歩いたところにトレスデルリオの村がありました。昨日泊まったサンソルにアルベルゲがなかったら、ここに泊まることになっていたと思います。ここまで結構アップダウンがあったので、サンソルに泊まれて良かったと思います。
 この日に限らず、アスファルト道路と並行して巡礼道があり、そこを歩きますが、スペインの自動車用道路は、結構整備されているように見えました。しかし、相対的に車の通行量は少ないのです。こんなに道路が必要なのかと思うくらい車が少ない。スペインは、国家破綻の危険性もある国と認識していますが、先日泊まったパンプローナの都市の様子など見ていたら、それが嘘のように感じられます。そして、この舗装された道路。日本と同じで国が借金をして公共投資をどんどんしているのかもしれません。とどのつまり財政危機になっているように思います。日本も他人事ではないのです。スペインを歩いていてそんな風に何回も思いました。スペイン巡礼とは関係のない話ですが、歩いていてふと思った次第です。
 多少アップダウンはあったものの、今日は比較的早く目的地のログローニョに着きました。ここのところ続いた予定より一つ先に行こうとは思いませんでした。アルベルゲも簡単に見つかりました。到着したのは、14時20分頃だったので、アルベルゲは余裕で泊まれました。結構大きなアルベルゲだったのですが、案内された部屋は、僕が一番くらいだったと思います。
 アルベルゲによって違いますが、今日のアルベルゲは、料金を支払ったとき紙のシーツをくれました。シーツがないところもあります。そして、有料のところもありました。毛布はあるところとやないところもあります。寝るときは、自分のシュラフに入って寝ます。こっちに来る前の情報で、ダニがいるところもあると聞いていましたが、幸い今回は全期間を通じて、幸いダニの被害に遭うことはありませんでした。備え付けの毛布は、警戒して直接かぶることはありませんでした。必ず自分のシュラフの上にかけたり、下に敷いたりしていました。夜の寒さは、ほとんど感じることはありませんでした。逆にシュラフにすっぽり入ってしまうと歩き疲れた足が火照っていますので、暑くて寝ることが出来ないこともありました。その時は、シュラフから足を放り出していました。それでも、風邪はひかなかったので幸いでした。
 荷物の整理をしシャワーを浴びた後、庭があったので、そこでフェイスブックを書いたり、メールをしたりしました。
 その後、街に散策に出かけました。ログローニョは、結構大きな街でスーパーやバールなどいくらでもありましたが、スーパーに限って言えば、14時から17時までは、ほとんど開いていません。所謂シエスタなのでしょうか。
スペインは、日が落ちるのが遅いので8時でもまだまだ明るいのです。ですから、夕食を食べるタイミングが狂ってしまいますが、時間を見計らって大きな広場にあるレストランでスペイン料理ではなくイタリア料理を食べました。
今日も1日何のトラブルもなく過ごすことが出来ました。キリスト教的に言って「アーメン」
**帰国して3ヶ月以上経過していますので、道中の記憶がどんどん薄れてきていますので、道中のことをあまり書けないのが残念です。
 
      ログローニョの街が見えてきました すぐに到着できるように見えますが結構距離はあります 
出発して間もなく通過したトレスデリオの
聖墳墓教会で休憩者に無料で開放されている
道路の遙か向こうにたくさんの風力発電の風車が見えます
汚い写真でごめんなさい
周囲から見えない草むらの天然トイレです
何処の国でもすることは同じでスペインでも同じ
どういうわけか石ころを積み上げています
道路の遙か先にビアなの街がみえました 雄大な景色です
ビアナの街並み ビアナの街にあるサンタマリア教会
遙か先にログローニョの街が見えてきました 今日の行程は22キロと短く、高低差もあまりなかったので14時20分に無事目的地に到着。今、リラックスしてアルベルゲの中庭でレポートしています。
今日の夕食  スペインに来ているのにイタリアンになってしまいました。スペイン料理はパエリアしかわからず量もかなり多そうなのでイタリアンにしました。ビール、パン、コーヒーで18ユーロと高かったです。

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早いもので歩きだしてから7日目に入りました。今日も元気に7時15分にスタート。今10時55分。今日の予定の半分を歩きました。写真はスペインで見るご来光です。(撮影時刻は、7時47分です。)
 
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9月12日(木) 第10日目 − 巡礼8日目  ログローニョ 〜 ナヘーラ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:05 16:20 9:15 29.0 3.56 A 7 R 13.2  193  588 
 ログローニョという街は、結構大きな街で、朝7時5分に出発しましたが、この巡礼道でほぼそうだったですが、大きな街の標識が判りにくいのです。あることは絶対にあるのですが、それを見つけるのが難しい。ましてや朝の7時5分というのはまだかなり暗いのです。ですから、この日も朝から迷いました。しかし、それは例によって、誰かが歩いて来るか、歩いて行っているかを探して付いていきますから大きな問題ではありません。
 街を抜けると郊外へ行く歩道で地元の人が結構ジョギングなどをしていました。それを、横目にひたすら歩きます。
しかし、地元の人に会ったら、「オラ」とか「ブエノスディアス(おはよう)」という挨拶を必ずしました。相手も返してくれます。たまに、返してくれない人もいましたが、ごく少数でした。
 郊外に出たら大きな貯水池がありました。(この辺の記憶も断片的なもので、そのロケーションを完全に覚えているわけではありません。)そこから、しばらく歩くとブドウ畑が広がります。この一体は有名な(僕は知らないけれど。)リオハワインの産地であるとガイド本に書いていました。そのブドウを栽培しているのです。その道は、ほとんど人は歩いておらず(道を間違えたわけではありません。)、ひとりで歩いていました。色々なこと、人生のことを考えていると知らない間にフォークソングの「若者たち」を口ずさんでいました。せっかくなので、ビデオを撮りなが口ずさみました。これが、僕の人生。僕の道。紛れもなく自分の2本の足で力強く確実にサンチアゴデコンポステーラを目指して歩いているのです。

  コツコツ コツコツ 一歩ずつ確実に歩く
  コツコツ コツコツ 一歩ずつ確実にサンチアゴデコンポステーラに近づく
  コツコツ コツコツ 1円ずつお金を貯める いつの間にか大金持ちになっている
  コツコツ コツコツ 少しずつ勉強する そして博士になっている
  コツコツ コツコツ 石を積み上げる いつのまにかピラミッドが出来る
  コツコツ コツコツ 積み木を積み上げる いつのまにか大きな家が出来る
  コツコツ コツコツ 詩を書く それがいつのまにか小説になる
  コツコツ コツコツ まっすぐに正直に生きる いつのまにか誰からも好かれる人間になる
  コツコツ コツコツ 何でもコツコツ コツコツ 何でも最初のコツコツから始まるのさ

 歩いているうちにコツコツ コツコツという一歩ずつの積み重ねでサンチアゴデコンポステーラ近づいてい行くのです。その時、そんな類いのことを考えながら歩いていましたが、地道にコツコツが大切なことが歳を取って、今更ながらに判っていくような気がしました。上の絵本的な文章は歩いているときには考えてませんでしたが、昨日(2014年1月27日)ロングステイクラブ童話創作同好会に参加して、先生が朗読下さった絵本をモチーフにして今作ったものです。(童話創作に関しては、劣等生なので、Nリーダーからかなりお叱り(笑)を受けましたので、せめてこの場で書いたまでです。(笑))

 かなり話は外れてしまいましたが、元に戻します。今日歩いている途中で腹の立つことがありました。ベントサという小さな村に着いたとき標識が曖昧で何処へ歩いていいか判らなくなりました。そこにバールがあったのですが、バールの客が道を教えてくれました。
グラシアス(ありがとう)と礼を言って、言われた方向に歩いて行きましたが、その教えてくれた人が、大きな声で、その方向は違うというようなことを言うのです。その人の言う方向は、自動車道で殆ど歩道らしい歩道もありません。おかしいな思いながら、僕は人を信じる方なので、その方向に歩いて行きました。歩けども歩けどもカミーノサンチアゴの標識はありません。かなり歩いてから、これは騙されたと思いました。何で嘘つくのか、頭にきました。重い荷物を背負っているので、元に戻って文句を言う気力もないし、スペイン語を話せないので文句の言い方も判らないので、あきらめて分岐のところまで戻り、僕が最初に行こうとしていた方向に歩いて行きました。やはり、その道が正しかったのです。どういう気持ちで、その人は嘘をついたのか全く理解できません。神への道を歩いている人では善人ばかりではなさそうです。まあ、あれだけの人間が歩いていているのであり、悪い奴もいるのでしょう。まあ、致命的なことにはなっていないので、まあ、こういうこともあったという思い出だけにとどめておこうと思いました。
 道に迷ったときスマホにナビさせたらいいのですが、さすがに田舎の道を歩くことについては、周囲に目標物が殆どありませんので、さすがのスマホも、このときは役に立ちませんでした。スマホの素晴らしさについては、この旅行記の冒頭にも書いていますが、ここに掲載している写真も動画もすべてスマホで撮影したものです。普通のデジカメも持って行っていましたが、今回は殆ど使いませんでした。いちいちバックからデジカメを出して撮るのが面倒だったからです。スマホはポケットに入るし、シャッターチャンスですぐに対応出来ます。そして、その場でfacebookを通じて、日本に情報を流せます。さらに、写真を見ても判ると思いますが、映像の美しさはデジカメにひけをとりません。(ズームは出来ませんが。)そんなことで、僕にとっては、スマホは旅をする場合の必須のアイテムとなりました。

 16時20分頃今日の宿泊地であるナヘーラに到着しました。この日歩いた距離は29qで全期間を通じて、最大の距離を歩いたことになります。しかし、重い荷物に悩まされながらも、初日ほど疲れは感じませんでした。かなり慣れたのだと思います。(しかし、この荷物の重さは、確実に体力を消費しており、2日後に体がイエローカードを出すことになります。)

 アルベルゲに到着してから、宿泊の手続きを済ませ(受付をして貰うと同時に巡礼手帳にスタンプを押して貰います。このスタンプをもってサンチアゴコンポステーラに到着の際、歩いた証明になり、巡礼証明書を受け取ることが出来ます。)、シャワーを浴びた後、街に散策に出かけ、レストランで食事しました。レストランでは、全く英語が通じませんでした。相対的に、スペイン、ポルトガルでは、英語を喋る人は少ないように感じました。偉そうなことを言っている僕も、英語を話せるというにはほど遠いで簡単な会話だけです。その後、食料品店で朝食、昼食用のパンなどを購入してアルベルゲに戻りました。
いつもの寝る時間は、8時から9時くらいでしたが、ベッドに横になるだけで、実際に眠るのは23時か24時くらいでした。
 今日も無事一日が終わりました。感謝感謝です。

 
                     ナバレッテの街が見えてきました
ログローニョの街の広場に巡礼者像があり、その前を通り今日の巡礼に出発しました。 市街を通り抜けてしばらくしたらグラヘラ貯水池がありました
グラヘラ峠手前のブドウ畑が広がるところにカミーノサンチアゴの標識がでていました。このような標識はいたるところにあります。有り難いことです。 間もなくグラヘラ峠
 
僕は、まだまだ若者です。道は果てしなく遠い!!   世界に名だたる「リオハワイン」産地のブドウ畑
ナバレッテの教会(名前は忘れました。)街や村には、必ずこのような教会が例外なくあります。 ナバレッテの街並み。おばさんが井戸端会議
井戸端会議は世界中何処も同じですね
リオハワインのブドウ畑が続く。 ナヘーラのアルベルゲに到着
今日の夕食
Barに行きましたが、ウエイトレスはスペイン語しか判らず何を注文していいか判らないので、出来上がりを陳列したものを指さしで注文しました。日本風に言えば、ポテトサラダ、タコのマリネ、カラス貝のトマトソース煮込みで、このカラス貝が特に美味しかったです。後ビールとパンで13.2ユーロでした。今日も寂しくひとり食でした。(笑)

一人で( ^_^)/□☆□\(^_^ ) 時間は18時半くらいですが、現地の人は夕食時間が遅いので店には他に客はいません。 ナヘーラの街にある肉屋さんにぶら下げられた生ハム

現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章)スマホで発信

今日の美女狩り
失礼ながら美女というより昔美女と言うべきか(笑)。昨日のアルベルゲでは二段ベッドで僕の下段。今日のアルベルゲもベッドは全く別ですが、同じところでした。このおばさんは、67歳でコペンハーゲン在住とのこと。だいたいこの巡礼では、標準的な歩き方をしておれば何度も顔を合わすことになるみたいです。
 
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