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メセタの大地を下って果てしなく道が続いていく |
プロローグ | |||||
僕は、以前から一度でいいからスペイン巡礼の道を歩きたいと思っていました。いつ歩くかというのは漠然として決まっていませんでしたが、いずれは行くというものでけでした。内容的にも、どれだけの距離があり、どれだけの費用がかかって、どのような準備をすれば良いか、何日間くらいかかるのか、一人でも行けるのかなど、とにかく何も考えておらず、漠然と行きたい行きたいと思っていただけです。 ところが、2013年3月にロングステイクラブの仲間である平田和彦さんが、その前年に歩かれたことをロングステイクラブの懇談会で講演されたことに大いに刺激を受け、即座に行こうと決めた次第です。 当然、平田さんが経験されたことがつぶさに頭に入ってきました。その中でもキリスト教信者以外でも歩けることが確認出来ましたので、おぼろげながら自分でも歩くことが出来るのではないかということが、行動を起こさせることになりました。 具体的にいつ行くかについて、色々検討した結果、2013年9月3日〜10月18日の46日間に決め、早々と4月には航空チケットも予約しました。準備については、平田さんがロングステイクラブ関西のホームページに旅行記を事細かにアップされておられ、(平田さんのサイト)大いに参考にさせて頂いたのは言うまでもありません。平田さんには感謝感謝です。(歩き方のノウハウは、非常に事細かに書かれておられますので大いに参考になると思います。) 780qもの行程を重いリュックをかついで歩くわけですが、一人で行くのがいいのか、複数で行くのがいいのか、色々思案しましたが、結論として一人で行くことに決めました。複数で行く場合、それぞれの体力差、都度の体調差などが必ずあると考えられ、それが短期間であれば問題は少ないかもしれませんが、長丁場になるので、お互い余計な気を遣うことになり、最悪仲違いになることもあるかもしれません。そんなことを考えて、一人ではリスクは大きく、事故や怪我をしたときに非常にリスクが問題になりますが、その辺は覚悟を決めて一人に行くことに決めました。何をするにもすべて、自分で処理しなければなりません。非常に心細い面もありますが、それを克服すれば自信もつくであろうし、とにかく冒険と思い勇気を持ってチャレンジすることになりました。 装備なども、平田さんの旅行記やガイド本などを参考にしてそろえました。特に結果論ですが、非常に有益だったのが、靴にお金をかけて上等なものを購入したことです。この靴のお陰でマメ一つ作ることはなかったのです。(出来かけましたが、慎重にケアしてことなきを得ました。)これは、成功の大きな要因のひとつでした。 それから、ルートの検討は、これは全く平田さんのルートと同じものにしました。パリから出発地点のサンジャンピエドポーまでの行き方も同じ。違うのは、巡礼を終えてからの帰り方だけでした。 巡礼のルートですが、下の地図のフランス人の道を歩きました。780qの距離です。この距離を合計35日間で歩きました。実際には、もっと早く到着することも出来ましたが、帰り便のこともあり、最後はほんとにゆっくりしたものになりました。 まあ、色々なことがありましたが、詳細は以下に書いていきますが、結果論として、僕にとって大成功のスペイン巡礼の道でした。(出発前には、重いリュックを担いでの模擬訓練も積んでいました。) |
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赤の線のルートを歩きました |
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9月3日(火) 第1日目 日本からフランス・パリまでの移動 | |||||
いよいよ出発です。関空発フィンランド航空AY78便でとりあえずヘルシンキに向かいました。ヘルシンキには、現地時間の15時頃に到着。EUですから、ここで入国審査を受けました。パリまでの乗り継ぎ便待ちが1時間ほどあったので、スマホの設定を行いました。日本から、ヨーロッパ40カ国で通信できるSIMカードを購入していましたので、その設定だけです。 しかし、最初はマニュアル通りにしても繋がりません。あれやこれや触っているうちに国際ローミングをオンにしたら繋がりました。しかし、ローミングをすると場合によっては、べらぼうな通信料を請求されることがあるので、ホテルに着いてから日本の業者に電話を入れることにしました。結局、当初の料金で可能であるということが確認出来て一安心。これで、フランス、スペイン、ポルトガルと回りますが、何処にいてもリアルタイムで日本と通信出来ることが可能になりました。FACEBOOKで毎日リアルタイムでレポートするつもりでした。(結果として思い通りのレポートが出来ました。) フィンランド航空のAY873便で16時過ぎにパリに向かって出発し18時10分に無事パリに到着しました。ここまですべて順調でした。しかし、シャルルドコール空港に降りてから、少しだけ苦労しました。モンパルナスまで行くシャトルバスの乗り場が判らず焦りましたが、日本人を一人見かけ、その人もスペイン巡礼の道を歩くとのことで、その人と一緒に探し、拙い英語で現地の人に聞いて回りました。幸い親切な人がいて、バス停までわざわざ連れて行ってくれました。(そのことは、下記FACEBOOKのつぶやきに書いています。) シャトルバス(チケットは日本で予約していた。)は、予定通りにモンパルナスに着きました。そこからが、また一苦労。初めて訪れる地であり、東西南北が判りません。地図も用意していましたが、方向が判らないので地図があっても役に立ちません。そこで、さっそくスマホの登場となりました。ホテルの番地を入力すると車のナビのように音声付きでガイドしてくれました。そして、あっという間にホテルに着くことが出来ました。ホテルは、日本で予約してあった「エドガーキネ」というホテルで駅から5分くらいの便利なところにありました。これだけ便利でも、地図だけでは見つけることは出来なかったと思います。 小さな部屋でした。寝るだけでいいので、そんない良いホテルは必要ありません。(素泊まりで60ユーロ) 到着後、しばらくしてから、近くのスーパーに買い物に行き、夕食のためのサンドイッチや水やジュースなどを購入しました。 英語も話すことが満足に出来ない僕でも、ここまでバックパッカー的な行動が出来て、少しだけ自信がつきました。 明日からは、もっともっと自分にとって冒険が始まるわけですが、まあ何とかなるやろうという気持ちでした。 パリに到着後、モンパルナス行きのエールフランスのシャトルバス待ち 重たそうな荷物?? |
この便でひとまずヘルシンキに向かいました。ヘルシンキからパリ行きに乗り換えです。午前10時45分発です。 | |||||
ヘルシンキ到着 この便でパリに向かいます。 | パリ シャルルドコール空港に到着 |
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現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章) スマホの威力 21時前にモンパルナス駅近くのホテルにチェックインしました。ホテルまでの地図は用意していたのですが、その地図ではさっぱり地理がつかめず苦労しましたが、スマホのGPS機能を使ったら簡単に見つかりました。まざまざとスマホの威力を見せつけられました。ありがたいことです。明日から、いよいよ巡礼が始まりますが、スマホのお世話になりそうです。 それから、嬉しいことがありました。パリ空港でシャトルバスの乗り場が判らず、インフォメーションで聞いたりしましたが、判りません。仕方なく通りがかりの人に拙い英語で聞いたところわざわざ乗り場近くまで一緒に連れて行っていってくれました。 親切なフランス人(?)でした。有り難かったです。 |
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9月4日(水) 第2日目 パリから巡礼出発地のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまでの移動 | |||||
10時28分のTGVに乗ってバイヨンヌへ向かいます。少し余裕を持って早めにホテルを出発。荷物が重いので、あまりうろうろは出来ないですが、駅構内をぶらつきました。日本の駅風景とは少し違い改札がありませんので、大勢の人が駅構内で自分の乗る列車を待っており混み合っていました。とにかく、何もかもが初めてであり、TGVの乗り方も判らないし、出来るだけ問題のないように色々案内所で聞きながら万全を期しました。定刻通りに電車が入ってきて指定車に乗ることが出来ました。あまり混でおらず空席が目立ちました。僕の横の席は、学生風の人でしたが、話しかけたかったものの話すことが出来ませんでした。最近は、ほとんと日本の新幹線に乗ったことはないですが、TGVは日本の新幹線より車幅が狭く窮屈な感じがします。しかし、印象的には日本の新幹線より静かだなあと思いました。 車窓から外の景色を見ていると、延々と畑が広がりフランスは、農業大国だなあという感じがしました。行けども行けども平地が続きます。バイヨンヌまで何駅か止まりましたが、ほぼ定刻通りにバイヨンヌに15時半くらいに到着しました。 バイヨンヌからサンジャンピエドポーにローカル線に乗って行くわけですが、3時間ほどの時間待ちです。バイヨンヌは、それほど大きな町ではないような印象でしたが、問題が起こっては困りますので、あまりうろうろせずに駅で時間をつぶしました。日本人を4人ほど見かけましたが、うち1人は、前日空港で会った人で、1日バイヨンヌに宿泊し、次の日にサンジャンピエドポーに向かうとのことでした。後の3人は、その場で話すことはなかったですが、巡礼の道を歩いているときに再会しました。 結構フランスの鉄道もアバウトで、どうやら客数が多いと判断したのか、臨時バスを出して、それで行ってくれと言うことになりました。だから、電車の切符でバスに乗ることになりました。こちらは、手段は別にしてサンジャンピエドポーに着いたらそれでよいし、電車の時間より早かったので、それに乗っていきました。 19時半に、サンジャンピエドポー駅に到着。19時半でも昼間の明るさです。だいたい21時くらいまで明るかったような気がします。(スペインに入ってからも、その明るさ、緯度の高さを目の当たりにしました。) 予約していたホテルに行くべく昨日味をしめたスマホに住所をインプットしナビ開始。しかし、昨日のように簡単にはいきませんでした。目的地に着いているのにホテルが見当たりません。結局かなり先まで行ってしまいました。仕方ないので、拙い英語を駆使して通りがかりの人に聞いたところ、また親切な人でホテルの場所まで連れて行ってくれました。 何のことはない目の前にあったホテルを見逃しているのです。しかし、そのホテルはホテルらしい看板もかかっていないのです。ホテルの受付といっても誰もいません。大きな声で呼んでだら奥からおばあさんが出てきました。しかし、英語が話せない人で全く通じません。そこへホテルのオーナーがやってきて、やっとチェックインできました。僕以外に誰も泊まっていないような閑散としたホテルでした。ホテルと言うより古びた民宿といった感じで、階段に電気もなく薄暗い中、3階に上がっていきました。床はミシミシいうしとにかく古いホテルでした。しかし、寝ることが出来ればいいので、それほど気にはなりませんでした。しばらくして、夕食出かけることにしました。中心部からかなり離れたホテルでしたので、近くにレストランもありません。だから、中心部まで歩いて行きました。巡礼事務所を覗いたり、町の中を少し散策しました。そして、どのレストランに入っていいか判らないので、スーパーでパンでも買おうと思ったものの、スーパーも閉まっていました。何せ明るいけれど20時を過ぎていたのです。仕方ないので適当なところでレストランに飛び込みました。オーダーの仕方が判らないので、看板に書いているメニューを注文。巡礼者メニューのような表示であったのでコースかと思っていましたが、そうではなく一品一品の注文でウエイターがやれデザートや飲み物やと聞いてくるので都度注文しましたが、結局高いものについてしまいました。これも授業料かと思ってあきらめましたが、結局36ユーロにもなってしまいました。さらに伝票をよく見れば良かったのですが、よく見ないで支払ったものですから、メインディッシュが重複して書かれていたのを見逃し、そのまま払ってしまい、気が付いたら後のまつり。ホテルに戻ってから気が付き引き返すのも時間が遅いし、さらに抗議の仕方も判らず泣き寝入りとなってしまい悔しい思いをしました。まあ、長丁場の旅なので、いちいち気にしていたら後に響くので、授業料と思いあっさりあきらめました。それにしても情けない話でした。 早朝のパリ モンパルナス駅 ここからフランスの新幹線TGVが発着します |
フランス新幹線TGV 掃除が行き届かす非常に汚れています。 | フランスの車窓 延々とこんな風景が続きます。山が見えません。フランスは農業国というイメージがわいてきました。? |
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バイヨンヌでサジャンピエドポー行きの電車を待っています。2時間待ちです。 | |||||
サン・ジャン・ピエドボー駅 | 宿泊したホテル「カモウ」の窓からの景色 | ||||
サン・ジャン・ピエドボーの中心街 先の左側に巡礼事務所があります。 | サン・ジャン・ピエドボーの中心部を流れる川 | ||||
今日の夕食 少し高かったが美味しかった。 | レストランの風景 | ||||
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9月5日(木) 第3日目 − 巡礼1日目 サンジャンピエドボー 〜 ロンゼスバージェス |
出発時刻 | 到着時刻 | 道中時間 | 歩行距離/km | 平均時速/km(歩行時間のみで計算) | 宿泊施設 A アルベルゲ H ホテル |
宿泊料金 ユーロ |
夕食場所 R レストラン B バール A アルベルゲ |
夕食料金 ユーロ |
6:15 | 17:25 | 10:30 | 25 | 3.05 | A | 6 | R | 9 |
さあ、いよいよサンチアゴデコンポステーラを目指して出発の日です。5時半頃に起床して6時15分にホテルを出発。朝食は、途中のバールででも食べようかと思っていましたが、朝早いの何処もまだ開いてていません。途中にパン屋さんが開いていたので、朝用と昼用のパンを購入しました。 今日の目的地は、当初はブルゲーテを目指していましたが、最終的には一つ手前のロンゼスバージェスになりました。とにかく、最初の日から最も厳しいコースとなりました。(最初から判っていたことですが。)距離が25qで標高差が1400メートルでサンチアアゴデコンポステーラまでの最大の難関です。最初から極めて厳しい洗礼でした。最初の日から、荷物の重さを実感させられてしまいました。重量はたぶん23sくらいになっていたと思います。重すぎると言うことは最初から判っていましたが、何とかなるであろうなどと考えが甘かったと思います。しかし、とにかく頑張ろうという気持ちが一杯でした。 道は、最初の方は舗装された道路を歩きました。それも殆ど登りばかり。勾配はそれほどきつくなくても、登りばかりであると疲れ果てます。途中どんどん欧米人に追い越されます。とにかく、彼らは足が速い。さらに、僕より遙かに軽装備。僕の格好を見て驚嘆の目で見られていました。最初は、追い越されて悔しかったですが、それどころではなく、とにかくゆっくりでも一歩一歩、歩かなければ仕方のないことでした。幸い気候が非常に良く、暑いのは暑いのですが、清涼剤のような心地よい風が吹いてくれて非常に気持ちよく、その分、折れそうな心を支えてくれた感じです。汗はかいてもすぐ乾きます。その代わり、水はガンガン飲みました。幸い、水の補給は、ところどころに水道があり、そこで補給できます。その辺は、さすが千年の歴史を持つ道だけあって完備されていました。 今忘れることが出来ないのは、途中で飲んだ水、昼食時に飲んだジュースの味、何と美味しかったことか。味のない水でも本当に美味しいと感じる。ジュースの酸味が、乾いた喉、疲れた喉に何としみることか。そして、飲んでいるところの回りの風景。何とも言えない疲れてはいるものの至福を感じるときでした。 アップアップしながらも、17時25分にロンゼスバージェスに到着。しばらく休憩してからアルベルゲ探しを始めました。アルベルゲなど利用するのは全く初めてだし、どうして宿泊を頼めばよいのかも判らない。ガイド本を見てら、教会の事務所へ行くとかいてあったものの、その事務所が判らない。そして、最初そうだと思って行ったのがツアーインフォメーションでした。そこでやっと足ががりを見つけ教会へ行きました。ところが、どのように申請していいかわからないので、守衛みたいな人に聞いたら教えてくれたが、受付へ行ったら最初は断られた。そして、巡礼者手帳を見せたら初めて受け付けてくれました。これで、今後のノウハウが出来ました。そこで、売っていた巡礼者用のシェルも買いました。これも何処に売っているのかも最初は判らなかったのです。 実際の宿泊場所に行ってみてびっくりしたのが、写真のような二段ベッドで男女混合。そして、何と僕のベッドは、上段で隣は、若い女性なのです。それも、ベッドとベッドの間隔はなく、ひっついています。こんなことに慣れない僕は、どうして良いから判らなくなりました。しかし、外人女性は、こんなことに慣れているのかさっぱりしたもの。まあ、最終的に何とかなるやろと言う気持ちで意識しないことにしました。巡礼が終わる頃には、全くの慣れっこになっていました。完全に順応できました。 さすがにトイレ、シャワーは別でしたが、アルベルゲによっては一緒の所もありました。シャワーを浴びるときも大変。貴重品を全部持って行きました。しかし、これも取り越し苦労で、幸いであったかもしれませんが、全道中を通して、最終的には盗難という心配は完全になくなっていました。まあ、開けっぴろげにはしませんでしたが、ある程度は、心配いりませんでした。宗教上のことで歩いている人たちなので、神の教えに反するようなことをする人はあまりいないということだと思われます。 しかし、あれだけの人が歩いているのですから、全く悪意の人はゼロではないと思いますが、ゼロに近いと思います。 シャワーを浴びてから夕食に行きましが、近くのレストランで巡礼者食を食べました。所謂巡礼者向けの定食といったところです。それを、スペインでは「メニュー」といっていました。ワイン飲み放題で前菜(パスタ、スープ、サラダなどからチョイス)、メインディッシュ(牛肉、豚肉、魚などからチョイス)、パン、デザートが付いています。以降も、ほとんどがこのパターンでした。値段は、だいたい10ユーロというのが相場のようでした。この日食べたのは、魚料理にスープでしたが、まずまずの味でした。10ユーロというのは、高いと言うほどのこともないように思います。ワインが飲み放題です。しかし、酒が弱い僕には、飲み放題は関係ありません。(笑) そんなことで、疲れ切った1日でしたが、四苦八苦しながらも最初の日を無事終えました。 休憩中 牧歌的な風景を背景に写真を撮って貰いました。 |
朝焼けの中を歩いています。清々しいです。 | |||||||||||||||||||||||
オリソンまで後5q | 牧歌的な風景が広がります。ここはまだフランスです。 | ||||||||||||||||||||||
天気が良く最高のコンディションです。しかし、しんどい。 | オリソン到着 ここで泊まる人もいます。 | ||||||||||||||||||||||
行けども行けどもこんな道が広がります。 | 車に誘導された牛が道路を歩いて行きます。牛が横を通り過ぎたと時、牛のよだれがかかりそうになりました。 | ||||||||||||||||||||||
右に行くと今日も目的地のロンゼスバージェスですが、まだまだです。 | 岩の上の聖母マリア像 この場所で昼食をとりました。 |
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ピレネー山脈越え疲れます。荷物が重過ぎる。 欧米人の足は速くどんどん追い越されました。 |
出発から15q地点にある十字架 | ||||||||||||||||||||||
ところどころに、このような水飲み場があります。 | フランスとスペインの国境か? | ||||||||||||||||||||||
今日の夕食 鱒料理 | ワインは飲み放題です。 | ||||||||||||||||||||||
ロンゼスバージェスの教会直営のアルベルゲ | アルベルゲの内部。男女雑魚寝状態です。 何と僕は2段ベッドの上で隣は若い女性。気を遣います。 |
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9月6日(金) 第4日目 − 巡礼2日目 ロンゼスバージェス 〜 スビリ | |||||||||||||||||||||||
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7時23分にロンゼスバージェスを出発しました。まだ、暗かったです。朝食用の食料を持っていなかったので、朝食抜きで出発。森の中のような道を45分歩いたところにスーパーがありましたので、食料を買い出ししました。そのそばに公園があり、そこで購入したパンで朝食としました。1時間ほど休憩してから出発。 しばらく歩くとブルゲーテに到着。ブルゲーテには、小説家のヘミングウェイが定宿とした「オスタル ブルゲーテ」がありました。当初の予定では、ここに泊まるつもりでしたが、ここまでの距離はかなりあり、ロンゼスバージェスに宿泊したのは正解でした。ここで少し道を間違えたようです。明瞭な地図を持たないため、前を歩く人についていくというような歩き方をしましたので、前の人が間違うと万事休すです。ここでもそうでした。ブルゲーテの町を通り抜けてまっすぐに前の人の後を付いていきました。ガイド本では、草原に出ると書いてあったのですが、いくら歩いても自動車道の連続です。あまり交通量が多くないですが、たまに通る自動車は結構スピードを出しており少し怖かったです。行けども行けどもアスファルト道路です。しかし、全く違う方向に行っていたわけではなく、途中からサンチアゴデコンポステーラに行くための標識が見え始めたので安心しました。 しかし、本道をはずれているので、人はほとんど歩いていません。不安でしたが、標識があるのでそのまま歩き続けました。 ある程度歩いたところで、交差する道の向こう側からリュックを担いだ人が見えてきて、やっと本道に合流したと感じました。 話がそれますが、昨日朝歩き始めてから、多くの人の流れと同じように歩いていましたが、巡礼者同士の挨拶があることが判りました。「オラ」「ブエン カミーノ」などの挨拶を交わしています。僕は、最初何のことか判らず、「ブエン カミーノ」と言われても黙っていましたが、お節介か親切な人かどうか判らないのですが、何やら英語で「ブエン カミーノ」と言えって言ってるように思いましたが、英語が聞き取れない僕は「I don't know. I don't understand.」などと返していました。よくよく考えてみると何らかの挨拶だということが判りました。「オラ」は「やあ」というスペイン語で、「ブエン カミーノ」は、これもスペイン語で「よい巡礼を」というニュアンスらしい。これをようやく理解できたので、その後は、誰彼なしに自分から言うことにしました。それを言うことに対して、相手はほとんど「ブエン カミーノ」と返してくれます。巡礼者同士の挨拶ですが、地元の人も巡礼者と判ると「ブエン カミーノ」と言ってくれる人もいました。しかし、最初意味の分からなかった僕は、地元の人にも「ブエン カミーノ」言っていました。地元の人は、多少違和感を持ったと思います。(笑) しかし、挨拶であり、どうのこうのというほどのものではありません。 それから、巡礼するものにとって本当に有り難かったことは、標識が非常にしっかりしていることでした。至る所に貝のマークや黄色の矢印が書かれており、それに沿って行けば、まず道に迷うことはありません。ただ、都市部に入ると、それを見分けにくく迷ったことはありましたが、地元の人に聞けば、言葉が通じなくても、こちらが巡礼者の格好をしていれば(巡礼者の証の貝(右の写真)を付けている。)、即座に教えてくれます。ただ、紛らわしかったのは、アルベルゲが自分のところに誘導するために、違う方向に矢印がついていることもあったということです。(何回も迷いました。)しかし、それも大きく外れることはありませんでした。 話を元に戻しますが、昼食を食べてから再び歩き出しましたが、ここからが非常に厳しいものとなりました。それまでは、あまりアップダウンはなかったのですが、そこから、急にアップが多くなりました。前日ほどでもなかったですが、結構こたえました。まあ、フウフウ言いながらも16時20分頃に目的地のスビリに到着しました。 例によってアルベルゲを探しましたが、詳しいアルベルゲのガイドを持っていない僕は、何処に入っていいか判らず、メイン通りに面したアルベルゲを選びました。後で考えると、結構高い民営アルベルゲでした。朝食付きですが、16ユーロもしました。一般的には、民営でも10ユーロが相場です。しかし、その時は何も判らないので、疲れていることもあって、とにかく、そのアルベルゲに決めました。結構設備は良かったように思います。 夕食も、そのアルベルゲでしました。12ユーロで味はまずまずであったと思います。定食メニューで、前菜、メインディッシュ、サラダ、パン、ワイン、デザートが付いていました。 大勢で、食堂で食べるので、隣の人や前の人など、言葉が分からないにしても、拙い英語で自己紹介などをして、そこそこコミュニケーションをとることが出来ました。気が小さく、照れ屋の僕にとっては上出来といったところです。 アルベルゲでちょっとしたハプニングがありました。小銭入れを落としたのです。しかし、すぐに同じ巡礼者の人が、僕を見つけて小銭入れを渡してくれました。有り難いことです。 そんなことで、今日もしんどかったけれど無事に1日が終わりました。 ブルゲーテにあるヘミングウェイの定宿「オスタル ブルゲーテ」 |
ブルゲーテの街並み | ブルゲーテを歩く巡礼者 僕は道が判らないのでこの後を追った。 | ||||||||||||||||||||||
どうやら道を間違たようだ。 | 車がほとんど走っていない道路 ひっそりと静まりかえっている | ||||||||||||||||||||||
昼食をとった場所 場所名記録していない | スビリに到着 | ||||||||||||||||||||||
宿泊したアルベルゲ | 今日の夕食 メインディッシュ 魚料理 | ||||||||||||||||||||||
サンフランシスコ在住のギャル(笑) | アメリカ在住の台湾人のおばさんとツーショット | ||||||||||||||||||||||
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9月7日(土) 第5日目 − 巡礼3日目 スビリ 〜 パンプローナ | |||||||||||||||||||||||
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7時40分にアルベルゲを出発。今日の予定は、パンプローナの手前のトリニダットアレまでです。しかし、その辺は臨機応変に宿泊場所を決めるつもりでした。出発時は、天気が心配され写真のようにどんより曇っていました。 最初は、アスファルト道路の道を歩きましたが、それほど特徴的な景色に出くわすことはありませんでした。(特徴が無かった場合は、今こうして旅行記を書いていますが、3ヶ月も経過してからのことであり明確な記憶が無く写真頼りになってしまいます。断片的には、思い出すのですが、それがいつのことだったか非常に曖昧です。)今日のコースは、それほどアップダウンはなかったように思います。その分、ラクに歩けました。しかし、荷物が重いという意識は消えることはありません。実際に重いのですから。しかし、この時点では、意地でも最後まで、このまま歩き通してみせるぞという意気込みでした。(当然ですね。3日目でまだまだ元気でしたから。) 途中で一人でボソボソと怪我しているらしく左手を包帯でつりながら歩く外人の老人に遇いいましたが、今まで歩いていて初めて追い越しました。荷物は何も持っていません。怪我してまでも歩いているのは余程の宗教心の強い人であるのは間違いありません。かなりのお歳のようですが、全くの単独でした。大丈夫かなと心配しましたが、ゆっくり確実に歩いているようなので「ブエン カミーノ」と言って追い越しました。後で判ったのですが、荷物がないのは、アルベルゲからアルベルゲに宅配便のように荷物を先送りしているようでした。その後も、サンチアゴデコンポステーラに着くまで何人もの老人を見かけましたが、殆どの人が軽装でした。若人にも軽装の人がいましたが、その人たちは、殆ど重い荷物は、宅配便で先送りしていると思われました。まあ、そんなことで一人追い越したことについては、手負いの老人であり、優越感を感じるものではありませんが、多少ホッとした面もありました。(何せ、これまでことごとく追い越されていたので。) 昼食は、村の中のバールの前で食べました。昼食と言っても、パンとジュースとフルーツくらい。以降も昼食時にはバールには殆ど入りませんでした。この日もバールは混み合っており、気の弱さも手伝い、そして、言葉の壁もあるので、手持ちのもので過ごしました。それにしても、欧米人は、昼食時にビールを飲んでいる人もいます。酒の弱い僕など、ビールを飲もうものなら、荷物は重いし、その日は歩けなくなってしまいます。余程欧米人は、酒が強いのだと思います。(かなり後の方で判ったことですが、全く飲まない外人もいました。たぶん、宗教的なことからであったかもしれません。) 今日泊まることを考えていたトリニダットアレには、比較的早く着きました。予定通りにここで泊まろうかと思いましたが、また、アルベルゲが何処にあるかも判らないので、通り越してパンプローナまで行くことにしました。パンプローナは、この巡礼の道の中では大都市です。トリニダットアレもそこそこの町でした。そこに入ってから、歩く道は都市の中を歩いている感じで、今までのような田舎道ではありませんでした。 14時45分くらいにパンプローナに到着しました。看板がかかっていた旧市街に入る前の城壁のところにアルベルゲの看板があったので、そこにいきましたが、すでにコンプリート(満員のことをスペイン語でコンプリートというらしい。)とのことで、やれやれと思ったのもつかの間で、またアルベルゲ探しになりました。幸い、そこにいた事務員が、別のアルベルゲを教えてくれました。そこへ行きましたが、空いていましたので、そこに泊まることにしました。18ユーロと非常に高かったのですが、重い荷物を背負って別のアルベルゲを探すのは面倒だし、大都会だから仕方ないかとのことで決めました。 そのアルベルゲは、旧市街の城壁の門をくぐってすぐのところにありましたが、比較的新しく、そして、ベッドも新しいのです。ベッドと言っても全く日本にあるカプセルホテルなのです。ビックリしました。しかし、雑魚寝のベッドよりプライバシーが保たれ気を遣うこともありませんので、値段が高い分、納得しました。 こちらへ来て初めて洗濯をしました。洗濯機と乾燥機があり簡単にできました。(もちろんコイン式で有料。) 洗濯が終わった後、夕食に出かけました。パンプローナは大都会なので、いくらでもバールやレストランがありますが、例によって何処に入っていいか判りません。あっちうろうろ、こっちうろうろしましたが、結局空いていたバールに入り、生ビールとつまみを三品ほど注文し、それを夕食としました。結構美味しかったです。記念にウインドウに飾ってある(飾りではなく本物)写真を撮ろうとしたところ、そばにいたアベックが、お前の写真を撮ってやろうと申し出てくれました。非常にフレンドリーです。喜んでシャッターを押して貰いました。そして、ここぞとばかり美女狩りが如く(笑)、女性と2ショットの写真を撮ってもらいました。それをリクエストしても、非常にフレンドリーな人たちで、気良くOKしてくれました。 町の中は、時間も遅いにも関わらず大勢の人で賑わっていました。帰りにスイーツを買って帰りましたが、アルベルゲに戻ってから食べたものの、甘すぎて美味しくなかったです。 3日目も何の問題もなく終わりました。(それまでのレポートは、逐一時間のあるときにFACEBOOKに上げていました。) トリニダットデアレイの町に入る前の橋の上で1ショット いかにもリュックが重そう、そして後ろのリュックのバランスが悪い。 |
どんより曇っていて、最初はこんな道ばかり | やっと村が見えました。 | ||||
背景に遠くに見える村を入れたつもりですが、入っていませんでした。なかなか良いロケーションだったですが残念。雨が降りそうです。 | 途中こんな小川が流れていました。 | ||||
再びアスファルト道路 | ここで地べたに座って昼食をとりました。 | ||||
遠くに町が見えました。何だかホッとする風景です。 | トリニダットアレの町の中。紛れもなくここは日本ではありません。 | ||||
都市部には、こんなカミーノの標識が出ています。 | 写真は見にくいですが、信号の横にカミーノの標識が出ています。 | ||||
トリニダットアレの町を抜けてしばらくすると遠くにパンプローナの城が見えてきました。 | 本日のアルベルゲ 朝食付きで18ユーロで高い。旧市街の入口にあり場所的には便利。設備は新しくカプセルホテル型式。 | ||||
バールでの夕食。つまみもビールも美味しかった!! | バールの内部。左側は、たぶんカミーノを目指す日本人の一行。 | ||||
右側の写真のお嬢さんが撮ってくれました。 | 恋人同士? 非常にフレンドリーでした。 右のお嬢さんとの2ショットは、FACEBOOKにアップしています。 |
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パンプローナの旧市街の広場 | パンプローナ旧市街中心部の繁華街。午後8時間でもあかるく、土曜日ということもあり凄く賑わっています。 | ||||
旧市街の城壁から郊外を見渡す | 夕食のあと、ケーキを買って帰りましたが、結構粉っぽく 甘過ぎて美味しいとは言えません。やはりケーキは日本のセミスイートが美味しい。 |
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