9月28日(土) 第26日目 − 巡礼24日目 ラバナル 〜 モリナセカ | ||||||||||||||||||||||||||||
少し、話が本筋を外れますが、この巡礼道では、日本人とはたったの4人しか会っていませんが、韓国人とはたくさん会いました。やはり韓国は、キリスト教が多いので必然的に巡礼者も多いと考えられます。しかし、昨今世界のあちこちに顔を出している中国人は、一人も見かけませんでした。歩いている人はいたかもしれないですが、中国語とおぼしき会話は聞いていないのでたぶん誰も来ていなかったと思います。そんなことで、韓国人が多いので、現地の人たちは、東洋人とおぼしき人は、すべて韓国人と思っているような節があり、僕が歩いていていたら、「アンニョンハセヨ」と何回も声をかけられました。好きでない韓国人に間違えられるのは心外でした。そんなことで、多くの韓国人を見かけましたが、殆ど話しかけず、1回だけ話したのは、オルニージョスのレストランで前に座っていた男性の学生だけでした。 雨は降り続き、やっと雨が上がったのは、鉄の十字架に着いた頃でした。そこにたどり着くまでは、結構登り坂で勾配も強く、道も途中までは舗装された道路を歩きましたが、山の中へ入っていくと狭い道で足場も悪く、歩くのに苦労しました。 さらに、雨の中なので休憩することも出来ず鉄の十字架まで2時間ぶっ通しで歩きました。普通なら、2時間も連続で歩けないのですが、雨なのでペースがゆっくりで気温が低いので、歩いていてちょうど良い体温が保てたのが幸いしたのかもしれません。防寒対策として、少し厚着をしましたが、途中では少し暑いくらいになってきました。 イラゴ峠に行くまでにフォンセバドン村に入りましたが、ここで休憩しようと思ったのですが、適当な場所がないため、辛抱して通り過ぎることにしました。 9時25分頃に鉄の十字架の場所に到着しました。ここで、少し休憩。雨も上がって、体もかなり暑くなってきましたので、1枚服を脱ぎました。脱いでしばらくしたら、また体が冷えてきたので、すぐに出発しました。 イラゴ峠のピークは何処か判りませんでしたが、知らぬ間に越えていたようです。今日の道は山の中の道ばかりです。こんな山の中を歩くのは、初日のピレネー山脈越え以来です。ピレネー山脈越えのときほど、周囲は広々としていませんので、日本の山の中を歩いている感じでした。 途中12時過ぎくらいにトイレ休憩すると共に昼食もしました。この時の、美味しいオレンジを食べました。疲れたときには、あのオレンジの甘酸っぱさが最高です。 道は、ほぼ自動車道と並行しており、僕は巡礼者道を歩いていましたが、自動車道を歩いている人もいました。もちろん、自動車道路の方が歩きやすいのですが、あえて巡礼者道を歩きました。かなり道は悪く、注意しないと転倒する可能性もありました。幸い、この巡礼道を歩くについて最初から最後まで転倒したのは一度もありませんでした。悪い道になると独り言で「気を付けな、こけるぞー」言いながら歩いていました。 イラゴ峠を越えて次のアセボ村に行くまでは、ほとんどきつい下り坂ばかりでした。僕は、もともと膝に古傷を抱えているので下り坂は苦手です。しかし、この日までに500q以上歩いてきたので、かなり鍛えられたかもしれません。いつもほど苦労はしませんでした。60歳を過ぎても鍛えれば強くなるのだと自信を持ちました。 アセボ村に着いても休憩せずにそのまま抜けました。それ以降は、ほとんどが自動車道路でした。今日の宿泊予定地であるアンブロス村の手前で巡礼道に入り13時20分にアンブロス村に到着。一番手前にアルベルゲがありましたので、そこに泊まろうと思いましたが、まだオープンしていませんでした。しばらく待つとアルベルゲの人が来ましたが、何だか無愛想で直感的に、これは止めておいた方がいいと思い時間も早かったので次のモリナセカまで行くことにしました。 ここからが、急なごつごつした岩だらけの巡礼道で、ひとつ間違ったら転ぶ可能性大でした。アンブロス村を少し過ぎたところは、筋状の岩の硬い地面で本当に滑りやすく、その部分を過ぎてしばらくすると、やっと一人が歩くだけの細い急な下り坂が続きました。とにかく、下りの連続です。これには少し参りました。仮に、アンブロス村に泊まり、翌日暗いうちに出発したとしたら、暗いし道は最悪で大変なことになっていたかもしれません。結果論ですが、次のモリナセカに行って良かったと言うことです。 14時35分頃にモリナセカへ到着。また、アルベルゲ探しの開始です。街の中心部では、見つけることが出来なくて、街の繁華街を抜けて、ずっと先まで歩いて行きました。ぼくの前には、夫婦連れの巡礼者が歩いていましたので、その人たちに付いていきました。すると、その人たちはアルベルゲではなくホテルに入ってしまいました。まさか、ホテルに泊まろうとは思いません。途中標識があったので、それを目印に行くと綺麗なアルベルゲの建物が見えましたので、そこに入りました。 結構巡礼者は来ていたみたいで、安い部屋は満員。仕方ないので高い部屋にしました。安い部屋は二段ベッドで高い部屋は一段ベッドでした。結局、一段ベッドの高い部屋で良かったと思います。 このモリナセカのアルベルゲでは、不思議な縁というものを感じることがありました。ここのオーナーであるアルフレッドさんが、日本の四国八十八カ所の巡礼に行ったことがあり、僕が知っている巡礼者宿に泊まったことがあるとのことでした。その巡礼者宿には僕も泊まったことがあり、ロングステイクラブ四国の八田会員に連絡を取ったらアルフレッドさんを知っているとのことでした。この縁に僕は嬉しくなりましたし、アルフレッドさんも喜んでいました。意気投合して、アルフレッドさんは、僕にビールを2杯もおごってくれました。本当に縁を感じます。もし、手前のアンブロスに泊まっていたなら、この出会いはなかったのです。やはり縁があったのです。不思議ですね。 夕食は、アルベルゲでしましたが、下の写真のとおりですが、スペイン人男性とブラジル人女性の僕を合わせて6人で片言の英語で楽しく会話(会話などと偉そうなことを言えるほどのものではない。)し、国際交流を果たしました。 今日は印象的なこともあり、楽しく無事一日を終えました。感謝感謝です。 **この巡礼道の前半は、メセタの大地など印象的な雄大な景色でしたが、ここへ来て山の中。結構変化がありますので、記憶が鮮明に残っています。前半は、同じような場所が多く、変化はあまりないような気がして、鮮明な記憶は忘れがちです。 ただ、時間的な問題で古いものから忘れていっているということもあるかもしれませんが。 モリナセカのアルベルゲでの楽しい夕食風景 男性はスペイン人 女性はブラジル人です |
峠が間近になってきたところで通過したフォンセバドン村 | ||||||||||||||
フォンセバドン村を通過しても登りが続きます | 途中にあった教会跡 | |||||||||||||
眼下に通過したフォンセバドン村が見えています | イラゴ峠近くになってきて鉄の十字架が見えてきた | |||||||||||||
鉄の十字架に到着 十字架塔の周りの石ころは巡礼者たちが置いていったものが積み上がったもの | ||||||||||||||
鉄の十字架を過ぎると自動車道と並行する | 山また山の道を歩く(今までとは好対照) | |||||||||||||
彼方にテレビ塔が見えてくる | 巡礼路のところどころに十字架が立っている | |||||||||||||
今は廃村になっているマンハリン村に近づく | マンハリン村唯一のアルベルゲ 人と家畜だけがいるという感じ | |||||||||||||
この場所で昼食を食べた | テレビ塔まであと僅か | |||||||||||||
雲海が見えます | ごつごつした石がむき出しで歩きにくい | |||||||||||||
モリナセカの街が見えてきました | 橋を渡ればモリナセカの街 | |||||||||||||
今日のアルベルゲ サンタマリナ | アルベルゲの部屋 高い方の部屋です | |||||||||||||
モリナセカトと四国の香川県歌津町が取り持つ不思議な縁 現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章)スマホで発信 ここのアルベルゲで縁というものを感じざるを得ない嬉しいことがありました。ここの支配人のアルフレッドさんのことです。この方は、四国八十ハカ所を巡礼されており、LSC仲間である八田さんがお住まいの四国の歌津町と交流関係にあり、同氏が歌津町を訪問された時に記念の石碑も設けられています。僕も歌津町を訪問した際に、この石碑前で写真を撮っております。そんなことでアルフレッドさんと意気投合しました。世界は広いけど何と言う縁なのでしょうか。僕も嬉しかったし、アルフレッドさんも喜んでいました。スペイン巡礼と四国巡礼。基本的には考え方は同じなのです。他愛のないことかもしれませんが、異国の地で、こんなに出会いがあるなんて不思議です。 |
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アルベルゲのオーナー アルフレッドさんと意気投合。彼はご機嫌でビールを2杯もご馳走してくれました。 | ||||||||||||||
アルフレッドさんが歌津町訪問の際に建てられた石碑のレプリカ | アルフレッドさんが、四国八十八カ所を歩かれたときの記念手ぬぐいが飾られていました | |||||||||||||
アルフレッドさんの痕跡 2010年11月10日に香川県歌津町を訪問されています。善根宿「うたんぐら」(巡礼者用の民宿、スペインで言うアルベルゲ)の前に記念の下写真の石碑が建てられています。右の写真は、僕がここを2013年4月13日に訪問時に撮影 |
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現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章)スマホで発信 今日の夕食 スペインの人達と一緒に楽しい食事でした。食事は豆のスープ、サラダ、スパゲティー、デザート、パン、ワインでどれもいつになく美味しかったです。スペイン語でブエノブエノと言います。イタリア語と似ています。
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9月29日(日) 第27日目 − 巡礼25日目 モリナセカ 〜 カカベロス | ||||||||||||||||||||||||||||
1時間ほど歩いてカンポ村を過ぎると遠くにポンフェラーダの街が見えてきました。そして、ポンフェラーダに入るところのマスカロン橋で1回目の休憩をとりました。 その後、ポンフェラーダの街を少しだけ観光しましたが、重い荷物を担いでいるので、隅々まで観光したわけではなく、主なところを見ただけです。見ただけというか、事前に何も調べていないので、何処を見たいとか、何処に有名な建物があるとかなど全然判っていないので、ただ、ここは有名なところなんだろうなという程度の観光です。厳密に考えれば、せっかく来ているのに非常にもったいない話です。(今度また来るとすれば、この道の全容は判っているので、もっと下調べをして観光にも目を向けることが出来ると思います。しかし、再び訪れるということは何とも言えません。) そんなことで観光は適当に済ませ先へ進むことにしました。ポンフェラーダは結構大きな街で、抜けるのに多少時間はかかりました。街を抜けても、近郊の街や村が続き、今まで歩いてきた途中に家も何もない道とはかなり趣が違いました。 特徴的だったのは、小さな街や村を通り過ぎていったわけですが、必ず街や村の入り口に村内や町内の地図看板がありました。その写真を撮っておけば良かったのですが、全く撮っていません。たぶん、その看板は、県の方針でそうしているのではないかと思います。(今までの道では、そういう看板はありませんでした。) 昼食は、11時40分頃、小さな街の道路から少し入ったところの公園のベンチで食べました。誰もいない公園で貸し切り状態でした。 昼食については、ほとんど事前に買っておいたパンや飲み物、フルーツで済ませました。昼食でバールに入ったのは、全体を通じて1回だけ。あと1回は、ラバナルのアルベルゲでのバールで食べただけです。 カカベロスの街に近づいてきたあたりでは、ブドウ畑を横に見て歩いていました。この間で、何回も雨が降ったりやんだりで、不思議なくらいそれを繰り返しました。雨が上がったら快晴になるのです。夕立というのではなく、あれを何と言うのでしょう。何回か雨具の脱着を行いました。 13時頃にカカベロスの街に到着。そして、いつもの通りアルベルゲ探しです。前に歩いている人の後を付けましたが(毎日こんなパターンで情けなく思いますが、判らないから仕方ありません。)、途中で見失いました。それからは、街の賑やかな部分を通り過ぎて、どんどん進んで行きました。街を抜けてしまうかなと思った川の先にアルベルゲの看板が見えましたので、やれやれです。ここに決めました。下の写真です。教会の中にあります。教会が運営しているのかどうか判りませんが、いずれにせよ教会の敷地にあります。中に入ってびっくりしました。物置小屋が並んでいるような感じでした。下の写真にあるように、部屋は、二人部屋で一段ベッドが並べて置いてあるだけ。まあ、本当に物置小屋にベッドを二つ並べただけと言っても過言ではありません。しかし、僕にとっては、雨露がしのげて寝ることさえ出来たらいいと思っているので、一向に気になりません。隣のベッドは、もちろん男性でした。ほとんどその男性は、部屋にいなかったので話はしませんでした。少なくとも、あんな部屋で、いくら何でも女性と同部屋になることはないと思います。今まで大部屋では、男女混合でしたが、二人部屋では、男女同部屋というようなアバウトなことは考えられません。(確認したわけではありませんから、どうか判りませんが。) 開けっぴろげなことと言えば、何処の国の若い女性かしらないけれど、シャワー室が別にありましたが、そのシャワー室からバスタオル1枚だけ巻いて、堂々と外に出てきていました。あんなこと、外人はへっちゃらみたいです。びっくりしましたが、よく考えてみると、海水浴でビキニのお嬢さんを見かけますが、あれが水着ではなく、下着のブラジャーとパンツだけだったら、違和感を感じると思います。しかし、よくよく考えてみると、水着と下着は色が違うだけで、露出している部分は同じなのです。そんな間隔からすれば、バスタオルだけの女性も露出度から言えばビキニよりましです。それをどうのこうのと言うのがおかしいのかもしれませんが、とにかくバスタオル1枚の若いお嬢さんに驚きました。何だか、巡礼の道のことを書いているのに、変な方向に脱線してしまいました。 アルベルゲ到着が13時半頃でしたので時間はたっぷりありました。洗濯をしましたが、日が照ったり曇ったりで、満足に乾きませんでしたが、下着は何とか乾いたと思います。靴下は、湿っていましたので、仕方ないので翌日は、リュックの中に入れました。(翌日に乾かすつもりで。) 夕食は、アルベルゲの斡旋で、郊外のレストランに行きました。自動車で送り迎えをしてもらいましたが、乗り物に乗るのは、25日ぶりのことでした。こんなに長い時間乗り物に乗らないのは、中学生の時以来ではないかな?車で10分くらいの郊外のレストランでした。他にアルベルゲから一緒に2人ほど行きましたが、そのうちの一人が、昨日モリナセカのアルベルゲで一緒に夕食をしたブラジル人のうちの一人でした。もう一人は、南アフリカ人の少し取っつき悪そうなおばさんでした。(まあ、普通に話しましたが、少しプライドが高そうでした。) 今日も無事、何事もハプニングはなく終わりました。 有り難や、有り難や!! カカベロスの今日泊まった教会の中にあるアルベルゲ |
ポンフェラーダの街が見えてきました | マスカロン橋 この橋を渡ればポンフェラーダ | ||||
ポンフェラーダ テンプル騎士団の城 | ポンフェラーダ 正面に見えるのはサンアンドレス教会 | ||||
ポンフェラーダ マヨール広場にある市庁舎 | ポンフェラーダ ロッホ通りにある時計塔 | ||||
ポンフェラーダ マヨール広場の友人と一緒にツーショット | ポンフェラーダ シル川の向こうに新市街が広がる | ||||
ポンフェラーダ 鉄の橋(Pons Ferrata)から見る旧市街 | 今日はこんな道を歩くことが多かった | ||||
今日の夕食 アルベルゲの斡旋で郊外にあるレストランに行って食べました。左はスープですが、右は何の料理かわすれました。(あまり印象に残っていないので特に美味しくなかったと思います。) | |||||
現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章)スマホで発信 13時30分頃に目的地のカカベロスに到着。途中ポンフェラーダで少しだけ観光しました。アップダウンがあまりなく楽でしたが、雨が降ったりやんだり、また陽がさしたり変な天気でした。写真はアルベルゲですが、教会の中にあり 、部屋も物置小屋を並べた1段ベッドの二人部屋です。 |
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9月30日(月) 第28日目 − 巡礼26日目 カカベロス 〜 バルカルセ | ||||||||||||||||||||||||||||
アリーバ村を過ぎて、しばらく山道を歩きましたが、9時40分くらいに次のビヨルソの街に到着しました。そして、ビヨルソの街を抜ける橋の上で休憩しました。そこまでは、順調でした。しかし、そこからが大変でした。橋を渡ったところが分岐になっており、右にも左にも黄色の矢印が付いていました。どちらでもOKということだと解釈。(解釈通りで間違いなかった。)左に行くと自動車道を歩くことになりそうなので、自然の多いそうな山の方の右をとりました。これが、不安と疲労を味わうことになった選択でした。結果論としては、どちらの道を選んでも間違いではなく正しかったのですが、何と言いますか、何が起こるか判らない人生というものを感じさせられました。まあ、左の道を歩いておれば、下の写真の可愛いお嬢さんとは会わなかったと思いますが。(笑) そんなことで右側の山道を歩くことになったのですが、とにかくひどい急坂で、本当にしんどかったです。途中何回も休憩しました。そして、殆ど巡礼者は通りません。この道を歩いて、会ったのは、下のお嬢さんと、後男性3人くらいでした。しかし、例によって、僕よりみんな足が速いので先に行ってしまいます。さらに、不安だったのは、ガイド本にこの道は載っていないのです。道が合っているのか間違っているのかさえ判らない状態になってきました。しかし、かなり急な登りを歩いてきているので、今さら引き返すわけにはいかないので、不安だらけで歩いていました。下の写真のお嬢さんたちも僕より後から来て、追い越していきました。僕が、しんどそうな顔をして休憩していると皆心配そうに「Are you ok?」と声をかけてくれました。もちろん、しんどいけど大丈夫なので「Thank you no broblme.」と言って返しましたが。 とにかく、しんどいし不安だけれど前を向いて歩かなければ仕方ありません。しばらく、歩くと下の写真のお嬢さんが休憩していたので思い切って道を聞くことにしました。自分の持っているガイド本を見せて、この道で正しいかと英語で聞きました。僕の英語はブロークンなのですが、何とか通じました。道は合っていて、この道を歩くと何処に出るかも教えてくれました。彼女たちの国のことも聞きましたが、ドイツ人とのことでした。右のお嬢さんは、モリナセカで一緒の部屋でしたが、向こうも覚えていました。このお嬢さんとは、追い越したり追い越されたりで、その後何回も会いました。 そんなことで、少し安心してその後歩きました。しかし、結構厳しい道でした。ずっと歩いてきたら、小さな村にたどり着きました。その村もガイド本には出ておらず、何と言う村か忘れましたが、着いたらすぐにバールがありましたので、そこで昼食をとることにしました。バールに入ると誰も客がおらず、薄暗いので営業してるのかどうか判りませんでしたが、すぐに無愛想なおばさんが出てきました。サンドイッチとコーラを注文しました。 バールを出て再び歩き始めましたが、標識が全然ないのです。また、道が合っているかどうかも判りません。 まあ、ここもケセラセラで前を向いて歩かなければ仕方ないということで歩きました。急な下りの道があってないような道を降りていきました。自動車道が横にあるので、とんでもないところに出ることはないと思いました。そして、下の方を見ると道路小さく見えているので、とにかく、そこまで降りることにしました。やっとのことで降りたら、その村は何と言う村か判りません。女性の巡礼者とその村で会いましたので、聞きましたが、彼女もあまり判らないようでした。どっちへ行けば良いかも判らないので、行ったり来たりしましたが、何とか方向を定めて歩きました。(その時、うしろから昨日の夕食を一緒にした南アフリカの女性も歩いてきていました。この女性に追い越されることはなかったです。)どんどん歩いていくと、やっとバルカルセという本当に小さな村にたどり着きました。結構疲れていましたので、村の入り口にバールとアルベルゲとホテルを兼用したようなところがありましたので、そこに泊まることにしました。 ここは、アルベルゲ専門ではないので、9ユーロでホテルの部屋のようなところに入りました。そこは、まだ誰も入っておらず僕一人。このまま、誰も来なかったらラッキーという感じでしたが、結局誰も来ず部屋に一人泊まることになりました。(3人部屋でシングルベッド一つと二段ベッドで3人部屋。)ゆっくりマイペースで過ごすことが出来ました。 荷物を整理してから、ここに来る途中にあった、ドライブインに買い物に行きました。そして、翌日の食料を購入。 夕食は、この下のレストランでしましたが、写真の通り。ボリューム満点でした。明日は、最後の難所。セブレイロ峠越えです。英気を養っておかなければならないと思いましたが、なかなか寝付けませんでした。 それから、下の写真の彼女たちは、ホテルの窓から目に入ったのですが、この前を通り過ぎて次の村まで歩いて、その村に泊まるようでした。(判らないですが、それ以上先に行くのは時間的に無理かと思われるので。) 今日は、久しぶりにしんどい日でしたが、アップアップしながらも無事終えることが出来ました。有り難いことです!! 今日のトップ写真は、華やかにドイツのお嬢さんたち。道に迷ったとき地獄に仏のような感じでした。 いつも色気のないトップ写真なので、たまにはお色気があって華やかでいいかな。(笑) 右のお嬢さんとは、前後に2回同じアルベルゲになった。左のお嬢さんは、巡礼終了後にスペインの 最西端である フィステーラで偶然会いました。 |
ブドウ畑が広がる 今日も雨かな? | 出発して1時間くらいの地点 | ||||
何とか雨は降らないで持ちこたえている | アリーバ村に入る | ||||
アリーバ村を過ぎて峠道に入ると日が照ってきた | これからの道は、あちこちにリンゴの木が見られる | ||||
今日はこんな道ばかりと思いきや大間違い!! | ビヨルソの街が見えてきた | ||||
ビオルソの街に入るところ | 古そうな建物で思わずシャッターを切ったが何の建物か確認せず? | ||||
ビヨルソの街並み | ビヨルソを抜けて橋の上で街並みをのぞむ | ||||
右上の写真と反対側のビヨルソの街並み | 分岐があり苦しい方の道を選んでしまった | ||||
とにかく急坂で短時間でこんな高いところまで上がってきた、何だかこの道はガイド本に出ていない | 追いかけても追いつかない!! | ||||
尾根道から見下ろせば雲海が | えらいしんどい道に来たもんだ | ||||
ほとんど巡礼者が通らない道を選んでしまし、小さな小さな村に入ったとき、貸し切りのバールで昼食 | バルカルセのアルベルゲの前に立つ像。何の像か判らないが、巡礼にちなんだものに違いない?? | ||||
アルベルゲのメニュー(定食)右の肉団子はボリューム満点でお腹いっぱいになった。しかし、あまり美味しくなかった | |||||
現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章)スマホで発信 今日はハプニングがありましたが、14時50分に何とか無事にポルテラバルカルセに到着しました。ホスタルとアルベルゲ、レストランを兼ねたところですが、もちろんアルベルゲで宿泊。9ユーロで割高ですが、ホテルの部屋同然で値段の値打ちはあります。今のところ僕一人ですので、以降客が来なかったら部屋を独占できます。そうなれば明日の山場に備えゆっくり出来そうです。客が来ないことを祈るばかりです。 |
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10月1日(火) 第29日目 − 巡礼27日目 バルカルセ 〜 コンデサ | ||||||||||||||||||||||||||||
しばらく歩くとエレリーアスという街に到着。一休みしようかと思っても、雨が降っているので休む場所がないのです。仕方ないので、民家の軒先を借りて休憩。ポンチョをかぶっているので、それを脱いで水を飲んだり、ノートをつけたりしました。とにかく雨が降ってポンチョをかぶっていると色々不自由です。この日は、雨が降っているし、小降りになっても、カメラを出すのが面倒だし、雨に濡らしてしまって故障でもしたら駄目なので、アルベルゲに着くまで1枚の写真も撮っていません。仕方ないのですが、残念です。 エレリーアスの街を後にして、それからが大変な道中となりました。急坂の自動車道路を歩いていき、途中から山の狭い道に入っていきました。とにかく、岩がごつごつした急な登り道で四苦八苦。荷物は重いし、雨は降るし、青息吐息でした。 この間越えたイラゴ峠より遙かにきつく、しんどい道でした。ただ、急な上り坂なので、その分標高を稼ぐので、時間的には結果として長時間歩くということはなかったです。その辺は、距離があって登りが続く初日のピレネー越えの方がきつかったように思います。 かなり登ってきて、小さな村を通過しましたが、再び民家の軒先を借りて休憩しました。あまり、マナー的にはよくないとは思いますが、マナーとか何とか言っている余裕がないと言うのが本音です。しかし、たぶん、家の人が出てきても、家の中に土足で上がっているような感じではないので、そんなに厳しいことは言わないと思います。(巡礼者に対しては、その辺ホスピタリティーはあると思います。) 途中でモリナセカで一緒に食事したブラジル人のおばさんたちと会いました。しばらく並行して歩いていましたが、向こうは何だか余裕綽々で、雨の中を写真を撮りながら歩いていました。たぶん、僕より年上だと思いますが非常に元気です。 かなり登ってきたところで何と言う村か忘れましたが、その村のバールで休憩。この休憩が、今日のアルベルゲに着くまでの最後の休憩でした。 しばらく相変わらず続く上り坂を歩いていたら、いつの間にかセブレイロ峠に着いていました。少し、あっけにとられた感じです。もっともっと歩かなければ峠に着かないと思っていたのでラッキーと言う感じでした。12時くらいの到着でした。 当初ここに泊まろうと考えていましたので、アルベルゲを探しましたが、大きなアルベルゲが見つかったものの、オープンが13時半くらいになっており、時間をつぶすにしろ雨が降っているし、色々思案した結果、ここを通過して次の村にしようと思いました。ほとんどの人が、このセブレイロに泊まるのではないでしょうか。翌日に歩いたとき、ほとんど巡礼者に会うことはなかったから、そう想像できます。 峠を越えてしまっているので、それからの道は多少のアップダウン程度で、そんなにきつい道ではありませんでした。自動車道路ではないですが、非常に幅の広い巡礼道を歩きました。その時、非常に風がきつかったと記憶しています。 それから、一つ目の村に入りましたが、本当に小さな村でアルベルゲらしきものを見つけることが出来ませんでしたので、さらにもう一つ先の村に行くことにしました。そして、13時30分ころコンデサ村に到着。ここに泊まることに決めました。本当に小さな村で、アルベルゲもすぐに見つけることが出来ました。そのアルベルゲは、入り口が判らず裏側にありました。(写真のアルベルゲ)時間が13時半頃でしたので、僕が一番乗りでした。入り口に行ったら誰もいなかったですが、どこかで見ていたのかしれませんが、管理人がすぐにやってきました。(オーナーではなく雇われだと思います。)一番乗りでしたので、最も条件の良いベッドを選びました。(選ぶ条件は、近くに電源があること。人の行き来が出来るだけ少ない場所。次にトイレが近いことなどでした。) 時間がタップリありますので、まずシャワーを浴びて、濡れた雨具などを干したり、それから、昼食を食べていなかったので、手持ちのパンで簡単済ませたりしました。 その後、村を散策。しかし、何もない村でした。バールも一軒だけ。何もないけど、目立ったのは、写真にあるように道路の牛の糞でした。とにかく道路は糞だらけです。糞を避けて歩くのは至難の業です。(笑)この後、あちこちの村を通り抜けていったのですが、とにかく、どの村にも牛の糞の臭いがして、道は糞だらけというの多かったです。(最後の方には慣れましたが。) 夕食は、下の写真のアルベルゲで摂りました。典型的な田舎の村の社交場的バールという感じでした。おじさんたちとお話をしながら一杯やりたいなあという衝動に駆られましたが、やっぱり言葉の障害があり、躊躇してしまいました。たぶん、英語は全く通じないと思われます。おじさんたちは、何だか本当に楽しそうに話していました。 そんなことで今日も1日、上り坂がきつく非常にしんどかったですが、無事終わりました。感謝感謝!!! コンデサ村唯一のバール。ここは、村のおじさんたちの社交場です。一緒に輪に入って飲みたかったですが、躊躇してしまいました。 |
今日のアルベルゲ 入り口は向かって右側にあり、最初何処が入り口か判りませんでした。 | ||
時刻16時53分 雨はすっかり上がりました。向こうに見える道から歩いてきました。 | 時刻19時46分 相変わらず日が暮れるのは非常に遅い | |
今日の夕食 TOP写真のバールで食べたメニュー(巡礼者定食)。左にスープは豆のスープだったと思います。右は、所謂イギリスで言うフィッシュ&チップスというところか。まあ、不味くもなく特別に美味しくもなく程度でした。 | ||
現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章)スマホで発信 田舎のBarと村の道 今日のアルベルゲは、ど田舎にあります。夕食は、村に一軒しかない商店であるBarでしました。村のおじさん達の社交場になっているようです。(TOPの写真) 右の写真は村の道です。黒いものは、汚い話になりますが、うしの糞です。乾いたもの、新鮮な(笑)ものを含め、踏まないで歩くのは至難の技です。乾いたものを踏まざるを得ない状況です。 |
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10月2日(水) 第30日目 − 巡礼28日目 コンデサ 〜 サモス | ||||||||||||||||||||||||||||
いつものように不安だらけでしたが、とにかく前に進むしかありません。こんなシチュエーションで、どんなことを考えならら歩いていたかというと、端的に言って開き直りに近い気持ちで、「まあ、何とかなるやろ。ケセラセラや。」ということで人に頼るわけではないですが、もし、倒れたとしても巡礼道なので誰かが歩いてきて助けてくれるだろうと考えていました。 きつい上り坂でしたが、途中小さな村に入りましたが、誰も人の気配はありません。家の電気もついていません。まだ寝ているのかな? しかし、暗いものの7時半です。いずれにしろ、前を向いて歩いていましたが、前方に4つの小さな動いている光が見えました。びっくりし、ひょっとするとオオカミではないかと一瞬思いましたが、こんなところにオオカミなどいないであろうと言うことで、覚悟を決めました。すると近づいてきたのは犬2匹です。その2匹の犬も、こちらを恐れていたのか、そそくさと僕の横を反対側に逃げていきました。どう猛な犬でなくて良かったと思います。 しばらく上り坂を登りましたが、出発後1時間弱で坂を登り切ってポイオ村に到着しました。この日、歩き出してから初めて人を見、ホッとしました。バールがあったので、朝食は食べてきたものの、パンが美味しそうだったので、いつものカフェラチェとパンを注文し食べました。 しばらく休憩し再び出発しましたが、ずっと自動車道沿いの道を歩きました。後ろ側を振り返ると、下のトップ写真のような何とも幻想的な朝焼けを見ることが出来ました。そして、前を見れば向こう側の山が金色に輝いていました。何と清々しい朝の風景かと気持ちよく歩くことが出来ました。 依然として一人歩きでしたが、一人だけでしたが外人が僕を追い越して行きました。この日は、歩いて巡礼者を見かけたのは、この人を含めてたったの4人だけでした。不思議でしたが、よくよく考えてみると何故そうなったかが判りました。普通の歩き方から考えると、殆どの人の宿泊場所は、セブレイロ峠ではなかったかと思います。それからするとタイミング的に僕の方が一歩先を歩いている感じで、そのタイミングでどんどん歩いていましたから、セブレイロに宿泊した人たちは、僕に追いつけなかったということかもしれません。後にも先にもこれほど他の巡礼者に会わなかったことありません。4人会った人の中の一人が、前々日に道を教えてくれたドイツ人のめがねをかけた方の女性でした。僕が道路沿いの休憩場所で昼食を食べているとき、その前を通り過ぎていきました。そして、サモスのアルベルゲでも、僕より少し後にチェックインしてきました。これは、何かの縁かと思い、声をかけたくなりましたが、やっぱり言葉の問題があり、躊躇してしまいました。まあ、ただそれだけのことですが、この女性とは、翌々日の宿泊地でもアルベルゲは違いますが一緒になりました。 それからもずっと一人歩きでした。途中村を何カ所か通過しましたが、お決まりは、牛の糞の臭いと糞だらけの道でした。 一日全体を通じて曇っていましたが、昼食を食べた後、歩き出してから雨がぽつぽつきました。慌ててポンチョを着ましたが、本降りではありません。しかし、宿泊地のサモスまでポンチョは着たままでした。 昼食後の道は、それほどアップダウンはなく楽な道だったし、雨が降ったりやんだりなので休憩も出来ませんので、ずっと2時間歩き続け14時35分に宿泊地のサモスに到着しました。アルベルゲは、標識が出ておりすぐに見つかりました。サモス修道院が運営するアルベルゲでした。宿泊料は無料。ただし、ドネーションと言うことでしたので相場の5ユーロを寄付しました。 70人くらいの2段ベッドの大部屋でした。ドイツ人のめがねをかけた女性は、僕のすぐ後のチェックインでしたので、僕の斜め前のベッドでした。(ここは、ベッドは自分で選ぶことは出来なくて指定のベッドでした。)僕は、下のベッドでしたが、その日は、上に誰も来なかったので気を遣わなくてもいいのでラクでした。 いつものように荷物の整理をした後、街を散策。それほど大きな街ではありませんでした。 夕食は、近くのバールで済ませました。メニュー(定食)はなかったので、スパゲッティーとパンとコーラを注文しました。可もなく不可もなく、ただお腹を膨らましただけでした。 22時頃に殆どの巡礼客が外に出て行きました。僕は、ベッドで横になっていましたが、何だろうと思いました。たぶん、キリスト教のミサであったと思います。皆さん敬虔なクリスチャンなのでしょう。 てなことで今日も一日無事に終了しました!! フェイスブックを通じて応援して下さる皆さんに感謝の気持ち一杯!! ポイオを過ぎたあたりで何とも言えない幻想的な朝焼けをみました。 |
日が昇ってきて向こう側の山が金色に輝きます。 | サンチアオデコンポステーラまで後140qです。頑張れ!! | ||||
村中に漂う牛の糞の臭いと糞の道を歩いています | 村を過ぎたところの道 少し天気が悪い | ||||
こんなところにも標識があります。 | しばらく見晴らしの良い丘を歩きます。 | ||||
のどかで牧歌的な風景 | 小川の音が体を癒やしてくれました | ||||
こんな道がしばらく続きましが気を付けながら歩きました。 | 途中の小さな村にあった奇妙な形の木 | ||||
自動車道路沿いの道をしばらく歩きました。 | スペインの紫陽花 少し癒やされました | ||||
ここで問題 この標識は何の標識でしょうか? 答え 野糞禁止という標識でした(笑) |
サモスの街が見えてきました | ||||
サモス修道院とその横を流れる川 | サモス修道院 | ||||
現地からのつぶやき(FACEBOOK投稿文章)スマホで発信 7時にコンデサをスタート。前にも後ろにも巡礼者は居らず、今日のアルベルゲに着くまでに追い越されたのは、たったの4人だけでした。何だかスペインの巡礼道を独占しているようで爽快でした。煽られたり、気を遣う必要もなく完全にマイペースでした。何故こうなったかと言うと、前日の宿泊場所を全体の流れより二つ前に進めたからです。そんなことで14時35分に写真左のアルベルゲに到着。ここは教会で宿泊料もドネーションです。今日の行程は、ガイドブックでは、800mの急な下り坂になっていましたが、意外に長い下り坂で助かりました。写真左は下りの途中で撮影。 |
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