10月3日(木) 第31日目 − 巡礼29日目  サモス 〜 バルバデロ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:40 13:35 5:55 17.6 3.35 A 10 A 10  672  108 
 7時40分にサモスを出発。途中バールにより、朝食を食べました。パンにクロワッサン。この日から、バールに入ってもスタンプを貰うようにしました。(LSCの平田さんからのアドバイスで、手前100qくらいからは、スタンプを2つ以上貰った方が証明書を貰うのに確実だとのことでした。巡礼証明書を貰うために、結構手抜きして歩いていないにも関わらず、ごまかす人もいるらしいのでチェックが厳しくなったとか? しかし、完歩後、証明書をもらいに行ったとき、日本人は信用があるようで殆どチェックしていなかったと思います。)
 この日も、スタート時は、自動車道沿いで1本道でした。途中から自動車道を離れ右に折れ急な坂を登っていきました。
アストルガを過ぎてからずっとそうですが、山の中の道を歩きます。アストルガまでの道で見たような壮大な平原は見ることはありませんでした。完全に好対照の道です。まあ、前半は平原の道で後半は山の道と言うことで、このスペイン巡礼のフランス道はメリハリがあってよいと思います。(他の道は知りませんが。)
 下の写真は、並木が綺麗だったので、写真を撮っていたら女性の外人が親切に撮ってくれました。やはり、一人旅ですから、極端に自分の写っている写真が少なくなってしまうのは仕方のないことです。本当は、もっともっと自分自身を撮りたかったのですが、何せシャイな性格かつ英語が話せないので、そうなってしいます。(>_<)
 サリアという大きな街に11時40分頃につきましたが、橋のたもとの公園で簡単に昼食を食べました。いつもの通りパンとジュースだけです。この時は、日は照っているものの風がきつかったので、少し寒かったと記憶しています。
 その後、サリアの中心部を通り(非常に登り坂のところ)、街を抜けていきました。鉄道の横を歩いた後、上り坂を登ったところで少し広い畑が広がっていました。そこからは、比較的平坦なコースでバルバデロにつきました。さあ、次はいつもの通りアルベルゲ探しです。村の中心部にもアルベルゲがありましたが、イマイチ気乗りしなかったので、その先を行きました。
家がまばらになってきます。果たしてこの先アルベルゲはあるのかと不安になってきましたが、最悪もう一つ先の村まで行くことを覚悟で歩いていたら、標識が出ていました。少し道から外れたところにアルベルゲがありましたが、そこに決めました。
到着したのが、13時半頃でしたが、先客は2人だけ。フランス人のおばさんと、ドイツ人の中年おばさん。ドイツ人のおばさんとは、夕食がアルベルゲで前の席になりました。このおばさんというのはちょっと失礼かもしれません。歳のころなら40前後くらいかな。この人とは、レアルカミーノでの夕食でも前の席に座っていました。この時は、ほとんど話しませんでしたが、向こうは忘れていたかもしれません。何故この人のことを書いたかと言うと、とにかく朗らかと言うか、ちょっとしたことで大笑いするのです。涙を流して笑っていました。僕自身そんなに面白いことを言ったつもりはないのですが、大笑いです。僕は、ワインを飲んで少し調子が出てきましたので、第九を歌ったり、イタリア語で「アモーレ アモーレ アモーレ アモーレミオ」と歌ったりしたら、大受けです。そして、大笑いです。外人の笑うタイミングの感覚が分かりません。何故そんなに可笑しいのか、全く判りません。しかし、怒っているより、笑ってられる方がましなので、僕も調子に乗って色々訳の分からない英語で喋っていました。笑うは、涙を流すは、鼻から涙を流して鼻をかむはと、僕のお陰でおばさんは大喜びでした。その人の写真を撮りたかったのですが、撮れずじまいでした。
 僕の泊まった部屋には、後ドイツ人の男性が3人泊まっていました。そのドイツ人とも、後何回か道中で会いました。
この巡礼の旅では、やはりスペイン人が一番多く、その次にドイツ人が多かったのではないでしょうか。男性にしろ女性にしろ、ドイツ人と接する機会が多かったように思います。
 この日で日本を出発してから31日目でした。あっという間の31日でしたが、この日も、特に特徴的なことはなく、この旅行記を書くについて、記憶が曖昧で書いたことがこの日のことかどうか、曖昧な部分もありますが、とにかく無事に過ごすことが出来ました。 感謝感謝です。

 
 この付近で撮影していると親切な外人が、わざわざ写真を撮ってあげようと言ってくれて、お言葉に甘えました。

自動車道をはずれ山道に入り登ったところの景色 近くに村が見えてきました
何と言う村だか忘れましたが教会(墓場?)が見えています 林の中を通り抜ける道
たまにしか会わなかった巡礼者前を歩いています 今日の道 こんな道を歩くことが多かった。
道にも道順を示す標識が書かれています。 林の道の横の川に橋がかかっています
左の並木に沿った道で少しロマンチックな感じ 雲の間から陽が差し、コントラストが鮮やか
殺風景な感じに見えますが、実物は素晴らしいのですよ
白い雲と青い空、そして木々の緑に日陰の黒。
見事なコントラストだと思います。
向こう側に村が見えます。この辺の村は、ガイド本に載っておらず村名がわかりません
サリアの街並み サリアを通りすぎて高台からのサリアの展望
サンチアゴデコンポステーラまで110qの標識 ここで問題 この木は何の木でしょうか
答え 栗の木です。道ばたにたくさん毬栗が落ちていました。
鉄道沿いに歩きます。途中貨物車が通過 きつい上り坂の途中にこんな変な木が。思わずシャッターを押した
個々で問題 これは何でしょうか?
答え リンゴの実です。あちこちに小さなリンゴの木があり、実も非常に小さい。
小高い丘を登ったところに畑が広がっていた
今日のバルバデロのアルベルゲ アルベルゲの裏側の丘からの景色
民営アルベルゲで比較的新しく綺麗 夕食の骨付きステーキ やっぱり硬い

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13時35分頃に今日の目的地のバルバデロに無事到着。左の写真はサンチアゴデコンポステーラ迄の距離を示す標識。明日100キロを切ります。そして予定では、後6日後の到着となりました。

(後100qとなっていますが、結構アバウトな数字で100q以上確実にあります。)

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10月4日(金) 第32日目 − 巡礼30日目  バルバデロ 〜 ゴンサール
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:40 15:20 7:40 24.1 3.57 A 6 B 696  84 
 7時40分にまだ暗い中、バルバデロを出発。もちろん一人です。道は1本ですから迷うことはないのですが、不安はいつもの通りありました。しかし、いつもの通り前を向いて歩かなければ仕方ないので躊躇なく歩きました。
 今日でサンジャンピエドポーを出発して30日目です。そして、今日サンチアゴデコンポステーラまでの距離が100qを切りました。後もう少しですが、油断しないで頑張り過ぎないで頑張って歩こうと出発時に思いました。
 下の写真にあるように、歩き始めて50分頃に明るんできた空を見ながら霧でかすんだ牧場の横を通りました。思わず小学生の頃覚えた「牧場の朝」が頭に浮かび、つい口ずさんでいました。まさに、歌詞の通りの風景でした。作曲者と作詞家は、こんな情景を浮かべて作ったのでしょうね。「歌は世につれ、世は歌につれ」とよく言われていますが、僕の場合は、その時の場面、場面で色々なメロディーや歌が頭をよぎります。この時は、「牧場の朝」。そして、もう少し歩いたところで「ススキ」を見ましたが、森繁久弥の「枯れススキ」でした。話は、脱線してしまっていますが、音楽というのは、その時その時の人生の流れにおいて、僕の場合はほとんどテーマソングがあります。特に忘れられないのは、恋をしたときのメロディーです。21歳のころ本当の初恋の時、当時ライアン・オニールとアリー・マックグロー主演の「ある愛の詩」という映画がヒットしていましたが、そのテーマソングであるフランシス・レイ作曲のの曲が忘れられません。この曲を聴くたびに当時のことを思い出します。今回の場合は、「牧場の朝」で、このメロディーを聴くとスペインの巡礼の道での、下の写真の景色を思い出すことになると思います。ちなみに、昨年の老いらくの恋のテーマソングは、エグザイルの「BLOOM」でした。(笑)
いずれにしても、僕にとって音楽というのは、甘いも辛いも、その時その時の人生の流れにおいて、切っても切れないものであることは間違いありません。映画やドラマにBGMがなければ盛り上がらないものになるのと同じだと思います。僕の人生にもオーバーに言えばドラマが有り、そこにテーマ音楽があります。
ついでに、僕の人生のテーマソングは、次の通りです。「谷間に三つの鐘が鳴る」「ミッション」「風に立つライオン」「未来」
「A river flowing back to the ocean」 (メセタの大地を歩いているときにも書きましたが。)
 大脱線してしまいました。話を元に戻します。今日のコースは、アップダウンもそれほどなく順調に進みました。そして、9時40分頃に下の写真の場所に到着。記念撮影をしました。この時、撮影してくれた人は、ストックをカチャカチャとリズミカルについて歩くフィンランド人の夫婦連れでした。コンデサとレアルカミーノ、そして昨日のバルバデロのアルベルゲで一緒でしたが、この時初めて話ししました。そして、写真を撮って貰うと同時に、こちらも撮ってあげました。昨日の夕食時にも隣の席にいましたが、僕たちの楽しそうな様子を聞いていたようです。この人たちの話しているのも聞こえていましたが、すごく聞き慣れない言葉でしたので、何処の人か判らなかったのです。この時、初めてフィンランド人と判りました。記念にこの人たちの写真も撮りたかったのですが、取り忘れてしまいました。しかし、奥様の方がめがねがピンク色フレームだったので、それが印象的で忘れることはありません。そして、あのカチャカチャという耳障りなせかされる音です。
そんなことで残り100q地点まで来ましたが(かなりアバウト)、良くここまで来れたとか、後100qとにかく頑張り過ぎないで頑張ろうと思いました。
 その後、1回休憩し、いくつかの村を越えて次の大きな街であるポルトマリンまで2時間15分ほど歩き続けました。今思えば結構調子が良かったのかもしれません。
 ポルトマリンの手前に大きな川があり、そこを渡ったところがポルトマリンでした。橋を渡ったところから、長い階段を上ったところがポルトマリンの中心部でしたが、この街は坂の多い街でした。中心の広場の前にサンニコラス教会があり、象徴的建物でした。その近くにあるバールでとりあえず昼食。そこには、昨日のアルベルゲで一緒だった鼻から涙を流すおばさんたちと男性のドイツ人もいました。だいたい同じようなペースで歩いている感じでした。
 昼食後、この街で泊まるかどうか思案しましたが、時間も早かったし次の場所に行くことにしました。(日程的にかなり余裕が出てきており、1日の距離を短くしても十分に余裕を持ってサンチアゴデコンポステーラまで行けるだけ、順調に進んでいました。このことについては、毎日アルベルゲに着いてから、計画を練り直していました。)
 さあ、ここからが少し大変でした。次へ行くための街の抜け方が判らなくなったのです。標識が曖昧かつあまり出ていません。他の外人も随分と迷っていたみたいです。韓国人とその仲間のグループがいましたが、その人たちについて行きましたが、間違っていたみたいで逆に僕に聞いてきました。もちろん判かりません。
 しばらく途方にくれて、あちことうろうろしていましたが、途中のパン屋さんに入って道を聞き、その方向に向かって歩きましたが、たまたま、バルカルセに行く途中で山の中で助けてくれたドイツ人のめがねをかけた方のお嬢さんを見かけました。かなり距離は離れていましたが、また、その女性を目標に歩いたら、やっと街から抜け出すことが出来たのです。今回は、道を聞いた訳ではありませんが、目視上で助けて貰ったという感じでした。まあ、それからは、順調でした。他の人も歩いていますので、安心です。
スペインのこの地方の天候は変わりやすく、ポルトマリンでは快晴だったのに、途中から雨が降り出しました。慌ててポンチョを着る始末。にわか雨だったのですが、かなり降りました。
歩いているうちに、ドイツ人のめがねの女性を追い越してしまいした。普通なら、彼女は早足なので、追い越せるはずはないのですが、追い越しました。たぶん、左足がびっこを引き気味で足が痛かったのかもしれません。結局優しくない僕は、いたわりの言葉をかけてあげもせず、自分のことで精一杯ということで、そのまま歩いていきました。やはり、ああいう時は、一言労りの言葉をかけるべきだったと今更ながらに思います。
 とにかく、ポルトマリンを出発してから2時間20分ほど歩きっぱなしで、15時20分にゴンサールのアルベルゲに到着しました。このアルベルゲに到着したのは早くて、部屋に入ったら2〜3人しか宿泊客はいませんでした。最終的には満員になっていましたが。
 着いてからいつものパターンで荷物の整理をし、フェイスブックの書き込みや返信を打ったりしました。毎回思ったのですが、フェイスブックに「いいね」をくれたり、コメントをしてくれたりについては、本当に嬉しく有り難かったです。とにかく、いつも背中をどんどん押してくれました。フェイスブックがなかったら極端に言うと挫折していたかもしれないし、孤独感を感じて寂しく歩いていたかもしれません。こんな僕でも応援して下さる方がいらっしゃることに嬉しく思うと同時に、自分は決して一人で生きているのではなく、仲間の皆さんに支えられて生きているということを改めて実感させられました。本当に有り難いことです。
色々整理が終わってからシャワーを浴びて、村の散策。本当に小さな村でした。村の外れの別のアルベルゲにあるバールでお茶を飲んでいるドイツ人のめがねの女性を見かけ、無事着いているようで良かったと思いました。(この女性を見たのは、これが最後となりました。)
 夕食は、アルベルゲ前のバールで摂りましたが、そこで、またまた、鼻から涙を流すドイツ人のおばさんと、昨日同部屋だったドイツ人の男性3人と顔を合わせました。そして、向こうもビールを飲んでいましたので、乾杯をしました。
料理は可もなく不可もなく、まあまあでした。
 てなことで、100qを切った今日でしたが、無事何のトラブルもなく終了しました。有り難や、有り難やです!!!
 
 サンチアゴデコンポステーラまで後100q地点に到達(かなりアバウトですが。)
 自分で言うのも変ですが、結構いい顔していると思います。ハンサムとかいうのではなく充実感が出ています(笑)

歩き始めて30分 明るくなってきました 通りかかった牧場。思わず童謡の「牧場の朝」を口ずさんでいました。「ただ一面に立ちこめた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木のうっすりと 黒い底から 勇ましく 鐘が鳴る鳴る かんかんと」
小さな村が見えてきました 村の住宅の横に生えていたススキ
この時は「俺は河原の枯れススキ、同じお前も枯れススキ」と、森繁久弥の歌が頭を流れました。(笑)
100qの標識。どれがいったい本物の標識やねん?? 清々しい朝の風景
牧場と石垣で隔てられた細い道を歩きます 雄大な景色ですが、前半の道と違うのは緑の多さです
村の教会が見えてきました。このあたりは、村が多く村名はガイドブックには載っていません。 後90q 今日、少なくともここまで10qは歩きました
大きな川を挟んでポルトマリンの街が見えてきました ミーニョ川 大きな川です
今日のバールでの夕食 左メインディッシュの魚料理 右はデザート 他にサラダとパン、ワインが付いていました。

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 15時20分に今日の目的地の一つ先のゴンサールに到着。目的地であるポルトマリンに早く着き過ぎて、どうするか迷った結果、先に行くことにしました。写真左はポルトマリンのサンニコラス教会。右は今日のアルベルゲ。あまり印象のよいアルベルゲではありません。今日で歩き始めてから30日経過し、サンチアゴコンポステーラ迄の距離も100キロを切りました。あっという間でしたが、後5日心置きなく最終段階の巡礼道を楽しみたいと思います。


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10月5日(土) 第33目 − 巡礼31日目  ゴンサール 〜 パラスデレイ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:37 12:20 4:43 16.8 4.12 A 6   713  67 
 7時37分にゴンサールを出発。多少のアップダウンはあるものの、それほどきつくないので順調に歩くことが出来ました。111時間15分くらいに途中にバールがありましたので、ここでコーヒーブレイク。いつもの通りカフェラチェ。スタンプもきちっと貰いました。貰ったと言うより、この辺はアバウトで、店員は、そこにスタンプがあるので勝手に押せということで自分で押します。ここのところよくバールに入ってコーヒーを飲みますが、コーヒーも飲みたいのですが、目的はスタンプを貰うことにもありました。
 下の最初の小さな写真は、雲海が見えていたので撮った写真ですが、歩いているところの標高は700メートルくらいだったと思います。この高さでも雲海が見えるのだなあと思いました。
 順調に歩き続け特徴的なこともなく、12時20分頃に今日の目的地であるパラスデレイに到着しました。ここにきて、サンチアゴデコンポステーラに到着に日を10月9日に決めていましたので、距離の調整的なこともあり、今日は、16.8q、明日が15.1の短い距離になりました。明日が、この巡礼を通じて最終日は別にして、最も歩く距離が少ない日となりました。
ずっと頑張って歩いてきて、多少余裕も出来ているので、歩く距離が短いと何だか頼りない気もしました。人間なんて、その時その時の状況でいい加減なものです。歩く距離が長いと何でこんなに歩かなければならないのかとか、短けりゃ短いで頼りないとか本当に勝手なものですね。でも、誰でもとは言いませんが、ほとんどの人が同じような感覚を持っているのではないでしょうか。それが人間、それが人生というものかもしれません。いずれにしろ、良い時も、悪い時も、自分を失わず、挫けず、焦らず、真面目に、謙虚に、誠実に頑張り過ぎないで頑張ることが大切だと思いました。(まあ、僕は平凡な人間ですので、思ったようにはいきませんが、自分らしくいこうと思っています。)何だか、道のことを書かず精神論ばかり書いている感じでつまらないですが。
 パラスデレイに到着した際、鼻から涙を流すドイツ人とフランス人のおばさんが二人で一緒に歩いていたみたいで会いました。お互いに声を掛け合いましたが、彼女たちは、ここに泊まらず、もっと先に行くとのことでした。
 また、例によってアルベルゲ探しですが、ドイツ人とフランス人のおばさんが教えてくれて、すぐに判りました。しかし、その前に行きましたが、まだ、オープンしておらず、13時のオープンと張り紙がされていました。それまで、時間つぶしです。重たい荷物を担いで、あまりうろうろするのはしんどいので、入り口の前のベンチで待つことにしました。
 13時になったら、どこからともなく係員が来て受付が始まりましたが、2番目の受付でした。
2階の12人くらいの部屋になりました。ここでは、ベッドが指定されていましたが、二段ベッドの下でしたので助かりました。今まで、幸いなことにほとんど二段ベッドの上になることはありませんでした。(最初に泊まったロンゼスバージェスとナヘーラの二度だけ上。)上になると夜中にトイレに行くときが大変なのです。音を出したり、振動させたりしないように、そっと降りなければならないし暗いので危ないのです。
 今日のアルベルゲでは、ひとつ困ったことがありました。下品話なのですが、トイレのことです。トイレに入って大の用を済ませた後、トイレットペーパーがないのです。もちろん手元にティッシュペーパーも持っていませんでした。まさか、大きな声で紙をとってくれても言えないし、言えたとしても英語ではどう言っていいか判りません。まさか、拭かないで出てくるのも気持ち悪いしどうしようかと思いました。しかし、困ったときは、何かと知恵が出るもので、苦肉の策として、とりあえず水を流してしまい、新しい水が出てきますが、そのたまった水で素手でおしりを洗いました。新しい水なので、何も汚れていませんので、一向に不潔でもありません。かえって紙で拭くより綺麗になるかもしれません。そんなことで急場をしのぎました。このことは、1回ではなく、ベロラードでも同じことがありました。これで2回目でした。その後は、いつもトイレに入るときは、紙があるかないか必ず確認するようにしました。他愛のない話ですが、こういった変なことは思い出に残ってしまうものです。一生忘れないでしょう(笑)。
 昼食をまだ食べていなかったので、アルベルゲ前のバールに入りましたが、飲み物だけで食べるものはないと言われました。まあ、時間的にシエスタだったのかもしれません。その近くに食料品店がありましたが、ここはシエスタは関係ないようで営業していました。そこで、パンとレタス、トマト、ハム、チーズを購入。アルベルゲに戻り食堂で少し調理し食べましたが、レタスを洗っているとき結構汚れており、虫が2匹も出てきました。日本で、こんなことがあれば、そのレタスそのものを食べないかもしれません。しかし、汚いとか綺麗とかは、それほど気にしませんでした。もちろん、虫は取り除きましたが。ふつうなら、厨房に包丁など器具があるのですが、ここは何もありません。仕方ないので、持参した万能ナイフで切ったりしました。うまく切れなかったし、パンもうまく切れず、メチャクチャのサンドイッチになりましたが、見栄えが悪くても口に入ってしまえば同じなので、結構美味しいと思って食べました。夕食も外食せず、そのパンを食べました。たまには、いいだろうということでした。
 時間はたっぷりあるので、昼食後、外の散策に行きました。一通り街を回りましたが、それほど見るべきものはありませんでした。この街も結構坂の多い街で歩くのも疲れます。アルベルゲの前に公園がありましたので、そこでのんびりベンチに腰掛け、FACEBOOKをチェックし、投稿や返信をしていました。結構のんびりして時間を過ごせました。
 今日は、歩く距離も短く、時間もタップリあり余裕の1日でした。もちろん何事もなく無事終了しました。感謝です!!

 
   スペインの朝焼け 色々な場所の朝焼けを撮影してきましたが、それぞれ個性的な表情があります
彼方に雲海が見えます 上の写真の少し手前で撮影 光の加減で凄く感じが変わります。
後77q 石の標識がもう少しだから頑張れと言っているようです 今日の道
一人がやっと通れる道も歩きました。これもれっきとした巡礼道です 白い雲に真っ青な空 僕はこんなコントラストが大好きです
大邸宅の前を通り、思わずシャッター こんな並木道も歩きました
今日のアルベルゲ オープン時間待ちです アルベルゲの2階の部屋からの景色 左は公園

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 あまりに早く着き過ぎて時間をもてあまし気味。スーパーでサンドイッチの材料を購入し適当にゴチャゴチャにして食べる。その後、シエスタ。今は街を散策していますが、観るべきものは何もありません。今、公園のベンチにすわりFacebookしています。こんなにノンビリするのは、こちらに来てからはじめです。たまには良いものです。写真は街の様子。

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10月6日(日) 第34目 − 巡礼32日目  パラスデレイ 〜 メリデ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:20 12:30 5:10 15.1 4.31 A 10   728  52 
 7時20分にパラスデレイをスタート。スタート時点では、下の写真のように少し霧がかかっていました。明るくなってきたら全面曇っており、今日は雨かと思っていたら、10時過ぎくらいに晴れてきました。今回の後半の道中で今に始まったことではありませんが、こちらの天候は本当にきままです。途中にテントを張ったバールでコーヒーブレイクし、スタンプを貰いました。最終段階での日課のようになっています。今思い出したのですが、この時、ゴンサールで最後だと思っていた、途中助けて貰ったドイツ人のめがねをかけた若い女性が、このバールの前を通っていきました。本当にこれが最後でした。それにしても、よく会います。歩くのももちろん僕の方が遅いですが、遅い分、時間を歩いているのでタイミングよく会っているのだと思います。
 ここへ来て、途中に村が多くなってきました。いくつもの名前が判らない村を通り抜けていったと思います。
11時10分くらいにメリデに到着。少し早かったですが、名物のタコ料理を昼食としようと思い、街に入った一番目のタコ料理レストランに入りました。下の写真にあるようにタコ料理の小皿を注文しましたが、小皿でも結構量はありました。
そして、ビールも注文。パンは、これは殆どのところでそうですが、料理を頼んだら何も言わなくても付いてきます。(パンの料金としては請求されません。全部が全部そうかどうかは判りませんが。)タコの味はどうだったかと言いますと、僕的な味覚から言えば、正直言って、あまり美味しいとは思いませんでした。色々情報を聞くと皆さん美味しいと言われますが、まあ、人それぞれに味覚や好みが違いますので、絶対的に美味しいという基準はありません。自分自身が美味しけりゃ美味しいし、不味ければ不味いで、それでいいと思います。例えば、日本ではごくポピュラーなフランス料理やイタリア料理ににしても、僕の味覚から言えば、本場で食べるより、日本のレストランで食べるフランス料理、イタリア料理が美味しいと思っています。僕にとっては、全部が全部でないにしても、日本で食べる方が美味しいのです。下町の舌しか持っていませんので、そんな高級な味は僕には合いません。それと、民族的な味覚としては、僕の認識としては、日本人の味覚は、世界一ではないかと思っています。日本ほど、一般家庭までにおいて世界各国の料理を食べている民族はいないと思います。その辺、料理に関しては日本は多様化しています。その基本にあるのが、日本人の舌の感覚です。よくは調べていませんが、「うまみ」という味は、一般的に外国人にはよく判らないのではないでしょうか。その辺からして日本人の舌は繊細なのです。
安物の舌しか持っていない僕がこんな偉そうなことを書いていますが、いろいろ理屈を言っても、基本的には、自分自身が美味しいと思えば美味しいのです。それでいいと思っています。また、脱線してしまいましたが、ということで僕にとって、ここメリデのタコ料理は、美味しくなかったと言うのが結論です。
 昼食後、時間はタップリあるので、重いリュックを担いで少し街を散策しました。この日は、日曜日で繁華街は、色々な市が立っており、人々で賑わっていました。メリデは、結構大きな街でした。散策しながら、アルベルゲも探していましたが、なかなか見つかりません。しかし、どちらかというと街の外れの方に公営のアルベルゲを発見しましたが、時間が早かったので、まだオープンしていませんでした。仕方ないので、その前で待つことにしましたが、誰も他の巡礼者が来ません。不思議だなあと思いながら待っていましたが、他の巡礼者がやってきて、これは、閉鎖していると言い出しました。張り紙がしてあったのですが、何のことか判らず、ただただ待っていただけ。結局、その巡礼者の言うように、このアルベルゲは閉鎖されていたのです。無駄な時間をとってしまいましたが、まあ、時間はタップリあるし、どういうことはないと次を探しました。次のアルベルゲは、すぐに見つかりました。下の写真の民営アルベルゲとなりました。少し高いですが、設備は新しいし、綺麗し、ゆったりしているので納得です。久しぶりに洗濯も出来ました。(乾燥機も付いていましたのでラクでした。)
 時間的な余裕もあり、アルベルゲの庭で日本にいる花田さんとスカイプで会話。スカイプの音声は、はっきりしているし、こちらの周りの状況も鮮明に日本の花田さんのところに届いていました。とにかく、便利な世の中になったものです。世界の何処にいてもインターネットとパソコンなりスマホなりタブレットなり、いずれかがあれば無料でテレビ電話が出来るのです。僕の小さい頃から考えれば、これはまさにSF小説です。それが実現しているのです。世界はどんどん狭くなっていきます。これからも、世界の何処へ行っても、日本の仲間と交流できるし、何処へ行っても寂しくはありません。全く有り難い技術の進歩です。
 夕食は、持ち合わせの食料で済ませました。これで、2日続けて持ち合わせている食料での食事になりましたが、この日は、昼食にタコを食べているので、それでいいかということでした。
 そんなことで、今日も1日無事終了。今日の道中については、あまりはっきり記憶には残っていません。残っていないと言うことは、平凡に平和に過ぎていったということも言えますので、結構なことだと思います。有り難う、感謝です!!

 
           7時20分過ぎの街の様子 少しガスがかかって異様な感じもする
ケルト文化の名残 高床式穀物倉庫オレオ 民家の広大な庭か?
並木道が続く 途中のごつごつした岩むき出しの道
後55.5q ゴー ゴー ゴー 行け 行け 行け
この標識は「ホモン」というそうです
アグア 道中にある水道です
途中の牧場 今日のアルベルゲ

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 名物のたこ料理で早目の昼食。写真の通りの名物タコ料理ですが思ったほど美味しくありません。写真の皿がもっとも小さい皿で7ユーロです。厳しい評価ですが、値段の値打はありません。(笑)

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10月7日(月) 第35日目 − 巡礼33日目  メリデ 〜 サラセダ
出発
時刻
到着
時刻
道中
時間 
歩行
距離/km
平均
時速/km
(歩行時間のみで計算)
宿泊
施設

A アルベルゲ
H ホテル
 M 朝食付
宿泊
料金
ユーロ 
夕食
場所
R レストラン
B バール
Aアルベルゲ 
夕食
料金
ユーロ 
累計
距離/km
 

距離/km
 
7:15 14:40 7.25 24.6 3.89 A 10 B 753  28 
 今日もまだ暗い中7時15分にメリデを出発しました。道が1本ではなかったので、迷いかけましたが、何とか迷わずに歩くことが出来ました。自動車道の横を歩いているときは、いいのですが、山道に入ったら真っ暗であり、前を誰か歩いていたら安心なのですが、誰も歩いていない場合は、ヘッドランプで前を照らし道ばたにある標識を慎重に探しながら歩かなければなりません。しかし、ここまで来たら慣れもかなりありますので、当初の頃から比べて余裕が出ていたと思います。常に頭の中にあったのは、人っ子一人いない深い山の中ではなく、巡礼者道なので誰かが必ず歩いてきますから、遭難するという心配がないということだけは言えました。
 まあ、ここまで来たら、とにかく道の詳細は覚えていません。頼りは写真だけですが、特徴的なことがなかった場合は、この旅行記を書いていて頭の中にあることは、そのことがこの日のことかどうかが、凄く曖昧なのです。しかし、そんなことはどうでもいいと思っています。ガイドブックを書いているのではなく、自分が歩きながら考えたことなどの思い出を書いているだけです。もし、もう一度この道を歩くとしたら、そこを歩く毎に、かすかな記憶がよみがえると思います。この道中で写真は、1000枚以上撮っていますが、こうして旅行記を書いていると、全く断片的な撮り方しかしていないようで、非常に少ないという感じがします。
 8時半過ぎにボエンテ村に着きましたが、そこで朝食を食べました。カフェラチェ、バナナ、クロワッサンを食べ、いつものようにスタンプを押して貰いました。相変わらず、スペインで飲む朝のカフェラチェは本当に美味しい。スペインのカフェラチェが特別というのではなく、たぶん、スペインで飲んでいるという状況が特に美味しいと感じさせるのかも知れません。
30分ほど休憩して出発。それから、2時間ほどぶっ通しで歩き続けましたが、それほどアップダウンがありませんので、休憩せずに歩けました。途中、写真のような雲海を目の前に見て、雲海に向かって歩いて行きました。昔、読んだ小松左京のSF小説で「首都喪失」というのがありましたが、それを思い出しました。雲の中に入っていくことについて、特にどういうことはありませんが、小説のことを思い出していました。いったい雲の中に何があるんだろうかとか。まあ、SF小説のようなことは起こらないことは判っているので、歩きながら色々と想像たくましく面白可笑しく考えていました。
 11時過ぎにアルスーアに到着しました。アルスーアは、結構大きな街でしたが、当初ここに泊まろうと考えていましたが、あちこちにアルベルゲの看板が見えました。しかし、時間が11時過ぎなので、ここに泊まらず、また一つ先に行こうかと考えました。そして、先に行くことを決断。(先に行っても、ここに泊まっても、サンチアゴデコンポステーラまで距離はあまりないので、10月9日にはアクシデントがない限り絶対に着きます。)とりあえず、スーパーで食料を購入しました。そして、アルアースを抜けて適当なところで昼食にしようと思いました。
 アルアースの街を抜けると写真にあるような林の中の道など歩いて行きました。歩いているときに、韓国人のおじさん(歳は53歳と言っていました。)に会い、しばらく話しながら歩いていました。済州島出身で、そこで旅館を経営しており、昨年は大病を患って手術したと言っていました。(少し日本語が話せました。)やはり、この人も歩くのが速く、しばらくしたらマイペースでどんどん前に行ってしまいました。道は狭い1本道です。どんどん歩いて行きました。途中バールがあり、その韓国人は人懐っこいのでしょう外人とバールで話していました。僕は、そのバールを通り過ぎてどんどん前に進んで行きました。
 途中にあまり広くないですが公園みたいな場所があり、その横の道路に観光バスが止まっていました。女性の観光客が中心で確か、30人くらいいたと思います。バスから降りてリュックを担いでいるのです。何だろうかと思いましたが、特に話しかけることもなく見ていました。そして、公園にベンチとテーブルがありましたので、そこで昼食にしました。
その観光客は、たぶん、その場所からサンチアゴデコンポステーラまで歩くのだと思います。この場所は、サンチアゴデコンポステーラまで50qは切っています。たぶん、その距離を歩いて観光巡礼証明書的な証明書を貰うのだと思います。サンチアゴデコンポステーラで、そういった証明書を貰っていた日本人に会いました。向こうから話しかけてきたので、色々聞きましたが、そのようなことを言っていました。
 30分ほど休憩してスタート。どんどん歩いて行きましたが、だんだん疲れてきて、どこかにアルベルゲでもあれば泊まろうと思っていました。40分ほど歩いたとき、村の中ではないですが、道路沿いにバールがあり、その先50メートルくらいのところにアルベルゲの看板がかかっており、ちょうどよいとばかりに、そこのアルベルゲに飛び込みました。時間は、14時40分頃でした。僕がこの日のこのアルベルゲの最初の客となりました。写真にあるこのアルベルゲのオーナーは、実に感じのよい人で、何かと親切に対応してくれました。このアルベルゲは、比較的新しいようで綺麗でした。民営のアルベルゲですが、料金は、10ユーロ。だいたい民営アルベルゲの相場は、素泊まりで10ユーロが相場のようです。公営アルベルゲが、5〜6ユーロが相場です。(県の方針で料金は、決まっているようです。)このアルベルゲは、綺麗でしたが、シャワールームがイマイチでした。別棟にシャワールームがあるのですが、物置小屋にシャワー設備をしただけのような感じで、シャワーが並んでいても仕切りも何もなし。まあ、男女混合ではないので、仕切りなんて僕にとっては不要ですが。
 夕食は、アルベルゲ手前のバールで摂りましたが、巡礼者メニューはなし。何か、お腹がふくれるものはないかと言ったら、たぶん特別だと思いますが、写真のような特大のサンドイッチを作ってくれました。トマトと卵を挟んだ何の変哲もない誰にでも出来るサンドイッチですが、気分がそう思わせてくれるのだと思いますが、美味しく食べることが出来ました。
 かなり遅くにアメリカ人の巡礼者が部屋に入ってきました。少し挨拶をしましたが、ここには泊まっていないが、自分の友達が日本語がしゃべれるので明日紹介するとのことせした。この人とは、翌日道中で会いましたが、日本語がしゃべれる仲間は、先に行ったと言っていました。
 てなことで今日も無事終了しました。いつもながらに感謝感謝です。幸せです!! 
後2日、頑張るぞー!!

 
     10時半頃雲海に向かって歩いて行きます。さて、雲海の中に何が待っているのだろうか??
牛さん、おはようございます。 今日の道
 
雲海に向かって   雲海の中に潜入しました。仙人が現れるのか?
小川のせせらぎ
途中にあったバールのメニュー だんだん雲海が晴れてきたようですが?
こんな林の中を歩くのは気持ちのよいものです
 
今日のアルベルゲ    アルベルゲのオーナー 結構親切に対応してくれました
夕食を食べたバールの中 洗濯物ではありません
サッカーのTシャツが一杯飾ってありました
特大の特別サンドイッチ ここは巡礼者用のメニューはありませんでした

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7時15分にメリデをスタート。10分後に左写真の後50キロ地点を通過しました。右の写真は、童謡にあるような 牧場の朝 という感じの場所です。今日もラクな行程です。


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