vol.36 交渉の根源〜肉体の持つ知
性・分岐3−1〜
毎年夏が来ると、三浦半島の三崎のほうにシュノーケリングに行っている。
シュノーケリングは素潜りのように身軽だが、海の中の観察もでき、魚類とまでは行かないが亀くらいには近づける気がする。
ジャック・マイヨールのようにもぐれたらどれだけ良いかと思う。
今年は岩場だけでなく、砂浜のほうにも行ってみた。海藻や珊瑚があったからか意外と魚も多く豊かだった。ふと思い立って遠浅の海を沖のブイの所までいっ
た。ブイは沖のほうで横並びにいくつかあり、てっきりそれらが横につながり、網か何かで囲いがしてあるのかと思っていたが、たどり着いてみるとただ一本の
ロープの先にブイがついているだけだった。
そこはもう深さも5メートルはあり、海はほの暗く、そこから先にも延々とただ海があるだけだった。少し怖くなり、また足のつくところまで戻ることにした。
そこまで行って見て、やはり海の中は人の世界ではないのだと実感した。こんなことを言ったらジャックや、うちのじいちゃん(浜名湖で遠泳をして育った)に
笑われるのだろうけれど、ブイはまるで人間の領域の限界を示すようだと思った。
鶴見良行の本はいつも海の匂いがする。
「海道の社会史」という本の中には東南アジアのいくつかの地域社会をばらばらにせず、交易や生産性の面から捉えなおし、国家の枠では見えてこない人のつな
がりを探っている。それは海は隔絶するものではなく、つなぐものであるということでもある。日本人はまさに「日本人」という枠にとらわれた土的な発想に
よって大分偏っている。
さて、その本の中に一本松の沈黙経済についての記述がある。
「物々交換の歴史は、おそらく二段階あるのだろう。塩と米の交換というような、有無あい通じる交換が第一の段階である。第二の段階は、経済がこうした切羽
つまった段階を脱して、愛情が物の交換を通じて語られるような時期である。
私が東南アジアで新しい土地を訪ねたとき、見物は市場で始まる。この地域の市場にはいくつかの型がある。
最も古型を保っているのは、村からいくらか離れた原っぱの一本松の下で、週に一度あるいは10日に一度といった頻度で定期市が開かれる場合だ。近村の主婦
たちが、さまざまな物産を路上に並べる。物産は手で運べる量に限られる。粗末なトマト20個といった極端な場合も見うける。
こうした定期市を恒常的に巡回する行商人もある。
これが古型であるのは、市が村から離れた原っぱで開かれ、必ずといっていいほど一本松のような目印があることだ。塩と米の交換などが典型的な例だが、物産
の産地は、当然、別の生態系、異なる生産様式の村である。市は、村と村の中間の中立地帯で催されなければならない。
今日でも村語が残っているくらいだから、米と塩の産地村は、言葉が通じないことが大いにあり得る。塩を一本松に運んできた村民は森に隠れて様子をうかが
う。米を運んできた住民は、適当と思われる米を残して、塩をひきとる。森に隠れていた村民が、この米を持ち帰る。これが沈黙経済といわれる物々交換の原初
形式である。目印の一本松がないと、この交換は成立しない。ボルネオ、サバ州の山中で、私はこうした中立地帯の定期市を何度か見かけた。」
(鶴見良行「海道の社会史」113p〜114p)
またこのような話もある。
「東南アジアの田舎をバスで旅行して、私は女性たちの持ち込む荷にいつもびっくりしていた。もちろん日本の宅配便のようなシステムはないのだから、携帯荷
物が多いことに不思議はないのだが、その荷はどこでも買えるありふれたものばかりだったのだ。ココヤシ、バナナ、脚を縛った鶏などである。
私の大よその目分量でいうと、バスの女性は体重の二分の一、船の乗客は体重と同じ重量の荷を運んでいる。荷の積み下ろしは、バスでも船でも車掌や乗組員が
してくれるから何のことはないが、バス停や波止場までの往復は女性一人には重すぎる。だから、見送り、出迎えで混雑するのである。
生きた鶏やバナナを運ぶ乗客のオバさんに何度か訊ねたことがある。誰を訪ねていつ帰るのか、と。
―親戚を訪ねて、三日ほどで戻る。
とすると、見送り、出迎えのにぎにぎしさは、別れを惜しんだり久闊を叙したりするのではなく、オバさんの荷の運搬人の集合だと考えてよい。
オバさんの荷は、村からの出荷といえなくはないが、多くの場合、訪問先へのお土産なのである。
訪問先にもヤシの実や鶏はあるから、格別珍しいものではないが、その一家の暮しの助けにはなる。そしてオバさんは三日後に、親戚の託したバナナとヤシの実
を抱えて、同じにぎにぎしさのうちに帰郷する。
これは有無あい通じる交換ではない。たとえば干魚とコメの交換のような。また経済学的にいって、何らの価値も生じていない。同じものを運び、また持ち帰る
のだから、往復のバス代だけがオバさんもしくはその一家の出費となる。
」(同上、111p〜112p)
こちらは鶴見さんも言っているように、日本のお中元などともあい通じるが、宅配便などない。「自分で運ぶ」というのはかなりの労働である。
その点ではこれらには共通してかなり古い形の「交換」というものが残されている。
さて、親和性やコミュニケートの精度の話と、交換経済の話はなかなかつながらないようだが、どうも最近その関係が見えてきた気がする。
それは「交渉」という言葉が一つのキーワードになると思われる。
1.交渉とは何か?
普通は「交渉」というのは例えば、労働組合が会社と賃金の交渉をしたり、政府がどこかの国と政治的な取引を交渉したりする。という形で使われる、社会的行
為である。
交渉という響きには誰かと話し合い、何かの利益的なものの取り決めをし、一つの形にまとめるというニュアンスがある。
つまり決まった後に実行されるのがその取り決めに従った「交換」であり、交渉というのは「交換の前段階」ということができる。だが、交換されるのは物理的
なものに限らずにある約束、つまり”こういう時はこうする”といった決まりごとであることもある。であるから、そういう事態が一度も起こらないこともあ
る。その場合は「ルール作り」といえる。
その二つに共通してあるのは、お互いが一応は納得している状態が作られることである。少なくとも交渉はある落ち着きどころを目指して行われる、「関係性」
の問題であるということだ。
だが関係性の問題となると、最初から社会の中だけの問題とは言えない。
人と人の間に起こる問題はすべて関係性の問題である。つまりまったく関係性のない人同士が出会って、そこに関係性が生まれる時もあり、社会的関係だけでは
なく、個人的関係のなかにも交渉は現れるということになる。
それはすでにある社会のルールではなく、そこにいる人と人の間だけに存在するルールという形で現れることになる。
そのように個人同士の話し合いによって、個人同士の間だけで行われる取り決め行為も一つの交渉である。
もちろんそれが定常化すればある意味ではそれも一つの社会となる。だから交渉という行為は社会とは切っても切れないことは間違いない。ただ、それが個人に
よって一時的にせよ、「社会を作る道具」として、現れる場合があるということだ。
このような交渉は本来は交換という物理的なことから始まったのだと思う。つまり自分が必要なもので、持っているもの、持っていないもの、その間でお互いの
利益が一致した時に行われる。だからこそ先ほどの沈黙経済が「古型」であるのだ。
ではこれがコミュニケートや親和性とどうつながるのだろうか?
2.生きる=食べる
今まで見た中でのコミュニケートや親和性というのは、肉体の持つ知性論の中でサッカーやバレーボールを考察し、考えてきた中で見出したように、空間的姿勢
によって主体的な行為を行うものが、”出来事”という一時的に共有された空間と時間の中で主体的でありながらも自らをも対象化し他者化することで、より深
いところにある身体に内在化された(目的=生き延びる)判断によって、お互いが柔軟に協調することで現れるということだった。
「バレーというスポーツはそのような対応力を身につけたものが生き延びる世界であり、そのためのチーム作りとして、社会がフレキシブルに、常に生成される
関係性をチームがもつことを求められるのである。
ただし、このような能力は一種の野生の力でもあると思う。だからその点では対応力は身につけるというより、呼び覚ますに近いかもしれない。(中略)
そうだとすればまさに、人間としての野生(生き延びるための能力)が社会を作り出す、その瞬間のフレッシュな『最も機能している社会』ということになるの
かもしれない」(コラム「vol.33 社会を作り続けることについて」より)
つまり、それはバレーボールにおいては「社会を作り続ける」ということにつながる考えた。
この空間的姿勢という状態にあるものには、”痛み”の考察やコラム”すべてをつなぐ場”で見たように、「生きる=食べる」ということが社会性のすべてを剥
ぎ取った人間に残るということでもある。
この「生きる=食べる」としての人間とは”人間としての野生”でもある。
これは生物としての基本でもあると思う。
この「生きる=食べる」というのは生命維持の基本であり、我々の「身体」は常にこの状態を保つために、最善を尽くすということになる。
交渉というのはこの生きるために、他者との間で、行われる行為である。
交渉は肉体においては「距離の関係性」を作るということでもある。ずっと見てきたように、バレーボールやサッカーでは知覚による空間的姿勢にある人にとっ
ては距離は関係性の重要なファクターとなっていた。
バレーボールにおいては個人差を意識しながら、6人でコートを守れるように位置取りをし、サッカーではバルセロナのようにパスの成功率を上げるために、
「受け手のいるところ」に出すために位置取りや距離感をとっていく。
それはさらに進めば、「生死の距離感」にいたる。つまり、この距離なら死ぬ(生きる)、この位置なら死ぬ(生きる)ということである。
パーソナルスペースもテリトリー意識も本来的にはこの「生死の距離感」である。
距離の関係性というのは非常に実際的で物理的なものであり、知覚・感性に起因する。それが協調的に「みんなで生き延びること」を目指す時に親和性やコミュ
ニケートの精度の高さという形で現れるのである。
だが身体の本質的な能力としての知覚や感性の力自体は「生きる=食べる」ための”自然と対話する能力”であって、人との社会的関係性を築く能力ではない。
むしろそれ以前の根源的な能力であり、「社会性」にも「非社会性」にもなりうる力である。それが環境の中である目的を持って社会的な協調になるときにはそ
こに心(意志)が関係し、非社会的な個人としての力となる時には体の欲求(生存本能)にしたがう。どちらにしろ「生きるため」であり、そのような力が十全
に発揮されるには、心と身体の微妙なバランスがあり(それは以前書いた「静止性=今」における心身合一的にある時のバランスと一致するのかもしれない)、
そのバランスが失われれば、主体性は消える。
そのバランスこそが肉体の持つ知性の発生する地点であると思われる。
話を戻せば、「人との社会的関係性を築く能力」は、体が他の人と「社会的なもの」を作る形で行われるかぎりにおいて、自我(心)の仕事として現れる。
では心というのはどのように成り立っているのだろうか?
3.作られたもの=心
交渉をするのは心の領域である。心と体はどうしても二分して対立的に考えやすい。今までも僕はそのように考えてきたことが多いように思う。
だが”すべてをつなぐ場”でも見たように、空間的姿勢にある心身合一状態としての私は”心が体に帰っている状態”になる。
心というのは本来肉体の一部である。ではなぜこのように二分化されやすいのか?
それは心と体の成り立ちが違うからではないだろうか。
少々大胆な物言いになるかもしれないが、心というのは体によって作られたものということができるように思う。
精神分析医の木村敏は「異常の構造」という本の中で、自己というものを合理的に作られた、非常に危ういバランスの上にあるものとして捉えている。
この本では「合理的に考えられるかぎりの」非合理と合理の関係性がしっかりと考えられており、その点では非常にすぐれて「客観的」と言えるように思う。そ
の論理的に一つづつ噛み含めていくような説明を、しっかりと引用させてもらいながら、考えていくことにする。
木村さんは私たちがもっている常識的日常性を三つの原理、個物の個別性、個物の同一性、世界の単一性に帰し、このように考える。
「常識的日常性の世界に関する三原理は、すでに見てきたように相互に深く入りくみあっている。そこでこれを一つにまとめて、単一の公式で表現するとどうな
るか。ハイゼンベルクは彼の新しい物質観に基づいて、物質的世界の『世界公式』というものを提示した。私たちはここで、常識的世界の『世界公式』ともいう
べきものを考えてみたいと思う。この公式は形の上ではこの上なく単純なものである。
1=1
これが私たちの『世界公式』にほかならない。しかしこの公式は、形の上ではいかに単純であろうとも、内容的にはただごとではない、大きな問題を含んでい
る。かりにいまこの公式を『証明』しなければならないとしたら、私たちは途方にくれるよりほかはない。数学はもちろんのこと、物理も化学も、とにかく自然
科学の全領域が、それだけではなく私たちの生活をすみずみにまでわたって規制している社会規範のすべてが、この基本的な公式の上に組み立てられている。私
たちの生活の全体がこの証明不可能な公式の上になりたっているといってさしつかえない。私たちは私たち自身の生活を支えている基本公式を、常識的日常性の
枠内では説明しえないのである。これはどういうことであろうか。
(中略)フィヒテが人間のすべての経験知の基礎をなす基本命題に到達するために選んだ通路『AはAである』は、私たちが常識的日常性の世界の『世界公式』
として見出した1=1と同じことである。そして、フィヒテにしたがえば、この1=1が成立しうるためには『私は私である』こと、あるいは『私はある』こと
が絶対に必要だということになる。常識的日常性の世界が世界として成立しているのは、自分が自分自身であるという、私自身の自己同一性にもとづいてい
る。」(木村敏「異常の構造」119p〜121p)
さらに現実性とは世界の実在性であり、それは「存在への意志」、「生への意志」によって生み出されていると言い、こう続ける。
「さまざまな異常現象のうちでも『精神の異常』とよばれているもの、ことにいわゆる『分裂病者』における行動、体験、思考などの『異常』は、これを常識的
日常性の欠落として見た場合にのみ、『正常』から区別することができる。常識的日常性の基本構造は、これを単純な数学的等式1=1として表現することがで
き、このいわば日常的世界の『世界公式』はいっさいの合理性の基礎をなしている。合理性と非合理性とは一見対等の対概念をなしているようにみえるけれど
も、これを互に対立する反対語とみなす立場それ自身が合理性の側に立つ立場である以上、合理性は真の意味の非合理を抹殺し排除した上でのみ、はじめて成立
しうるものといえる。合理性が非合理を排除するのは、このようにして、もしも非合理の存在を認めればみずからの存在が成立しえなくなるからである。その際
に、合理性が非合理を排除する口実としているのは現実性の概念である。非合理は非現実にまでおとしめられることによってのみ、抽象的な存立を許される。と
ころがこの現実性は、私たちの体験面においては、存在への意志、生への欲求の反映である。生への意志のないところに現実性は成立しない。
このような関連からただちに明らかになることは、私たちの日常生活を基本的に規制し、真にみずからに対立する反対概念としての非合理の存立を許さない合理
性とは、それ自体私たちの生への意志によって支えられたものだということである。私たちが常識的・合理的な日常性の『世界公式』としてとりだした1=1
は、実はその真相においては、私たちの生存欲求それ自体の基本公式にほかならない。1=1に矛盾するあらゆる態度は、窮極のところ1=0という数式で表す
ことができるが、この1=0は私たちにとってはとりもなおさず、生命否定の、つまり反生命の基本公式となるのである。」(同上、155p〜156p)
正常な状態が「1=1」、異常な状態が「1=0」であると考えている木村敏の考えはかなり簡略化されたものにみえるが、確かだ。
僕はこのことを考えるとすくなくとも自我というのは非常にデジタル的なもの、プログラム的なものに近い気さえしてくる。少なくとも「1=1」がなりたつこ
とで、デジタルを生み出す基本である1と0の間に生まれる「差異」が現れることは確かであり、デジタルというのは合理性の極致であると思う。
だが、この1=1と言うのは意識の存在様式であって身体のではない。
体という自然はそれに対してアナログである。まだうまく説明できる状態には至っていないが、僕は今のところアナログというのはここでもキーになっている、
「関係性」という事に拠っていると考えている。その点では1=1以外のものを「心」ではなく「体」は受け入れうるように僕には思える。
それは例の親和性によるもの、つまり、「1+1が2ではなく3にも4にもなる」と感じられる何かについてである。それについては木村さんは生まれた時に自
己と他者の区別が付かない状態、つまり全から一に変化することで共同体の中で他者との共同生存が可能になると言っている。もし、そのようにして自己=一と
しているならば、それが解除された時に一は全に近づいていくと考えられる。
木村さんは、先ほど引用した「合理性の論理」は人間の自己という、一部だけで通用しているものであり、自然はそうではないという。
自然はそもそも非合理なものであり、近代合理主義による合理的自然観を押し付けられて、人間の視点からの論理によって合理的なものとして捉えられてきたに
すぎない。生命についても、実際には生命そのものは合理と非合理との区別を根本的に超越したものであり、人間は、個々の生物の”生存性”の具体的な姿のみ
を捉えて「合理的」とみなしている。
その上でこう言っている。
「他の生物体においてもおそらくそうであるように、人間はみずからが『この世に生をうけている』こと、個人として生きていることを、可能なかぎり永続的に
保持しようという強い傾向を有している。この傾向だけに関してみれば、人間どうしの間でも、自分以外の他人は大なり小なり自己の生存権を制約する敵とみな
さなれくてはならない。しかし、このようないっさいの制約をすべて敵視して、ひたすら自己自身の生存のみを求めるということは、そのまま逆に自己の生存の
否定に到達せねばならないことは、火を見るよりも明らかなことである。複数の人間が集団を形成している場合、他人による自己の生存欲求への制約を容認する
ことこそが、むしろ自己の生存を保持するための必要条件となる。(中略)つまり常識は、このようにして一段と高次の意味での生命への意志によって形成され
たものと考えてよい」(同上、161p〜162p)
そして共同体の中で他人の生存欲求から来る自己の生存欲求の制約を認めるということは、他人のひとりひとりを自己がそれであると同じ存在、一つの単位とみ
なすことであり、自分が「一人」であると同様に他人も「一人」である。そのことによって「一」という概念が出現する。そして、
「『一』という概念は、けっして抽象的な数学的概念ではない。それは、自己の生存を保持するために他人との共同生存を可能ならしめるという、人間共同体の
基礎理念を表わした社会学的概念なのである」と言う。
続けて、「『一』が他人の共同存在を認めた自己の存在概念であるとするならば、元来の無制約的な生存への欲求を具現化した自己の存在概念は『全』である。
(中略)それはいわば、他人をまだまったく他人として認知しえず、世界を現実として客観視しえない生まれたばかりの赤ん坊の状態を表わしている。
赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、自分の行動に対して種々の抵抗を提供する現実を世界と知覚し、ここからしだいに他のいろいろな人物や
事物を認知し、それにともなって自分自身をも一個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は『全』としての存在から『一』としての存在に移るよう
になる。しかしこの『一』は、あくまで『全』に支えられ、『全』を基盤としてのみ『一』でありうる。事実また、『一』はみずからを『一』として自覚する場
合を除いては、いかなるときにも『全』に帰還する。幼児における社会性の発達はいろいろな角度からとらえることが可能であろうが、私はこれを『全』と
『一』との弁証法的展開としてとらえてもよいのではないかと考えている」(同上、163p〜164p)
だがこの木村さんの論述を踏まえるとこうなるのではないか。
最初は自分以外の存在の認識がないということで、「全(根源的全)」であったが、自分が生存するために他者を認めることで「一」になったとき、他者を含む
「一」の総体としての社会は「全(総体的全」となる。
「元来の無制約的な生存への欲求を具現化した自己の存在概念は『全』である」と言う時の「全」は「根源的な全」であるが、「しかしこの『一』は、あくまで
『全』に支えられ、『全』を基盤としてのみ『一』でありうる」と木村さんが言う時の「全」はそれが身体を指していないのならば、「総体的な全」に他ならな
い。
「全」から「一」が発生した時、もはや「一」にとって「全」とはこの総体的な全であり、「総体的全」とは社会のことであるように思える。
→(続き)
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