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「松下竜一さんを偲ぶ集い」に全国から800人が集まる
延々4時間、30人の友人代表がこもごも思い出を語る


約800人の人たちが別れを惜しんだ
作家で市民運動家であった故松下竜一さんを偲ぶ集いが2004年8月1日午後2時から、大分県中津市の中津文化会館大ホールで行われた。
1937年、中津市に生まれた松下さんは、母の死にともない進学をあきらめ、19歳で稼業の豆腐屋を継いだものの、健康に恵まれず、病魔とも闘い、33歳で廃業して以来、ノンフィクション、ドキュメンタリーものを中心に作家生活に入り、1973年には当時珍しかった「環境権」を掲げ、いわゆる環境権裁判と言われた九州電力の豊前火力発電所建設差し止めを提訴したり、明神海岸埋め立て着工阻止行動、日出台(ひじうだい)の米軍演習反対運動などに参加、文字通り身体を張って市民運動を展開。並行して1973年からは『草の根通信』を通算30年にわたり発行し続けた。この他、98年〜2002年にかけて河出書房新社から全集『松下竜一 その仕事』(全30巻)を刊行した。

偲ぶ集いには地元市民や全国から生前親しかった人たち約800人が参加。運動の先頭に立つビデオの上映の後、評論家の佐高信さんや作品のモデルになった山田悦子さんら30人の友人代表がこもごも、それぞれの思い出や弔意を表した。

スローライフを実践したのは松下さんだ、と弔辞を述べた宇井純さん
最初に弔辞を述べた沖縄大学名誉教授の宇井純さんは「自分より若い松下さんが先に逝ってしまい、忸怩たる思いでいっぱいだ。最初の出会いは豊前火力発電所の差し止め運動の時で、この小さな身体のどこにこんな闘志が秘められているのかと思ったことを記憶している。いま、スローライフなどと喧伝されているが、そういう表現こそしなかったが、実践したのは松下さんだ。作家としても、生前に全集を出すなど恵まれた生涯であったと言えよう」と、30年来の交友を偲んだ。

集いは、予定時間を大幅にずれ込み、午後6時にお開きとなった。



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