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佐賀地裁、「諫早」事業に工事中止命令下す
他の公共事業の今後に多大な影響与えそう |
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10時2分、「勝訴」、「工事中止命令」などが伝えられた
(2004年8月26日、佐賀地裁前で) |
2004年8月26日、佐賀地裁(榎下義康裁判長)は「国営諫早湾干拓事業(諫干事業)の工事を続行してはならない」と命じる仮処分決定を下した。この決定は、国が“強行”している諫干事業に対し、漁業者85人が差し止めの仮処分を申請していたことへのもので、干拓事業と有明海異変、漁業被害の関係を認定し、否定し続けてきた国側の言い分を真っ向から否定した画期的な決定。この決定は今後の公共事業の在り方にも多大な影響を与えることになろう。
同日午前10時、馬奈木弁護団長以下8名の弁護団が地裁内に入り、同2分には仮処分決定が下され、「工事を続行してはならない」、即時「工事を中断すべし」と、この事業そのものを厳しく断罪した。
この事が伝えられると、佐賀地裁前に集まっていた漁民原告や支援グループ約300人は大歓声を上げ、拍手で“勝訴”を喜んだ。
11時には会場を互助会館に移し、馬奈木団長、堀弁護団事務局長が「歴史的な判断だ。高く評価したい」とあいさつ。さらに板井優・川辺川利水訴訟弁護団長が「画期的な決定には敬意と、みなさんに祝意を申し上げたい。問題はこれから国に上告をさせない運動を展開していくことが肝要だ」と述べた。
続いて、各地区の漁民代表がこもごも喜びを語ったが、なかでも「諫早干拓を憂える大牟田の仲間」代表の本昭弘さんは「実は一昨日まで1ヵ月ほど入院していた。今日の決定が逆だったら裁判所の裏庭で自らの命を断とうと決意していた。今後は工事の完全中止、復元の実現まで運動を続けたい」と決意を新たにしたことを表明。
また、会場で松藤文豪・有明漁民・市民ネットワーク代表が「とにかくよかった。これでひとまず自殺が止まるだろう。瀬戸際にきていたから」と語ったのが印象的だった。
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原告の漁業者たちは思わずバンザイを連呼した (2004年8月26日、佐賀地裁前で) |
馬奈木弁護団長が正義は生きていたと“勝訴の報告”をした (2004年8月26日、佐賀地裁前で) |
身を削って反対運動を行ってきた本さん(前列右から2人目)も病身を押して集会に参加した
(佐賀・互助会館で) |
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「厳粛に受け止め、直ちに工事を中断した」
=九州農政局課長が熊本集会で言明= |
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同日午後1時30分、弁護団の一部と支援グループは熊本市の九州農政局前で集会を開き、午前中の佐賀地裁での経過報告を集まった約100人の人たちに行うとともに、2時過ぎには合屋善之・農政課長を集会に呼び、田上尚志弁護士が「現場での工事は裁判所の命令により本当に中止されたのか?」とただしたのに対し、「決定を厳粛に受け止めている。工事は直ちに停止した」と言明した。
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佐賀地裁の決定を受けて熊本で行われた抗議集会 |
「決定を厳粛に受け止めた。工事は直ちに中断した」と言明した合屋農政課長(中央) |
(いずれも2004年8月26日午後2時頃、九州農政局前で) |
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【環ラス コメント】
気温35℃の酷暑の中ではあったが、歴史的な現場にいることができた。この臨場感はいろいろな修羅場をくぐってきたつもりだが、生涯最高のものと言って過言でない。松藤文豪さんが語ってくれた言葉。「これで自殺が止まる」はグサッと胸にささった。“国よ上告するなかれ”と強く思った(でも、つまらないメンツのためにするんだろうなあ…)。
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=その時、工事現場はひっそり= |
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休暇を取って待機していてカーラジオで一報を聞き、時津良治さん(有明海漁民・市民ネットワーク)が工事現場に駆けつけたのが26日昼頃。工事業者はすでに引き揚げ、ゲートは閉ざされ、警備員が取材に訪れる報道陣をチェックしているだけだったという。 |
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ひっそりと静まりかえっていた中央干拓地南部ゲート |
遠目から見ても工事車両の動きはまったくなかった |
(いずれも2004年8月26日午後0時30分〜1時頃 =時津良治さん提供) |
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=その時、農水省前は騒然= |
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この日、東京・霞が関の農林水産省前にも前田力さん(熊本)や平方宣清さん(佐賀県)ら漁民代表や河西龍太郎さんら弁護団の一部、支援者ら300人が集合。10時過ぎに現地から“勝訴”の報告が届いた瞬間、拍手と歓声に湧いた。12時過ぎには菅直人・前民主党代表ら国会議員も出席して集会が開かれ、さらに午後4時過ぎからは佐賀からは佐賀から駆けつけた馬奈木昭雄・弁護団長ら弁護団が加わり、農水省に対し、「仮処分決定を受け入れ、控訴すべきでない」など強く訴えた。
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援者らが次々と激励の挨拶をし、盛り上がった集会 |
集まった300人はシュプレヒコールで締めくくった |
(いずれも2004年8月26日午後0時過ぎ頃=諫早干潟緊急救済東京事務所提供) |
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